26話 世界の理
聖法歴1018年9月16日
ソール連邦のとある地方。
人の寄り付かないような森の奥。そこの少し開けた場所にいる少年を訪ねて、女性が茂みを掻き分けながら歩いていた。
年の頃は二十代半ばに見えるその女性は、藍色の髪を後ろでお団子にまとめ、切れ長の目は黄金に輝いていた。
赤縁眼鏡にスーツ姿と、いかにも仕事が出来そうな風格を漂わせるその女性は、目的地を目前にして突然両手を上げて立ち止まる。
「敵意はありませんよ。ここへはオーギュストから聞いてきました」
名前に反応した少年が、疑り深い眼差しを浴びせながら女性の前に姿を現す。
「誰だ、お前」
「私ですか? ヴェロニカっていいます。オーギュストと同じ、特務捜査官ですよ」
「……」
ヴェロニカと名乗った女性は、自らの身分を証明するため胸の中から何かを取り出した。
少年は冷ややかな目を向けながら、投げ渡されたものを掴む。
「それで確認できるでしょう?」
再び両手を上げるポーズを取ると、話は聞いていると言わんばかりの表情をした。
「……」
少年の手にあるのは、魔界の特務捜査官だけが持つ特殊な割符だった。
この割符は、同種の割符をくっつけることで反応する特殊な魔道具で、主に秘密任務にあたる軍や治安組織の一部にしか渡されていないものだった。
本来、この少年が持つべきものではなかったが、オーギュストの意向で客員の立場として特別に発行されたものであった。
少年はどこからともなく似たような割符を取り出す。
無言で二つを合わせると、中央の結晶が色づく。
パターンは緑。
少年の物と同じく、特殊な割符であった。
この色には幾つかパターンがある。
赤は偽物、青は軍人、黄色は治安組織。――そして、緑は魔王直轄の極秘調査官。
オーギュストや少年と同じ立場であった。
「おっと」
仏頂面の少年がヴェロニカの割符を投げ返す。
器用にキャッチした彼女はゆっくりと少年に近づいた。
「なんだ?」
「立ち話も何ですから、腰を落ち着ける場所に行きましょう」
まるでこの辺りを熟知しているかのように、先へと進みだす。
少年はしばらくその場に佇んでいたが、諦めたように彼女の後を追った。
◆◆◆
「何もないですねぇ」
当初の目的であった開けた場所に着くなり、ヴェロニカは暢気なことを言う。
あたり一面生い茂った草木しかない空間で、何が珍しいのかしきりにキョロキョロと首を振っていた。
そんな彼女を放っておいて、少年は手近な木にもたれかかった。
「しょうがないですね」
ヴェロニカが手を叩くと、真っ黒な物体が現れ、椅子とテーブルを形作った。
少年に席を勧めながら、安全を証明するために自らも座る。
探るように見据えていた少年だったが、小さく息を吐くともう一脚の椅子を引いて座った。
テーブルから距離をとったのは警戒の表れか。
さして気にした様子もないヴェロニカが自己紹介から始めた。
「改めて、私はヴェロニカ。中級悪魔で魔界の特務捜査官であり、ソール連邦の特務執行官補佐を兼任してます。こう見えて、オーギュストの姉なんかもやっちゃってますね」
悪魔であると告げられても一切動じない少年。
姉と聞いたときだけ僅かに眉が動いた。
「次はあなたの番ですよ~」
「……」
水を向けられた少年は、無言のまま彼女を警戒していた。
「ふむ、まぁいいでしょう。あなた――ゼインのことは、オーギュストから聞いてますから、私の言いたいことを一方的に話しますね」
「……」
心が強いのか、目的があるのか、彼女はゼインと呼ばれた少年の態度を異に返さず、話し続ける。
「あなたのことを聞いたと言っても、二つぐらいしか教えてくれなかったんですよ~。孤児院の子たちを守ったってことと、悪魔に恨みがあることぐらいで~」
ヴェロニカの言葉を聞いたゼインは、途端に興味を失ったようで、椅子から立ち上がる。
そのままどこかへ行こうとした彼に向かってヴェロニカが話を続けた。
「――で、思ったわけですよ~。この世界のことを少しは教えてあげなくちゃ、って。だって、あなたの力は知ることでより強力になるでしょ?」
彼女の最後の言葉にゼインは足を止める。
ゆっくりと首を巡らせた彼は、殺気を放ちながら底冷えするような声で問いかけた。
「――お前、それをどこで知った」
「おぉ、怖い怖い」
言葉とは裏腹に、飄々としたおどけたような態度で余裕を感じられた。
「嘘はついてませんよ? オーギュストからは何も聞いてませんし、彼は何も私に告げませんでしたから。ただ、なぜと言われたら、とある友人に昔……いや、大昔って言ったほうがいいのかな? まぁ、以前に聞いたことがあった雰囲気にそっくりだったもので」
「――」
先ほどまでとは違い、湿度の高い視線で彼女を見据えていた。
嘘を言っている風ではない。――かといって、真実をそのまま口にしている風でもなかった。
しばらく視線を交錯させていた二人だったが、テーブルを二回突くと、根負けしたようにゼインが再び椅子に着いた。
にっこりと笑うヴェロニカは、頬杖をついて優しく語りかける。
「まずはこの世界の仕組みから話しましょうか。――ゼインも知っての通り、この地上界の他にもこの世界には異界が存在します。悪魔たちのいる魔界、天使たちのいる天界、そして、神々のいる神界。これらにはそれぞれ役割があるんですよ」
一度話を切ると、唐突な質問を挟んだ。
「ここでクイ~ズ! 私たちが日常的に使う魔法。これの原動力である魔力はどこから生まれてきているでしょ~う」
浮ついたような底抜けた明るい調子で出題されたクイズ。
答えてくれるまでは梃子でも口を開かない、と彼女は目で訴えかけていた。
ゼインは嫌な顔をしながら、仕方なしに答える。
「……生き物が魔素を取り込んで生み出してる」
「正~解! ぱちぱちぱち。じゃあ、この魔素はどこから来ているか知ってますか?」
小馬鹿にしたような態度にイラっとしながらも渋々答えを口にする。
「……魔素溜り」
「じゃあ、その魔素溜りの魔素はどこから?」
「……知らない」
「正解は、魔界からでした~」
未だ解明されていないはずの事実を口にするヴェロニカに、動揺を隠しきれないゼイン。
一瞬、出まかせを口にしたのかとも思ったが、態度や口調とは裏腹に、彼女の目は真剣そのものだった。
「……どうしてそう言えるんだ?」
「後でも説明しますが、それが本来の悪魔の役目だからですよ」
「どういうことだ?」
「順を追って説明しますね。――まず魔力ですが、生き物が生きるうえで必要なエネルギーの一つですね。人間でいえば、空気を吸って酸素を体中に巡らせるように、魔素を取り込んで体中に巡らせる必要があります。なぜそんなことが必要かというと、生物を構成する三要素が絡んでくるんですよ」
知ってますよね、と目だけで問いかけるヴェロニカに、苦虫を噛み潰したような表情になる。
「……“肉体”と“魔素体”と“霊体”か」
「その通り。“肉体”は見たままの通りですね。“魔素体”がいわゆる魔素で出来た肉体のことで、魔力視でないと捉えることが出来ません。あなたもすでに把握している通り、人それぞれの個性がありますし、家族で似通うこともあります。まあ、肉体の魔力版とでも思ってもらえれば分かりやすいですかね。
で、“霊体”ですけど、これは魂に関することで、肉体の魂版とも言えますね。厄介なのが、“霊体”は肉体にも魔素体にも影響を及ぼすくせに、知覚できる人が稀だということですね。一応、”計測機器を駆使して片鱗だけを何とか~”ってのが現状みたいですねぇ」
ご存じでしょうけど、と告げる彼女が、本当にどこまで知っているのかとゼインは苦々し気に思っていた。
「とまぁ、生きるうえで欠かせない魔素ですけど、魔法として外部に放出したり、死によって体外に出て行ったりすると、どうなると思いますか?」
「魔素に戻るだけだろう」
「一部は、ですね。――いえ、大半は、と言ったほうが正しいですか。残りはどうなると思います?」
今度は真剣に考え込むゼイン。
自らも魔法を使うので、魔素の動きには注意していた。
魔力もそこまで多くないため、必然的に余剰排出を減らそうとした産物だった。
「……もしかして、魔獣、か?」
「う~ん、残念。惜しい気もしますが、ここはハズレにしておきましょう」
一拍置いたヴェロニカが、自分を指差した後、指を下に向ける。
「答えは『穢れ』になる、でした」
「――っ、まさか!」
ようやくヴェロニカの始めの答えと結びついた。
ゼイン頭の回転の早さに、嬉しそうに微笑む。
「そう、悪魔の役目である『穢れ』の浄化。あれって本来は、魔素に残った残留思念やら感情やらを消し去って自然な状態に戻すための儀式なんですよねぇ。『穢れ』が魔獣を模して襲いかかってくる所為で戦闘偏重な考え方に染まって、今ではそのことを知る人はほぼいないんですけどね」
どれほど前から生きていたのか気になる発言だったが、ゼインは聞かないことにした。
何を聞いてもはぐらかされる未来が見えたから。
「『穢れ』に汚染されると住めなくなると聞いたが、本当なのか?」
「半分本当、半分嘘ってとこですかね? 『穢れ』って負の想念が主成分なんですよ、生き物ってどうしてもそういう感情のほうが強く残りがちなので。そのせいで、半分呪いのような効果が生まれ、生きたモノを蝕んでしまうんです。でも、汚染された後に追加で蝕まれなければ、時間を掛けて元に戻るんですよね。
……まぁ、一度汚染された場所だと断つことの難しい場合がほとんどですから、住めなくなるって認識になってもおかしくはないですね」
「そういう理屈なのか……」
確かに、ヴェロニカの言うことが本当であれば、土地が不定形の「穢れ」に汚染されるとなると、その「穢れ」の供給源を断つ方法がない限りは住めなくなるというのは、あながち嘘ではないようだった。
「穢れ」の発生自体は淀みやすい場所、集まりやすい場所があるようで、自然とそこに溜まっていくそうだ。
普段は魔素と同じように空間を漂い、ゆらゆらと引き寄せられるのだとか。
そのうえ、大きな「穢れ」の塊にも引き寄せられ、大きな塊の特性をそのまま引き継ぐ。
元が残留思念の所為か、合流した後、大きな感情の一部となって肥大化する。
そのため、一度溜まった場所は一気にすべてを浄化しない限り、汚染された状態のままなのだそう。
元に戻る時間がどれほどかは不明だったが、少なくとも数年数十年単位では無さそうだった。
「浄化された魔素は魔界から地上界へと流れ込みます。その先が魔素溜り――魔境と呼ばれている場所ですね」
「なら、魔境が消滅しない理由は――」
「元々そこが魔素の供給口だからですね。魔境を吹き飛ばしても、口を大きくするだけで閉じたりはしませんよ。それこそ、世界を閉じるほどの魔法でもない限りは」
そんなことしたら、世界が滅茶苦茶になりますけどね、と他人事のようにヴェロニカは言い放った。
「じゃあ、魔獣は何なんだ?」
「魔獣? ただのヘンテコ生物ですよ、魔素体が肉体を持っただけの。発生自体もそこまでおかしなものじゃないですね。何かしらの生物の突然変異か、魔素を圧縮しすぎて『穢れ』もどきになったか、魔素溜りにこびりついた残留思念を形取るかのいずれかですね」
「『穢れ』もどきって……悪魔じゃないと浄化できないんじゃないのか?」
「浄化はそうですけど、所詮はもどき。本物の数十万分の一とか、そういうレベルの薄さなので、肉体を形取るだけで精一杯。『穢れ』の特性なんて持ち合わせてないですよ。残留思念も似たようなものですね。あれも、あくまで供給口の形が残留思念によって、長い年月をかけて歪んだために起こるので。――要は天然の魔獣製造機ですね」
二人の話題には上がらなかったが、魔境とは魔素の供給口であり、魔素の一時貯留施設でもある。
当然、許容量も存在し、それを超過すると周囲を徐々に侵食し、キャパを増やそうとする――所謂、大恐慌と呼ばれる――現象が生じるのだった。
ここまで話を聞いてたゼインが当初の話を思い出す。
「ん? なら、悪魔以外の役割は何だ?」
「あぁ、そういえば役割の話でしたね。」
自分で脱線して置いて、指摘されるまですっかり忘れていたヴェロニカが、失敬失敬と軽い調子で謝る。
咳ばらいをつくと、指を立てながら話し始めた。
「悪魔の役目はさっきまでの通り。次に天使の役割ですが、彼らは世界の維持ですね」
「維持? そんなもの、どうやっているんだ?」
「彼らの特性の一つに、自分の力を他者に貸し与えるっていうのがあるんですが、それを使ってますね。分かりやすく言うと、両手を丸めて押さえつける感じですかね」
「は?」
全く理解できなかったゼインは、眉をひそめて首を傾げる。
「う~ん、説明が難しいですねぇ。――そうですね、この世界を建物に例えるなら、天使は建物のメンテナンス係ってとこですかね。外壁を補修したり、強度が足りるか確認したり、内部機器の異常を直したり。世界の枠組みを点検・修繕するのが役割ってとこですよ。分かりました?」
「まぁ、なんとなく?」
まだ世界の枠組みとやらを把握できていないゼインには荷が重い話だった。
「神々は……何しているんでしょうね? 私もよく知らないんですよ、世界の管理をしているとしか」
「ふーん」
今までとは違い、素っ気ない態度をヴェロニカは気に留めなかった。
最後に、と告げながらヴェロニカは四本目の指を立てた。
「人間、というか地上界の役割は世界の繁栄ですね」
「繁栄? なんでそんな大それたことなんだ?」
「世界が滅ぶ要因って何だと思いますか?」
質問で返したヴェロニカに不服といった顔をしたゼインだったが、考えを口にするぐらいはしていた。
「破壊だろ。もしくは災害か」
「一つの要因ではありますね。ですが、求めていた答えじゃないですよ。正解は停滞です」
「は? どうしてだ?」
今一つピンと来ない答えに聞き返す。
無理もないと言いながら、ヴェロニカは穏やかな表情を浮かべた。
「例えば、誰も彼もが新しいことを止めたらどうなると思います?」
「……」
眉間に皺を寄せるゼインは無言のまま静かに彼女を見つめる。
「行き着く先は緩やかな滅亡。生物が全滅するんですよ」
「……ありえない」
「まぁ、想像しにくいですからね。でも、確実にそうなりますよ。誰もいなくなった世界の末路は、神々からも見放され、忘れ去られた何もない空間になるだけ。それを防ぐためにも、繁栄が必要なんです」
まるで見てきたかのように話すヴェロニカ。
理解しなくてもいいと、朗らかに話す彼女に、ゼインは何とも言えない顔をするのだった。
◆◆◆
「いつの間にか結構な時間が経っていましたねぇ」
まだまだ周囲は明るいとはいえ、陽が傾きだしたことは事実だった。
「別に関係ないだろ」
「そうはいきませんよ。私も他にも用事がありますし、あなたも待ってる人がいるんでしょ?」
「……」
むすっとした顔をするゼインに優しく諭す。
「それに、一度に色々詰め込むよりも小分けにしたほうが効果あるんじゃないですかね」
一層険しい表情になるゼインを放ってヴェロニカが立ち上がった。
「今日は挨拶だけのつもりでしたから、他の話はまたの機会にでも。あ、そうそう。今日知ったことは皆にはナイショですよ。お姉さんとの約束」
一方的に言い残すと、彼に背を向けてその場を立ち去るヴェロニカ。
ゼインはその姿を睨みつけながら、結局は見送ることにした。
彼女によって生み出された椅子とテーブルは、ゼインが立ちあがった途端、幻だったかのように消えてなくなった。
もう一度だけ彼女のいなくなった方向を睨むと、鼻を鳴らして転移してしまった。
◆◆◆
「――まったく、可愛いところもあるじゃないですか」
森を歩きながら、一人呟く。
「警戒心の強い猫みたいですね、彼」
ふと立ち止まって振り返る。
目に映るのは木々だけ。
しばらくじっと見ていた彼女だったが、不意に長い年を経たことを感じさせられる深い笑みを浮かべた。
「――きっとあなたの望むままになりますよ、ハン」
今じゃない感がありますが、後過ぎてもなぁと思った次第です。
本当はもっと長かったんですが、割愛しました。




