25話 敬服、讃頌、そして…
すみません!
予約投稿の日付を間違えていました。
キリよく13時に予約し直しました。
次回以降は気を付けます。
この度は申し訳ありませんでした。
聖法歴1020年3月29日
バーチ共和国のとある山間。
そこで二つの集団が距離を取って向かい合っていた。
一方はヒバノ島国の面々。
バーチ共和国と海を隔てて南東に位置する国で、ゆったりとした上着に丈の長い穿物が特徴的な民族衣装に身を包んでいた。
もう一方はソール連邦の面々。
共和国とは国を一つ挟んで北西に位置していた。
国同士が接しておらず、距離も離れているはずの両国が、関係の無さそうな共和国に集っているのには理由があった。
国家間の貿易に際して、国交を結んでいないことには正式な取引は行えない。
商人を介した小規模の非公式な取引であれば、あるにはあるが、どうしてもコストが掛かってしまう。
今回の騒動は大量に鉱石を手に入れたかった島国が、連邦に国交を申し出たことから起因する。
正式な国交自体は問題なかったのだが、二国の出した条件がかみ合わなかった。
数か月かけた話し合いでは平行線。
折り合いがつかなくなり、最終的な決定を“代理戦争”で決めることとなった。
国交の条件を決める方法としては稀にあることだったが、あまり大袈裟に取り沙汰されたくはなかった両国。
しかし、国交樹立に際し、第三国の立ち合いが必要であったため、どちらとも関係が良好なバーチ共和国に白羽の矢が立った。
ちなみに、永世中立国家を謳っているミスルト教国は、例外を除いて国交樹立には関わらないと宣言していた。これは、国同士の関係が良くなることで、他の敵対国の首を絞めかねないことがあるからだ。中立を謳う以上、どちらにも肩入れしないスタンスを取っていた。
両国の意向と共和国の気遣いのおかげもあり、人里離れた山の中で代理戦争を行う運びとなった。
◆◆◆
島国からは九人、連邦から六人、共和国からは五人が参加し、それぞれに挨拶を交わす。
賢人会からも代理戦争の立会人として、二人が足を運んでいた。
挨拶が終わると、条件の再確認が行われた。
基本は話し合いの最終段からほとんど相違なく、両国共に利のある内容ではあった。
勿論、第三者である共和国にも、今回の報酬として便宜を図る旨の内容を示していた。
「――以上で相違ないですか?」
共和国の役人が双方へ確認を取る。
島国、連邦共に担当者が首肯する。
手元の書類にサインして、それぞれに回す。
全く同じ内容が書かれた書類三部に担当役人がそれぞれの署名を連ねる。
偽造防止の魔道具で捺印すると、各国に一部ずつ配られた。
「確認も済んだことですし、さっそく代理戦に移りましょうか」
共和国の役人の言葉で互いの代表者が紹介される。
「此方からは彼女が。風切道場の師範代であり、ランクA-の英傑『神閃』梅入澄玲を代理人とします」
紹介されて一歩前に出た女性は、高身長ですらりと長い手足に、これまた長い暗めの紫色をした髪を後ろで一本に結んでいた。
すっきりとした目鼻立ちに、キリっとした目と淡い桃色の瞳が特徴的な男装の似合いそうな恰好いい女性だった。
彼女はとても有名で、連邦や共和国の人からも感嘆の声が漏れ聞こえた。
「こちらは彼を代理人にします」
視線がソール連邦のオーギュスト執行官に集まる中、彼は隣にいた少年の背中を押して前に出るよう促した。
どこか暇そうにしていた少年は、促されるまま二歩前に出る。
周りからはどよめきが走る。
驚いていないのは事前に知っていた連邦の人間だけ。
それでも、オーギュストと少年の反対側にいたヴェロニカ女史以外は、不安そうな眼差しを向けていた。平然としていたのは、実質その二人だけだった。
喧騒を破ってオーギュストが役人の言葉を引き継ぐ。
「彼は私同様、連邦の執行官であり、ランクA-に名を連ねる英傑です。二つ名は『悪鬼』、『悪鬼』のゼインです」
オーギュストの紹介に、何人かの顔が曇る。
どうやら「悪鬼」の二つ名を持つ英傑を知っていたようだった。
まだそこまで露出の多くない彼を知っている辺り、相当耳聡いようだとオーギュストは内心で感心していた。
他の人々は、まだ幼い白髪の少年を疑心の籠った目で眺めていた。
それもそのはず。
ギリギリ許可証を取りたての子供を代理人に選ぶなんて、正気の沙汰とは思えない。まだランクB+のオーギュストの方が勝ちの芽はありそうだと考えていた。
そんな視線に晒される中、平然と佇むゼインを静かに眺めている人がいた。
(彼は大物か、はたまた愚か者か……。立ち振る舞いからある程度実力が読めると錯覚していたようだな。猛省せねば)
内心独り言ちながら、澄玲は彼の一挙手一投足を悟らせないように観察する。
立ち姿は芯がぶれず、なにかしらの武術を習っていたことは想像に難くなかった。
周囲を警戒しているようにも見えないが、なぜか隙があるようにも見えない。
気を張るでもなく自然体なその姿は、正解にも間違いにも感じた。
僅かに左足を横に動かす。
すると、ゼインは顔を動かさず、視線だけを澄玲に向けた。
目がかち合った瞬間、思わず左手の鞘を持つ手に力が入る。
無意識に動きそうになる右手を抑えるのに注力しすぎて、左手が僅かに震えてしまった。
内心で冷や汗をかきながら、静かに目を閉じて息を吐く。
(――これではっきりした。彼は強い)
再び瞼を開いた澄玲の瞳は爛々と輝いていた。
◆◆◆
澄玲とゼインを残し、他の人たちはその場から離れる。
何か言いたげだった島国の人たちも、正式に代理人と記された書類を見ると、黙り込んでしまった。
距離を取るのを待つ間、澄玲がゼインに誰何する。
「――きみ、名前は何て言うのだ?」
「話、聞いてなかったのか?」
面倒くさそうな顔をするゼインに微笑みかける。
「きみから直接聞きたい」
「……」
眉をひそめて澄玲を見つめていたが、一片の曇りのない瞳を覗くと、険の取れた顔つきで口を開く。
「ゼイン」
「いい名だな」
「お前は?」
相好を崩した澄玲に、今度はゼインが問いかける。
目を丸くしてきょとんとした澄玲だったが、先ほどよりも上機嫌な笑顔で名乗りを上げた。
「わたしは梅入澄玲。風切剣術の師範代にして、ヒバノ島国のランクA-の英傑。『神閃』の名で知られ、私の絶技はいずれ神をも切り裂く。――二二歳独身、絶賛彼氏募集中だ」
「最後のはいらない……」
途中まで真剣に聞いていた己が馬鹿みたいだったとばかりに、最後の言葉でゼインはむすっと顔を顰めた。
◆◆◆
「――双方、構えて」
準備が整うと、賢人会の審判役が二人の間に割り込む。
澄玲はすっと鞘から刀身を抜き取り、正眼に構える。
ゼインは左足を半歩引き、両腕をだらんと下げたまま腰を落とす。
両者共に睨みあい、先ほどとは打って変わって真剣な面持ちだった。
「始めッ!」
開始の合図とともにゼインの姿が消え去る。
軽い衝撃を覚えた澄玲が、ほぼ反射と言っていい速さで刀を真正面に振る。
突然現れたと言っても過言ではないゼインの残像を切り裂く。
当の本人はすでに間合いの外。
最初の位置で身を屈めて澄玲を見上げていた。
一瞬の攻防。
戦いを見守る人たちからは驚嘆のざわめきが起こる。
ゼインの素早さもさることながら、虚を突かれた澄玲が冷静に対応したようにも見えたからだ。
特に島国の人たちは武人が多かったため、想像以上の手合いに観客たちは胸を高鳴らせていた。
そんな外野の盛り上がりに反して、澄玲は内心焦っていた。
(……まさか、これほどの実力とはな。さしものわたしも、あれほどの速度で常には動けん。悔しいが後手に回るしかないな)
胸中の弱音とは裏腹に、彼女の表情は僅かに口角があがり、不敵に笑っているようだった。
ゆっくりと刀身をあげ、再び正眼に構える。
すっと彼女の目が細められたのを合図に、ゼインが再度挑みかかった。
再び目の前に現れたゼインを今度は横に切り払う。
今度は刀が払われた反対側へと距離を取ったゼインは、間を置かずに地を蹴る。
接近したゼインを振り向き様に袈裟斬りするも刀は空を切った。
正面、左右、後ろ。
幾度も澄玲の攻撃を躱したゼインが、間髪入れずに様々な方向から襲いかかる。
澄玲もそれらすべてに対応し払い退ける。
真向斬り、横払い、突き、逆袈裟斬り。
身を低くしたゼインに向けて足元を掬うように斬り払ったとしても、どれも彼には一歩届かなかず空しい風音を鳴り響かせた。
一進一退の駆け引きが続く。
傍目には互角の戦いに見えていたが、実のところ、澄玲が徐々に追い込まれていた。
ゼインが一度攻撃を躱す毎に、突撃する速度を段々と上げていた。
そのうえ、澄玲を取り囲むように周囲を飛び回り四方から襲いかかるせいで、澄玲はその場から動けずにいた。
元々速度で劣るため待ちの構えであったが、意図的に押しとどめられている現状を歯がゆく感じていた。
(そろそろ対応しきれなくなってきた。流石に強化無しではこのあたりが限界か……)
彼があと一歩、いや二歩踏み込みさえすれば当てられるという確信を持つ澄玲。
そんな彼女の心境を読み取ったかの如く、ゼインは先ほどから彼女の間合いで深追いしなかった。
何度か避けた後、反撃するチャンスはあった。
しかし、そこに食い付いていれば澄玲の手痛い仕返しが待っていた。
あからさまな誘いから巧妙に隠した罠まで、その悉くを読んでいたかのように踏みとどまって後退するゼインに、彼女はじれったい思いを抱いていた。
◆◆◆
何度目か分からない構えを澄玲はとる。
今日一番の速度で迫るゼインに対して、意を決した澄玲が一歩前に踏み出した。
「――っ!」
目を見開いて空中で体を捻るゼイン。
振り下ろされる刃は、彼の右肩目掛けて一直線に振り下ろされる。
傍からは一撃もらう覚悟で反撃を繰り出したかのように見えた。
――結果は傷一つないゼインと倒れ込むように地面を転がり、彼の左掌底から逃れた澄玲がいたのだったが。
「くっ――」
片膝立ちをしながら、険しい顔でゼインを睨む澄玲。
先の交錯では彼の掌底は彼女の右肩を掠めていた。
その証拠に、上着の一部が破け、彼女の白い肩が露わになっていた。
彼の姿を捉えながら、先ほどの光景を思い出す。
最初、ゼインのリズムを崩すため、振り下ろしの途中から身体強化を掛け、剣速を格段に向上させた。
澄玲の目論見は成功し、ゼインにしっかりと一撃を加えられたと思った。
しかし、彼の肩に届いた瞬間、あるはずの手応えが全くなく、まるで霞を切ったかのようだった。
驚く間もなく激しい悪寒に襲われた。
直感に従い、左に倒れ込むように転がると、右から彼の掌が迫っていた。
寸でのところで直撃を躱し、転がりながら刀身を見て、ようやく彼が何をしたのか理解した。
正確には、手段は定かではないが、己の刃が彼の体をすり抜けたことだけ理解できた。
ゼインの行動に注視しながら、ゆっくりと立ち上がる。
彼も目を細めて澄玲を全身くまなく観察する。
彼女と彼の視線が交わうと、どちらともなく口角を吊り上げる。
澄玲は大胆不敵な笑み。
ゼインは邪悪な笑み。
同じ行動一つとっても、それぞれ印象は異なった。
切っ先を向ける。
それを合図に第三幕が上がった。
◆◆◆
最初と変わらぬ光景。
ゼインが澄玲の周囲を回り、一撃離脱を繰り返す。
飛び込んできたところを、澄玲が目にも止まらぬ速さで斬撃をお見舞いする。
行っていることは変わりない。しかし、速度と技術はこれまでの比ではなかった。
先程の攻撃が体をすり抜ける方法。それを交えながらゼインは攻撃する。
澄玲も局所的に身体強化を入れながら、タイミングや間合いを錯覚させる。
それでも、両者ともに一撃も食らわなかったのは流石と言える。
観客たちのほとんどは、この妙技を視認することすら難しかった。
分かるのは、残像しか捉えられないほどのせめぎ合いと、風を切る、もしくは打つ音のみ。
彼女たちの姿を把握できているのは、四人だけ。
そのうちの二人、オーギュストとヴェロニカが彼女たちを眺めながら言葉を交わす。
「――彼、楽しそうだね」
「そうですね。あそこまで嬉しそうな姿、初めて見ましたよ」
あなたは?と視線だけで問いかけると、小さく首を振った。
「願わくば、彼に良い影響があるといいんだけど」
オーギュストの呟きは、ひと際大きい風切り音にかき消されてしまった。
◆◆◆
今日一番の剣速で振り下ろした刃を下げたまま、澄玲は肩で息をする。
額には汗が流れ、頬も上気していた。
(流石に限界だ。体力も魔力も底をつきそうだ)
元々、魔力量の少ない澄玲。
これまでは身体強化は最後の手段。時間制限のある隠し技として使用してきた。
それを、刀を振るタイミングや地を蹴る一瞬だけ、と局所的に節約することで何とかゼインに食い下がってきた。
彼の速度はある時から上昇が止まったこともあり、ギリギリではあるが対応出来ていた。
しかし、度重なる応戦でそれも限界を迎えていた。
ゆっくりと息を整えながら彼を見る。
彼は腰を落として様子見をしている。
目は見開かれ、煌々と闘志に燃えていた。
口は片方の口角が吊り上がり、歪な笑みだがどこか嬉しさを滲ませていた。
(最後の一振り、か……)
彼の態度に意を決した澄玲は、刀をぎゅっと握ると、上段の構えを取った。
今までと異なる構えに、ゼインは虚を突かれたような表情を浮かべた。
それも一瞬のこと。すぐさま腰をさらに落として、不敵な笑みを見せる。
今度は合図は無し。
どちらともなく地を蹴ると、渾身の一撃を繰り出す。
澄玲は上段から残った力と魔力を注ぎ込み、振り下ろす。
ゼインは空中で指に力を入れ、掌底を突き出す。
一瞬の交錯。
どちらの攻撃も当たるかに思えたその時。
突然、ゼインが笑みを消し、視線を明後日の方向へ向ける。
急な態度の変化に戸惑いを隠せない澄玲は、ふいにゼインの視線の先を見る。
すると、眼前に凶弾が迫っていた。
咄嗟に体を捻り、躱そうとするも時すでに遅し。
彼女の胸を貫くと、澄玲は地に臥してしまった。
倒れ込んだ彼女を静かに見下ろすゼイン。
彼にも弾は迫っていたが、目で捉えた瞬間、障壁を張って防いでいた。
一人立ち尽くす彼に、その後も数発の弾丸が撃ち込まれたが、すべて障壁で防ぐ。
無表情で彼女の顔を覗き込んでいたが、内心では躱せるだろうと思って余計なことをしなかった己を悔やんでいた。
息も絶え絶えな澄玲は、残る力を振り絞って彼に手を伸ばす。
「……すま、な……」
言葉を告げ終わる前に、力なく腕が落ちる。
そのまま静かに息を引き取ってしまった。
◆◆◆
突然の出来事に混乱していた観客たちも、すぐさま彼の元に駆け付けた。
その時にはすでに澄玲は穏やかな表情で眠りについていた。
「……ゼイン、大丈夫かい?」
心配そうに告げるオーギュストに、感情の抜け落ちたゼインが顔をあげる。
「大丈夫だ。今すぐ水を差した連中を殺してくる」
「待てッ!」
今にも飛び出そうとしたゼインを引き留める。
「なんだ」
虫の居所が悪いゼインは、重苦しい魔力をまき散らしながら僅かに振り返る。
「せめて、一人は生かしてくれ。尋問したい」
「――わかった」
彼がその場から消えると、オーギュストは静かに息を吐く。
後ろから倒れ込むような音が聞こえた。
振りかえると、何人かが卒倒したようで、無事な人も足や体を震わせていた。
「彼は……何なんだ?」
ヒバノ島国の武人の一人、一番年嵩の実力がありそうな男性が、絞り出すような声でオーギュストに尋ねる。
「……彼はしがない英傑ですよ。怒らせると、ちょっとだけ怖い、ね」
おどけたようなオーギュストの口調に、唇を噛みしめながら、それ以上の言及はしなかった。
◆◆◆
ゼインが姿を消す少し前。
山頂付近のとある茂みの中。
二人の男性が息をひそめてスコープを覗いていた。
「――チッ、防がれた」
「こっちもギリギリで体を捻ったみたいだ。ただ、致命傷だろうな」
男たちは雇われの殺し屋だった。
依頼は“英傑「神閃」の殺害”。
対人特化の英傑とあって、長距離からの狙撃で暗殺を試みていた。
もう片方の少年はついでとばかりだった。
「防いだ方に何発か打っているが、全て防がれてる。チッ、情報が間違ってんじゃねぇのか」
悪態をつきながらも引き金を引く手は緩めない。
「これ以上はこっちが危うい。とっととずらがるぞ」
すでに依頼は達成した。
追加報酬のために、これ以上のリスクは犯せないと告げる男に、狙撃を続けていた男も撤退の準備にかかる。
ものの一分で痕跡を消した二人はその場から逃げ去る。
「とりあえず、今日はこのまま隠れるぞ」
「そうだな。あの餓鬼を仕留められなかったのはイラつくがな」
不満を漏らしながら、二人はひた走る。
「まぁ、そういうなって。依頼自体は達せ――」
パンッ――。
男が言葉を言い終わる前に、破裂したような音が森の中に響き渡った。
すぐさま水の滴る音が聞こえ、相棒の男は思わず振り返る。
「なっ!? 餓鬼が何でここに!」
相棒がいたと思しき場所には、先ほど暗殺に失敗した少年――ゼインが立っていた。
ゼインの傍らには膝より上のない足が二本転がっていた。
その近くには真っ赤な水をぶちまけたかのように、一面血に染め上がっていた。
視線を落とすゼインは肩まで伸びる髪で顔を隠し、表情を窺い知ることは出来ない。
無造作に落ちている足を拾い上げると、ゆっくりと顔をあげた。
男はゼインの顔を捉えると、思わずたじろぐ。
見開かれたその瞳は血に濡れたように赤く光り、開いた瞳孔は飲み込まれるような錯覚に陥る。
喉を鳴らして冷や汗をかいていると、ゼインがおもむろに一歩踏み出した。
堪らず踵を返して走り出した男は、振り向きざまに煙幕を投げつけ、逃走を図った。
「どこへ行く」
底冷えするような声が耳をくすぐる。
振り向きそうになる気持ちを抑え、前だけ見て走り抜けようとした。
右足を踏み出した途端、男は地面を転がる。
慌てて足元を確認すると、いつの間にか右足が無くなっていた。
「ぎ、ぎゃああああ!!」
遅れて痛みに叫び声をあげる。
「うるさい」
ゼインに足蹴にされた男は、いつの間にか左腕も吹き飛んでいた。
「お、俺の、俺の腕があああ――!!」
泣き喚く男に踏みつけにすると、先ほどの比にならない、濃密で底冷えする魔力が男を襲う。
「――ッッッッ!?」
歯の根の合わない男は、ゼインに髪を掴まれて顔を持ち上げられる。
彼の瞳と無理やり目を合わされた男は、泡を吹いて意識を失った。
ゼインは魔力をゆっくりと抑えると、男の持ち物を含めて転移した。
◆◆◆
無造作に投げ出される男。
彼にはすでに両腕が無く、左足のみの姿になっていた。
「これ」
ゼインは一言だけ発すると、澄玲の元へと歩いていく。
オーギュストは仕方ないという顔をすると、男の持ち物を漁った。
ゆっくりと近づくゼインに、恐怖を張り付けた島国の面々が固唾を飲む。
その中から一人、年配の男性が歩み寄る。
「どうかされましたか?」
「……」
男性の問いには答えず、彼女の遺体にそっと手をかざす。
突然の行動に若い男性が掴みかかろうとしたが、それを年配の男性が制止する。
黙って見守っていると、ゼインは不意に何かを握りしめ、手の中を確認した。
それを無造作に地面に放り捨てると、そのまま何も言わず、オーギュストの元へと歩き去っていった。
一同が怪訝そうな顔をする中、年配の男性がゼインの捨てたものを拾う。
それは、狙撃用の銃弾で、おそらくは彼女を死に追いやった元凶。
この世界の遺体は火葬が一般的である。
きっとあのまま火葬されれば、残るのは彼女の骨と銃弾だけ――。
それをわざわざ取り除いた彼に、年配の男性は心を込めて頭を下げる。
他の島国の面々も、彼の行動と手に光る弾丸に気付き、それに倣う。
彼らの謝意を向けられていた当人は、いつの間にかいなくなっていた。
しばらくそのままの態勢を続けていたヒバノ島国の人たちを、オーギュストたちは気の済むまで見守っていた。




