1話 とある執行官の手記
初めまして、上野鄭です。
拙作をお手にとっていただきありがとうございます。
本日は12話まで連続更新します。
13話は月曜日の12時を予定しています。
よろしくお願いします。
聖法歴1018年8月20日
――この日の出来事は、上司に推奨され、普段よりも詳細に書き記すことにした。
今回の任務はソール連邦の片隅にある、とある孤児院の監査。
その周辺で一週間ほど前に異常な魔力波を検知した。
安否の確認や情報収集のため、その孤児院に連絡を入れたが音信不通だったそうだ。
そのため、やむを得ず直接赴くことになった。
今回の任務を割り振られた上司は、本人を含めた計五人の大所帯で向かうと言い出した。
仕事ができ、見識が広く洞察力もある上司であったが、今回の判断には思わず反論してしまった。
――いくら何でも人数が多すぎる、二人もいれば事足りる、と。
上司は「決定事項」とにべもなく告げ、取り合ってはくれなかった。
それでもなお食い下がる私にただ一言「もしもの用心のためだよ」と優しく答えた。
私たちは半信半疑のまま、現地に赴いた。
◆◆◆
目的地の孤児院を見て最初に抱いた印象は”孤児院にしては広すぎる”ということだ。
普通、一つの孤児院は数十人から多くて百人程度が暮らせる規模の建物で運営されている。
しかし、目の前の孤児院は優にその十倍近くはあるだろう。
建物の大きさだけでなく敷地をぐるりと取り囲む柵を見るに、都市規模の街にある学舎ぐらいの広さはありそうだった。
何かの施設を孤児院として転用したのだろうが、孤児院にするにしては正直言って不自然だった。
立派な門構えに取り付けられたブザーを鳴らす。
しばらくすると、中から年端もいかない少年が現れた。
「――何の用?」
近くまでやってきた少年は、睨めつけるような冷たい眼差しをこちらに向ける。
その少年のあまりの様相に嫌な考えがよぎった。
見るからにボロボロの衣服、汚れた手足に、何といっても目立つ顔色の悪さ。
同僚たちと顔を見合わせてどうするべきか悩んでいると、上司自ら身をかがめて囁いた。
「……何か助けはいるかい?」
上司の言葉に思わず驚いてしまった。
少年が現れてからすぐ魔法で防音をしたとはいえ、どこに耳目があるか分からないこの状況。
直接言葉にして尋ねるのは、と。
「いらない」
しかし、鼻を鳴らす少年の態度は、すでに解決したとばかりに若干の呆れが出ていた。
少年の様子に臆することなく上司は言葉をつづけた。
「――そうか。さっきの今で申し訳ないんだけども、私たちはこのあたりの調査のために来ていてね。聞きたいことがあるんだけど、少しだけ時間をもらえるかな」
先ほどの雰囲気を払拭するように、明るい調子で上司は少年に伺いを立てた。
「何?」
「最近、このあたりで不思議なことやおかしなことは無かったかい? もしくはそんな話を聞いたことは無いかい?」
上司の質問を聞いた少年は、一瞬にして表情が抜け落ち、刺すような眼差しでこちらを睨みつけてきた。
「何のためにそんなことを聞く。――お前たちもあれの仲間か?」
冷たい声色で詰問する少年は、完全に敵視しているようで威圧を放っていた。
この役職柄、武力に訴える相手が現れることもあり、ある程度の戦闘力を有していないと務まらない。
そんな私たちでさえ、一瞬体を強張らせるほどの威圧だった。
「あれ、というのが何かは分からないけど、仲間ではないかな。調査に来た理由も、一週間ぐらい前にこの近くでおかしな魔力を感じ取ったからなんだ」
少年の警戒心を和らげるためか、上司は肩をすくめておちゃらけた話し方をした。
「それを信じろと?」
「信じてもらうしかないかな。証明する方法がないからね」
「無理だな」
「どうしてかな?」
少年の声も表情もどんどん冷え込むなか、上司は柔和な表情を崩さず優しく語りかけていた。
「――お前、悪魔だろ。あれと似た魔力を感じる」
少年の言葉を聞いた瞬間、私たちは思わず武器を手に、構えをとってしまった。
「――手を出すな!」
上司がすぐさま声を荒げて制止する。
私たちが構えをとった瞬間、少年が完全に敵愾心をむき出しにし、一歩下がって腰を落としていた。
その姿を見た途端、言い表せない恐怖を感じた。
先ほどまでとは違い、濃密で重苦しい魔力をまとい、瞳を大きく見開いて、いつでも攻撃できるように見据えていた。
息の詰まるようなプレッシャーを受けて、誰かの喉が鳴る音が聞こえる。
「――部下たちが失礼した。申し訳ない」
上司はゆっくりと両手を上げて、攻撃の意思がないことを示しながら、頭を下げて謝罪した。
それに合わせるように、私たちもゆっくりと武器から手を離す。
ただし、警戒は怠らずに。
「私が悪魔であることは秘密にしているんだ。知っているのはここにいる部下たちと、他は数人ぐらいで。……今まで初対面の人に言い当てられたことがなくて驚いてしまったんだ」
「……」
構えを解かずに少年はしばらく無言で上司のことを睨みつけていたが、ぽつりと言葉をこぼした。
「……クソみたいな実験目的じゃないのか」
「違う。そういう悪い悪魔を捕まえるのが目的だ」
「……捕まえてどうする?」
「自分たちの手で処分する。私たち全員が悪者ではないと証明できないと、地上で暮らすのが難しいからね。――魔界は住める場所が限られているから」
「……」
いくつか聞きたいことを問いただすと、少年は上司の心の内を覗き込むようにじっと見つめて、再び黙ってしまった。
「……そうか。ならついてこい。あの悪魔の残したものを見せる」
長い沈黙のあと、少年はゆっくりと構えを解き、おもむろに背を向けて歩き出した。
私たちは顔を見合わせて安堵の息を吐き、上司に感謝と謝罪を込めて頭を下げた。
「こちらこそありがとう、守ろうとしてくれて。ひとまずは彼について行こうか」
上司の言葉に従い、先に進んだ少年の後を追った。
前を歩いていた少年がふと足を止め、頭だけ動かしてこちらを振り向く。
「……これだけは言っておく。うちの連中に余計な真似はするな。――殺すぞ」
今回は威圧を出していなかったはずなのに、その言葉だけで全身から冷や汗が吹き出した。
同僚たちも似たような気持ちを抱いたようで、中には思わず息を止めてしまったものもいた。
私たちは気を引き締め、改めて少年の後に続いて建物へ入った。
◆◆◆
建物の中は装飾がほとんどなく、どこか研究所のような雰囲気を感じられた。
きょろきょろと眺めながら道を歩いていると、脇道の陰から女児が顔をのぞかせていた。
私の他にも気づいた女性の同僚が微笑みながら小さく手を振ると、恥ずかしそうに隠れてしまった。
それ以降は誰とも顔を合わせることなく、少年に導かれるまま建物の奥まで進んだ。
「資料の大半が消えた。機器類は残っているから好きにしろ。聞きたいことがあれば、知ってる範囲で答える」
厳重な扉の前まで来ると、少年はこちらを振り向かずに話し始めた。
扉に手をかけて開けようとした少年が、ふと動きを止めた。
「……あと、血とか苦手ならここで待ってろ。あまり見てくれがよくないから」
少年の思いがけない言葉に驚いていると、上司が代表して答えた。
「気遣いありがとう。大丈夫だ」
少年が扉を開けると、小さな部屋の先にまた扉があった。
どうやら殺菌消毒用の部屋のようで、壁にはシャワーのような無数の穴が開いていた。
今は機能していないのか、少年は特に気にせず次の扉を開けた。
その扉を開けた途端、血とすえた匂いが混ざった不快な空気が漂ってきた。
匂いに顔をしかめつつ扉の先を眺めると、長い廊下が広がっており、扉と部屋の中が見えるガラス窓が無数に存在していた。
「――さて、そろそろ聞いてもいいかな。まずはここにいる悪魔はどこにいるのか」
おもむろに上司が質問を投げかける。
薄々勘づいてはいたが、この少年はここに残る子供たちに真相を知られたくはないのだろう。
外にいた時も、建物の中を歩いているときも、大人の気配が一切感じられなかった。
魔法で探っていた同僚の一人も、見つけられなかったと話していた。
驚いたことに、少年もこちらの魔法には気づいているようだったが、特に何も言ってこない。
このぐらいはお目こぼししてくれたのだろう。
「そいつなら死んだ」
「死んだ? 実験の失敗とかでかい?」
「いや、俺が殺した」
こともなさげに答えた少年に、さすがの上司も言葉を失った。
それもそのはず。
悪魔を倒すのは生半可な力では不可能だからだ。
種族として強靭な肉体と豊富な魔力を持ち、強力な魔法を操る。
仮にここにいた悪魔が下級悪魔だったとして、最低でも許可証ランクC+以上が複数人は必要になる。
一人でならB+以上は必要になってくる。
目の前の少年からはそこまでの力量を感じない。
いや、得体のしれない感覚がわずかにあるので実力を隠しているのか……。
それでもこの歳で単身倒したというのは衝撃が大きかった。
「――そうか、君が倒したのか。ありがとうというべきか、遅れて申し訳ないというべきか、判断に悩むな」
「気にするな。俺が勝手にやっただけだ」
特に気負いせずに答えているが、正当防衛になるような証拠を集めないと危ういかもしれない。
少年が何歳か定かではないが、十二歳以上だとしても戦闘ライセンスを持っていない可能性のほうが高い。
許可証を持たない者の戦闘は厳しく罰せられる。
正当防衛を証明できればその限りではないが。
そんなことを考えていると、上司が質問を重ねていた。
「ちなみに、悪魔の級は知っているかい? 分からなければ持ち物や死体の一部でもあれば助かるんだけど」
上司としてはやはりそこが気になるだろう。
死体の一部や悪魔の名前が分からないと、手配書を処理できないからだ。
違法入界の場合、正体を突き止められず、最悪ずっと警戒しなければならなくなる。
「知らない。そいつは中級がどうとかほざいていたが。――あ、死体は探せばあるかも。探してくる」
――ありえない
この場にいる誰もが少年の言葉に唖然として動きを止めた。
少年は私たちの様子に気づいていないのか、足早に奥の部屋へと消えていった。
中級悪魔を単身で撃破するなら、最低でもランクA+は必要になってくる。
相性次第だが、普通はランクS案件だ。
この国の最高ランクの英傑はA+。
少年は彼と同等か、それ以上の能力を有していることになる。
正直言って規格外すぎる。
あの歳でそれほどの実力者というのは、過去を遡っても聞いたことは無かった。
「――信じられない、というのが本音だね」
いち早く衝撃から戻った上司がおもむろに口を開いた。
「そうですね。正直そこまでの実力を持っているとは思えなかったのですが……」
「いや、あの威圧が放てるぐらいなら可能性はある、のか……?」
「そもそも、ほんとうにあの子が倒した悪魔が中級かも分からないですし――」
上司の言葉を皮切りに、同僚たちも口々に意見を述べる。
誰もが少年の言葉は間違い、もしくは勘違いだと思っていた。
ある程度意見が出揃うと、上司は一度会話を切り上げた。
「まずは彼の持ってくる死体を検めてからかな」
◆◆◆
しばらくすると、手に何かを持った少年が部屋から戻ってきた。
「ごめん、残ってたのはこの角だけだった」
手渡された上司は難しい顔をして角を見つめる。
しばらく眺めていた上司はおもむろに口を開いた。
「――この悪魔とどうやって戦ったのか聞いてもいいかな」
「実験の成功に喜んだところを、憑依していた人間共々殺そうとした。そしたら人間を捨てて逃げようとしたから、捕まえて消し飛ばした」
「……もう少し詳しく教えてもらえないかな。どんな魔法を使ったとか、逆に相手がどう攻撃してきたか、とか」
あまりにも簡素すぎる説明に上司も苦笑いを浮かべていた。
それを聞いた少年は、不機嫌そうな表情でむくれていた。
「……説明、苦手なんだけど」
「――頼むよ。悪魔の犯罪者関係の情報は、小さなことでも必要なんだ」
仕方ないとばかりに少年はため息をついた。
「能力の詳細は教えないが、俺は空間魔法が使える。で、成功に喜んだところを、心臓を潰すつもりで攻撃したら躱されて腹に当たった。そしたら瀕死の人間から悪魔が逃げ出したから、空間魔法で囲って捕まえた。あとはそのままぐしゃっと潰して消した。角は捕まえるとき、また躱されて範囲外に出た部分だったはず」
「なるほどね。まだまだ謎は多いんだけど、一番分からないのはこの角からは悪魔固有の魔力がごっそりと抜け落ちてることなんだ。――なぜだか教えてくれないかい?」
上司の更なる質問に再び仏頂面で無言になる少年。
そこは教えるつもりはないらしい。
「……わかった、そこは聞かないでおくよ。質問は変わるけど、その悪魔の実験の目的は知っているかい? あと、実験内容も合わせて教えてくれると助かるよ」
「……」
「さすがにこれは教えてもらわないと困るよ。まずないと思うけど、その悪魔が実は善人で君の勘違いで殺してしまった、なんて言われかねないからね」
「それはない!!」
少年は大声を上げて上司を睨みつけた。
「うん、分かっているよ。だからこそその悪魔の目的が知りたいんだ」
「……」
苦虫を潰したような顔をして少年は黙り込んでしまった。
上司も少年の中で答えがでるまで待つつもりのようだ。
「……後ろの連中含めて、お前たちはどこまで口が堅い?」
長い沈黙のあと、少年は唐突な質問を投げかける。
「私含め、皆口は堅いよ。職業柄、秘密を守ることも必要になるからね」
「それは拷問を受けてもか? あるいは魔法で記憶を抜き取られたりは?」
「それも問題ない。魔法は対策をしているし、何よりここにいる四人は、私の秘密を長く守ってきているからね。拷問にも屈しないさ」
上司からの信頼の言葉は嬉しかった。
ちらりと少年が私たちに目線を動かしたので、みな一様に頷いて覚悟を示した。
「――なら、これから話す内容は絶対に漏らすな。続くアホが出るのもそうだが、また同じ研究をされるとまずい」
「分かった。我々の命と誇りにかけて秘密にすると誓おう」
上司の宣誓に私たちも続く。
そんな様子を見て覚悟が決まったのか、少年はゆっくりと話し始めた。
「一番の目的は強力で従順な兵を作るため。そのために、機械や薬物を使った能力の拡張・追加・移植、そして洗脳。それを子供たちを使ってやっていた」
そこから詳しく聞くと、表向きは魔法技術の向上と偽って違法薬物を飲ませていたり、魔獣の臓器を移植して能力の変化を調べたり、悪魔の魔力を混入させて魔力量を強制的に引き上げさせたりと、おぞましい実験ばかりだった。
「なるほど。確かに非人道的で悪質な実験だね。確かにこれは気軽に話せない」
神妙な面持ちで上司は少年の話しを聞いていた。
「ここまで聞いて一つ疑問があるのだけど、質問いいかな?」
「なんだ」
「――君はどうしてそこまで実験に詳しいんだい?」
上司は目を細めて少年のことを問いただした。
ここまで聞いていれば誰でも疑問に思うだろう。
――この少年は実験内容に詳しすぎだ、と。
「ああ、それは俺が実験を途中から手伝っていたからだ」
上司の質問に何気なく答えた少年。
少年の答えを聞いた途端、その場の全員が確信を持った目で少年を見据える。
「そうか、やはりそんな気がしていたんだ。――それで、真実を知った私たちを口封じでもするのかい?」
「? 何か勘違いしているようだが、協力といっても被験体としてだぞ。今までの話はほとんどが実体験だし」
首をかしげて勘違いを指摘した少年の様子は、特に気取った様子もなく自然体であった。
私たちは、勘違いしてしまったことによる己への恥と、少年への憐憫がない交ぜになった複雑な気持ちで、なんとも言えない表情を浮かべていた。
「……他の子供たちも、似たような扱いを受けていたって、こと……?」
しんと静まり返った部屋の中で、同僚の一人がぽつりと独り言のように呟いた声が響いた。
全員の視線が少年に集まる。
「いや、今いる子たちは大丈夫。言い方は悪いが予備品扱いで、せいぜい準備調整で魔力量の拡張に薬を飲まされていただけだ。……俺が気付けなかった二年ぐらい前の子たちは、もうみんな死んでしまったが……」
最後の言葉で、少年はひどく落ち込んだ表情をした。
それに気づいた同僚の女性が慰めようと近づいたが、すぐに不機嫌そうな表情をした少年に手で払いのけられてしまった。
「悲しむな、とは言わないけど、君が救った命は多い。胸を張って生きていいんだよ。守れなかった命は、私たち大人が不甲斐ないせいなんだから。――責任は私たちにある」
その光景を見ていた上司も、頭をなでようとしていたのか手を上げた途中でさまよわせていた。
「こほん。――聞き損ねていましたが、悪魔に憑依されていたという人間はどなたでしょうか?」
気まずさを誤魔化すように、わざとらしい咳ばらいをして私は少年に質問した。
「父親だ」
「……え?」
空気を変えるためにした質問が地雷だったとは思わなかった。
またしても重い空気が漂った。
「ああ、孤児としての義理の親じゃなくて肉親の親だ」
私たちの沈黙に何を勘違いしたのか、更に苦しい真実を畳みかけてきた。
「――それは、さぞ苦しかっただろうね」
気まずい空気の中、上司が絞り出したような声で慰めの言葉をかける。
「問題ない。最後にちゃんと父親から感謝されたから」
「――そうか。父君のご冥福をお祈りするよ」
何とも言えない表情を浮かべながら私たちは目を伏せ黙祷した。
◆◆◆
「前置きが長くなった。ここからが本題だが――」
今まで聞いた内容でも口止めに十分すぎる内容であった。
それなのに、あくまでも前提条件の話であったとは……。
この時の私は思いもしなかった。
彼から聞いたその後の話はあまりにも冒涜的で――。
彼が口を噤んだ理由が分かってしまった。
――この秘密は墓場まで持っていくことを誓う。
私の、ちっぽけな誇りとこの命にかけて。
一言メモ
手記の執行官が“上司”と記しているのは、本人に「名前は残さないでくれ」と言われたからです。
2話目からは1時間後に投稿します。
また、よろしければ合わせて「六英雄キ -異世界編-」もよろしくお願いします。




