10話 辻狩り
聖法歴1019年4月21日
私はファム・フォグル。
ファーグス諸島国の隠密部隊副隊長補佐を務めています。
肩書は長いですが、要するにそれなりの実力を持っているということです。
そんな私ですが、普段は事務仕事に追われ、書類と格闘しています。
組織の中でも"トップ10"には入っているという自負があるのですが、私の直属の上司であるマヤ・モーフェス副隊長は書類仕事を苦手としているので、すべて私に回ってきてしまうのです。
最近の悩みは、そんな副隊長のことです。
◆◆◆
マヤ副隊長はその出生から、特異な体質をしています。
今の年齢は定かではないですが、数十年周期で”休眠期”と”活動期”に別れているのです。
その関係で見た目が大変幼く、まだ十歳にも満たない少女の容姿をしています。
本人に言うと拗ねてしまいますが、とても可愛らしく、隠密部隊のマスコット的扱いを受けています。
副隊長にはスキンシップと言い張って撫でたり頬を揉んだりしています。
そんな副隊長ですが、今は目が覚めてから一年程しか経っておらず、まだまだ名声が足りません。
実力は十分ありますが、名声が心もとないのです。
なぜ名声が欲しいのかというと、あと一年先に新しい「十傑」が選出されるからです。
「十傑」とは十年に一度決められる、最も優れた十名の英傑に贈られる称号なのです。
副隊長は過去の実績はあるのですが、選考に際し有効なのは直近三十年の実績になります。
これは長命種に対して有利に働かないよう、また当人が現役かを図る一つの指標として定められています。
今回の休眠期が約五六年ありましたので、名声が足りない状況になっています。
本人は特に気にした様子はありませんが、実はまだ一度も「十傑」に選ばれたことがないそうです。
十年に一度なので選ばれてもおかしくはないのですが、時期悪く、同じ国の英傑が選出されたり、似たような系統の英傑が選出されたりしたそうで、運がなかったとしか言いようがありません。
上のランクが選ばれるのであれば、まだ納得はいくのですが、同じランクでほぼ同じ実力、でも相手の方が名声は大きいとなれば悔やみきれません。
過去の資料を漁りましたが、そのような例がちらほら見受けられました。
今の英傑たちを見るに、十分通用しそうなラインに立っています。
副隊長の強みと言える、近接戦を得意とする英傑は七人。うち四人が同じ国に他にも候補がいるので、選ばれない可能性はあります。
近接戦闘に限って言えば、彼女と正面切って戦える人は三人しかいません。
そのうち二人は一線を退いているか、ここ最近活躍を聞かないので、実質ライバルは一人。
皮肉なことに、お隣ヒバノ島国の英傑で、彼女も副隊長に似て魔法をほとんど使わない戦闘スタイルです。
実力は正直拮抗していて、戦えばどちらが勝つか見当がつきません。
名声は比べるまでもなく、彼女の方が大きいでしょう。
このままではいけないと思いながらも、名声を得るための機会がなかなか訪れません。
書類の束を捌きながら、日々悶々と過ごしていました。
◆◆◆
そんな折、一つの情報を耳にしました。
“エルム連合王国、ソール連邦、マグノリア自治区の三国を跨ぐ国境付近に「辻斬り」が現れた”
最初はそんな些細な事と思いましたが、日を追うごとに「辻斬り」の被害が拡大している、と情報が追加されていきました。
その情報の真意を確かめるべく、部下に連絡を入れ調査するように指示を出しました。
私たち隠密部隊はその字面からよく勘違いされますが、腕の立つ実力集団の集まりです。
情報収集を第一に任務遂行をよしとしていますが、この情報収集、何も聞き取りや潜入、暗号解読などの裏方だけではありません。
時には相手と戦い、威力偵察をすることもあれば、敵陣に攻め込み、強引に情報を入手することだってあります。
一番は情報収集が目的ですから、情報を持ち帰ることが出来るだけの実力も兼ね揃える必要があります。
わが国でもその辺りが解らない、おつむの悪い人たちが口さがないことを宣っていますが、実力は軍の精鋭たちと遜色ありません。
そんな人たちが百人規模いるんです。
……まあ、情報収集がメインなので、派手な攻撃手段を持たない人が多いのは玉に瑕ですが。
そんな益体もないことを考えながら目の前の書類と格闘しながら、続報を待ちます。
◆◆◆
数日後。
部下から「辻斬り」について、詳しい続報が挙がってきました。
なんでも被害は既に十数件にも及ぶそうで、名を上げたい英傑たちも返り討ちにあったそうです。
私も同じ考えをしていただけに、身につまされる思いでしたが、詳細を見ると少し不可解なことがありました。
「ここに書いてあることは本当ですか?」
目の前の部下に質問を投げかける。
「はい、確かです。私も最初信じ切れずに、自らの目で確かめに行きました」
「それは、また、豪胆なことを。正体はバレていませんよね?」
「はい。そもそも件の『辻斬り』は相手に全く興味がない様子でした。挑みかかられたときには仕方なく、といった様子でしたので」
「そうなると、迂闊な真似はできませんね」
部下の証言を踏まえて考える。
「辻斬り」は連合王国から連邦を通って自治区に行く街道に居座っており、そこを通る商隊すべてを襲っている様子。
正確には商品を検めているようで、素直に見せれば何事もなく通してくれているのだとか。
拒否した者や忠告を聞かずに押し通ろうとした者たちが被害にあっているそうだ。
被害も怪我や物損ぐらいで死者はまだ出ていない。
返り討ちに会った英傑も最大がランクB+の集団だったそうで、それを一人で撃退してみせたらしい。
目を疑ったのはそれを為した人間が年端のいかぬ少年だということだ。
見た目は十歳かそこらで、浮浪児のような風貌だったそう。
はじめは副隊長のように長命種か何かとも考えましたが、部下の調べによるとその少年の異名は「悪鬼」。
賢人会の公開情報を確認しても年齢は非公表でした。
これは副隊長も同じで非公表になっていますが、彼女の場合は単に年齢と活動歴の食い違いが起こるためですが。
長命種のほとんど年齢は非公表にしています。
しかし、少年の場合はどうも違う様子。
過去の英傑を調べても「悪鬼」なる異名は存在しない――。
すなわち、特殊事情により規定年齢よりも早くライセンスを取得したということ。
それでいて登録されているランクはC+というアンバランスさ。
ちぐはぐすぎて、不気味さを覚えるほどです。
名声云々もありますが、一度直接会って真意を尋ねてみるほうが得策かもしれません。
正直な話、この少年の意図が全く読めないです。
被害報告の上がっている商会や人間に統一性はありませんし、かといって徒に襲っている訳ではないでしょう。
明確な意思の元、この場所に留まっているのは明白ですから。
そこまで考えて、副隊長のスケジュールを確認する。
幸いなことに、ここ一週間は込み入った用事はないみたいです。
少年も近接を主体とした戦闘スタイルのようですし、同意があれば手合わせを願い出るのも悪くはないでしょう。
副隊長に確認を取るため、椅子から立ち上がり執務室を後にしました。
◆◆◆
「辻斬り」の情報を耳にしてから早二週間。
月を跨いだ五日に、私は副隊長と部下のアイビーを伴って、件の少年に会いに行くことにしました。
あれからも被害報告はちょくちょく聞こえてきました。
エルム連合王国に入っても途切れることなく、近づくにつれ噂も漏れ聞こえました。
噂自体は報告と大差なく、多少の誇張こそあれ、有用な情報は得られませんでした。
「ねえ、ファム。わたし、そこまで魔力視得意じゃないんだけど」
「大丈夫です、マヤ様。それを補って余りある勘の鋭さがあるじゃないですか」
「うーん。でもいいの? 理由が”勘だから”って」
「大丈夫です! マヤ様の言葉ってだけで十分すぎる説得力です! それで納得しなくても、あとでいくらでもでっち上……いえ、説得できますから」
「そう? うーん」
腕を組んで唸るマヤ様を抱きしめたい欲望に駆られながらも力強く答える。
納得していない様子でしたが「まぁいっか」と呟くと、すっぱりと悩むのをやめました。
そんなこんなで目的の街道に到着しました。
この街道は連合王国から連邦を通り、自治区へ行く経路で、馬車がすれ違えるぐらいの道幅はありますが、正直そこまで交通量は多くないです。
連合王国から自治区へ行くための主要街道がありますから、当然ではありますが。
その代わり、向こうは検問が敷かれ、荷物も厳重に取り締まられるのに対して、こちらは検問がなく、後ろ暗い人間がよく利用する道と言えます。
正直、なぜ検問を敷かないのか疑問に思うかもしれませんが、連邦も自治区もこの街道の傍に魔境があり、検問を敷く余力がないからです。
自治区にある街道の先は、結局主要街道に突き当たるので、そちらで合わせて検問しています。
連合王国側も似たようなもので、コストカットのために検問がない状況です。
まあ、悪いことを考える連中は途中で街道を外れていくので、どの国もある程度は巡回の手を回しているようですが。
そんなことを考えながら進んでいると、連邦内の街道で一人の少年が道を塞ぐようにして座っていました。
部下からの報告にあった通り、浮浪児のような風貌で、見た目の特徴も一致しています。
「悪鬼」とはよく言ったもので、老人のような白髪に、血走ったような赤い瞳、ボロボロにやつれた服も相まって、おとぎ話に出てくる化生にそっくりです。
はじめは興味なさそうな様子を見せていた少年が、ゆっくりとマヤ様に視線を合わせると少し高めのハスキー声を発しました。
「――お前、『混ざりもの』か」
その言葉を聞いた瞬間、私の頭で何かが切れた音がしました。
「マヤ様を侮辱するなッ!!」
激高して無意識に魔法を少年に放つ。
水の球に闇の礫を混ぜた殺傷力のある一撃だ。
「ちょ、ファムさん?! それはやりすぎ――」
部下の制止が聞こえた気もするが、既に魔法は少年の目の前まで迫っていた。
少年は動じた様子もなく、座ったまま水球を一瞥しただけだった。
当たる寸前、何かにぶつかって破裂し、水も礫も少年の眼前にぽとぽとと落ちていった。
まさかの光景に唖然としていたが、よくよく目を凝らすと薄っすらと障壁が張られていたようで、気付かなかった己の不甲斐なさを悔やんだ。
「ファムさん、落ち着いて! まずは話し合いましょ、ね?」
「――彼はマヤ様に暴言を吐きました。いくら幼くとも、言っていいことと悪いことがあります」
「知らなかっただけかもじゃないですか」
「なら、なぜマヤ様の正体を開口一番で口に出来たんですか? 知らなければ不可能です」
「それは……そうですけど」
アイビーが私に抱き着いて止めにかかる。
言葉で説得しようとしていますが、状況証拠としては無理な推論です。
私の意見に反論できなくなったようで、もごもごと口を噤む。
改めて彼を振り向くと、さっきまでそこに座っていたはずの少年が消え失せていました。
「――くっ」
突然、甲高い音とマヤ様の苦悶の声が後ろから漏れ聞こえました。
慌てて振り返ると、そこには短剣を手にしたマヤ様と対峙している少年の姿がありました。
一体いつの間に後ろに回られていたのか……。
背筋の凍る思いでマヤ様に小声で問う。
「……マヤ様、彼はいつ動きましたか?」
「ついさっき。ファムとアイビーの言い合いが終わった途端」
「――っ」
思わず息をのむ。
それはつまり、私では彼の動きを追えないということだ。
元々近接戦闘を苦手にしているが、それを魔力感知と魔法で補ってきた。
魔力感知でもこの少年の動きを捉えられなかった以上、魔法でも怪しい気がする。
私に抱き着くアイビーも似たようなところだ。
私よりは懐に入られても対処できるが、きっと反応が追い付かない。
マヤ様もそれがわかっているからこそ、額に冷や汗を浮かべている。
「すみません。私たちは足手まといになるので、どうか気にせずに戦ってください。いつものように補佐はしますが、どこまで通じるか……」
「……無理はしないでね」
そう言い残し、マヤ様は少年に突撃していった。
◆◆◆
そこからの戦闘は目まぐるしい攻防が繰り広げられた。
マヤ様が縦横無尽に動き回り、私たちに標的が移らないよう少年に果敢に攻め込む。
少年はそれをすべて捌いていく。躱す、いなす、身を翻す……。
反撃も要所要所で入れているが、基本は回避に専念しているように見受けられた。
――見とれている場合じゃない。
予想外にハイレベルな戦闘を目の当たりにして、しばらく魅了されていたが、小さく頭を振って魔法の準備をする。
「アイビー、あなたも無理のない範囲で魔法を打ち込みなさい。牽制で構いません、守りは私が担当しますから。……どこまで効果があるか定かではありませんが」
「……わかりました」
決意を込めた表情で頷くアイビーに目配せすると、少し離れてそれぞれ魔法を発動する。
「『目隠しの霧』」
「『泥濘』」
私が霧を広げ、戦う二人を包んだと同時にアイビーの魔法が少年の足元を崩す。
「――うそ!?」
小さく叫ぶアイビーの言葉に心の中で同意する。
見えないところで急に足元が沈むはずが、なぜか態勢が変わらず。何事もないかのように戦い続ける少年の姿に絶句してしまう。
魔法を阻害された様子もない。
その証拠に、少年の足元は泥化していた。
「構わず続けなさい」
「は、はい」
小声で指示を出す。
視線を少年に移すと、ふと彼の目と合った気がした。
「――っ!?」
ありえない。
この霧は認識阻害も掛かっている。
発動前に設定した人以外には、濃い霧が目の前に広がり、魔力感知も魔力視も阻害され上手く機能しないはず――。
現に、この霧を正面から正攻法で破った人はまだいない。
破られたのも大規模魔法で吹き飛ばされたときと魔力を浄化されたときぐらいで、数える程しかない。
逸る動悸を落ち着かせるように深呼吸をする。
「大丈夫。さっきのは気のせい。たまたま目が合ったように感じただけ。大丈夫――」
自分に言い聞かせるように呟いていると、だんだんと鼓動も穏やかになってきた。
その間にもアイビーは牽制の攻撃を仕掛けていたが、少年は歯牙にもかけていない。
方向感覚を狂わせる効果もあるはずなのに、マヤ様の攻撃を的確に対応している。
魔法もすべて障壁に阻まれて気を逸らせているのか怪しい。
何か手はないかと注意深く観察していると、信じられないことに気付いてしまった。
――この少年、さっきから三歩の間合いまでしか動いていない。
気づいた途端、身震いが止まらなかった。
三対一ですべての攻撃を凌いでいるだけでも驚異的なのに、少年はそれを余力を残したまま行っていた。
いくらマヤ様が全力を出していないとはいえ、こちらはランクA-とB-が加担している。
どこがランクC+だ。
ランクAどころかSでも至難の業だろう。
さっきは勘違いだと思っていたけど、目が合ったのも偶然じゃないかもしれない。
私の短慮のせいでマヤ様が窮地に陥ってしまっている――。
後悔したところでもう遅かった。
全身から嫌な汗が飛び出し、今にも卒倒しそうになりながら、ここで倒れる訳にはいかないと唇を噛みしめて打開策を考えるも、全く思いつかなかった。
時間だけが過ぎていく。
いつ破滅が訪れるのか、気が気じゃない。
まだ少年が手を抜いているから続いているけど、その気になったら終わりだ。
その場で足をトントンと踏み鳴らしながら悩んでいると、不意に少年が動きを止めてそっぽを向いた。
油断か罠か――。
マヤ様の判断に迷っているようで、距離を取って少年の一挙手一投足を注意深く観察していた。
アイビーがどうするべきかを問うように、こちらにゆっくりと視線を向ける。
軽く首を振って待機を伝える。
少年は先ほどまでの無感情な表情から一変して、獲物を見つけた虎のように獰猛な笑みを浮かべて目の前から消え去った。
「え……?」
突然すぎる行動に呆然としていると、マヤ様がゆっくりと近づいてきた。
「ファム、どうする?」
「……確認ですが、少年はどこへ?」
「わたしにも分かんない。ただ、笑ってどっか行っちゃった」
「目で追えました?」
「ううん。たぶん転移したんだと思う……勘だけど」
「なるほど……」
マヤ様の言葉を反芻するようにゆっくりと飲み込む。
それでも少年の意図は全く読めなかった。
「……何がしたかったんですかね、彼は」
「分かんない。でも、強かった」
アイビーの言葉はこの場の全員の気持ちを代弁していた。
少年のランク詐欺について、賢人会に訴えたいところだけど、なぜ戦ったのかの説明が少し苦しい。
少年の方から訴えられたら私の首だけで収まらないだろうか……。
暗澹とした気持ちになりながらも、しばらく留まっていたが、一向に少年は姿を現さなかった。
もう一度会って弁明したかったのに……。
散々な結果のまま帰路についた。
◆◆◆
数日後。
あの一件以降、「辻斬り」が現れなくなった。
うちの副隊長、「不捉」のマヤが「辻斬り」を撃退したことになっていた。
身柄を確保できなかったが、マヤ様にコテンパンにやられて逃げ出したと聞いたときは、酷い渋面を浮かべていたことだろう。
結果として名声は高まったけど、本人は不服のようだった。その話題になると、ハムスターのように膨れてどこかに行ってしまう。
気持ちは分からないでもない。
負けたのはこちら側。逃げるように帰ったのだから。
あれ以来、マヤ様は訓練により一層力を入れるようになった。
実力不足を噛みしめて、来たるべき再戦で雪辱を果たすために――。
私はと言えば、より一層書類仕事が増えた……。




