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第2話 蘇った彼女

「お届け物です」


 帽子を目深に被った配達員の男が立っていた。服装から大手の配達業者ではない。男の感情のない機械的な声に少々不気味さを感じつつも、「お、お疲れ様です」と言って、雄一は大きな段ボール箱を受け取った。


 床の上にその段ボール箱を置き、箱に貼られた伝票を見ると生体3Dプリンタを買ったオンラインショップが差出人の欄に書かれていた。箱を開けると、特にパッケージなどはなく、生体3Dプリンタ本体とその付属パーツ類、それとUSBメモリが入っていた。雄一はひとまずそのUSBメモリをパソコンにつないだ。


 中にはPDFファイルとフォルダが入っていた。ひとまずPDFを開くと、それは説明書だった。訝しむ気持ちはぬぐい切れないが、ひとまず説明書通りに作業を進めた。


 まずは生体3Dプリンタを組み立て、設置場所を確保した。一般的な3Dプリンタと比べてあまりに大きかった。更に、付属のチューブとケースを繋いでハードウェアの準備は完了した。どうやらこのケースの中に材料を入れるらしい。ケースは一辺が四十センチメートルほどの大きさがあった。


「ひとまず、テストプリントしてみるか」


 雄一は説明書を読みながら、テストプリントの造形に取り掛かった。半信半疑ではあったが、スーパーマーケットで鶏の骨付きもも肉を買っておいた。これをケースに入れ、チューブの先端の針のような部品を肉に差し込んだ。そして、造形開始ボタンを押した。


 3Dプリンタの機械音に混じって、「ずぞぞ」という何か吸い込むような音が聞こえてくる。ヘッドがステージに何かを乗せていくのが見える。雄一は両目を見開き、本当に肉が造形できるのかを見続けた。


 仕事から帰って数時間が経ち、雄一は食事すらとっていなかったが、何かに憑りつかれたように3Dプリンタの動きを見続けた。


 数十分もすると、造形物の形が見えてきた。中心には骨らしきものがありその周囲を肉と皮が覆っていた。そう、まるで小さな人の腕を輪切りにしたようなものが造形されていた。


「す、すごい」


 普通の人が見たらあまりの不気味さに目を覆ってしまう光景だった。しかし、雄一は感嘆の声を漏らし、人の腕の断面らしきものが徐々に高く積まれていく様子をまばたき一つせずに見つめていた。その時の彼は目を細め、口元を緩めて、笑っていた。


 声を出したことで、雄一は我に返り、自分が空腹であることに気が付いた。そこで、コンビニで買ってきた弁当を食べながら、小さな腕がステージから徐々に生えてくる様子を眺めた。雄一は弁当の中の鶏の唐揚げを箸で摘まんでまじまじと眺めた。


「これが体を作る。人間と同じだな」


 そう言いながら、肉の塊を口に運び、くちゃくちゃと噛むと、飲み込んだ。


 それから二時間ほどして、テストプリントが完了した。そこには幼児ほどの大きさの人間の腕が3Dプリンタのステージから生えているように見えた。それは本物の人のように指は五本あり、関節には皺があった。雄一はそっとその手に触れてみた。


「柔らかい」


 雄一は丁寧にステージからその腕を外し、部分的に付着しているサポート材を剥がした。造形物は人の皮膚のように柔らかく張りもある。一方で、中に骨が入っていることでタコのようにぐにゃぐにゃと曲がることはなく、動くのは手首や指の関節だけであった。


「はは、ははははははははははは」


 その時雄一は実感した、これなら完全な香奈が作れると。口は半月のように開き、不気味な笑い声が吐き出されていった。しかし、雄一は造形物と自分の体を比較していると違和感に気が付いた。


 雄一は造形された腕をパソコンの横に置いて、椅子に座り、頬杖をついて考え込んだ。人間の皮膚の感触と違う、硬さも違う。このまま鶏肉で全身を造形しても、人にならないのではないのか。


 雄一は立ち上がり、ジトっとした目つきで造形された手を見た。そして、それを乱暴に掴むとゴミ箱に放り込んだ。さらに、ケースの中の残りの鶏肉もゴミ箱に入れると、その日は寝ることにした。


 その後、雄一は購入可能な様々な肉で試したが、結果は同じだった。さらに、骨を造形するには骨が、眼球を造形するなら眼球が材料に含まれる必要がある。つまり、人を一人造形するなら、動物一頭が丸々必要なのだ。


 雄一はゴールを目の前にして、足踏みをしているようで、歯がゆい気持ちがしていた。どうしたら良いのかの考えがまとまらず、一睡もできず朝を迎えることもあった。



「なぁ、斉藤。お前、平気か?」


 雄一は会社で島崎に声をかけられた。元々、カラ元気で仕事をしていた雄一だが、毎晩の自宅での作業に睡眠不足が重なって、見た目にも疲弊しているのが分かった。


「う、うん。ちょっと寝不足なだけ」


 雄一はそう言って誤魔化そうとしたが、島崎は納得せず、彼の隣に腰掛けた。


「お前が橋田さんのことを忘れられないのは分かるけど、そろそろ次を考えた方がいいんじゃないのか」


 雄一は俯いて返事をしなかった。


「きっとお前のことを大切に思ってくれる女の人がまた現れるよ。だから、もう忘れよう」


「・・・いない」


 雄一は俯いたまま、ぼそりと言った。


「香奈の代わりなんていない」


 島崎は深くため息をつくと立ち上がり、雄一の肩に手を置いた。


「ごめん。まだ、早かったよな」


 そう言うと島崎は自分のデスクに戻った。その時、雄一は自分の言葉に何かを感じ取ると、彼の目に僅かに光が灯った。


「代わり・・・ 香奈の代わり・・・」


 雄一は俯いたまま、口元をゆるめると、くすくすと笑った。ひとしきり笑った後、真顔に戻ると正面を向いて仕事を再開した。その間、彼は笑いをこらえるのに必死だった。



 待合場所にいた男性は爽やかで感じの良い雰囲気だった。物腰が柔らかく、行動に余裕があり、頼りがいも感じられた。由紀は出会い系に登録している男性というのは軽薄で、肉体関係目的の人が多いと思っていたが、その考えを改めなければならないようだ。


 何回か会うことで、由紀が雄一という男性に心を許し始めた頃、彼が自宅に来ないかと誘ってきた。由紀は紳士な彼ならすぐに関係を求めないだろうと考え、誘いを受けた。


「どうぞ。狭い所ですが」


 雄一がそう言ってドアを開けると、由紀はおずおずと中に入った。そして、彼に誘われるままにリビングのドアをくぐった。やや広めのリビングはソファとローテーブルがあり、その奥にはデスクと椅子が見えた。デスクの近くには見慣れない大きな機械もあった。


「あれは何ですか?」


「3Dプリンタですよ」


「へぇー、私、実物は初めて見ましたけど、思ったよりも大きいんですね」


「そうですか?」


 雄一はそう言うと由紀をソファに座るように促した。その間、彼は台所に立つと、飲み物の準備を始めた。由紀はソファに座っていても、3Dプリンタのことが気になっていた。


「これだけ大きかったら、人一人くらい作れそうですね」


「まさか、そんなもの作れませんよ」


 雄一は笑いながらそう返した。するとお湯が沸き、紅茶のかぐわしい香りが漂ってきた。雄一はティーカップを二つ持ってくると、ローテーブルの上に置いた。


「いただきます」


 そう言って、由紀がカップを手に取り紅茶を飲んだ。そして、部屋の中を改めて眺めた。するとテレビの横に雄一が女性と写っている写真があった。彼女がそれを見つけたことに気付いたのか、隣に座っていた雄一は立ち上がるとその写真立てを倒した。


「片付けたつもりだったのですが」


 雄一が顔を曇らせながら言うと、由紀はその表情の理由をつい聞きたくなってしまった。


「あの、彼女さんですか」


「ええ、でも、事故で亡くなってしまって」


 由紀は悲しそうな顔をする雄一を見て、居たたまれない気持ちになった。


「すみません。嫌なことを思い出させてしまったみたいで」


「いえ、いつまでも落ち込んでいられませんから」


 雄一はそう言うと、由紀の隣に座って、爽やかに笑って見せた。由紀には雄一が無理して笑っているように感じられ、そんな雄一の笑顔を見ていると、自分が彼を支えられたらという思いが沸き起こっていた。


「あの、私で良ければ、雄一さんが元気になれるように協力したいです」


「ありがとうございます。紅茶、冷めないうちにどうぞ。あとお菓子も出しますね」


 そう言って雄一は再び立ち上がり、台所に向かった。そして、しゃがんで流しの下の棚の中を漁った。すると、ソファの方で物音がした。雄一はゆっくりと体を起こし、その方を見ると、由紀がソファで倒れていた。


「ええ、協力してもらいますよ。あなたのその体でね」


 雄一はニヤニヤと笑いながら倒れている由紀に近付いた。彼の手には太く丈夫そうな紐が握られており、寝ている由紀の首にその紐をかけると、彼女の首を絞め始めた。しばらく締め続けた後、呼吸がないのを確認すると由紀の体を3Dプリンタの下まで引きずった。


 由紀の体を特大のポリ袋の中に入れ、袋の口からチューブを差し入れ、先端の針を由紀の体に突き刺した。これで造形の準備は完了した。


「今度は成功してくれよ」


 既に雄一は何人かの女性を生体3Dプリンタの材料として使っていた。しかし、人一人を一度に造形できたことはなかった。一般的な3Dプリンタでも造形で失敗することはよくある。造形物が大きければ失敗の可能性は高い。そういう場合はパーツを分解して造形することもある。


 しかし、人体であれば分割して造形するわけにはいかない。


 雄一は造形開始ボタンを押した。そう、既に彼は人の体を犠牲にすることに何らためらいはない。香奈の体を完成させるという目的のためなら、見知らぬ女性を何人殺しても構わないと思っている。彼女らは雄一にとってはただの材料にすぎない。なので、雄一が女性を選ぶ基準は材料として有用かどうかという点に絞られる。


 造形開始とともにヘッドがステージに降り立ち、材料を射出していく。雄一はじっとヘッドの動きを眺めては、造形が成功するのを願った。3Dプリンタは彼の願い通り、順調にステージ上に肉を次々と乗せ、人の体を作り上げていった。


 一時間も経つと、両足の底の部分と、臀部の底の部分が造形されていた。造形モデルは人が体育座りした姿勢となっている。そのため、足部と臀部から造形される。これらは部分的にサポート材で支えられている。


「ひとまずは最初の山は越えたかな」


 雄一はそう言うと、立ち上がりお湯を沸かし、コーヒーを淹れた。そして床に座って、3Dプリンタで香奈の体が造形されていく様を眺めた。三次元形状データは香奈の画像をもとに機械学習で生成した後、雄一が手動で調整をしていた。彼の記憶の中にある香奈に近づけようと、丹念に調整を施していた。


 それゆえ、指の一本に至るまで愛着があり、全ての足の指の造形が完了すると、雄一はうっとりしながらそれを眺めた。もちろん、指より上の足部は輪切り状態で、内部の肉も骨も丸見えである。雄一はそんな不気味な光景を前にしてもそれが香奈の体だと思えば、全てが愛おしいと思えているのだ。


 昼に造形を開始し、既に夜になろうとしていた。食事に出る時間も惜しまれ、ブロック型の栄養食を齧りながら、香奈の体が造形されるのを雄一は眺め続けた。


 愛する者が現れるのを待ち続けると言えば、じっと3Dプリンタを見続ける彼の背中に健気さを感じる者もいるだろう。しかし、実際は他人の体を材料にして、己のエゴのために恋人の体を作っている彼は悪魔に魂を売った異常者とも言える。そこまでして愛する者に会いたいという気持ちは純愛と言えるのか、それともそれはただの狂気なのか。


 既に時刻は深夜を回っていた。雄一は飲み物をコーヒーからエナジードリンクに切り替え、辛抱強く造形される様を眺めていた。


「ここまで来たのは初めてだ」


 雄一は興奮していた。これまでは肉の積層に失敗してしまい、ノズルからミミズのように肉が吐き出されて、そこで造形を終了させなければならなかった。しかし、今回は違う。ミスすることなく造形ができている。


 雄一は眠気が全く訪れず、目を爛々とさせて造形される様を見続けていた。既にノズルは首の根元に辿り着いていた。


 一方で、材料となった哀れな女性の体は虫に食い荒らされたように段々と小さくなっていった。雄一の目にはそんな女性だったものの姿は映らない。彼にとってそれは人ではなく、ただの材料なのだから。


 やがて、唇を含む鼻から下ができていた。目の前の造形物は唇だけ色が濃く、人のそれと同じであると感じられ、雄一は触れたい衝動に駆られたが、それを抑え込んだ。


「まだだ、あと少しなんだから」


 鼻が形を成し、瞼で閉じられた目も作られた。それらの感覚器の裏では脳も造形され、脳が丸見えの人の頭の断面が造形される様をうっとりとした目で雄一は見続けていた。


 雄一は文字通り頭の先からつま先まで、香奈を愛しているのだ。


 明け方近くになって、頭頂部の造形まで完了し、プリントが終了した。雄一はサポート材を剥がしながら、造形された体を引き出した。頭髪は造形されないため頭にウィッグをかぶせ、まじまじと見つめた。それが愛しい人と寸分違わぬものだと判断すると、力強く抱きしめた。


「ああ、香奈。会いたかった」


 雄一は両目から涙を流し、彼女の名を口に出した。そう、姿形だけであっても、それは彼にとっては彼女なのだ。ひとしきり泣いた後、雄一は造形されたものを床に寝かせるとオレンジ色のバッグを取り出した。それはAEDだった。造形された体は筋肉、骨、臓器だけでなく血液もある。しかし、どれも生体機能をはたしていない。ならば、心臓を動かせば生き返るのではないかと雄一は考えた。


 これが浅慮であることは雄一自身よく分かっている。それでも、彼女の動く姿を見たい、例え記憶がなく、自分を知らなくても、生き返る可能性があるなら試してみたい。雄一はその切なる思いを糧に事故後も生きてきたのだ。雄一は造形物に人工呼吸を行い、電極パッドを胸に貼りつけ、電気ショックを試みた。


 一度目では何も反応がなかったが、三度目の電気ショックで変化が見られた。


 口が開き、呼吸をしているように見えた。やがて、目が開いた。その目はぎょろりと周囲を見回すと、雄一の姿を捉えた。そしてゆっくりと上体を持ち上げた。


 雄一は香奈の体が動き出したことで再び目に涙を浮かべ、彼女の顔を見つめた。雄一が何かを言っているが、香奈の形をしたものはそれを聞くことができないのか、理解できないのか、聞き入れる気がないのか、意に介する様子はなかった。


 そして、香奈の形をしたものは口をゆっくり開きながら立ち上がると、両手で雄一の首を絞め始めた。細い体から考えられない力で、香奈の形をしたものは雄一の体を押さえつけ、首をギリギリと絞め続けた。


 雄一は香奈の形をしたものに殺されると分かると、彼の表情は穏やかになっていった。


 そう、自分だけ生き残ってしまった自責の念が常に雄一に暗い影を落とし続けていた。この後悔は、自らの手で終わらせるだけでは消えはしない、自分が死なせてしまった愛する人の手で殺されることで完結する。雄一はずっとそう思っていた。


 ようやく願いが果たされる。これで香奈の元へ行ける。


 雄一の目から涙が零れると、その直後に、彼の精神は事故の時のように混濁とした闇の中に落ちていき、かつてのように浮上することなく、闇の果てに飲まれていった。

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