昔のスゴイ人は、こうして、埋もれていくなと思った話~空手の先生の話
「中国拳法って、派手で使えないと思うだろう?しかし、今が異常なのかもしれない」
と中学生だったときに通った空手教室の先生は、中国拳法を語る。
先生は友達の父親だ。場所は学校の体育館を借りてやっていた。
「こんな蹴り当たるのか?という蹴り方がある」
大きく上半身をのけぞって、蹴ったり。蹴るときに、両拳を腰に当てる動作がある。
どう、見ても、予備動作が大きい。
「これは、都市部での小集団同士での争いで使われたのだ。素人でも強く蹴れるやり方だ。脇から、背後から蹴れば問題がない。一対一の格闘技の試合では使えないのだろうけどな。まあ、ようするに、チンピラ同士の抗争だ。平和になって、武器で、街中で戦うのは異常なくらいの世の中で、徒手格闘技は発展した」
と、そこで、後ろ回し蹴りとかを習った。
「そう言えば、この教室、市の大会とかにでないよな」
「ああ、それは、親父、市の演武会でやらかしたんだ」
事情を教えてくれた。
何でも、護身術の先生に、技の説明のために、敵役をやることになったときに、
『そこの方、来て下さい。そう、そう、胸ぐらを掴んで・・・グハ!』
『何をやっている!』
『これは演武だ!』
バチン!と裏拳を当てたそうだ。
先生は、『・・・あれ、○○先生はよけたけど・・・』
とうそぶいていたらしい。
・・・・・・
先生は言う。
「私は、小学生の時に、爺さんに連れられて、創立記念日に、平日、アニメ映画に連れて行ってもらったのだ・・」
映画、終わったら、喫茶店で、チョコレートパフェをごちそうになった。
『オホホホ、美味しいか?』
『有難う。爺ちゃん!』
そしたら、店にヤンキーたちがやってきた。
1980年代、全盛のヤンキーは、決して、学校の先生になりそうな奴らではなかった。
そり込み。リーゼント、一目でヤバい奴と分かった。
ヤンキーは言う。
『おい、そこは、俺たちの席だ。どけ!』
意味が分からない。爺ちゃんは言う。
『お前ら、鶏みたいな頭をして中味も鶏か?アホ』
『何だと!』
そして、
爺さんの胸ぐらを掴もうと、手を伸ばそうとしたヤンキーの手を、型の動作で、こう、手首を回して、掴んで、引っ張り。ヤンキーは、体勢を崩した。
『うわ』
爺さんは、そのまま、正拳突きを食らわした。
それも、何回もだ。
ガン!ガン!ガン!
『ほ~れ、ほれほれ!』
最後は、空手じゃない。机に、頭を打ち付けていたな。
私は、爺さんが空手をやっていたのは、知っていたが、ここまで、強いとは思わなかった。
『お祖父ちゃん。どうして、そこまでするの?もう、いいよ』
『・・・こいつら、ナイフを持っているかもしれないじゃろ?』
・・・・・
「それって、問題にならなかったのですか?」
「ああ、喫茶店のマスターが出てきて、仲裁をしてくれた」
「『こいつら、俺の地元の後輩で、チンピラとかには、何も言わないんですよ。許してやって下さい』と言っていた。警察沙汰にもならなかった。時代かもな。ヤンキーの歯が砕けたが、シンナーで、元々溶けていたしな」
それから、爺さんから、空手を習い始めた。
「ファミコンもしない。草野球もしないで、それは、打ち込んだものだ」
空手で飯を食おうと思っていたが・・・
「30になる前に、就職したよ。その夢は諦めた。格闘技で飯を食う才能はなかったと気がついた」
・・・・
その後、あの先生は、異質だったことに気がつく。
就職してから、街中の道場に行ったら、
そこの先生は、型を知っているだけの普通の人だ。
後ろ回し蹴りをしたら、それだけで、実力者扱いだ。
敵視もされたし、やたら、他の格闘技の悪口を言う。
しかし、大学や高校の空手は強い。
また、直接打撃制の空手もあることを知った。
まるで、別物だ。
中学の時の先生の方が、そこらの街道場の先生よりも強くて、教え方が上手い。
空手だけじゃなかった。
そんなときに、先生の息子から、雑誌を見せられた。
古い同人誌のようだ。
「山田、これ、親父の遺品の中から、出てきた・・・まだ、空手に興味あるのは、お前くらいだよな」
それは、先生が、間接的に登場する話だ。
☆☆☆
ある古武道の先生がいた。彼は、昔の技を研究していた。
江戸時代の剣術や柔術だ。
それは、いい。
しかし、
『空手、柔道、剣道はダメだ。あれは、実戦で使えない。昔の技をそぎ落としたものだ』
それも、ニタニタと嫌みったらしく、あちこちで、吹聴し、オカルトブームも相まって、その先生は、知る人は知る存在になった。
『じゃあ、先生、大会に出て、実力を示したら』
と言う批判に、
『それは、私の術は、人を殺してしまう体系だから、無理ですね』
みたいな事を言う。
日本刀をいつも持ち歩いていたそうだ。
それに、対して、反応をしたのが、
何故か。中国武術の先生だ。
日本人である。
『空手、柔道、剣道は間違っていない。近代格闘技は、それはそれでいいの。批判できるのは、大会で実績を残した者だけだ!』
と真っ向から、対立した。
『私は、剣術も使えます。どうぞ、死合いをしましょう』
と、物騒な事になった。
決闘罪になるから、違法だと、周りが説得し、
対談になった。
その立会人に選ばれたのが、当時、新進気鋭の沖縄空手の山崎○○氏だ。
中国武術の先生と交流がある。
あ、先生の名だ。
彼は、刃物の対策も出来る。
伝統派なのに、直接打撃制の大会に出場し、物議を醸していた。
掴まないで、蹴り足を引っかけて、投げる技が、ルール違反ではないかと、
良いとこ、二回戦止まりだが、異彩を放っていた。
結局、刃傷沙汰にはならなかった。
山崎氏の感想は、
『古武術の先生は、道場を構えて、それで、生活をしている。何か学べるものがあるものと思って、引き受けた・・・』
とある。
・・・・これは、皮肉なのか?いや、あの先生なら、本当に、そう思っていて、自分には無理だと思ったのだな。道場は、実力だけでなく、経営の才能がないと出来ないと判断したのだろう。
妙に、先生が、空手で食べていくのは無理と諦めた年代と一致する。
また、中国武術に詳しいことも腑に落ちた。
そう言えば、先生は、他流や、他武術の批判はしない。
もしかして、昔のスゴイ人は、こうして、埋もれていくのではないかと、思う今日この頃である。
最後までお読み頂き有難うございました。