精霊酔い③
しばらくして、治癒が終わったのか、メイシャが俺を呼びにやってきた。
俺の前までやってくると、無表情のままぽそりと一言。
「……ラット。メイシャはなにを見せられたの?」
「お前に分からないものが、見てない俺に分かるわけがない」
元の場所に戻ると、妙にツヤツヤと頬を輝かせ、満足げな様子のユウナギがいた。
そして、もう岩から立ち上がり、俺を待つパパナの姿。
一目見ただけでも血色はよく、精霊酔いから回復しているのが見て取れた。
あと、じゃっかん、着衣が乱れて、ももの辺りの見事なタトゥーが覗いて見えていた。
慌てて着なおしたように、革の胸当てのベルトがゆるんでいる。
事後。―――そんな単語が脳裏に浮かんだ。
「あー、具合はどうだ。パパナ」
俺はパパナの背中に回って、胸当てのベルトを調節してやりながら問う。
「おかげさまで、その……すっきりしました」
「そうか、それは良かった」
妙にカタコトな言葉を交わす俺達。
調節が終わっても、互いに目を合わせられなかった。
変な沈黙が流れる。
なんとはなく、気まずい雰囲気だ。
「さあ、皆さん、張り切って探索を続けましょう!」
それを打ち破ったのは、対照的に、満面の笑みのユウナギだった。
ユウナギには悪いが、その姿は癒しの巫女というより、パパナの精気を吸い取った淫魔かなにかに見えた。
とはいえ、パパナもその声に便乗して顔を上げ、
「そ、そうですね。ラット先輩、ごめんね、時間を取らせちゃって。ここからわたし、名誉挽回しますよ~!」
ややわざとらしくはあったが、元の元気な声を上げた。
「お、おう。期待してるぞ、パパナ!」
俺もそれに乗っかった。
空々しいやりとりかもしれんが、ともかく気持ちの切り替えは大事だ。
性癖はどうあれ、ユウナギの巫女としての治癒の腕はたしかだ。
精霊酔いの収まったパパナは傍目にもそれと分かるほど調子良く、周囲の精霊力を感じながら、ぐんぐんと密林の奥へと分け入っていく。
その勢いは照れ隠し感も否めないが……。
元の隊列に戻って俺たちもその後に続く。
やがてパパナは、森の合間を縫って流れる小川沿いを歩きはじめた。
単純な話、川下に向かえば海に着くはずだ。
と、後方からなにやら言い合う声が聞こえた。
振り向くと、ユウナギとメイシャが向き合ってなにか話していた。
その内容までは聞き取れない。
俺は前を行くパパナにストップをかけ、二人の元へ向かった。
「あ、ラット。ラットからもユウナギに言ってほしい」
「ラットさん! 助けてください。メイシャさんたら、ひどいんですよ」
俺が近づくと、メイシャとユウナギが同時に声をかけてくる。
なんだ、どうした?
二人ともめったに声を荒げるタイプではないし、言い合うこと自体めずらしいが……。
「私に不衛生だから手を洗え、などとおっしゃるんです。そんなもったいないこと、できるわけないじゃないですか!?」
「………………」
俺はユウナギとメイシャの顔を交互に見やり……。
ユウナギの手首をつかんで、川のすぐ近くまで連行した。
そのまま、川の水に突っこむ。
「ああ!? ラットさんたら、強引です。まあ、そういうラットさんもそれはそれで悪くないですが……」
悲鳴なんだか嬌声なんだか分からない声をあげるユウナギ。
ごく一瞬、ついでに川の中に蹴り飛ばしてやろうか、という衝動が湧いた。
「先輩、どうしたんですか?」
騒動を聞きつけ、パパナもやってきた。
「なんでもない。探索を続けるぞ」
それ以上の質問は許さず、俺はパパナを前に進ませた。
俺の気迫が伝わったのか、はたまた何かを察したのか、パパナは素直に従ってくれた。
川はだんだんと幅を増し、対照的に周辺の木々の間隔はまばらになってゆく。
確信を得てきたのか、パパナの足取りが早くなる。
もう、駆けださんばかりだ。
そして、不意に視界が開けた。
「おー」
思わず、俺たち皆の口から感嘆の声が漏れた。
入江、と呼ぶのがふさわしいだろうか。
密林をようする絶壁に左右を挟まれながら、白い砂浜が広がっていた。
その向こうには、トゥ・ランカ諸島の内海が広がり、遠目に他の島影がぽつりぽつりと浮かんで見えた。
浜辺は東の方角に向けて広がる形だったので、西に傾きかけた日差しの順光を受け、燦然と輝いていた。
地元の島民の気配もない。
人の営みとは無縁の、まさしく秘境。
冒険のなか、こうした未踏の地に足を踏み入れる喜びは、言葉に言い表しがたい。
「吟遊詩人なら、詩の一つでも吟じたくなるんだろうな」
その光景に見入りながらつぶやく俺に対し、パパナが笑って、
「先輩は詩とか作らないんですか?」
「あいにく、その方面では実家にいた頃から家庭教師を絶望させていたな」
俺の生家の国では、詩吟の暗記や創作も騎士の教養とされていた。
特に、宮廷の貴婦人に横恋慕し、歯の浮くような美辞麗句を並べたてるような詩が絶賛されていた。
いま思い返してみても、訳がわからん。
「ユウナギは? 東の国には、独自の歌の文化がある、と読んだことある。ネイザード大陸でも、画家や詩人の中に東の国に憧れる人は少なくない」
「さすがメイシャさん。博識でいらっしゃいますね」
ユウナギはメイシャの言葉にうなずいて、咳払いひとつ。
「私の創作ではありませんが、こんな古い詩はいかがでしょう。
おほうみの
みなそことよみ
たつなみの
よせむとおもへる
いそのさやけさ」
清く澄んだ声が伸びやかに響きわたる。
それは、この自然の情景を乱すことなく調和し、俺たちの耳朶を優しくなで、波のなかへと溶け、消えていく。
正直、詩の意味は東の国の文化知識に乏しい俺にはよく分からないが、ユウナギの美しい声音に乗ってつむがれるだけで、聞き惚れてしまう。
パパナとメイシャの口からも、ほぅと、うっとりしているような感嘆のため息がもれた。
「素敵な詩ですね〜。どんな意味なんですか」
パパナに問われ、ユウナギは柔らかな微笑を浮かべながら、
「いますぐ衣服を脱ぎ捨て、雄大な海を前に、心も身体も一つになるまでくんずほぐれついたしましょう、という意味です」
「ゼッタイ違いますよね!?」
「お前、自分の祖国に謝れ!」
「詩を作った昔の人にも」
俺たち全員のバッシングを受けても、ユウナギは心外な、という顔でしれっとしていた。
一瞬前の感心を返してほしい。
美しい自然の情景ではあったが、俺たちは詩人でも観光旅行客でもなく冒険者だ。
すぐに気持ちを切り替える。
この入江は、見れば見るほど船が精霊力を蓄えるのには、絶好の場所だった。
浜辺は小石の少ない砂場で船体を傷つける心配がなく、日の光が燦燦と降り注いでいる。
火と熱の精霊力を蓄えるのにはもってこいだ。
すぐ近くに密林を抜けたばかりで、大地の精霊力も濃い。
精霊力が船の死活問題だった当時の海賊たちが、それに気づかないはずもない。
海賊船二隻が乗り上げるのにも、広すぎず狭すぎず、ちょうどいい大きさだ。
まさしく天然の船倉と言っていい。
「よく俺たちをここまで導いてくれた。さすがだな、パパナ」
パパナのおかげで、もはや俺たちのクエストは王手をかけたも同然だった。
「えへへ。ありがとうございます。でも、まだこれからですよ。というわけで、メイシャ、バトンタッチ!」
「ん。任された」
豊満な胸を張るメイシャ。
そう、ここからの海中探索の主役はメイシャだ。
「ラットさんも、どうかお気をつけて」
「ああ。任せろ」
俺もメイシャの手足となって働くことになる予定だ。
けど、それも明日の話だ。
海賊船という世紀のお宝を前に気は急くが、今日はこれから海中探索するには遅すぎる。俺自身も含め、密林の踏破にそれなりの気力・体力を使ったしな。
こういう時こそ万全を期すべきだ。
「よし、念のため周辺に危険がないか探索した後、夜営の準備だ。明日の行程を確認の後、今日も早めの就寝とする。異論、補足のあるものは?」
俺はしばらく仲間達の返事を待った。
異論は出なかった。
これ以上細かな指示は出さなくても、みなすべきことは分かっている。
日が沈む前には野営の支度は整い、ユウナギが中心になって用意した夕食を済ませた。
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「ありえなくないですか!?」
ユウナギが普段のおっとりした調子をかなぐり捨てて、声を荒げた。
日も沈み、後はテントの中で眠るだけ、となった時のことだ。
男一人、女三人といううちのパーティーの構成上、どうしても性差を意識せざるを得ない場面もある。
たとえば、一つの狭いテントの中で眠る時がそうだ。
俺たちは冒険者のパーティーであり、決して男女の仲ではないのだが、そこは健康健全な若者同士。まったく意識するな、という方が無理があった。
こういう時、たいがい俺はみなが不安を感じないよう、テントの入り口付近でぽつんと一人寂しく寝るようにしているのだが、今回パパナたちの希望を取り入れると、以下の並びとなる。
テントの一番奥で寝るのがパパナ、その横がメイシャ、そして俺。入り口近くがユウナギである。あたかも俺の存在を、パパナたちの盾とするかのような配置だった……。
もう譲れない決定項だとばかりに、パパナとメイシャは早々にテント奥で寝袋の準備を始めていた。
「なぜ殿方のラットさんがメイシャさん達のお隣なんですか!? 納得がいきません!」
「俺よりお前の方が危険に思えるんだろ」
昼間のアレのあとでは、当然といえば当然の結果かもしれない。
パパナとメイシャがテントの奥で身を寄せ合い、できるだけ距離を置きながら言ってくる。
「その、ユウナギにはほんと感謝してるよ? おかげで精霊酔いもばっちり治ったし、けど、その……」
「それはそれ。これはこれ」
警戒心もあらわな二人の視線に、ショボンと肩を落とすユウナギ。
けど、すぐに気を取り直したように顔を上げ、俺の耳元にささやきかけて、
「夜中、ムラムラするようでしたら遠慮なく起こしてくださいね。御一緒に天幕を抜け出しましょう」
ほんとに見境なしか、こいつは。
「月明りの下、浜辺でいたす営みというのもロマンチックだとは思いませんか?」
こいつが、清らかなる東の国の巫女であるというのが、ときおり信じられなくなる。
俺の内心が顔に出てたのだろうか。
ユウナギは不意に真顔になって言う。
「ラットさん。私常々思うんです」
「ん?」
「―――信仰心と性の欲は両立しうる、と」
知らんがな。
あいにく、ユウナギの発言の是非をめぐって神学談義ができるほど、俺はこいつの祖国の神様には詳しくない。
「アホなこと言ってないで、とっとと寝るぞ。明日も早い。俺とメイシャがメインで動くとはいえ、お前のサポートも頼りにしてるんだからな」
俺が言うと、ユウナギは変わらぬ微笑を浮かべたまま、そっとうなずく。
「頼りに思ってくださり、ありがとうございます。ラットさん、おやすみなさい。良い夢を」
その微笑みは清楚な癒しの巫女そのものだった。
本当に、こいつのなかでは先ほどまでのアホアホな言動と巫女としての自分は矛盾なく同居しているらしい。
俺は他の皆にも「おやすみ」と告げると、テントに吊るしたランプの灯を消した。
メイシャとユウナギが共同で辺り一帯に張った結界のおかげで、入江に魔物が近づこうとすれば、寝ていてもすぐにそれと分かる。
安心して、翌日に備えて体力の回復につとめられた。