精霊酔い②
翌早朝。
まだ、日が登りきらないうちに、俺達は出発の準備を整えた。
明け方の薄闇も、ネイザード大陸と比べると幾分明るい気がした。
俺達は久しぶりに、冒険者としての装いに着替えていた。
俺は、麻のシャツに合金製の半鎧を身に付ける。
愛用のロングソードと荷袋は背に負い、腰にも短剣を差す。
精霊使いのパパナは、基本的に金属製品を身に付けられない。
半袖のシャツにハーフパンツ、その上に革の胸当てといういで立ちだ。
拳には、お手製のバンテージを巻き付けている。
メイシャは丈の長い白衣姿。その内ポケットには様々な魔道具をつめこんでいる。
ユウナギは祖国の伝統的な巫女装束だ。
白の小袖に、緋色の袴。そして、腰にはカタナを佩いている。
探索用の荷は必要最小限にとどめ、俺以外の三人にもそれぞれ小分けして持ってもらっている。
ラバでも借りられれば楽かもしれないが、あいにく、この島の村には荷の運搬用に家畜を飼う習慣はないらしい。
当面不要と思われるものは、宿に置いてきた。
念のため、メイシャが魔道具を用いて施錠と追跡の魔術を施してくれている。
リッキたちを疑うわけではないが、俺達の荷のなかには彼らにとって物珍しいものもあるだろう。
魔が差さないともかぎらない。
ユウナギとメイシャの装いはこの島では暑すぎるのでは、とも思ったが日差しから肌を守れるし、見た目よりも涼しいという。
「私の祖国も夏場は湿度が高く蒸し暑いので、この巫女装束も、案外通気性に優れているんです」
「なるほどな」
「ただ、はだけさせるのに多少コツがいるのが難点ですが……。ラットさんほどの腕前なら問題ないかと思います。がんばってください」
「俺に何をどうがんばれと!?」
と、メイシャが俺の袖をくいくいと引っ張ってきた。
「ラット。メイシャの白衣は脱ぐのカンタンだから安心して?」
「……頼むからお前までユウナギに影響されないでくれ」
「…………?」
俺の言いたいことが伝わったのかないのか、メイシャはきょとんとした顔で小首をかしげている。
「さあ、はりきって行きますよ~」
今日もパパナは元気満々だ。
まあ、今日の探索の主役はこいつだから、元気でいてもらわなきゃ困るんだけどな。
俺達は村を発ち、浜辺とは逆に北の方へ向かう。
すると、すぐに景色は鬱蒼と生い茂る密林へと変わる。
その中へ足を踏み入れると、とたん、むせかえるような緑の匂いに包まれた。
ネイザード大陸の森とは、様相がまるで違った。
生い茂る木々は蔦植物が中心で、花も緑も原色の色鮮やかなものだ。
鳴きかわす鳥の声も、甲高くするどい。
密林全体に生命力が満ちあふれ、圧倒されてしまいそうだ。
文献によれば、アルドラの海賊船はこの島で政府の軍艦と対峙する直前まで、船体を浜辺にさらしていたという。
これは何にもまして、貴重な情報だった。
何故、海賊たちにとって生命線といっていい船を、布団の如く浜辺の上で天日干しする必要があったのか。
それは、世界航路開拓時代の船が、天然の精霊力を動力源としていたここと大いに関係ある。
精霊力。
自然界に存在するあらゆる物質が、精霊力を宿している。
一般には、地・水・火・風・闇・光の六大精霊力と、それらの組み合わせによって言い表されているが、実際には物質の数だけ精霊力が存在し、その種類は無限とも呼べる。
天魔石のエネルギー利用が研究されるまで、人の営みはほとんど、この自然界の精霊力に依拠していた。
船もまた例外ではない。
長い航海の間、船体からは水と風以外の精霊力が少しずつ失われていく。
構造のほとんどが木造の当時の船であれば、大地と熱の精霊力は必須であった。
政府の誘導によってこの島に追い込まれたアルドラの船は、それらの精霊力が枯渇寸前だったのだろう。
だから、浜辺で精霊力充填をする必要があった。
俺たちにとって、願ってもない情報だった。
森の中、迷わないよう先人がまいてくれたパンくずのあとを辿るようなものだ。
なにせうちには、精霊力を感知することにかけては右に出る者のない、優秀な精霊使い(エレメンタルマスター)がいるのだから。
さらに良いことに、そいつはいま絶好調のようだ。
「うん。この島全体にすごく気持ちのいい精霊力が満ちています。特に大地と熱の精霊力が濃い場所を辿っていきますね!」
「おう、頼んだぞ、パパナ」
島は群島のなかでは中規模程度。それでも、外周を巡るだけでも優に三日はかかる。
島全体をつぶさに踏破しようとすれば、三十日は要する大きさだ。
それも、順調に歩けた場合の話だ。
申し訳程度に島に点在する集落以外はほぼ未開の地で、ろくに道もない。
ほとんどの部分は、鬱蒼と茂る密林だ。奥地には魔物も出没するらしい。
パパナの精霊力探知の力は、今回の探索の生命線といえた。
パパナを先頭に、俺、メイシャの順で続き、ユウナギがしんがりを務めるという、縦一列の隊列で、俺達は森を歩く。
パパナが精霊力の探知に専心できるよう、周囲の警戒は後に続く俺達がになう。
「すごい……。こんなに純粋な精霊さんたちの力、初めて感じたかもしれないです。きっと、わたし達の国には、こんな力が感じられる場所、もうどこにもないですよ」
前を行くパパナが声をはずませた。
たしかに、精霊使いでも魔導士でもない俺でも、この島の自然の濃度が俺たちの国のものとはまるで違うことくらい感じられる。
「天魔石の利用が土地の精霊力を奪っているという説もありましたね」
後方から、ユウナギのやや沈んだ声が聞こえた。
パパナも一瞬振り返って、悲しげな顔を見せる。
「それ多分、ほんとだと思います。大きな都市ほど精霊力が弱って感じられますもん」
「魔導学的に立証される日も遠くないと思う。……その時が、手遅れでないといい」
メイシャもいつもより真面目な声で言う。
「世の中、便利になったはいいが天魔石に頼りすぎるのも考えものだな。精霊力なんてもう古い時代の力だとお偉いさん方は思ってるかもしれんが、いつか手痛いしっぺ返しを自然の側から受ける気もするな」
俺の言葉に、三人はそれぞれ同意の声をあげた。
それから、パパナを先頭に、しばし無言で探索が続く。
予期せず、なんとなく重たい雰囲気になってしまったな……。
とはいえ、ここで環境問題をうれえていても仕方ない。
いまは目の前の、俺たちのできることに集中すべきだろう。
「メイシャ、そろそろ休憩するか?」
「ううん、まだ平気。日が高いうちに、もっと進むのがいい、と思う」
「そうか。けど、疲れたら無理せず言えよ」
メイシャの顔色を見て、まだ大丈夫そうだと判断する。
パパナに先に進むよう合図を送った。
学者兼魔導士のメイシャは、パーティ―の中ではどうしても体力に不安が残る。
自然、俺たちの探索はメイシャに合わせたペースになりがちだ。
とはいえ、彼女も不健康なもやしっ子ではない。正式なトレジャーハンターの資格を持つ冒険者の一員なのだ。
船内プールでの体力作りもがんばってたしな。
さいわい、いまのところ害獣や魔物との遭遇はない。
ただ、視界が悪いから、不意の襲撃には警戒が必要だ。
いまのところ、パパナの足取りに迷いはない。
失礼なたとえかもしれんが、その姿は匂いを辿って猟師を導く、お供の犬を彷彿とさせる。
島の南部の集落から出発して、北東の方角に進んでいる。もうしばらく歩けば、密林を抜け海へと行きつくだろうか。
と、それまで順調に歩いていたパパナの様子が、少しおかしいことに気づいた。
頭が左右に揺れ、足取りもどこかおぼつかなく見える。
「おい、パパナ」
呼びかけても返答はなく、なおもふらつく足取りで前へ進もうとする。
もっと声を大きくして名を呼ぶと、ようやく振り返った。
「ん、あ。……先輩。どうかしましたか?」
応じたパパナの声は少々かすれ気味で、さっきまでの元気な張りがない。
目もどこかとろんと虚ろで、頬もこころなしか上気して見える。
熱気に当てられたか、旅の疲労が不意に表に出たのか、ともかくも尋常な様子じゃない。
「どうしました、じゃないだろ。体調が悪いならすぐに言え」
そうパパナを軽く叱り、後ろの二人に小休止にすると告げる。
「あ、いや、これはちがくて……」
パパナはなにやら言いにくそうに口ごもり、俺から視線を外す。なにやら脚が内股になり、もじもじとしていた。
「ん? 花摘みに行くなら待っててやるぞ?」
「ちがッ! いや、これはその……」
なんだ?
何を言いよどんでいるのかいまひとつ分からないが、様子がおかしいことは明らかだ。
さいわい、傍らにちょうど人が腰掛けられるほどの平たい大岩を見つけ、パパナを座らせる。
パパナは足をぎゅっと閉じ、顔をうつむかせた。
その顔は、いまやはっきりそれと分かるほど赤くなっていた。息づかいも荒い。はぁ、はぁ、と苦しげな吐息がこちらにまで聞こえてくる。
もしかすると、これはかなりマズいかもしれない。
世界航路開拓時代にも、蚊やダニによって伝染する風土病に侵され、命を落とした開拓者たちが大勢いたと云う。
もし、パパナがなんらかの病にかかっていたとしたら……。
無論、人命が最優先だ。
ユウナギに応急処置の治療をほどこしてもらった後、パーリ島に取って返す。
観光客向けに発展したパーリ島なら大病院もあるはずだ。そこでも治療不可能な病なら、ハイフェレンツ王国に戻るしかない。問題はパパナの容態が長い船旅に耐えられるかどうかだが、こいつの生命力ならきっと大丈夫だと信じたい……。
パパナを囲み、メイシャとユウナギも心配げな顔でその様子を見ている。
「ごめん、みんな。これ、病気とかじゃなくて……その……んん」
パパナが声をあえがせ、口を開く。
無理にしゃべるなと言いたいが、病の治療には容態の自己申告も大事だ。
俺たちは固唾を呑んでパパナの次の言葉を待ち……って、病気じゃない?
「言いにくいんですけど……ここの精霊。なんていうか……すごく情熱的で……あぅぅ」
パパナの声は、いまにも消え入りそうなほどか細くなっていく。
こいつがこんな小声でしゃべるのを聞くのは、初めてのことかもしれない。
「その、熱に当てられたと言いますか……身体が火照ってっていうか……んぁ」
「詳しく」
ものすごい食いつきを見せ、俺を押しのけんばかりの勢いで、ユウナギが身を乗り出してくる。
その横顔を見やると、鼻息荒く、目を輝かせている。明らかに、パパナの容態を心配するのとは違う方向性の反応だった。
たとえるなら、そう、群れからはぐれた仔鹿を前にした虎のような―――。
パパナの申告に、ようやく俺も合点がいった。
「精霊酔い、か」
俺の言葉にうなずいてから、パパナは首を弱々しく横にふった。
「で、でもだいじょうぶ。少し休んで落ち着けば……平気ですから。ん、んんっ」
正体が分かると、荒い息づかいもあえぎ声もまったく違った意味をもって聞こえる。
あまりじっくり聞き入っては、パパナがかわいそうなやつだ。
「そんな! 私達仲間ではないですか。遠慮なんて無用です!」
「お前が遠慮を覚えろ」
両手をわきわきと妖しげにうごめかせパパナににじりよるユウナギ。その首根っこをつかまえて取り押さえる俺。
仲間の非常事態に興奮を覚えるとは、どうしようもない奴だ。
とはいえなぁ……。
「なあ、メイシャ」
俺の呼びかけにこくりとうなずくメイシャ。
「精霊酔い。主に女性の精霊使いがかかる現象。体内の精霊力が外部の精気に当てられて、著しくバランスを乱す現象。感度の高い、高位の精霊使いほどかかりやすい。症状は様々で、嘔吐や眩暈を覚える場合、全身の火照りや悪寒に苛まれる場合。えと、性的興奮に近似した状態になる場合」
……いま、一瞬メイシャ、言いよどんだな。
淡々としているようでいて、恥じらいの感情はちゃんと持っているらしい。
気づかなかったフリしといてやろう。
「一時的な現象の場合がほとんどだけど、時には後遺症が生じる可能性がある。可能な限り治療すべき」
「うっ……」
メイシャの言葉に、パパナは「聞かなかったことにしたい」とばかりにそっぽを向く。
「癒しの専門職であるユウナギに任せるのが、現状最適解、だと思う」
「そうなんだよなぁ……」
「その通りです! これは緊急事態です将来あるパパナさんに後遺症なんてできてしまっては一大事ですメイシャさんがそうおっしゃるなら間違いないです!」
息もつかせずユウナギが一気にまくしたてる。お前、普段そんな早口でしゃべらんだろ。ウッキウキな様子に、こっちまで引くわ。
「うぅ、先輩~」
パパナがうるんだ目で見上げ、座ったまま俺の腕にしがみついてくる。
腕を介してはっきり分かるほど、パパナの全身は熱かった。
「心配なさらないでパパナさん。すぐに! ……すぐにその火照った身体を鎮めてさしあげます」
「お前のそのはずんだ声が余計心配させるんだよ」
パパナに代わってつっこんでおいてやる。
俺はパパナの身体を腕からそっとほどき、頭にぽんと手を置く。
「一応変なことしないようメイシャを見張りに立てておく。覚悟決めて、ユウナギに身をゆだねておけ」
「う……うぅ~、ユウナギ……。その、優しくしてね?」
「ぶほっ」
巫女にあるまじき声をあげ、ユウナギは鼻血を堪えるように天を仰ぎ、鼻を手で覆った。
とりあえず、その脳天に手刀を叩きこんでおく。わりとキツめに。
「真面目にやれ」
「心外な!? 私はいついかなる時も真剣に生きています!」
鼻をつまみながらも、ユウナギはこの上なくまっすぐに澄んだ瞳で、俺を見返し抗議してくる。
ああ……。ユウナギの言葉に一片の偽りもないのが、かえって困る。
「では、僭越ながら精霊酔いの治癒を私、ユウナギ・コヨミが施させていただきます」
再びパパナに向き直ると、ユウナギはおごそかに宣言した。
口のなかで、俺たちには聞き慣れない彼女の生まれ故郷の言葉で、呪文を唱える。
ユウナギの両の掌から、淡い暖色の光が生まれた。
ネイザード大陸の魔術とは違う、癒しの呪法だ。
俺の知る限り、使いこなせるのはユウナギただ一人。
てのひらに生まれた光は、ゆっくりと十指の先端へと収束していく。
それを見届けた俺は、後のことをメイシャに託し、そっとその場を離れた。
建前としては魔物の奇襲に備えるということにして、周囲を散策する。
ここから先の場面は異性である俺に見られたくはないだろうし、俺も仲間同士の“精霊酔い”の治療なんて、気まずくて見ていられない。
「ご存知とは思いますが、熱の精霊が停滞しやすいのは首筋。両の乳房の先端。内もも、〇〇〇〇―――。いまから順に、ときほぐしてまいります」
「やあぁ〜」
いかん。もう少し離れておかないと、不穏な単語が聞こえた気がする。
これ以上距離を置くと、見回りの意味がなくなるんだがな……。
もうパパナたちがほとんど見えなくなるくらい遠く離れ、周囲の警戒に全神経を注ぐ。
時折、甲高いあえぎ声のような何かが風に乗って耳に届いた気がする。
この島に生息する珍しい鳥の鳴き声だと思っておく……。