思いがけないクエスト③
いつどうやって屋敷を辞したのか、まったく覚えていなかった。
なかばほうけたような足取りで、俺は家路に向かっていた。
いつの間にやら、短剣や、隠し武器の類もメイドから受け取っていた。
返答は最初から決まっている。そのはずだった。
だが、俺はあの場でなんの答えも返せなかった。
断る。それしか選択肢はないはずだ。
他の時ならいざしらず、俺達は砂漠の国オフラーブの遺跡調査権利を勝ち取ったばかりなのだ。
冒険者ギルドを通しての正式な依頼だ。
しかし―――。
心の内なる声は、別の言葉をささやく。
古代遺跡の調査なら、俺たちがやらなくても誰かが代わりを果たすだろう。
俺たちにしかできない。生涯二度とやってこないかもしれない、夢のようなクエスト。
これに挑まずに、なにが冒険者か、と。
――――もう一度同じ夢を見ましょう、ラット。
まるで耳元でささやかれたかのように、シシリーの投げた甘い声が脳内によみがえる。
濡れたような瞳。不安げにしょぼんだ唇。すがりつくような吐息。
それは血と鉄の女王が決して見せてはならないはずの表情だった。
演技に決まっている。
大方、俺の動揺を誘おうとしただけで、今頃は館の窓辺から去り行く俺の背を眺め、ほくそ笑んでいるかもしれない。
商人を辞めて女優にでも転身すればどうだ、と思う。
だが、本当にそうだろうか。もし、あれが演技ではないとしたら。
豪商として身に付けた冷然とした姿の方こそ、生きるためまとう仮面なのだとしたら……。
確かに、ごく幼い頃は、シシリーも無邪気でよく笑い、よく泣く普通の女の子だった記憶が、おぼろげながらある。
関係ない、と俺は頭を振る。
パーティーは俺だけのものではないのだ。
商人ほど冷徹である必要はないかもしれないが、パーティーリーダーの俺が情に流されて判断を誤るようなことがあってはならない。
皆が反対し、古代遺跡の調査を選ぶようなら俺も無理を言ったりしない。
心のどこかで、それを期待している自分もいた。
――――――――――――――――――――――――――
「あら、ラットさん。お帰りなさいませ。少々遅かったですね」
住処に戻ると、ユウナギが俺に気づき、微笑を投げかけてくる。
シシリーの冷徹な微笑とは違う、温もりのこもったまなざしだ。
それを見ただけで、胸が温まるようだった。
我が家に帰ったんだな、と実感がわく。
「ああ、ただいま。ちょっと色々あってな。それより、お前一人か?」
「パパナさんとメイシャさんなら中にいますよ?」
俺の質問の意図がよく伝わらなかったのか、ユウナギは小首をかしげ、不思議そうに答えた。
俺はため息ひとつつき、
「あいつら。ユウナギ一人に掃除押し付けてやがって」
「あっ、ラットさん! 私が好きでやっていることですから。どうかパパナさん達を叱らないであげてください」
俺が声を怒らせると、ユウナギが慌てて打ち消してくる。
彼女はいま、家の玄関を一人掃き清めてくれていた。
白い小袖に緋色の袴という巫女装束。手には竹ぼうき。
ユウナギの祖国の文化には詳しくないが、何故か異様に絵になる気がする。
とりあえず、掃除をしている本人に止められたからパパナ達は叱らないでおく。
けど、どうもうちのパーティーは家事全般をユウナギ一人に依存しすぎているフシがあった。俺自身も含め。
他の誰よりも早くあれこれの用に気づき、楽しそうに働くものだから、つい甘えがちになってしまうのだ。
ひとつ、実験的に当番制にでもしてみようか。
いや、メイシャが料理を作ったところなんてみたことないし、分担制にしたほうがいいか。
なんやかんやで誰かが突発的に忙しくなることも少なくないし、その場合どうするか。ううむ。
「いつもすまないな」
とりあえず俺は、パパナとメイシャの分まで感謝の気持ちを含めるつもりで頭を下げる。
ユウナギは涼しげに笑って答える。
「いいえ。ラットさんこそ、私達を代表して冒険者ギルドに行って下さり、ありがとうございます。少しお疲れの御様子ですよ。私とお風呂になさいますか。私をお食事なさいますか。それとも、わ・た・し?」
先程までと変わらぬ微笑をたたえながら、そんなことを言ってくる。
これがなければ、完璧に清楚で可憐な巫女さんなんだがな……。
俺は苦笑しつつ答える。
「パパナとメイシャも呼んで食堂に集まってくれ」
「まぁ。日も暮れないうちから、4ぴぃ―――」
「大事な話がある」
ユウナギの言葉をさえぎり、告げる。
「……分かりました」
ユウナギは一瞬、いたずらげにぺろりと舌を出したものの、すぐにまじめな顔を作り、うなずきを返す。
丁寧に竹ぼうきを玄関に置き、パパナ達を呼びに行った。
時折困った言動をするが、真面目な場面での引きぎわは心得ているヤツだ。……たぶん。
俺もユウナギに続いて家の中に入る。
二階建てとはいえ、シシリーの館と引き比べようものなら笑ってしまうくらい小さな家だ。
一回は食堂兼厨房、二階は各々の小さな個室。浴室と厠は、渡り廊下でつないだ離れにある。それでこの家の全てだ。
こんな手狭な家屋によくも四人もの人間が暮らしているものだ。
はなやかなイメージのあるトレジャーハンター専門の冒険者に憧れている人間が見たら、さぞ絶望するに違いない。
けど、やはり我が家に戻るとそれだけでほっと落ち着くものがある。
そこに大切な仲間がいるのであれば、なおさらだ。
俺一人のソロパーティーだったころは、極貧の冒険者向けの宿を拠点にしていたのだから、これでもだいぶマシなほうだ。
家に入って、数歩も歩けば食堂に辿りついてしまう。
「ラット先輩、おかえりなさい~。ねえ、どうでした、結果。ねえ?」
二階から飛び降りんばかりの勢いでパパナが駆け下りてくる。
そのまま俺の腕をぐいぐいつかみ、報告をせがむ。
「全員揃ったら、教えてやるよ」
俺は苦笑して、腕からパパナをひっぺがす。
「ふわぁ。お帰り、ラット。……いま、何時?」
ついで、眠たげなあくびをもらしながら、メイシャが部屋から出てくる。
パジャマ姿だった。いつもツインテールに結わえている髪もいまはほどき、やけにかわいらしいピンクのナイトキャップをかぶっている。
こいつは油断すると、すぐ徹夜で何日も研究に没頭し、昼夜無関係の生活を送り始める。
もう昼をとっくに回り、もうすぐ陽も落ちる時間だが、いまのいままで寝ていたようだ。
「もう、寝ぼけてないでしゃんとしなよ、メイシャ。ラット先輩が、ギルドでの結果を伝えてくれるんだから」
ぼ~っとしているメイシャと対照的に、パパナは落ちつかない様子だ。
俺から離れて椅子に座ってからも、せわしなく足をぱたぱたさせている。
早く結果を知りたい。でも知るのが怖い。そんな内心がダダ洩れだった。
もしシシリーの一件がなければ、俺もそんなパパナを微笑ましく思ったことだろう。
少し意地悪くもったいつけて焦らしてから、誇らしく告げてやるのだ。「やったぞ」と。
だが、正直家に帰ってからも、シシリーの件をこいつらにどう話していいか、迷っていた。
「お待たせしました」
最後にユウナギが全員分のお茶を木の盆にのせ、厨房からやってきた。
二人を呼びに行った後、すぐにお茶を淹れてくれたようだ。本当によく気が利く。
彼女の細やかな心配りは、日常生活のみならず、冒険の際も幾度となく俺たちを助けてくれていた。
椅子に座った全員の顔を順番に見回し、俺はゆっくりと口を開く。
パパナのごくりと喉を鳴らす音が、こっちまで聞こえてきた気がした。
「さて、みなに良い知らせが一つと、どう判断したらいいか分からない知らせが一つある」
「どう判断したらいいか分からない知らせ?」
パパナがオウム返しに聞き、
「良い知らせの方から聞きたい」
メイシャがそう言う。
メイシャのリクエストに応え、俺は冒険者ギルドでの結果を先に皆に伝えた。
コールドロンズが砂漠の国オフラーブの遺跡調査の権利を勝ち取ったのだ、と。
短い歓声と拍手が起こる。だが、みな手放しで喜びきれない顔だった。
無論それは、もう一つの知らせの方が気になるからだろう。
ついで、シシリー・キャンベルノーズの家に突如招かれたことを話した。
できる限り俺の主観は除き、あったことだけを簡潔に話すようつとめた。
しばらく、誰もなにも口にしない。
みなの顔から戸惑い、驚き、葛藤、様々な感情が読み取れた。それはそっくりそのまま、俺自身の気持ちと同様だった。
「それはたしかに……どう判断してよいか難しいですね」
ユウナギが遠慮がちに口を開いた。
「か、か、カイゾクセンって、海賊船ですよね!? ほんとに、ほんものの、ほんとのやつ!?」
パパナは動揺しすぎて何を口走っているのかよく分からない。
が、気持ちはよく分かる。
「それで、ラットさんはどうされるつもりなのですか」
「そうだな……」
ユウナギに問われ、俺は曖昧にうなずく。
できれば、皆の意見を先に聞かせてほしかった。
だが、水を向けられてしまっては、パーティーリーダーとして答えざるをえない。
「……断る、のが妥当だろうな」
「そっかぁ。うん、そうですよね。うん……」
「今回ばかりはあまりにタイミングが不幸過ぎましたね……」
二人はうなずきながらも、声が落ち込んでいた。
頭では分かっているが、心が受け付けない。そんな顔だった。
ただ一人、メイシャだけはずっと無言だった。
その顔を見ると、両の瞳を閉じていた。
まさか、話を聞きながら二度寝してしまったのだろうか。
そう思っていたら、突如メイシャは目を見開いた。
いつも眠たげな目を、いつもよりほんの少しばかり大きく。
「今日を入れて三日……ほしい」
「えっ?」
発言の脈絡が分からず、みなで不思議そうにメイシャの顔を見る。
「アルドラ・ムーンラビットの沈没船の話。どこまで信じられるか、メイシャが調べてみる」
「あ―――」
なんてことだ。
確かに、どう返答するにしても、依頼の裏取りはトレジャーハンターとして必須だ。
シシリーの一件は、冒険者ギルドを介さない私的な依頼なのだから、なおさらだ。
そんな基本的なことにも思いいたらなかったなんて、俺も相当動揺していたらしい。
だが、オフラーブ遺跡調査も海賊船の探索も、あまりにデカく重要な案件だ。
ギルドにもシシリーにも、いつまでも返答を保留するわけにもいかないだろう。
メイシャの口にした三日、というのがぎりぎりのタイムリミットだと思えた。
メイシャの言葉に他に反対する理由はない。
パパナとユウナギにも目線で問いかけると、小さくうなずきを返してくる。
「よし、メイシャばかりにまた徹夜させるわけにはいかないな。俺たちも手分けして、アルドラ・ムーンラビットに関する情報を集めよう。ただし、依頼主は海賊船の調査は可能な限り秘密裡にやることをお望みだ。冒険者ギルドにオフラーブの遺跡以外の調べものをしていることがバレるのも、あまりよくない。俺たちのやっていることが、他人の噂になることだけは避けてくれ」
「了解です」
パパナ、ユウナギの返事がきれいにそろう。
メイシャも委細承知しているというふうにうなずきを返す。
皆の顔は、大きすぎる決断を前に、ひとまずとりかかることができて安堵しているように見えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「―――以上、これがアルドラ・ムーンラビットについて、メイシャの調べられたことのぜんぶ」
メイシャはそう結んで、報告を終えた。
けれど、しばらく誰もなにも言えなかった。
みな、熱に浮かされたような遠い目つきで、呆然としていた。
薄暗い部屋の中でも、はっきりそうと分かるくらい、頬が赤く上気している。
報告を澄ませたメイシャ自身もそうだ。俺もきっとみなと同じ顔をしているだろう。
心臓が激しく脈打つ。めまいを起こしたように、四方の壁が揺れてみえた。
「そ、それってつまり……」
沈黙を破り、おそるおそるといった声音で、パパナがメイシャに呼びかける声がした。
明るく快活で、パーティーのムードメーカー担当の彼女も、この時ばかりは声を震わせていた。
メイシャはパパナの眼を見て、ゆっくりと深くうなずいた。
「みんなの話を総合すると……、アルドラが連合水軍と戦ったのは史実。それが、クゥ・ランカ諸島のどこかだという可能性も、きわめて高い、と思う」
メイシャの言葉に、小さな歓声があがった。
ユウナギがあげたものだ。
彼女は慌てて口元を抑える。
いつも物静かに微笑むユウナギの姿を知る者なら、興奮を抑えきれないでいる彼女の姿に驚くことだろう。
けど、ユウナギの彼女らしからぬふるまいを咎める人間は、この場にはいない。
みな、思いは一緒だからだ。
だが、それが大歓声にならないのは、あまりに壮大過ぎる話だからだ。
トレジャーハンターの冒険者なら、誰もが一度は夢見るような依頼。
けれど、それが現実のものになると、まるで隕石一つがこの身にのしかかってくるような重圧ともなる。
成功すれば金銭では計りえない、トレジャーハンターとして最高の歓びが得られるかもしれない。
けれど、もし失敗すれば、身の破滅が訪れるだろう。
目の前には、夢のような巨大な冒険。
けど、それに手を伸ばすには、あまりに時期が悪すぎる。
「ラットさん」
ユウナギがやわらかな声で呼びかける。
「私達のために、悩んでくださっているのですね」
「そんなことあるか」
ユウナギの言葉を即座に否定する。
自分の葛藤を仲間のせいにする。そんな奴だと思われているとしたら、ショックだった。
「では、もし今ラットさんが私達と出会う前のようにお一人で冒険をされていたら、こんなふうに悩みましたか?」
「それは…………」
今度はすぐに言葉を返せなかった。
もし、オフラーブの遺跡調査を断れば、冒険者ギルドの心証が悪くなることはまぬがれえない。
海賊船の調査はできる限り内密にするようシシリーに依頼されているのだから、断る理由もはっきりとは明かせない。
ヘタをすれば、この国で冒険者稼業を続けられなくなるおそれだってある。
だが、もし昔の自分だったら……。
そんなこと気にも止めなかっただろう。
目の前に大冒険があるというのに、それを避けるなんていう選択肢すら浮かばなかったに違いない。
俺が悩んでいるのは、俺の決断によって仲間たちの将来まで閉ざしてしまいかねないから……。
ユウナギに指摘され、自身、初めて自覚した。
「私もラットさんと気持ちは同じつもりです。目の前に頂があるなら、挑み、越えるまで。今日と同じ明日が訪れる保証なんてどこにもない。ならば、いまできることに全力を尽くすのが、私の生きる道だと心得ています。せっかく、ラットさん達にもらった命ですもの」
穏やかながらも、揺るぎない決意を込めたユウナギの声。
「将来のことは将来になってから考えればよいのではないでしょうか」
ふわりと笑って付け加える。
俺の内心のすべてをすくいとるように。
……そうだった。
普段、穏やかで優しい言動が目立つ(性的な発言も同じくらい目立つ)から、つい忘れかけてしまうが。
ユウナギは東の国では不治とされる病におかされ、その治療薬を探すためにこの国へとやってきて、冒険者となった。
出会った頃のこいつは、その命を燃やし尽くさんばかりに生き急いでいた。
病気の完治に成功し、俺達コールドロンズの一員となってからも、誰よりも全力で生きることに貪欲だった。
「そうですよ! 海賊船の探索なんて、夢のようなお話、断ったらわたしも一生後悔すると思います!」
パパナも身を乗り出して主張する。
「オフラーブはこれからますます開明的になると予想できる。きっとまた、遺跡調査の機会は巡ってくる。でも、海賊船の探索はそうじゃない」
メイシャはあくまで冷静な声で。けれど、内側には確たる情熱をこめて言う。
「……そうだな」
皆の顔を順に見回し、ゆっくりとうなずく。
「大事なことを忘れるところだった。俺達は―――冒険者だ」
三人の笑みが返ってきた。
シシリーに返事をしに行ったのは、翌日のことだった。