思いがけないクエスト②
それからしばし―――いや、かなり待たされる。
出された紅茶はとうに飲み干し、いい加減もう帰ってやろうかと思いかけたその時―――、再び応接室の扉が開いた。
淡い紫のドレスに身を包んだ、彫像かと見まごうようなシルエット。
金のロングヘアはウェーブを描き、細い指先へと視線を導く。
一見すると深窓の令嬢のような外見だが、自信に満ちた足取り、目に見えるもの全てを掌中にとらえようとするような勝気な碧の瞳、真紅のルージュを引き、獲物を前にした肉食獣のように引き結ばれた唇は、まるで退役軍人のような空気を醸し出している。
シシリー・キャンベルノーズ・トーキス。
若くしてキャンベルノーズ第五代当主の座におさまり、辣腕を振るう、この館の女主人だ。
まるで大貴族のようにも見えるが、キャンベルノーズは豪商の家系で爵位は持たない。
天魔石時代のいま、時として、金は血統よりも力を持つ。
そんな事実を、身をもって体現しているような女だ。
俺は立ち上がることも頭を下げることなく、シシリーが向かいの席に座るのを黙って待つ。
そんな俺の態度をあざけるようにシシリーは軽く鼻を鳴らした。
一拍置いて、先ほどのメイドがシシリーの後から現れ、二人分のティーカップを机に置き、俺が飲み干した分はトレイに下げる。
その所作はあくまでさりげなく、素早い。
目の前にメイドがいるというのに、その存在を忘れてしまいそうになるほど、気配が感じられない。
入って来た時と同じ素早さで、退室する。
俺のなかで、本業暗殺者説がさらに強まった。
「ずいぶん待たせてくれたもんだな」
メイドが退室したのと同時、俺は開口一番に言い放った。
「仕方ないでしょう。どうしても外せない商用の途中だったのだから。これでもあなたがやってきたと聞いて、可能な限り早く戻ってきたのよ」
俺の不機嫌など意に介さず、シシリーは傲然と返す。
「できる限り早く来い、と言ったのはそっちだろうが」
「ふふっ。わたし達の祖国の暗号を、あなたがまだ覚えてくれていて嬉しいわ」
まったく本心の読めない、ポーカーフェイスに等しい微笑をシシリーは浮かべた。
「ともあれ、久しいわね。ユーニ・シュヴェーアトヴァール」
「その名で俺を呼ぶな。実家とはとっくに縁を切っている」
ますます不機嫌になる俺に、シシリーは軽く肩をすくめた。
「そうだったわね。コールドロンズのリーダー、冒険者ラット」
「で、”血と鉄の女王”様が暗号文まで使って俺になんのようだ」
故郷での通り名で呼んでやると、シシリーはごく微かに眉をひそめた。
期待通りの反応に、俺の溜飲がほんの少し下がる。
血と鉄の女王。
決して賞賛の二つ名ではなく、あまりに苛烈で実利主義なシシリーのやり方を、他の商人たちが恨みを込めて付けた呼び名である。この町にこの女が拠点を移したのも、おそらく故郷での自身の悪評がわずらわしくなってのことだろう。
だが、シシリーは一瞬にして感情の揺らぎをかき消す。
そして、氷のように冷たい目を俺に向け、前置きもなしに切り出した。
「アルドラ・ムーンラビットの沈没船」
「はっ?」
唐突に吐かれた単語の意味を理解できず、俺は聞き返した。
「ご存じないかしら、アルドラ・ムーンラビット」
「……会ったことはないが、多分あんたそっくりの女なんじゃないか」
一拍置いてその名を思い出した俺は、そう返した。
シシリーはくつくつと笑ってうなずく。
「私もお目にかかったことはないけど、心中密かに目標としている女性の一人だわ」
笑いよりも先に背筋が寒くなるようなジョークだ。
アルドラ・ムーンラビット。
いまから約二百年前。
世界航路開拓時代に悪名をはせた、大海賊の一人だ。
悪魔の七人。最悪の七芒星、七首のリヴァイアサンなどなど、様々な二つ名で呼ばれた、当時もっとも恐れられた七人の海賊船長の一人だ。
その中でもアルドラは、七人のなか唯一の女船長であること、そして残虐な振る舞いが有名な海賊だった。
捕まえた海兵の男根を切り取り船長室にコレクションしていた、なんていうのはアルドラにまつわる伝説のなかでも、まだマイルドな方の逸話だろう。
俺の中で歴史上の大海賊と、目の前の女のイメージがだぶって映る。
「で、その女海賊がどうしたって」
「この大陸よりはるか西方、トゥ・ランカ諸島と呼ばれる島々があるわ。わたし達キャンベルノーズ商会がこの島々の所有権をこの国から買い取った、というのはご存知かしら?」
「いや、知らん。剛毅な買い物だな」
話のつながりが見えないままに、俺は答えた。
もしかしたら、いつかの新聞に書かれていたのかもしれないが、あまりに雲の上の話過ぎてまったく記憶になかった。
返答を意に介さず、話を続けた。
「クゥ・ランカ諸島は穏やかだけど貧しい島よ。香辛料は採れない。奴隷制が廃止されたいま、目だった輸出産業は少なく、観光業と特殊な樹脂の輸出でどうにか収益を上げているに過ぎない」
「特殊な樹脂?」
「のぞまぬ妊娠と感染症を防ぐ道具の原材料よ」
「……ああ、アレか」
「あなたもお世話になっているのでしょう?」
「……ノーコメントだ」
シシリーは俺の返答にはぴくりとも表情を動かさず、話を続けた。
まあ、あくまで商売の話だ。
この程度のセクシャルな話題にいちいち反応するようなタマでもあるまい。
「ありていに言えば、クゥ・ランカ諸島の収支は現状赤字が続いているわ」
「そりゃ、あんたにしてはずいぶんヘタな買い物をしたもんだな」
「ええ。そうね」
まるで他人事のようにシシリーはうなずいてみせた。
「けれど、この島々の一つに、アルドラの海賊船が沈んでいる。といったら、あなたは信じるかしら」
「まさか。冗談はよせよ」
一笑に付しかけたが、シシリーの凍てつくようなまなざしに、俺は息を呑む。
相手は無駄話をなにより嫌う豪商シシリーだ。
それも暗号文を使っての呼び出し。
冗談を聞かせるためにわざわざ俺なんぞを呼び出すほど、暇でも酔狂でもないはずだ。
海賊の沈没船。その中に眠る失われた財宝。
子ども時代に、そんな冒険物語に心ときめかさなかった男の子が果たしてどれほどいるだろう。
だが、現実には、世界航路開拓時代の海賊船がサルベージされた実例は極端に少ない。
俺の知る限り、たった二つだ。
しかもそのうちの一つは、いまもその沈没船が本当に海賊船であるのか、立証されていない。
冷静に考えれば、理由はすぐに説明がつく。
言うまでもなく、海賊というのはいまも昔も犯罪行為だ。
ひそかな行動が大原則である。船体に名前を書いたりもしないし、どこかの政府に属しているわけでもない。
もし、彼らの船が沈没したとして、生き残ったクルーがそれをどこかに届け出る義務もなければメリットもない。
彼らのアイデンティティである海賊旗も二百年の歳月を海中にさらされれば、まず海の藻屑と化してしまう。
そもそも、世界航路開拓時代の船の多くは木造で、海賊船でなくとも、沈没した当時の姿で発見されること自体まれなのだ。
トレジャーハンターにとって「海賊船を見つけるようなもの」といえば、世間のイメージと現実がいかにかけ離れているかを言い表す慣用句となっていた。
「アルドラの船があるっていう根拠は?」
「話が早くて助かるわ」
そう言って、シシリーは物語りはじめた。
最悪の七芒星が一人、女海賊アルドラ・ムーンラビットの戦いを。
アルドラは大海賊達の中でも、最も好戦的な海賊だった。
市民や商船からの略奪行為よりも、反政府的な立場を取り、真っ向から当時の水軍と渡り合った伝説が多い。
これには当時の海洋諸国も手を焼き、普段は新大陸の航路獲得で小競り合いをしている五か国もの諸国が、アルドラ討伐のために連合水軍を結成した。
アルドラは政府の罠にかかり、新世界のとある島に追い込まれる。そして、連合軍とアルドラの世紀の総力戦が始まった。
アルドラの海賊船が二隻なのに対して、連合軍の軍艦は二十隻以上。おそらく、船員数も十倍の開きがあっただろう。
だが、丸二日間の戦いの末、勝利を収めたのはアルドラの方だった。
二隻あった船のうち一隻が沈められたものの、残る一隻の船に乗り込み包囲網を脱出。そして、広大な海へと行方をくらませた。
姿を隠しながらも力を蓄え、数年後には再び政府を悩ませる攻撃活動を再開する。
彼女の悪名はさらに世界規模で轟くこととなる……。
初めて聞くエピソードだった。
単純に俺の不勉強ということもあるだろうが、王国側も記録を残さなかったに違いない。
表向き競合状態の諸王国が、たかが海賊相手に手を組んだ末、まんまと出し抜かれたのだ。
無かったことにしたくなるくらいには、不名誉なできごとだっただろう。
シシリーの口調はあくまで淡々としていたが、俺は不覚にも、二百年前の大海賊の物語に引き込まれ、夢中で聞いていた。
これも冒険者のサガというものだろうか。
「で、アルドラが追い詰められたっていうその島が……」
「ええ。遥か南方、新世界の島々……。我々商会が所有するクゥ・ランカ諸島よ。そして、そこには連合軍によって沈められたアルドラの海賊船の片割れが、人知れず眠っている」
「……マジかよ」
俺は、そんなマヌケな感想をもらすことしかできなかった。
それほど、途方もない話だった。
「あなた達コールドロンズには、その海賊船の探索を依頼したいの。報酬は海賊船から得られた物全てのなかから20%。前金は必要経費だけ」
「成功報酬のみ、だと」
「それだけ本気だということよ」
シシリーほどの資産家が前金を出さない理由は、全く真逆の二つの場合が考えられる。
ひとつは、単純に相手を信用していない時。
もう一つは前金などなくても、相手が断らないと確証している時だ。
海賊船のサルベージともなれば、その名声は計り知れない。
海賊たちの身に付けたサーベルや短槍。派手なビーズ。船に備え付けられた砲台や操縦桿。なんと言っても彼らが略奪したであろう、世界航路開拓時代の金貨や財宝。
夢想するだけで心躍らない冒険者など、果たしているだろうか。
適当な報酬をつかまされるより、シシリーが提示した通り、財宝の一部をいただくほうが、よほどロマンがある。
無論、リスクも高くつくが……。
「ラット。夢のような話ではあるけれど、時間はあまりないと思いなさい。さっきも言った通り、クゥ・ランカ諸島の利益はかんばしくない。商会の中でも、再売却を検討する声は少なくないわ」
いわゆる損切りってやつか。
シビアな商人の世界だ。
新世界の島々なんて途方もない買い物だが、いつまでもお荷物物件を抱えるわけにはいかないのだろう。
「けれど、もしアルドラ・ムーンラビットの海賊船が見つかれば話はまったく別よ。間違いなく、クゥ・ランカ諸島は観光の目玉となる」
「あんたのヘマ打った買い物の尻ぬぐいさせようって腹かよ」
「そんな言い方しないで!」
思いがけず、シシリーは甲高い声をあげた。
びくり、と背が震えた。
正直、この程度の売り言葉に激昂するとは思わず、面食らってしまう。
シシリーは、震えを帯びた声で続けた。
「私は冒険者ではない。でも、私にだって命を懸けることはできるのよ」
「どういうことだ?」
シシリーは、思い出したように、とっくに冷めているだろう紅茶に口をつけた。
感情を乱したことを恥じ入ってでもいるかのような仕草だった。
「そうね。少しだけ昔話をしましょうか」
再び口を開いた時には、シシリーの声音は元の冷淡なものに戻っていた。
「あるところに、幼い男の子と女の子がいた。二人はそれぞれ裕福な家庭に生まれたわ。男の子は名門の騎士の家系。女の子は大商会の娘。身分は違うけれど、女の子の家は男の子の家の御用商人だったから、ほとんど対等な関係を築いていたわ。むしろ、多額の貸し付けがあった分、商家の方が優位なくらいだったかもしれない。けど、そんなこと幼い少年と少女には関係なかった。二人にとって大事なことは、歳が近くて、気の合うお友達がいた、ということ」
「女の子の方が三つ年上だけどな」
シシリーの話がなにを指すのか気づいた俺は、そう横やりを入れた。
シシリーはやや不快そうに眉をひそめた。
「しばらく黙って聞いていなさい。少年はご実家にあった、たくさんの冒険物語を片っ端から読んで、少女に語ってくれたわ。少女はそれを聞くのが大好きだった。竜を退治した騎士の話。人魚と恋に落ちた皇帝の話。天空の城を探し当てた魔導士の話。月を追いかけた盗賊の話……。二人は少女の家の広い庭で、毎日同じ冒険の夢を分かち合っていた。そんな日々が永遠に続くものだと思っていた」
「…………」
「どこにでもいるような夢見がちな少年と少女の物語。でも、二人は大きくなった時、幼い頃の夢に対して別々の道を選んだ。男は騎士の地位を捨て、家を出て、冒険者になって夢を追いかけた。女は家業の商いを継ぎ、夢と幻想の世界を捨てた。もっとも、それも仕方のないこと。少年は兄弟がいる中の三男坊だったのに対し、女は死別した兄を除いて唯一の世継ぎ。代々築き上げた資産を他家に渡さないため、自由に生きることは許されなかった」
遠くを眺めやるようだったシシリーの目が一瞬、俺の顔を見た。
その視線には、じゃっかんの恨みがましさがこもって感じられた。
俺は直視できず、思わず目をそらしてしまった。
いまさらながらに自覚する。俺がシシリーに会うのに気が進まなかったのは、過去の自分と向き合わなければいけなくなるかもしれない、という理由もあったのだと。
針のむしろに立たされているような気分だった。
「でも、本当は少女も夢を諦めていなかった。少年の傍にいられなくてもいい。同じ方法でなくてもいい。けれど、あの時見上げた星空を忘れたくはなかった。夢だけは一緒に見ていたかった。豪商として生きるしか他に術はないのなら、その財力を使って、人脈を用いて、世界に眠る財宝を捜し当てよう。徹底的に合理的に、利潤のみを求め、冷徹に生きながら、夢の熾火だけは胸の奥でたやさず燃やしつづけていた。そして―――」
シシリーは言葉を途切れさせ、じっと俺を見つめた。
心臓を射抜くほどの鋭いまなざしで。
「ねえ、ラット。政府から払い下げられた遠い新世界の諸島に、たまたま海賊船が眠っているなんて偶然、本当に信じられるかしら?」
「まさか―――」
シシリーの問いかけの真意を察し、俺は驚愕に目を見開く。
シシリーは相変わらず傲然ともいえる自信に満ちた微笑を湛えている。
だが、その瞳の奥に、憔悴の色が隠しきれずにのぞいていることに、俺は初めて気づいた。
クゥ・ランカ諸島は大した利益を上げていない。
話の冒頭、シシリーが言った言葉の意味がまったく違って聞こえる。
「今回、私もかなり危険な橋を渡っているのよ。冒険者ギルドに依頼するなんてもっての他。あなたに個人的に依頼するしかないの」
「商会の人間にも知られるわけにはいかない、と」
「ええ。キャンベルノーズ商会の資産を半ば私物化し、利潤の不明確なクゥ・ランカ諸島を、海賊船の発見なんて子どもじみた夢のために買い取ったとしれれば、当主の座を追放されるのは、まぬがれ得ないでしょう」
聞いているだけで、めまいがするような話だった。
豪商の家系とはそのようなものらしい。
貴族の家柄であれば、家長の権力は絶対的なものといっていい。たとえ散財しようが、ロマンを求めようが、よほどでなければ臣下の者が反旗を翻すことはない。
まあ、そのせいで一代で家を傾ける貴族もノルフェンランドには少なくなかったがな。
対して、商家というのはたとえ先代の実子であっても、無能と判断されれば即刻切り捨てられる。シシリーの話を信じるなら、自分を押し殺して当主の座に就いたというのに、あまりといえばあまりに残酷な話だ。
「時折、私もあなたのお仲間たちが羨ましくなることもあるわ」
いつの間にか、シシリーは椅子から腰を浮かせ、机の上に身を乗り出していた。
上目遣いのその視線は、まるで衝動的に恋人に駆け寄る少女のようだった。
うるんだ瞳で、ごく至近距離から俺の目をのぞきこむように見つめる。
俺の脳裏にも、幼い頃、数えきれないほどの月日を共に遊んで過ごした少女の姿がよぎった。
「もう一度同じ夢を見ましょう、ラット。そして、今度は共につかみとりましょう」