剣の舞 -1-
謎の手紙の件から数日。
かつての記憶と今世の記憶が混在した頭の中を整理するだけで、瞬く間に時間は過ぎていった。
短くも密度の濃い記憶の奔流に振り回されながらも、何とか自意識を保つにいたる。
過去の自分。
今の自分。
その中でもその境目にある事柄こそが重要だった。
――約束があった。
決して忘れてはならないはずの取引。
だが、あの時胸に湧き起こったのは『約束があった』ことだけ。肝心の内容は靄がかかったように思い出せない。相手が誰だったかもわからなかったのだが、その答えは翌日の朝食の時に捧げる祈りのさなか、すんなりと出た。
女神である。
日の神『ア・ヴェロウズ』の対をなす夜の神『ナ・シャルマ』。それが、取引をした女神の名だ。
――何かをしてほしい。そうすれば、何かを。
とても大切なものを願ったような気がしている。
忘れている自分を汚い言葉で罵って責め立てたいような、心臓を掴まれるような焦燥感がある。
けれども。
まったく思い出せなかった。
まず第一に。
私はなぜこんな世界に生まれ変わったのだろう。
◆王立学園◆
雲量1から2と目算した晴れ渡る空。風は凪いでほどほどの日差し。外で運動するなら絶好の日より。
今は武術の授業の真っ最中。屋外の演習場で陽気に肌をさらしながら、木剣と丸盾を構えて生徒同士で打ち合い、疑似戦闘に汗を流していた。
女学生にとっては、勉強の合間のストレス発散の枠で挟んであるような授業である。元の世界とは違い、完全に男女別の授業となっているため年頃の男子の視線などは感じられない。
とはいえ。
以前ならなんとも思わなかったものの、記憶が……とりわけ学生の頃のものがよみがえった後となると、この格好はあまり落ち着かなく感じていた。
魔法学の実技ではそこそこかっこいい衣装に着替えるのに対し、武術の授業は奴隷服といかないまでも、しゃれっ気の一つもない運動着は茶色の半袖にミニスカート、さらに皮のブーツと非常にださい。村娘Aといわれてもしょうがない姿に、それが二十数人並んでいるのだからなんとも恥ずかしい限りだ。元の世界の学校の半ズボンが、あれはあれでよかったのだと気づくことになるとは。
「……様。シュルフェーズ様」
組手中の少女が鍔迫り合いを装って耳打ちしてきた。
「次の相手のヒュルケ様ですが、何やら最近機嫌がよろしくありませぬようで。お怪我などなさいませぬよう、気をつけてくださいませ」
友人、というよりは取り巻きの一人の女学生。どういった腹積もりなのかはわからないが、頼んでもいないのに色々と学園での世話を焼いてくる。名はサンベルだったか。下流貴族でありながら実力で入学したと噂で聞いた。これだけ聞けば学校でよくいる孤立していそうなキャラであるが、彼女は私の取り巻きの一人として収まっている。
女子の派閥というのはどこの世界もあるようで、ここにおいては家柄などが大きなウェイトを占めている。前世(仮にこう表現する)では私のような人間が中心にいることはほぼなかったが、今世での記憶を思い返せば相当な悪女で見栄っ張りの虚勢張りを貫き通して数十人規模の派閥の中心にあるようだ。
嫌われて当然、というか自分でも嫌いな部類の人間で育っているのだが、『そう生きてきた自分』が全否定をさせてくれなくて困惑している。それがどんな道程であれ、やましいことがあろうと、この世界で生きた十七年も間違いなく自分の人生なのだから。
『そこまで!休憩したら組を変えるように!敬意を払うのを忘れるな!』
サンベルと打ち合うこと数合、教師が号令をかけて動きを止める。互いに顔が隠れるように木剣を掲げて敬意の構えを取り、鞘に収めて軽く一礼。実際の剣技からすればまったく遊びのようなものだが、それでも上がった息を整えるように一気に吐き出す。
「サンベル」
「はっ」
固い表情で真っ直ぐにこちらを見つめ返す。
「感謝いたしますわ」
「はっ。ありがたきお言葉」
王立の学園には、正直そぐわない生徒である。どちらかと言えば軍事系の士官学校に向いているような。
そもそもこの学園、ボンボンばっかりである。右を見ても左を見ても、石を投げれば有力者の子供に当たって法外な慰謝料が発生するような。平民の出などごく一部で9割以上が貴族、残りは王侯貴族。前世の自分だったら裸足で逃げ出すところだ。今世の記憶を辿ればここにいるのは当然なのだが、どちらかと言えば『前世の記憶の自分』の方が比率が高いようで、非常に居心地は悪い。格式高いというのは憧れなかったこともないが、いざ当事者になってみると面倒この上ない。『ご機嫌麗しゅう』なんて挨拶、漫画の中だけだと思ってたし。普段愛用している扇子一本で家が買えてしまうのだ。親に買ってもらったそこそこ値の張るフルートのケースを自慢げに揺らしていた自分が今思えば恥ずかしいとさえ感じる。
「ヒュルケのお嬢様は、っと……」
そろそろ休憩も終わるといったところで、演習場を見渡す。
フェリエ・フォン・ヒュルケ。
記憶を辿ってあえて客観的に見れば、いわゆる『学園での私のライバル』の位置にいる王侯貴族の令嬢だ。ことあるごとに勝負を持ち掛け、勝った負けた引き分けたの争いを繰り返している。内容はひどいものだが、改めて考えてみると、こんなことに全力で取り組んでいたのかと微笑ましい気にならなくもない。馬術勝負なのにまず乗れないとか。料理勝負なのに火も起こせないとか。演奏勝負なのに採点者が耳を塞いで聴いてくれないとか。
あ、いまならコテンパンにできそう。
まぁそれはそれとして。いつもなら気に障ってしょうがないフェリエのことだが、今はなぜかお転婆な孫を見るような心で見ることができそうである。
「あーら、こんなところにいらっしゃいましたのね、シュルフェーズ御令嬢」
声に振り向くと、わかりやすい真紅のリボンで二つにまとめたロール髪のお嬢様が仁王立ちしてこちらを見ていた。仁王ってなんだったっけ。
「わたくしとの組手が怖くて逃げだしたのではないかと思っておりましたわ!」
「はいはい。さっさと始めましょう」
なんともわかりやすく高笑いする彼女に薄目で応えると、石になったような表情で固まった。
「……っ、な、なんですの今日は。あなた、雰囲気変わりまして?」
なるほどそういえば、と。いつもなら売り言葉に買い言葉で始まる問答が嚙み合わない。彼女としては肩透かしもいいところだろう。
「あら、そんなことありませんわ。(えーっといつも何言ってたっけ)今日もギッタギタのメッタメタにして差し上げましてよ。三時の紅茶はケーキが喉を通らないとお思いになって!」
「……っ!?!?」
自分で言いながら何を言っているのか、というよりあまりにも懐かしすぎるフレーズに頭が真っ白になる。フェリエもよくわからない口上に面食らったような表情になっていた。
『休憩そこまで。各自組手を始めるように』
教師の鶴の一声で、よくわからない空気になっていた場が引き締まる。
「ふ、ふんっ!今日こそ完膚なきまでに叩きのめして吠え面かかせてやるんだから!」
これを面と向かって言い放てる人間性である。組手の開始位置に移動しながら苦笑いを浮かべる私に、フラストレーションがたまって仕方がなさそうだ。
「行きますわよ」
「いつでも」
抜剣、敬礼、構え。
児戯に等しいはずの女学生の練習組手に、緊張が走る。
というのも、このフェリエ、下手なりに本気で打ち込んでくるのだ。
そして困ったことに。
「はっ!せっ!」
「!ってぇい!」
私は男子学生に引けを取らない程度には剣術を習得しているのだった。半端に剣術を覚えていると、なりふり構わない攻撃はいなすのが難しい。
「手加減していませんことッ!?」
「ッ――!」
首筋。脇。背中。
いつでも打ち込める。
大振りで隙だらけの攻撃は、受けるのはともかく威力を殺すのがきつい。
ほかの勝負は大して結果にこだわらないくせに、こと武術にだけは敵対心をむき出しにしてくる。
――初戦であっさりと勝ってしまったのが原因かしら?
そんなことが頭をよぎりながら、雑な打ち込みをしっかり受けているフリをし、適度に攻撃を返す。
「この!このぉッ!」
力任せの打撃を受け続ければ、手首が悲鳴を上げる。あまり長くは続けられない。
そろそろ決めないと――
「悪いけどここで……」
タイミングというのは、ごくごくまれに変な歯車を噛み合わせる。
あまりにもわかりやすい打突に合わせて身をよじり、すれ違いざまに首筋を狙った。もちろん、防具の上から。
「っ!?」
がくん、と膝が地面に吸い込まれる間隔。後になって思えば、小石を踏んだ足を滑らせたのだとわかった。
バランスを崩した私はフェリエの上に覆いかぶさるように倒れこむ。
「そこで……!えっ?」
鈍い音が顎を突き上げた。
多分、斬り上げるつもりだったフェリエの木剣の柄頭が直撃したのだと思う。
私の意識と視界は、前触れのない停電のように一瞬で暗闇に落ちた。