話の進まないプロローグ
初投稿。
ーー目を開けるとそこは東京だった。
先ほどまであった、慣れきった大阪の生ぬるさと、少し寂れた雰囲気は忽然と消え、眼に映るのは早足のリーマンとスカイツリー。
未だ脳が状況を理解せぬまま、染み付いた動きでポケットのスマホを手に取る。
その時、視界の隅の見慣れない色に気がついた。
己の足の濃いブラウンの革靴。
果たして自分はこんな靴を持っていただろうか。
小さな違和感を先送りにし手元に目を向ける。
スマホを見れば4月2日、記憶と一日違わぬその表示によって、現実が急に追い付いて来るのを感じる。
ーーああ、夢だなこれは。
否、理性はここを現実だと断じている。しかし無意識的にも意識的にも夢だと思い込みたかった。
発狂を逃れ得たのは、ひとえに衆人の目と、生来の自制心ゆえだろう。
混乱する思考を紛らわし自身の現状を把握すべく、手当たり次第にに持ち物やSNSを捜査し始めたのだった。
ーその結果。
知り合いに連絡は着かず、
手持ちには幾ばくかの現金とスマホ、マイナンバーカード、そして『国立 愛和名学園』と書かれた学生証を見つけ、再び思考を混乱させることとなった。
それから小一時間ほど経ち、足を向けたのは学生証にあった『国立 愛和名学園』。少しでも情報を得るべく、事務室に向かった。
「新入生の方の寮登録はこちらへ並んで下さーい」
受付の女性の快活な声が耳に響く。
「あっ、あの…この学生証なんですけれども…」
噛んだ。
「はい、学生寮の登録ですね。……写真照合を確認しました。それではこの白い機械をよく見て下さいねー…はい、登録終了です。それでは学生寮の説明をさせていただきますねー。」
「えっ、えっと…」
「まず、この学園は全寮制でして、ここのすぐ隣にある北寮と、南寮、西寮あわせて約600人以上の生徒が住んでいます。寮は学年ごとに分かれておりまして、今年度は北寮が一年、南寮が二年、西寮が三年生と分かれています。そしてそれぞれ三階より下が…」
「……」
身に覚えのない個人情報の登録や、そもそも学生証が自分のものであった事実に翻弄され言葉を失う。さらに言えばそもそもこの男はあがり症であった。
「…家賃は月4万円で、電気代と水道代は無償、というよりも家賃の中に含まれています。食事に関しては、各寮一階に学生食堂があります。…以上で説明を終わらさせていただきます。詳しいことはそちらのパンフレットにも書かれておりますが、なにか他にわからないことがあれば事務室へお申し出ください。」
パンフレットとカードキーを渡され呆然としたまま、とりあえずはと隣の寮に向かったのだった。
カードキーに書かれた301という数字を確認し、階段を駆け上がること十数秒。どうやら一号室は階段のすぐそばにあったらしく、ドア横のカードリーダーにキーをかざし、部屋へ入ろうとする。
その瞬間、目の前の信じがたい光景に目を奪われた。
ーー名前が、違う。
マイナンバーカードと学生証を取り出し確認するも、今まで気づかなかった自分に呆れるくらいに堂々と居座る見慣れない名前。
ーー俺は誰だ?
他人の身体を乗っ取った、という考えが頭によぎり、スマホで自分の姿を確認する。
そこに写ったいつもの冴えない姿に少し安堵しながら思考を巡らせた。
ーー少なくとも、この身体は自身のものだが名前が違うことから戸籍は違い、状況も違う。自意識としての身体以外の情報が記憶とほぼ異なっている。たとえ誰かと刷り変わっていたとしても虹彩まで一致している可能性はおそらく低い。つまり今の段階で可能性が高いのは……思い付く限りでは自分が狂った、くらいか?しかし記憶が途切れているのは…
…そして考えるのをやめた。
ーーとりあえず行動すべきなのは、自身の体裁に沿った行動を取るべきか。しかしこんなふざけた名前を付けたやつは頭がどうかしている。…おそらくは記憶にない俺だろうが。
突然、透きとおった声が耳に響く。
「……あのー…ここ、私の部屋なんですけど」
顔を上げれば扉にあるのは401号室、振り返れば黒髪の美少女。
その美しすぎる造形に思わず声を漏らす。
「アッスイマセン マチガエマシタ。」
自身の間違いを悟り、早口で謝りながら逃げるように階段を降りて今度こそ自分の部屋へ向かった。
ーー部屋広くね?
目測にして約10畳、そこまで大きいとは言えないものの一人づつに与えられる学生寮としては破格の広さである。
ーーいまどき全寮制の学校というのも少ないが、この広さを考えると納得か。…そういえば授業などの予定はどうなっているのだろう。
そう考えたところで、狂ってしまった記憶を取り繕い自身のあるべき学生を演じるために、ネットを漁り情報の収集に目を光らせたのであった。
ーそれから数日間教科書などの必要なものを買い揃え、あっという間に入学式を迎える日となった。
マップを頼りに入学式の会場へとたどり着き、HPにて指定されていた席へと座る。
辺りを見回したところおそらく遅刻ギリギリだったようで、着席のあとすぐに式が始まった。
「これより安永12年度 愛和名学園入学式始めます。まず始めに 白上 紺 学長より御挨拶を……」
ーー話が長い、というよりも異様に出演者が多い。学園に出資している会社の取締役までもが壇上で話しているのか。…邪推になるが本当にここは学校なんだろうか。
ーそれから約3時間後
「…以上で安永12年度 愛和名学園入学式を終ります。」
会場内にまばらに拍手が鳴る。音が少ないのは大半がが寝ていたからだろうか。それでも拍手の音に飛び起きたのか拍手はどんどんと大きくなっていく。
その後学長が降壇すると式中の張りつめていた空気は霧散し、にわかに周りがざわつき出す。
「…なぁなぁ、この席ってことはお前1組だよな?」
隣に座っていた金髪男に話しかけられた。
「そうだけど…ってことはお前も?」
一応聞き返す。
「まぁな。俺は1組31番 矢部 光。あぁ光って書いてフラッシュね。いわゆるピカピカネームってやつ。フラッシュだけにね!」
大阪人の性なのか、その口上に間髪入れず反応してしまう。
「いや上手いこと言わんでええねん……失礼、俺は32番の…ユーリとでも呼んでくれ。」
「おうよろしくユーリ。…しっかし入学式長くねぇ?朝10時に始まったってのにもう昼過ぎだぜ?」
「わかる、出資者の演説とか必要?って感じだよな。……あー、話の腰を折ってスマンが昼食いにいかないか?周りに知り合いが居なくて寂しいんだよ」
「フッ、寂しいって…いいぜ、なんなら他のクラスメイトも誘うか。…1組のひとー!一緒に飯いきませんかー?」
金髪コミュ力お化けの光によって、周りのクラスメイトが集まり始める。
「あー1組31番の 矢部 光です。今からバス停前の『パイザ』行くんですけれど、一緒に行きませんか?」
クラスメイト達が頷いたのを確認してから、光は『パイザ』へ歩きだし、クラスメイト総出の食事会が始まったのであった。
ーそうして時は過ぎ。
自分の部屋の中で『links』のクラスグループに載せられた自己紹介文を物色していたところ、不意に部屋のインターホンが鳴る。
「はいどちら様で…」
「おっすユーリ、さっきぶりだな。」
部屋に来たのは光だった。
急な訪問に心底驚くも、とりあえず光を部屋の中に招き入れ床に座らせる。
「…粗茶ですが。」
水道水の入ったコップを渡す。
「おっ、センキュー…って水じゃねえか!粗どころか無じゃねえかこれは!」
「ツッコミありがとう。…ところで何の用だ?別に用が無くてもいいが。」
ツッコミに礼を言ってしまうのは大阪人の性である。
「別に用は無いんだが……世間話だよ世間話。いわゆるシンコーを深めるってやつ。…ところでうちのクラス顔面偏差値高くねぇ?荒井さん、今間さん、キャシーさんに…」
「まだ顔と名前が一致しないが、確かにみんな顔良くて正直目を合わせづらかったな。」
とは言ったものの、顔をちゃんと見れていないというのが本音である。
「だよなー、どの娘も高嶺の花って感じでお近づきになれなさそうだよな。ああ、彼女が欲しい人生だったぜ…。」
光の演技かかった発言に思わず苦笑する。
「…きっといつか俺らにも光が見えてくるさ。」
「光だけに?」
「お前だけかよ!」
ーー現実はきっとそうなんだろうな。
「閑話休題、聞きたかったのは武術選択の話だよ。ユーリは選択何にした?」
この学園には芸術と体育の代わりに武術の授業がある。その理念は『健やかなる心身を育て、自衛の手段を云々』らしいが、世界的に平和条約が締結された現代において不自然きわまりない。
「えーと確か…棒術かな。」
選んだ覚えはないが、そう書いてあったためそう答えた。
「おっ一緒じゃん。俺と同じく第一希望落ちたクチか?」
ーーとりあえず誤魔化すか。
「まぁね。」
ーそんな他愛ない話をしながら、男二人は明日からの授業に向けて互いの情報を交換し合ったのだった。
スロートークプロローグ(小声)