赤い涙
つけられている。これは確実だ。相手は一人。振り切れるか。ふいに、横道にそれ、全力で長い黒髪をなびかせ走った。また右へ曲がる。どうか?やはり、ついてくる。仕方がない対峙するか。路地の角で待つ。走ってくる足音に耳を集中させた。それはゆっくりとなり、来た!
「バンッ!バンッ!」
2発続けて胸に弾を打ち込んだ。相手は仰向けに転がった。血が出ていない。男のシャツを破った。防弾ベストを着ている。IDを顔にかざす。脱獄犯。殲滅許可。やっぱり、私が以前逮捕した奴だ。うめくそいつの額に
もう一発。
「バンッ!」
このIDカードは犯罪者の情報や、通話、マネー、GPSとにかく全てをこの一枚で済ませることができる。便利でもあり、監視されている嫌な気持ちにもなる便利で厄介な物だ。今は国民全てが持つことを義務化されている。
カンパニーに連絡するとすぐに、処理隊が来た。いつも迅速でいい。私は賞金稼ぎのリリー。カンパニーと言う組織から依頼され悪人を捕まえ、又は、殺すのが仕事だ。2040年、貧富の差がはげしくなり、それにともなって悪人も増えた。警察は疲弊しカンパニーの出番となった。今の警察はカンパニーに助けられ、なんとか治安を維持している。もちろん、銃を装備はしているが、治安が悪くなったとはいえ人混みでは早々打たない。ほとんどの犯罪者達が銃を持つことに対し警棒しか使えないとは、宝の持ち腐れと言われても仕方がない。かたやカンパニーに所属する私達は銃やナイフ、ライフル、どれも最新式の物が支給されている。私も最新式のグロックとナイフ、テーザー銃を持っている。
さて、カンパニーの仕事の内容は多種多様だ。罰金未納犯という簡単で比較的安全な仕事から、脱獄犯、または殺人容疑者を捕まえる仕事までいろいろある。私はそこそこ腕のいい賞金稼ぎで逃亡中の脱獄犯や殺人容疑者を追うことが多い。脱獄犯は大抵殲滅許可が下りていることが多く、見つければ簡単だ。殺せば賞金が出る。ただし、殺人容疑者が逃走中の場合、余程のことがないと殺せない。拘束して最寄りの警察署まで連行しなければならない。しかし、カンパニーには処理隊という頼もしいバックアップがあるので拘束さえすれば警察署まで一緒に車で運んでくれるのだ。それで女の私でも大男と対峙することができるのだ。ひとつ面倒くさいのは、先程のように私に恨みを持つ元囚人や、脱獄犯が私の命を狙ってくることだ。刑務所からの脱獄は今や日常のことになった。今のところ正当防衛で殺しても罪にはならないことになっている。
そこで私は一番狙われやすい自宅を持たないことにしている。2、3日に一度ホテルを変える。
さて今夜は高級ホテルだ。すでに、夕食は済ましてあるので、あとは熱いシャワーと寝心地の良いベッドが待っている。もちろん、毎日高級ホテル泊まりじゃあない。ネットカフェにも泊る。相手にパターンを読まれたくないからだ。ではなぜこの仕事を続けるのか。それは、今から10年前私が15歳の時だった。私の両親が赤蜘蛛と、のちに呼ばれることとなる殺人鬼に殺されたからだ。リビングのシャンデリアに赤い水糸でぶら下げられ、両目と舌は飛び出していた。両手両足もダビンチの人体模型図のように同じ赤い糸で四方の壁に引っ張られていた。その様は、赤い糸の蜘蛛の巣のようだった。なぜこんなにも、細部まで知っているかというと第一発見者が、私だったからだ。そして私は赤蜘蛛を殺すためにカンパニーへ入った。ほかの仕事をしながらも、赤蜘蛛のことは日々追っているつもりだ。5年前、2件目の赤蜘蛛による一家殺人事件が起きた。10年前と同様赤い糸が使われた。私の両親と5年前の事件の被害者白鳥純一が勤めていた所が科学局。今のところ何らかのつながりがあるのは、わかっているが、そこで行き詰っている。
翌朝チェックアウトを済ませ真っ直ぐに西新宿の支所に行った。顔なじみが一人いた。
「おう。リリー、儲かってるか?」
「ジンさんほどじゃないわよ。」
「よくゆうぜ。」
軽口をたたきながらも目はすでに掲示板をみていた。『脱獄犯、殺人、殲滅許可あり』
これだ!掲示板にIDカードをかざすと、そこから任務開始。ちなみに、初心者はこういう案件は出来ない。色々な簡単な案件をこなしてこないとね。
IDカードに獲物の情報が映し出される。顔。年齢。罪状。住所。等々。今度の奴は病的な顔をした男で、女性を刺し殺し、無期懲役の刑を科せられていたが、糖尿病悪化のため警察病院に移送、足の指の切断の手術を待っていたところ逃走。え、どうやって逃げたか書いてない。が、またまた刑務所の人手不足のせいだろう。
これは、警察病院から近い駅を使ったか?脱獄者はグレーのスエット姿と思われる。その駅から、たぶん行先は秋葉原だろうな。今や秋葉原は、かつての活気は無くなりそこら中にハッカーや、犯罪者がうようよしている。私は電車で秋葉原に向かった。ここは、警察もあまり取り締まりをしない場所だ。たぶん、ほとんどの情報屋が集まっているからだろう。足を引きずっている男を捜す。洋服はジャージかな?スーパーで簡単に万引きできる。寝床はゆるい審査のネットカフェ。IDも要らないところが沢山ある。私なら潜伏先をコロコロ変えるが、初犯のこいつなら、一箇所に留まるだろう。しかし、その前に現金が必要だ。ここ秋葉原ではいまだに現金がものをいう。足の悪い男を捜しながら駅前から西へ向かった。すると、コンビニの非常灯がクルクルと回っているのをみつけた。
早速店内に入ると入り口の商品棚はめちゃくちゃだった。
「強盗?」
「はい!、カッターで脅されて、3万くらいとられました」
「なかなか、警察が来ないのでこのままなんです。」
「私はカンパニーのリリーといいます。この男ですか?」
IDに写し出された獲物の顔を見せる。
「はい、間違いないと思います。1時間くらい前のことです。」
「早く警察が来るように祈ってます。」
そう言うと思い当たるネットカフェに入った。
「いらっしゃいませ。」
やる気のなさそうな声が返ってきた。
「私、こうゆう者ですが、こんな人来てません?結構悪い人でね。知らないふりすると罪になりますよ。」
にこりと笑う。店員は急に態度が変わりあたふたと何かを探している。罪という言葉が効いたのか私の笑顔が効いたのか、店舗地図なるものを出すと
「ここがうちで、このマークが全店舗なんですが、うちよりも、ゆるいのが、ここと、ここ、それにここも。と、ペンでしるしをつけてくれた。」
「ありがとう。たすかるわ。」
そう言ってにっこり笑うと、店員の頬が少し赤くなった。
秋葉原中を走った。1件目、2件目、からぶりだった。時間だけが過ぎていく。6件目でヒットした。場所を聞きその部屋の前に来ると薄い板の中からは寝息が聞こえてきた。脱獄していてよく寝られるな。出来るだけそっと扉を開ける。まだ寝ている。楽勝!そう思った途端奴が目を開けた。
「駒込祐樹だな。」
「は、はい。」
決まりだ。
「バン!」
「バンッ!」
「バンッ!」
私のグロックの反響があたりにとどろいた。奴の胸2箇所と眉間のど真ん中に穴が開いた。奴の足を確認する。壊死している親指と人差し指を確認。間違いない駒込祐樹。普通は確認してから発砲するのだろうが、本人が返事もしたし、顔で分かったし、まあいいだろう。私の銃声にフロアがざわつく。
「カンパニーの者です。犯人は殲滅しました。ご心配なく。」
私の言葉に数名がこのフロアから逃げ出した。カンパニーに追われている人間だろう。仕方が無い、任務以上は手を出さないのが私の流儀だ。IDを使って犯人の写真を撮ってカンパニーに送付するとあっという間に処理隊が来てくれた。処理隊が来た時点で私は任務完了。賞金は電子マネーでIDに振り込まれる。
今夜は表参道にホテルを見つけそこに向かう。昨夜の事を思いタクシーを使った。そこら中に走っているタクシーをつかまえるのは、容易だ。だが、相当高額で庶民は徒歩かバス、電車を使用している。でも、マネーをためている私は使用できる。現在、自家用車を持っているのは役人や、大金持ちだけだ。ホテルでタクシーから降りると、周りを見渡しつけられていないか確かめてから、ドアマンに迎えられ中に入った。部屋に入るとまずはシャワーを浴びた。シャワー中死んだ駒込のことを考えた。無期懲役だった奴は18年頑張れば、生きたまま外に出られたはず。ここ日本でも5年前から終身刑はある。死刑もある。そんな中でも無期懲役は軽いほうだ。その人を殲滅許可が出ていたとしても殺してしまってよかったのか。私以外に捜索されていたら・・・やっぱり殺されていたな。しかたない。
納得してシャワーをでた。ゆっくりと寝て、明日は休もう。そうだ、明日はショッピングだ!
目覚めると、朝の7時だった。大体睡眠は5時間くらいだ、ショッピングにはまだ早いし、朝食に行こうか。
朝10時にチェックアウトを済ませ、表参道の街をぶらつく。今日は少しおしゃれをして赤いピンヒールに黒のニットワンピース、私の完璧なボディが映える。バックはブランド物の少し大きめなやつ、テーザー銃と銃。IDと現金300それと、緊急用の青い小さな回転灯が入っている。仕事のときは現金がものをいう。その癖でいつも現金を持ち歩いている。さて、まずは靴屋。私の姿を見るとすぐに店員が寄ってきた。いい客なのだ。
「リリー様今日はどのようなお靴をお探しでしょうか?」
「そうね、実用的なスニーカー一つとぺたんこ靴どちらも黒で。それからハイヒール、面白いデザインのもの少し。」
奥から何足かもって来てくれた。先の二足は仕事用だ。履いて店内を歩き、フィット感を確かめる。これは大切だ、もちろん、この店ならず、どの店でもIDに入っている私の足型が登録されていて私に合う靴しか出てはこないのだが微妙なところはやはり履いてみないとね。仕事では走ることも多いのだから。途中で脱げたりしたら命にかかわる。
その後は、お楽しみのハイヒールタイム。20足以上試して黒、シャンパンゴールド、そしてまた赤。結局5足買った。そして今日泊る予定のホテルへ配送してもらった。賞金稼ぎの中にも家を持っている人もいるらしいし、家族までいる人もいるとは聞いている。今の私には考えられないことだ。
ぶらぶらと歩いているとなかなか素敵なショーウインドーを見つけてしまった。吸い込まれるように入り、ワンピースを2着。その先の店では高級バックを1つ。あーあ、昨日の稼ぎは費えたな。タクシーをつかまえ、ホテルまで行った。今日の宿は高層ビルになっていてビルの下の階は商業施設だ。よし昼食だ。肉が食べたい。ホテルのロビーでコーヒーを飲みながら検索するとこの下2階にステーキ店があった。すぐさま、予約をして店に向かう。300gをぺろりと食べると、池袋の街に出た。ここはぶらつくにはあまりお勧めできない。麻薬の売人やジャンキー、強盗がうようよしている。だが、この街には東京では唯一、紙でできている本を売る店があるのだ。普通の人はIDで本を読むが私はあの紙と印刷の匂いや手触りが好きだ。かなり高額だが数少ない趣味だ、ワクワクしながら書店に向かう。
その時、後ろからタッタッタという子供の走る音が聞こえた途端タックルされた。私は前に倒れこみあごを強打した。くそ、油断した。タックルしてきた奴は私のバックが目的だったようで、私の手からそれをむしりとると、脱兎のごとく逃げ出した。マジかよ。私もなめられたもんだ。ワンピースの右の裾をまくり小型ナイフをその強盗の尻に向かって投げた。ナイフはそいつの右でん部に刺さり、倒れこんだ。次の奴がバックを取る前にと私は赤いピンヒールで走った。
「カンパニーの者よ。動かないで。」
そう叫ぶと周りにいた野次馬や窃盗犯達は、ちりぢりになって遠ざかっていった。バックを取り戻しそいつの顔を見るとまだ少年だった。そこへ、警察官2名登場。
「大丈夫ですか、あごから血が出てますよ。」
「あ、ありがとう。」
差し出された白いハンカチであごを押さえると、かすかに痛い。
「さすが、カンパニーの方ですね。でも、ここではこんなバック持ってちゃいけませんよ。取ってくれっていているようなものですから。ね。」
「すみません。私が無用心でした。今日、休日で、気を抜いていたのかも知れません。あるまじきことですね。本当に申し訳ありませんでした。」
警察官にしては優しい言葉に、素直にあやまった。それにたまたまだろうが、迅速な対応だ。
「カンパニーの方ということは、そこのホテルですか?お送りしましょう。そのバックだと、また狙われないとは言い切れませんからね。」
もう一人の警官はパトカーに少年を押し込んでいた。
いわれるままに、ホテルの入り口まで送ってもらった。別れ際に連絡先をIDに送られた。
「今度の非番はあさってです。よければ、ランチしませんか?」
「えーと。」
驚いて初めて警察官の顔を見た。爽やかな好青年だった。でも・・・まあいいか。
「ええ、いいですよ。」
「やった。楽しみにしています。では。」
そう言うと館野修一巡査は職務に戻っていった。
私はフロントに行き事情を説明すると部屋に案内された。あごからは少し血がにじんでいた。あ、ハンカチ返せなかったな。血がにじんでいるハンカチを見つめながら巡査の心配そうな顔を思い出した。あんな顔久しぶりに見たな。それから気を取り直してジーパンとトレーナーに着替えリュックをしょって書店にむかった。道中一度『大麻はどう?』という男に会っただけで無事書店に着いた。入り口でIDのチェックを受け中に入る。ああ、本の匂いがいっぱい。幸せのひと時だ。長い時間をかけて、2冊のミステリー本を買った。私の生活にミステリーは無い、常にIDを通してカンパニーや、国に、位置情報、購入情報、通話、全て見られている。安心だが監視されているのは事実だ。
まあ、今は全員がこの状態なのだから、仕方が無い。もちろん、犯罪者達は偽のIDを持っていることが多い。腕のいいハッカーはどこにでもいる。悪いハッカーも沢山いる。先般私が撃ち殺した駒込は刑務所の病院からの脱走と言う経緯でIDを持っていなかったが。そういう奴もいる。たまに。
翌日、池袋の支所に行く。掲示板には多彩な依頼が出ていた。
殺人容疑者、脱獄、強盗、窃盗・・・
明日はランチデートだから今日は一日で終わる仕事がいいなあ。そうだ!たまにはスピード違反!何てどう?ピッと音がしてIDに資料が届いた。
「へ、群馬~?なんで都内じゃないの?」
しかも、80キロオーバー。免停は免れない。
まいったな。でも、早速群馬へと向かった。電車とタクシーを使い犯人のいる町までやってきた。抵抗されるのは目に見えている。その上、車を持っていることからして大金持ちや政府関係者の可能性大だ。不覚にも、一番面倒くさいものを選んだのかもしれない。
犯人のIDに記されていた住所に到着。やはり、豪邸だった。入り口の呼び鈴を鳴らすとおてつだいさんらしい声がした。
「あの、特別書留を池田靖男様宛てにおもちしました。いらっしゃいますでしょうか?」
「はい、特別書留?ですか?靖男様はご在宅です。」
「では直接お渡ししたいのですが。」
「どうぞ。」
扉が開いた。しばらく歩くと玄関も開いた。靖男様は目の前だ。私は持ってきた封書を渡しながら、すうっとその手に手錠をかける。
「えっ!」
「なんだよこれ!」
「えー、逮捕状が出ています。これから私と前橋警察署に行ってもらいます。」
「このやろー。」
「動くな。動けばこれを使うことになるけどいいの?結構痛いよ。」
テーザー銃を構えた。
「ん!分かったよ。どうせ親父が罰金払ってくれるしな。」
思ったよりも素直だ。カンパニーに連絡すると処理隊がすぐに来てくれた。前橋警察署に着くと署の連中の好奇の目にさらされた。地方はこれだから嫌なのだ。都内はまだいい。カンパニーも浸透している。しかし、地方ではまだまだカンパニーは完全なよそ者なのだ。面白く思っていない警官も大勢いる。
「私はリリー。カンパニーの者です。こちらは都内高速道路にて80キロオーバーで走行した池田靖男さんです。受け渡しのサインをここにおねがいします。」
と、IDをさしだした。
「ぼっちゃん?靖男ぼっちゃんじゃありませんか?」
署長だ。これは、いち早くサインをもらって撤収したほうがいいな。サインをもらうとき
「お前らはいいよな。こんな仕事で、金もらえて。」
そんな言葉は予想済み。そんなことよりも、あの署長のせいで、あいつが無罪放免になる前に東京にかえるぞ。
翌日、驚いたことに館野修一巡査は自家用車でやってきた。
また金持ちかよ。げっぷが出そうになったが、ドライブしながら話してみると悪い奴じゃなかった。
「僕は巡査になってまだ3年ですが、犯罪者を追うことにやりがいを感じています。だから時々自由に動ける賞金稼ぎさんのこと羨ましいなって。」
「え?そう思うの?自家用車持ってる公務員。安泰じゃない。なんか現実味がないなあ。」
「えー自家用車は親父の趣味だよ。そういっても、嫌味にきこえるよね。でも、本当の気持ちなんだ。カンパニーの人達はかなり自由に犯人達を捕まえるでしょう?こっちは、規則に縛られたり、管轄に縛られたり、予算にも縛られる。まったく、動きにくいよ。」
まあ、嘘にも聞こえない。父親の影響で警察に入り、彼なりに努力をして巡査としてパトロールに励んでいるそうだ。
海を見ながらのランチも素敵だった。
「あ!忘れててごめんなさい。はい、これ、お借りしたハンカチは血の跡が付いちゃったので、新しいハンカチだけど、ありがとうございました。それに、ランチの選び先にここを選ぶなんて、相当のコネがないと無理な店よね。」
「またまた、いじめないで下さいよ。ただリリーさんに美味しく食べてもらおうとして・・・ハンカチわざわざありがとうございました。」
館野修一くんの気持ちをくみとった。
「ありがとう。こんな素敵なランチはひさしぶりよ。ずっと仕事、仕事できて、時々ショッピングで気晴らしをしているの。空いた時間はほとんど赤蜘蛛を追っているの。」
「え、あの赤蜘蛛ですか?10年前と5年前に事件を起こした殺人犯。でもどうして?」
まだ正直には言えなかった。
「うーん。賞金がいいからかな。それと正義感。」
彼は少し違和感を感じたらしいが、そのまま受け入れてくれたようだ。
彼の父親は警察庁のお偉いさんらしい。彼もあと半年巡査をした後は決められたステップで上のほうに行くことになっている。私とは違う。でもだからこそ、これからもいい友達でいたいなと思った。帰りぎわ、
「また会ってもらえますか?」
彼は私の目を真っ直ぐに見ていった。
誠意には誠意で。
「もちろん、いつでもいいわよ。」
さて、一昨日の後味の悪い仕事の報酬は当初の金額よりもゼロがひとつ多かった。これはいったい・・・ま、いいか。もらえる物はもらっとこう。お財布は膨らんだが、口止め料込みだと思うとなんかなあ。苦々しい。もう、つまらない案件はさけよう。
そして、また支社に向かった。殺人容疑者・強盗容疑者・・・
「都内、都内、と。」
殺人容疑者見っけ。ピッとIDをかざして細かい情報を得る。
塚田博史25歳池袋にて殺人容疑。当人池袋出身。いいね、これに決めた。任務開始。
塚田は自宅で父親と二人暮らし、家庭内で揉め事があり父親を包丁で刺し殺し逃走している。塚田のIDは現場に置いてあり、父親のIDから当日現金1千万が引き出されている。もし、現金でほかのIDをすでに取得しているとなると、少しやっかいだ。とりあえず、現金のあつまりそうな場所、秋葉原へ行くことにした。私には何人かの情報屋がいるが秋葉原の奥の奥まで知っている人はそうはいない。これから訪れるのはその中でもナンバーワンだ。情報料もお高いが。
店に入ると、そこはレトロなレコード店だ。いまだにレコードはそこそこ人気がある。
店員は顔も上げない。
「こんにちは。」
と言うと、奥の扉に向かう。コンコンコン
「私、リリーよ。開けて。」
しばらくすると、もっさりとした、もじゃもじゃ頭の男が扉を開けた。
「久しぶり。」
そう言うと脇へよけて、私を中にいれてくれた。彼とはなんとなく気が合い何度も一緒に仕事をしている。もちろんそれなりのお金も払っているが、それだけではないつながりを感じている。
「赤蜘蛛の件は?」
「ごめん、まったく進展が無い。」
「ううん。いつもありがとうね。ところで今、逃走中の塚田博史を追っているんだけど、なにか知らない?池袋で、1千万父親のIDから現金をおろしている。」
「ん、昨日IDを買った奴ならわかるけど。」
「で?」
「いくらだす?」
「150。」
「うん、いつもいい線出してくるね。」
「800で偽IDを買った奴が7人。場所は秋葉原で5人。池袋で2人。後はこれ見て考えな。」
大きな画面を私の方に向けてくれた。
えーと、池袋は女だ。多分不法移民のひも付きだろう。かわいそうに。残り5人。全部男か、20代から30代で2人。自分のIDを出して顔を見比べる。整形は1日で出来るが・・・身長や体重はなかなか誤魔化せない。じゃあ、こっちの男、神内一郎30歳。
IDで現在地を探すと見つかった。練馬区の墓地だ。急ごう。墓地という場所に不安がよぎる。死なれたら困る。現金150を店主に渡し。礼を言うと
「まいど、また、いつでもどうぞ。」
声を聞きながら店を出る。タクシーをつかまえIDを見せ、ここに行ってと伝えると、バックの中から青い小さな回転灯を出し、タクシーの窓から手を出してそれを屋根に取り付ける。途端に、サイレンと点灯が始まる。特別なときだけ使えるしろものだ。
そこそこの車が両脇によける。運転手のテンションも上がってスピードが増す。1キロほど手前でサイレンを消し墓地に向かった。車中で調べたところ、やはり、母親のお墓があるのだ。整形までして、偽造IDを造ったのになぜここにいるのか?
車を降り水屋で桶とひしゃくを持ち、参拝者を装って墓地内に入っていく。それらしい男はなかなか見つからない。何本目かの通路で墓石に抱きついている男を発見。距離およそ100メートル。走り出してもいいのだが、私は足音を消しゆっくりと近づいていった。
いつこちらを向いてもいいように銃を背中に押し込んだ。男は振り向かない。ただ泣きながら母親の墓石に父親をどうやって殺したのか詳細に報告していた。気づかれないようにIDの録音スイッチをオンにした。
「だからね、母さん、一回じゃ嫌じゃないか、何箇所も刺したんだよ、そのたびに、あいつが悲鳴をあげるんだ。ぼくや、母さんの痛みはもっとひどかったよね、だから、最後は、目ん玉を刺したよ。両方とも。」
私はそこまで聞くと手桶でそいつの頭を思い切りなぐった。両親の死と重なり理性が飛んだ。反撃に身構えたがそいつは気を失しない、ぐったりしている。後ろ手に手錠をかけカンパニーへ連絡をした。救急車が必要だと。銃で撃ったときの応急セットは持っていたが、脳への打撃、心身喪失気味、やはり、プロの診察が必要だ。
カンパニーのオペレーターが乾いた声で言う。
「救急車となると賞金が2/3になりますがいいですか。」
「はい。了解です。来るまでここにいる。」
「承知しました。」
30分ほど待つ間、こいつは、どれだけ虐待を受けたのだろう。逃げなければ、整形しなければ、罪はずっと軽かったろうに、正当防衛の可能性だって、いや、もうすでに病んでいるのだから病院行きか。そんなことを考えていると、
「あれ、リリーさんじゃないですか。予定より早く会えて嬉しいです。」
墓地にはにつかわしくない爽やかな声だ。
「館野君!」
「はい、近くを巡回していたら。やけに楽しそうに武勇伝を話しているタクシー運転手をみつけてね。乗せた賞金稼ぎさんが、黒髪のすごい美人だって言ってたから、絶対にリリーさんだと思って!」
そう言ってる間にも交通事故や殺人、強盗のアラームが館野くんのIDに入ってきている
が、全く反応しない彼に
「いいの?応答しなくて?」
と聞くと
「殺人や強盗は刑事部がやるんで俺たちの出番は交通事故くらいなんですが、今、パトカー満員なんで、3人捕まえましたよ。麻薬の売人に麻薬の現行犯に、またまた売人。あ、いけない、署に戻るところでした。」
すると、年嵩の巡査が
「修一坊ちゃん、そろそろ行きましょう。」
そう言って館野くんを促す。
「そうだね。いかないと。ではまた今度、その時は修一って呼んでくださいね。」
と、敬礼。
「はい。お仕事頑張って。」
早く仕事に戻れとか、のんびりしてていいなとか、いろいろ複雑な思いがありながらの言葉だった。
「あの、救急のほう出られます。」
消防隊員から、そう声をかけられてほっとした。あの年嵩の巡査はたぶん、館野修一くんが赤ちゃんのころからの知り合いなのだろう。いわばお目付け役。警部になっても警視になってもどこの階級になってもお目付け役は居るんだろうな。そうやって、立派な家柄のお嬢さんと結婚して、館野家は警察庁の頂点に君臨し続けるのであった。
なんてね。私は救急車に同乗しながらそんなことを考えていた。容疑者を病院に届けた後、新宿のカンパニー本社に向かった。都庁の近くにあるなんの変哲も無いビル。そここそが日本のカンパニーの本社ビルだ。扉の前には一応恐そうな警備員が居る。扉にIDと利き手の手のひらを近づけると自動ドアがスッと開く。エレベーターで3階に行くとマネージャーの小池さんのところへ、
「脳に損傷をあたえてしまって、すみませんでした。警察の事情聴取に支障が無いといいのですが。」
ぺこりと頭を下げた。
「いやいや、リリーさんはよくやっているよ。たまに、自制心を無くすことがあっても仕方ないでしょう。」
「あの、一週間程お休みしたいんですけど。」
「あ、例の件?」
「いえ、はい、まあそんなところです。」
「律儀だね、仕事取らなければそれでいいわけで、ここ5年休みなんかまともにとらなかったもんね。どうぞどうぞ、ゆっくり考えてらっしゃい。」
赤蜘蛛は5年ごとに、殺戮をしている。そろそろ白鳥家の事件から5年だ。赤蜘蛛の事を考えるために、私は東京湾を見下ろせる高級リゾートホテルを選んだ。落ち込む内容なだけに、せめて自分の周りを快適にしてくれる物で囲まれたかった。
二日目の午後、私のIDのアラームがなった。私はIDをテーブルの上からひったくった。IDには『赤蜘蛛、上野』の文字が、私はすぐさま、上野にむかった。赤蜘蛛とは十年前に私の両親を殺した猟奇殺人犯だ。私が生きているのはいとこの誕生パーティーのためおばの家に泊まっていたからだ。私が第一発見者だった。リビングのシャンデリアから、赤く伸びる糸の数々。
私は内定していた政府関係の就職先をおばの反対を押しきり断った。赤蜘蛛を殺すために賞金稼ぎになったのだ。それ以来おばとは連絡をとっていない。カンパニーにはそのことを告げてあった。だから、赤蜘蛛が出たら、いつどんな時でもアラームがなるようにしてあるのだ。
上野の現場に来てみると、なぜか、もうすでに、大勢のマスコミと警察官がいた。その一人の警察官にIDを見せると中に通してもらえた。かすかに臭気がただよう豪華な家の中のリビング。三人の遺体はすでに床に下ろしてあった。皆殺しが赤蜘蛛のやり口だ。5年前もそうだった。その時は赤子まで、殺していった。その際は私もカンパニーに入りたてで、なにもできなかったが、今度こそ、捕まえて、殺す。今回はこの家の主、赤塚巧五二歳とその妻涼子五十歳。息子の琢磨二十歳。赤蜘蛛は痕跡を残さない。黒の革の手袋を使っていることだけ5年前の事件でわかっている。今も鑑識チームが毛髪でも出ないかと必死にやっているのだろうが、無駄だろう。今まで狙われたのは決まって科学局関係者だった。私の両親しかり、5年前の事件しかり。だが、今回は野党自由民権党党首だ。政治家か?どうりで、警察やマスコミが早いわけだ。そこへ、弱々しいしい声が私に話しかけてくる。
「リリーさん、早い到着ですね。」
振り返ると館野くんが、あ、修一くんか?スーツ姿で、相棒であろう30歳位の刑事に肩を貸してもらって、立っていた。どうゆうこと?私の表情を読んだらしく説明してきた。
「ずっと、刑事になりたくて、何度目かの昇進試験がやっと受かって今日が初仕事なんですよ。まさか、こんな現場とは、今まで吐いていました。お恥ずかしい。」
「それは、修一くんご出世おめでとう。」
肩を貸してるほうの刑事はうんざりした顔だ。こいつは、お目付け役じゃないな。と
「大丈夫ですか修一ぼっちゃん。」
寄って来たのは先般の巡査だ。えー、そっくりあがって来たの?君のお父さんは心配性だね。ははは。笑うしかないな。
殺されたのは昨日の夜早い時間だそうだ。一応現場も見たし、後は3件の関連性が見つかれば・・・ホテルに戻って考えるか。
「修一くんはこれからどうするの?」
なんとなく聞いてみた。
「修一でいいですよ。聞き込みは空振りらしいので、署に帰るくらいしか・・・もしよかったら、リリーさんのお手伝いできないでしょうか?」
「へ?」
彼に肩を貸していた刑事はスッといなくなった。結局、須藤と言うお目付け役と3人で私のホテルの部屋にやって来ることになった。
「スイートルームじゃないですか?いい景色ですね。」
すっかり元気になった修一くん。須藤さんは入り口に立ったままだ。
「あの、3人で、考えませんか?」
私は、リビングルームのテーブルとイスを指す。須藤さんは50歳くらいだろうか。本当の階級は何なのだろう。でも仕事は出来るはずだ。優しい目の奥に厳しい警官魂を感じる。そして、私の勘はよくあたる。
「さてと、」
大き目のタブレットをテーブルの上に置き2人を見た
「今回殺された赤塚さんは野党第一党の党首になる前なにをしてたのかしら?」
タブレットは正直だ。彼の略歴が出てくる。
厚生局15年
科学局5年
議員5年
「ほー、議員5年で党首とは早い出世ね。それに、厚生局から科学局に普通は移動しないわよね。」
「そうですね、珍しいケースです。」
須藤さんも思わず口を出した。
「私は科学局がきになるの。10年前の江藤夫妻も、科学局に勤めていたし、5年前の白鳥純一さんも、科学局。なんかそこが、引っかかるのよね。『科学局の部所をだして』」
すると17もの部所がでてきた。が誰がどこに居たかは不明だ。5年前もそうだった。科学局で、行き止まりだった。私の両親もどの部所だったのかまったくわからない。家で仕事の話は出たことが無い。3人で考えるなら、私の素性も明かすべきだと思えた。
「あのね、私、10年前の事件の生き残りなの。」
あまりの唐突さに2人は目を見開いてこちらをみてきた。
「で、でも、全員殺すのが赤蜘蛛の手口じゃないですか。」
修一くんは疑問を呈した。
「うん、私のことを考えて警察が内緒にしてくれたの。今でも感謝してるのよ。」
「それで、敵討ちのために賞金稼ぎになったんですか?」
「そう。殺すつもり。」
と、須藤さんが口を開いた
「しかし、赤蜘蛛は容疑者であって、脱獄犯ではないです。殺せば、あなたは殺人犯になりますよ。」
「それでいいと思う。私は第一発見者だったの。あの、凄まじい光景は忘れられない。」
修一くんは先程の現場をおもいだしたのか、顔色が悪くなった。須藤さんが言う、
「赤蜘蛛は念入りに家族構成を調べてから殺しに入ると言われています。なぜ、あなたは?」
「あの日は日曜日だった。軽井沢におばの別荘があってね、いとこの誕生日が土曜日で、一泊して帰ろうとした時、ちょうどなだれが起きて車の通行ができなくなってしまって、予定外にもう一泊することになったの。学校もあったのでこちらには月曜の朝早くについたの、それで、見つけた。」
「それで。しかし、赤蜘蛛はあなたのことを知っているはずでは。」
「ええ、その時は皆殺しと言うことは知らなかったの。でも、5年前の事件で子供まで殺されたことを知ってからは、私も随分気をつけるようになったわ。なんて言って、池袋では完全に気を抜いていてお二人には恥ずかしいところをみられたけれどね。」
「いやいや、あんな事でもなければ友達になれなかったじゃないですか。一緒に赤蜘蛛を探しましょう。そして、殺してください。」
「修一坊ちゃん!なんてことを。」
「その先があるって、僕が最高の弁護士軍団をやといますから。」
「ありがとう。心強いわ。」
「それじゃあ、まずは、俺の魔法を見せますね。一つ電話をかけると、ご両親の所属部所が分かるかもしれません。」
「10年も行き止まりだったのに?」
「僕にも情報屋はいますから。」
するとどこかに電話をかけた
「僕なんだけど、前置き無しで悪い。10年前に亡くなった江藤夫妻と5年前に亡くなった白鳥純一の科学局での所属部所を知りたいんだ。ん、もちろん捜査の一環だよ。」
相手は誰なんだろう。
「うん、うん、そうか、ありがとう。」
「わかったよ。部所はウイルス部のウイルス課だった。3人とも。ウイルスの研究にかかわっていたらしい。なんのウイルスかは分からないそうだ。」
「そうなの、すごい情報屋ね。お父様?」
「察しがいいなあ。そうですよ。魔法じゃなかったですね。」
「いいえ、すごい進展だわ。私がどうやってもたどりつけなかった真実だもの。」
「そうなると、そのウイルスが問題なのかもしれませんね。」
須藤さんも鋭い。
「そうね、どんなウイルスだったのかしら。それに、今回の赤塚家の場合、科学者じゃないわ。」
「科学局。そこはあってるけど。まてよ、二家族の殺人が起きたのはこの赤塚が科学局にいた時だ。」
「そうなるの?じゃあもしかしたら、上司だった可能性もあるのね。だとすると、一番先に殺されそうだけれど。」
「んー。そう言われればその通りですな。」
須藤さんも真剣に考えてくれている。今までの孤独な戦いとは違う。仲間がいる。そう思うだけでも胸の奥が暖かくなる。
「犯人はそのウイルスを知っていたことになるだろう。そうなると、今現在ウイルス課にいるかもしれない。今からリストを出してみよう。」
そう言うと、修一くんはまた一本電話をかけた。
「久しぶり。唐突で悪いんだけど、ウイルス課に、10年前からずっといる研究員は何人いる?え、ああ、刑事になったよ。お前みたいに早々に出世はできないよ。たのむよ。俺の人生決まるかもしれない大事なことなんだ。
うん、わかった。感謝するよ。」
その電話から二時間がたったころ、修一君の呼び出し音が鳴った。修一くんの表情が曇った。電話を切ると
「だめだ。ウイルス部の人事記録は僕の友人ではどうやっても開けない。極秘扱いらしい。すまない。」
「では、ウイルス部に直接行ってみては?」
須藤さんはさらりと言った。
「え!それは無理でしょう。局の中にも入れないんじゃないでしょうか?」
私の問いに須藤さんは修一くんを指差しにっこり笑った。
「あの?僕?」
事態が呑み込めていない私と修一くんに
「坊ちゃんコネを使うなら今ですよ!」
と。
「わかった。行こう。科学局のウイルス課へ!」
須藤さんがすぐにパトカーを出してくれた。科学局に着くと、案の定
「捜索令状は?」
と聞かれた。すると修一くんはその警備員にIDを見せた。映し出されたのは彼のお父様の写真と電話番号だ。
「この人の息子だ。警察庁長官館野一だ。今すぐ電話してもいいんだよ。」
その後は誰かに止められるごとに修一くんのIDが、威力を発揮した。ことなくウイルス課まで進めた。私はかばんの中のグロックを握りしめた。須藤さんがノックもなしにドアをあけた。
「警察です!誰も動かないで!ここの責任者は!」
修一くんの問いに、一人の男が手を挙げた。
「私ですが何か?」
「ウイルス課の課長ですか?研究者の職員名簿を。」
「え?私にはそんな権限は・・・。」
「では、誰なら出せるんですか?」
「局長・・・です。」
「今、御在局ですか?」
修一くんの剣幕に山田という課長はタブレットを動かし始めた。
「か、確認します。」
しばらくの間
「在局しております。場所は最上階です。」
それを聞くと私達は走り出した。最上階のエレベーターホールには二人の護衛官がおり、私達三人の武器は取り上げられた。残るは修一くんのコネクションのみ。
護衛官が局長室の扉を開ける。
「失礼します。」
そう言うと修一くんは堂々と局長室に入っていった。私が続こうとすると、須藤さんに止められた。耳元で
「坊ちゃんだけのほうが話を聞き出しやすいでしょう。」
と、ささやいた。民間人の私がいては口も堅くなるだろう。なるほど、後は修一くんの腕にかかっている。
鈍い時間が過ぎてゆく。と、扉が開いた。修一くんの手には茶封筒が握られている。
「帰りましょう。」
そう言うとエレベーターに乗り込んだ。
車に乗るまで修一くんは一言も話さなかった。
「はあ!緊張した。残念ながら在職の職員の名簿はもらえませんでした。でも、退職者の名簿ならと渋々でしたが渡してくれました。」そう言うと、茶封筒からA4サイズの紙を2枚出してくれた。
「二人だそうです。ここ十年で辞めたのは。この顔にピン!と、きたりなんかしませんか?それにしても、離職率低すぎですね。余程給料でもいいんですかね。」
紙を渡されたが、知らない顔だ。履歴のようなものも細かく書いてあるが、私の両親と接点がない。
「ごめんなさい。何も、思い当たらない。」
神経質そうなそうな女の人と、スキンヘッドの研究者らしからぬ顔つきの男。
「もう一回、作戦を練り直しましょう。」
須藤さんの提案で、私のホテルにもどった。
ホテルのリビングで須藤さんが紅茶をいれてくれた。これがまた美味い。紅茶のおかげか私の頭も回りだした。
「まずは、現住所となってる所から調べてみましょう。十年前のものじゃあ期待はできないけれど。」
「そうですね。名前と住所をタブレットに入れてみましょう。」
やはり、空振りだった。
「では、これ、二人のIDナンバーです。」
修一くんはズボンのポケットから小さな紙を出してくれた。
「え!そんなのも、もらってきてくれたの?顔がわかっただけでもすごいのに、よく、渡してくれたわね。」
「まあ、父さんには当分頭が上がらないかなあ。」
「それじゃあ、IDを入れて。検索っと。」
「え!」
三人で叫んでしまった。
二人とも、この世に存在していない事になっていた。
「そんなぁ。」
修一くんと私が叫んだ。疲れがどっと出た。
「そろそろ、夕食にしましょう。アドレナリンでお腹はすいていないでしょうが、食べられるときに食べておかないと、ね。」
須藤さんがルームサービスを注文してくれた。食欲は無かったが、少しずつ食べた。
「あの、お二人の関係は?」
「須藤さんはね、昔からの知り合いで、父の後輩で相棒だったんだよ。俺の警察入りが決まったときに、キャリアを捨てて僕の教育係に立候補してくれたんだ。父は大喜びでさ。『須藤の言うことを聞いていれば間違いない!』なんて言ってね。本当にお世話になってるんだ。」
「修一ぼっちゃん。持ち上げても何も出ませんよ。」
和やかな時間の流れのおかげで思いのほか食事も進んだ。
しかし、女性には多分無理な犯行だろう。それとも赤蜘蛛は二人組なのか?
「このスキンヘッドなら鑑識が毛髪を捜しても無駄なわけだ。」
「そうねぇ。なんか見たことあるような気が・・・。」
しかし、大事なときに私の脳みそははたらかない。紙には川上朋彦と千田美代子と書いてある。名前には聞き覚えは無い。やはり、気持ちがたかぶって見たような気がしただけだ。
「この世界から消えたことになっているとは。今の時代そんなことができるのか?って思いますよね。それが、結構できるんです。巧妙な手口をつかって透明人間になる奴が。」
「そうですね。整形も、し放題、IDもちょっと腕のいい秋葉原あたりの偽造屋にでも頼めば・・・」
須藤さんが言い終わらないうちに、
「えっ!」
私は頭がパニックになった。十才歳をとったとしたら、彼は秋葉原の名前を名乗らないレコード店の店主に違いない。いつもお世話になっている。なんで、どうして、髪型こそ違えどあの人の顔が用紙に写っている。だが写真の顔はスキンヘッドだ。
身体ががたがたと震えた。
「どうしたんですか?」
心配した修一くんと須藤さんに
「その人、知ってるの。パトカー出してくれる?行先は秋葉原のレコード店。『なつかし屋』」
そう言うと呆けたようになった私を2人はパトカーに乗せた。
道中説明した。この3年くらい彼を情報屋として使っていたことを。なんとなく、親しみを持っていたことも。赤蜘蛛の行方を追ってもらっていたことも。
「彼のことだから。私が生き残りだと気付いていたに違いないのに。なぜ今まで殺さなかったの?」
理由がわからない。何故か涙が止まらなかった。いけない、まだ終わってはいないのだ。
店の手前でサイレンを消しパトカーを降りて店に向かう。営業時間外なのに電気がついている。いつもどおりの店だが店員がいない、そう気づいたとき須藤さんに腕をつかまれた。
「ブービートラップかもしれない。」
この人は本当に何者?
須藤さんは近くに落ちていたレンガを入り口ドアのガラスに向かって投げた。
ドカーン。
ものすごい、爆音と炎だ。もし私がドアを開けていたら・・・
「リリーさん怪我は?」
そう聞く修一くんに
「大丈夫。須藤さんて、何者?」
「ああ詳しいことは知らないけどすごい人とだけ聞いている。」
なるほど、すごい教育係だ。
「川上は?」
「緊急手配かけます。リリーさんには悪いけどこれはもう、警察の仕事です。でもリリーさんにも協力をおねがいします。」
私はうなずいたが、でも、見つからないだろうな。すごいハッカーだったから、秋葉原の地下のそのまた下のほうに逃げてしまったのだろう。3年間も私をあざ笑っていたのか。結局、両親がなぜ殺されなければならなかったのか分からずじまいだ。十年分の疲れがどっと出た。
それから数日私はホテルにこもりきりになった。警察は総出で川上をさがしているらしい。私は殺される可能性があるということで、警察の保護対象者となった。私のドアの前には警官二人が警護のために立っている。通していいのは修一くんと須藤さんだけらしい。毎朝、一日分の食料を持って2人がやってくる。
「おはようございます。今日はパンケーキにしませんか?」
いつもの、明るいテンションになぜかホッとする。須藤さんも
「修一坊ちゃんのパンケーキは美味しいですよ。」
と目を細める。秋葉原の時の一瞬の判断力とその行動力は微塵も感じさせない。すごい人だ。
1週間目の朝。いつものようにリビングのドアが開いた音がした。が、いつもより早い。陽気なあいさつもない。来たのだ。川上が。ベッドの上から転がり落ち寝室のドアにグロックで狙いを定める。ゆっくりとドアが開いた。と、リビングの窓が割れるガシャンという音がした途端、川上はバルコニーを使ってベッドルームの窓も銃で粉々にわり、照準は私の頭に向けられていた。一瞬遅かったのだ。奴の左手には赤い糸が何十にも巻きつけられている。銃で殺した後に巻きつけるつもりだろうか。もう、奴の手口に一貫性は無くなっているだろうからそれもあるかもしれない。今日はスキンヘッドだ。私の知っている彼ではない。
「まず、銃を捨てな。どうみても俺の勝ちだろう。」
私は静かに銃を置いた。
「こっちへ、蹴れ。」
私のグロックはバルコニーへと滑っていった。
死ぬ前に聞きたかった事を言う。
「最後に聞かせて、なぜ両親を殺したの?」
「あんたの両親はな、殺人ウイルスを造ってたんだよ。あのウイルスは完成すれば、年寄りだけ殺したり、子供だけ殺したり、男だけや女だけ。お前の両親は殺人鬼なんだよ!」
「そんな、優しい両親だったわ。そんな物、造るはずない!」
涙が後から後から流れた。こいつは嘘を言っているに違いない。
「娘には優しくても、俺がハッキングしたんだ。この目で研究の内容を確認した!最初はホントにすげー内容だと思ったよ。俺も科学者だからな。でも悪魔のウイルスだと気づいた。このままではいけないと思ったから、2人を殺した。お前も殺すはずだったが、あの日、見つからなかった。何処に居たんだ!」
「私は、軽井沢の、おばの別荘に。」
「そりゃ、見つからないわけだ。まあいい。これで終わりだと思った。そしたら白鳥があとを継いだことが分かったんだ。そしてな、最近になって指令を出したのが赤塚だとわかった。あいつが張本人だっだ。俺は、殺人を止めたんだ!」
「それでも、子供まで殺す必要があったの?」
「それか、当たり前だろう!奴らは同じ遺伝子を持ってるんだ。お前も、同じ遺伝子をもっている。もっと早く殺すはずだったんだが、なんか、あんたを気に入ってな。今日まで時間がかかってしまった。だが、根絶やしにしなければならない。悪いな。」
そう言うと川上はゆっくり近づいてきた。どうするつもりだろうか、鼓動が耳から聞こえてくる。川上は片手で私の首を締め上げ壁に押し付けた。両手で解こうとするが、びくともしない。
「あんたのこと、好きだから楽に死なせてやるよ。」
そう言うと銃を捨て両手で締め始めた。私はのど元から右手をはずし右足にあるナイフを持った。川上の左太ももに突き刺しそのまま上まで切り裂いた。
「うっ」
といううめき声とともに、首元がゆるんだ。
そのまま左肩から肘まで切り込んだ。
「さすがだな。」
苦痛に顔を歪ませながら川上は笑った。そして、お互いに銃を取りにいった。川上が流した多量の血液で右手はぬるぬるとしていたが、割れたガラスの上を手足に傷をつけ血だらけになりながら左手で銃を取り構えた、今度は同時だった。川上は撃たずにニヤニヤと笑っている。
「そうこなくっちゃ。な?」
バンッ!
銃声がして川上の体がのけぞり倒れた。川上の後ろに、グロックを持った須藤さんの姿が見えた。
「私も、グロックが好きでね。まだ殺していませんが、どうしたいですか?」
私は、どうしたいのだろう。殺人ウイルスを造っていた両親。殺したくて仕方がなかった赤蜘蛛。あとからあとから涙があふれて仕方がない。血だらけの手で涙をふいた。涙が止まらない。私は首を左右に振った。両親のこと、優しかったお父さんとお母さん。こいつを殺すために生きてきた。でもでも、ウイルスのことは全人類が知るべきことだと思ったからだ。すっと白いハンカチが視界に入ると、修一君が私の涙を拭いてくれた。血色の涙。ハンカチはみるみる赤く染まった。
「リリーさん、ありがとう。警察を信じてくれるんですね。」
いつの間にか寝室に入ってきた修一くんは川上に手錠をかけた。
しばらくは、警察の赤蜘蛛検挙に世間はざわついたが、だが、私の思いとは別に、川上は拘置所で原因不明の死を遂げた。結局真実は闇の中だ。
当日、修一くんが私の部屋のドアをノックした。
「本当に申し訳ないです。」
修一くんはわざわざ会いに来てその言葉をいってくれた。
それだけで、もう、充分だった。
多分、被害者の関係者側かウイルス計画の指揮者側か、どちらかの仕業だろう。今もウイルスは造られているのだろうか?恐ろしい考えが心をよぎる。そして、千田美代子はどこにいるのか?
どちらにしても、私は生きる。