1−8
だが、カントはユキコ姫の扉を心残りそうに眺めやったのちオホンと咳払いをして言った。
「……冷たい水をもらおうか」
「かしこまりました」
執事は恭しく礼をするとカントをがっちりと固めソファに案内する。
ユウトはいつの間にか止めていた息をフゥと吐いて眺めていたがチコの視線に気づき、扉に向き直る。
「姫様、失礼いたします」
ユウトはそう言うとチコが開けてくれた扉から部屋の中に入る。
チコはすぐさま扉を閉じる。
部屋の中には天蓋のついた大きなベッドが一つ。
机。化粧台。王女となった人間とは思えないほど質素な部屋の中。
むしろ、金属の焦げた匂いが漂い、さらに油臭かった。
——女の子の部屋ってもっといい匂いがするもんじゃないのか?
ユウトがそんなことを考えていると、急に背中に重量を感じる。
どうやらドアの後ろに潜んでユウトのことを待っていたらしい。
おんぶをするような形になったユウトは少し前かがみになってユキコを支える。
本人からは石鹸と何か花のようないい香りが漂い、ユウトの鼻を弱く穏やかに刺激する。
「そんな顔しないでよ。女の子の部屋っぽくないって言いたいんでしょ?」
ユキコは体重を預けたユウトの耳元でいたずらっぽく囁いた。
「姫様、よくお分かりになりましたね」
「あー。ひどい!そこは否定するところでしょ?」
「否定したら、それはそれで皮肉を言われたのなんのと言いがかりをつけるじゃないですか」
「あはは、私、そんなひどい女じゃないよ?」
ユキコは笑いながくるくると回りユウトの前に姿を表す。
ユキコ・フォン・ラーティン。
銀髪のショートヘアに青い瞳。
薄色の口紅を塗った口元は潤いが感じられるほど光を淡く反射する。
にこりと笑うその表情だけで大半の男は笑顔になる、そんな伝染力を持った太陽のような少女。
いつもの活発な彼女に合わせた空色のドレス。
王族としては短い膝丈のスカートはふわりと空気を含んでいるかのように広がり、彼女の動きに合わせて踊る。
「いやいや、姫様はひどい女です」
「あら、専属医師のことなら謝らないわよ?
ユウトは私に必要なの。いろんな意味でね?」
バチコーンとウィンクするユキコ。
そんなことをしてもワザとらしさが全く感じられないから不思議だった。
「もちろん、それだけではありません。幼い頃の負債がありますよ?」
「そっち?まぁ、でもそれならその負債を返すにも近くにいてもらう必要があるわね?」
ユウトはあんぐりと口を開けてユキコ姫を見る。
「だいたい、その言葉遣いは何?私とあなたの仲じゃない。もっと砕けた喋り方でいいのよ?」
ユウトは気を取り直して言う。
「そうはいきません。自分はユキコ姫の専属医師であり、あなたの医師ではありませんから」
「あら?どう言う意味?」
「言葉通りです。そろそろユキコを出してもらえませんか?」
ユウトがそう言った途端、ベッドの下から笑い声が聞こえる。
「むふふふ。さすがユウトね。やっぱり気がついちゃうか」
「ユキコ。ま、似せてはいるが話し方や腕の振り方に少し違和感があるからな。
それよりもベッドの下に潜り込むのは高貴なお姫様のやることじゃないと思うぞ?」
「あら、それは違うわ。
ベッドの下までいつも綺麗になっているのが高貴なお姫様なの。
何しろ掃除してくれる人が普通の家庭よりたくさんいるからね」
よいしょ、よいしょと言いながらベッドの下から這いずり出てくる姫。
「普通の家庭にメイドなどいない。
そして、普通の家庭であればベッドの下は聖域だ。
勝手に掃除されては困る人間が大勢いるだろうに。
まったく……、綺麗かどうかが問題なのではない。品位の問題だ」
ユウトの目の前にいる姫と全く同じ背格好の姫がベッドの下から出てきて服のシワを払っている。
それと同時にユウトの目の前にいる姫はベッドの下から出てきた姫に一礼する。
「洋服が汚れなければ品位は損なわれないわ。
品位とは服の上から着るものなの。
他人が私を高貴な人だと思っている限り、私はベッドの下に潜り込んでいようがトイレで用を足していようがずっと品位ある高貴な人なのよ。
サコ、確認は終わったわ。元に戻っていいわよ」
「かしこまりました」
サコと呼ばれた姫はパチンと指を鳴らす。
ホヨホヨとサコの周囲が歪むと全く別の姿へと変貌する。
そこには黒髪の長髪、赤い瞳のメイドがいた。
およそ、ユキコとは全く反対の印象を受ける、大人しそうな女性だった。
タレ目が印象的である。
ユウトは変身のスピードに驚く。
瞬間とはこのことを言うのだろう。
「へぇ、サコさん。すごい“ギフト”を持っていますね」
「はい。私の“ギフト”は影武者。
これが私の持つ唯一の“ギフト”です。
メイド長としてもしもの時姫様の身代わりになるのが仕事です」
「なるほど。ほとんど完璧にユキコになりきることができるわけですね」
「ええ」
ユウトはユキコを見る。
自分のことではないのに嬉しそうなユキコはニヤニヤしながらユウトを見ている。
ユウトは最も気がかりなことを聞いてみる。
「俺は何を確認されたんだ?」
「あなたが本物のユウトかどうかをね」
「今更チェックしてどうする。ここまで侵入された後に確認しても意味がないじゃないか」
「あはは! 冗談だよ!
まぁ、本物じゃないユウトだと困るけどね。
本当は、ユウトにサコがこんな“ギフト”を持ってるよって教えておきたくて」
ユキコは手をひらひらさせながらユウトにそう語る。
だが、ユウトはなんとなく直感する。
目的がそれだけでなかったのでは?と。
だが、聞き出しても意味はない。
ユキコは喋りたくないことは絶対に喋らない。
ユウトは話を変えることにした。
「サコさんにこんな“ギフト”があったとはな」
ユウトは目を細め、ユキコに疑惑の目を向ける。
ユキコは少し顔を引きつらせ冷や汗を一筋垂らすとユウトに聞く。
「………なんでしょうか?」
「ユキコ。いったい何回公務をサボったんだ?」
「んんんんんんん〜?
ユウトくん、さらっと聞き出そうとするねぇ。
まったくいい質問だねぇ、キミィ!!!
それに関してはしっかり言い分があるのだよ。
何しろ私は公務をサボったわけではないのだよ、サコの影武者としての練習を積んでもらっただけ」
「物は言いようだな。その間、ユキコは何してたんだ?」
「私?私は……、ほら、その、連日忙しくて消化してあげられなかった本や映画を少々……」
「遊んでんじゃねぇか」
「遊びじゃないですー。休むことも仕事ですー。いっつも暇こいてるあなたとは違うんですー」
「はいはい。俺も好きで暇こいてるわけじゃないですー。
でも、サコさんの“ギフト”、お前しか知らないよな?
確か、サコさんはユキコが急に指名してメイド長にしたはず……。
いや、そう言うことか。最初から知ってたな?」
ユキコはバチンとウィンクを飛ばす。
「
正解! 私には味方が必要なの。そして、それをあなたに知らせた。この意味はわかるわよね?」
「わかったよ。そう言うことか。秘密の共有者。
つまり俺は今後、ユキコのために粉骨砕身、働かなきゃいけないんだな」
「さすが、察しが良くて助かるわ。私の部下になった暁にはサービス残業まっしぐらよ」
ユウトはサコの方を見る。サコは首を振って、音を発せずに口を動かす。
あ・き・ら・め・ろ・ニコッ
ユウトは手を挙げて言う。
「正当な対価を要求しますー」
「却下!」
「断固として正当な報酬を要求しますー」
「却下、却下、却下!」
ユキコは何やら嬉しそうに言うとびしっとユウトを指差して言う。
「仕事内容は追って伝える!
座して待て!」
「やれやれ。さすがの俺も座して待ってるほど暇ではない。診察始めるぞ」
「乗ってくれてもいいじゃない」
ユウトはブーブーむくれるユキコを誘導しベッドサイドに座らせる。
サコがすっと出してきた椅子にユウトは座る。
向かい合ってユウトは医者の診察における常套句を口にする。
「そしたら、服を脱いで」
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