1−6
そこには白衣を纏った痩せてやつれた男が立っていた。
カズト・エリュシダール。
エリュシダール家の長男。
目元がユウトに似ているが、それ以外は生活環境の違いか、似ても似つかなかった。
ガリガリなのが頬の凹み具合から見てわかる。
ボサボサの長い緑色の髪、漂う汗とそれをかきけそうとする花の匂いがする香水のきつい匂い。
これで、姫専属の医師を狙っていたと言うのだ。
「どうだ、姫専属医師としての仕事は?ちゃんとこなせているのか?」
「……問題ないよ。役目はきちんと果たしている。姫様にも満足していただいている」
「へぇ、なかなかやるじゃないか。それで?特別な方の仕事は?」
ユウトは質問の意図がわからず聞き返す。
「特別な仕事?そんなものがあるのですか?」
「と言うことはまだのようだな。
それでいい。
今はこの仕事、お前に任せているがいずれ俺が務めることになる」
——なぜ、そこまで自信満々にそんなことを言えるんだ……?
——そもそも、専属医師はユキコ姫の好みで決まるものだ。
——確かに、呼ばれなかった人間が選ばれることは異例だが、それは姫が選びたい人間をその場に必ず呼んでいたからに他ならない。
——カズト、人の気持ちなぞ御構い無し。
——自己中心的な人間。
「そうですね。兄さんがユキコ様に選ばれたなら私はこの専属医師の地位、お譲りしますよ」
カズトの表情が変わった。
「お前は選ばれたと?
いいか、勘違いするなよ。
お前は選ばれるほどの実力はないんだ。
医学的な腕は俺の方が上だ。
医師会に置ける権力もお前が及ばないほど俺は握ってる。
全ての実力において俺が上だ。
あんまり図に乗らないことだな。
お前なんかいつでも吹き飛ばせる」
「なら、まず、身だしなみから整えなよ」
カズトの目に炎が走る。
弱々しいが、一度つくとなかなか消えない炭についたような炎。
カズトはユウトに近寄るとユウトの髪の毛を掴んで引っ張る。
「お前が、俺に指示を出すな!
いいか、お前は俺の下なんだ!
俺の言うことに従って入ればいいんだ!」
「いたた……」
ユウトは引っ張られた髪の毛をかばうように押さえる。
「だいたいな!
お前、俺の患者奪っておいて、何だその態度は!
卑怯者め!
そんなに手柄が欲しかったか?兄の手柄を奪ってまで!」
「……だって!」
「だってじゃねぇんだよ!
あの時から狂い始めた!
お前のせいだ!
お前のせいで、俺は今、こんな、不当な扱いを受けてる!
これだけ努力しているのに。
これだけ俺は実力をつけたのに!
なぜ!?」
そこにすっとカントが割り込む。
ユウトの髪の毛をつかんでいるカズトの手に、手を添えて言う。
「カズト様、そこまでに。診察があります」
カントの握力はそれなりに強い。
モヤシのようなカズトの力では対抗できなかったのだろう。
おとなしく手を話すとユウトを一瞥して踵を返す。
「チッ!名誉の伴わない研究なんて。
やる気でねぇな。
もうほとんど完成してるし。
俺はいつまでこんなくだらないことをしなければならないんだ?」
カズトはブツブツ言いながらロビーから出て行った。
「気にするな。
たとえどんな人でも現在ある地位に対して文句をつけたところで何の意味もない。
ユウトは姫様専属の医師だ。
そうである限り、文句を言われたところで無視すればいいさ」
「……ありがとう」
カントはロビーの奥にある扉へ向かう。
——励ましてくれてるのか…………?
ユウトは髪を元の形へと簡単に直す。
整髪料のおかげで形を維持できていた。
やれやれと思う。
兄は専属医師の候補だった。
儀式には流石に身支度をして行ったと信じたいが、その場でユキコに選ばれず恥をかいた人の一人だ。
昔から両親に英才教育を受けいずれはユキコ姫の婚約者にという願いもあったのだろう。
だが、出来上がったのは高い高いプライドと子供のような精神構造のおぼっちゃまだった。
親に言われるがままに事を行ってきたため、自分の意思がなく、彼に起きる悪いこと全てが人のせい。
——俺は兄が嫌いだ。
ユウトは懸命にメンタルを回復させるとカントに続いて隣の部屋に入る。
カントが先導し入った部屋は円形であり、中心に一つ操作盤が置いてある。
そこには黒い服に白いエプロン、メイドの格好をした長髪の女の人が一人立っている。
「カント様とユウト様ですね。お待ちしておりました。姫様の部屋にお連れいたします」
カントは尊大に頷くと言う。
「よろしく頼む」
メイドの女は操作盤に何かを打ち込む。
ゴウンと言う重たい音が響くと部屋の床が上昇し始める。
床はゆっくりと小刻みに揺れながら高さを増していく。
ユウトは時々ふわりと浮かぶような感覚をえて不思議に思う。
「チコさんだっけ?」
ユウトはエレベーターを動かしているメイドに話しかける。
メイドは操作盤から手を離さず、体をユウトの方に向け一礼すると言う。
「はい。ユウト様」
「このエレベーターはEEによる制御で動いているのか?」
メイドの女は少し、質問の意味を吟味した後、ゆっくりと答える。
「……はい。そう聞いております」
「どうも、EEで動いているようには感じられないのだが」
「そうでしょうか?」
「EE 以外の動力で動かしていたりしないか?」
「……いえ、そのようなことはございません。
以前、人力を好む姫様がおられ、このエレベーターを人の手で動かすように改造された方がいらっしゃるとは聞いたことがございます。
ですが、ユキコ姫はそういった趣味は持ち合わせておりませんので」
「そうですか」
ユウトは頷いたものの自分の感覚を切り捨てられなかった。
変な顔をしてエレベーターを見回しているユウトにカントがびしっと言う。
「おい、ユウト。
これから姫様に会うんだ。
もっとびしっと決めろ。
なんだその間抜けヅラは。
俺まで品位を疑われる」
「すまない」
ユウトは素直に謝る。
エレベーターの壁際に設置された姿見で自分の髪型、表情を雰囲気にあったものに整える。
——ネクタイ、また直さないとダメかもしれない。
——あ、靴がちょっとほつれてる……。
——しまった、直してから履いて来るつもりだったのに……。
もう今更どうしようもないと諦めたユウトは胸のあたりをパンパンと、無い埃を落とし姫の部屋がある階につくのを待った。
チーンという音が鳴り、目的の場所についたことをエレベーターが知らせる。
「到着しました。それではこちらへ」
チコはユウトたちをエレベーターの出入り口へと案内する。
エレベーターを出ると小さなロビーになっていた。
革張りのソファと机が並んでおり、執事が待機していた。
執事は見事な燕尾服を着こなしており、全身に品位を滾らせている。
チコが通り、ユウトが通り過ぎようとすると深々と頭を下げ、敬意を表している。
ミギト・ダルケル。
ユキコ姫の執事長だ。
ユキコが小さいときからずっと面倒を見ている。
小さい頃はジジイとユキコ姫に呼ばれ怒っていたが、今では髪が全て白髪になり、まさしくジジイだった。
——ジジイ、歳くったな……。
ユキコ姫の部屋の前にたどり着くとチコは扉をノックする。
「姫様。ユウト医師が到着されました。入ってもよろしいでしょうか?」
「問題ありません。入っていただいて!」
声楽家がその声を聞いた時、まるで春の陽気な風が自分の中を通り抜け、欺瞞、嫉妬、策謀、嫌悪、差別、そんな悪い心を全部かっさらってしまったかのような衝撃を受けたと言わしめた声である。
ユキコはそれ以来、声楽家に会うたびに勧誘され、結果としてついに声楽を聞かなくなった。
声楽家は心底悔しがっただろう。
ユウトはそこまで大仰に評価してはいないが、彼女の声はいい声だなぁと思うほどには感心していた。
ふと、ユウトが横を見るとカントが執事に止められていた。
「カント様はこちらへ。コーヒーになさいますか?それとも紅茶?」
「あ、ああ」
カントはミギトを睨みつける。
ユウトはなぜかカントがミギトの首筋に噛みつくんじゃないかと言う危惧を覚えた。
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