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カントは相変わらずユウトを見ることはなく、目を細めると言う。
「だからといって俺やお前が何か新しい技術開発を始められるのか?
これまでの人生、どっぷりとEEと“ギフト”に捧げちまってるって言うのに」
「……確かにな」
そう言ったユウトに近くに座っていた作業着のおじさんの集団の一人が立ち上がる。
口の周りに見事なヒゲを生やした男は大声で話し始める。
「おい、若いの!
その噂、デマだぞ!
なんでもドワイト王がそう言う噂を流して、EE鉱石を独占しようって腹らしい」
「本当ですか? 最近の制限も全てそのためだと?」
「そうだ!
今のドワイト王は政治に無関心だと聞いている。
つまり、政治をせずに遊んでいると言うことだ。
EE は加工すれば精神作用の強い覚せい剤にもなりうる。
王はヤク漬けにでもなってるんじゃ無いか?」
ユウトは周囲を見渡して、小声で言う。
「………不敬罪で逮捕されますよ?」
「構うもんか!
俺は今度宮殿に直談判しに行く予定だからな。
EEの使用制限の解除をお願いしにな。
最近の締め付けのせいで俺たち建設業は苦しくてしょうがない。
建築するためのEEはもうほとんど使えねぇ。
全部人力でやってんだ。
今連れて行かれたとしても、直談判の日程が早まるだけってもんよ!
がははははは!」
おじさんは大きな口を開けて大笑いする。
隣に座ったおじさんたちも笑っている。
そんな、笑っている場合なのだろうか。
ユウトは考える。
もし噂が本当なら十年後には今の生活ができなくなると言うことだ。
自分たちの老後に生活が破綻するなんて考えられない。
反対に、王がEEを独占しようとしているならそれはそれで問題だった。
独占すれば価格が上がる。
生活必需品の独占は暴動の原因にもなりかねなかった。
宮殿は長年の“ギフト”所持者減少によりただでさえ弱体化している。
今、国民に立ち上がられてしまうと押さえつける力などないだろう。
「俺が近衛兵でよかった。
憲兵だったらあんなくだらないおっさんでも逮捕しなけりゃならんからな。
連れてくだけでもめんどくさいったらありゃしない」
カントはそう独白する。
カントの前にユウトが食べたシチューと同じものが運ばれる。
食べ始めるとカントは会話を全くしない。
ユウトはフゥと息を吐くと新聞の続きを読み始める。
新聞には他に大した記事はなかった。
事故で亡くなった人がいる。
行方不明の人を探して欲しい。
新しいEE技術の開拓。
あるフライングボールのチームがあたらしい選手を獲得した。
いつもと変わらない日常。
新聞には誰かにとっての異常が掲載されるはずである。
だが、その情報は押し並べて一般化され、真新しいものにならなかった。
「よし、行こうか」
パンとシチューを飲み物のように体の中に押し込めたカントはユウトに声をかけた。
二人はシチューのお代を机の上に置くと店を後にする。
カントはお代ぴったりを、ユウトはチップを少しばかり上乗せしていた。
チップはウェイトレスが持っていくはずだ。
路地から大通りに出るとそこにカントの車が止まっていた。
カントの車は銀塗りの高級車だ。
長い車長に広い車内。
最高のサスペンション、スタビライザーには最高級の車技師がEE による制御構造を組み上げ、車内にいるときには揺れを全く感じない。
二人は車の扉を開くと中に乗り込む。
ユウトは後部座席にカントは運転席で行き先をいじった後、椅子ごと後ろを向く。
車は滑るように走り出す。
あっという間に追い越しレーンに入った車は速度を徐々にあげる。
車内はソファが一周しており、一部冷蔵庫になっている。
これら全てEE を動力源としている。
カントは冷蔵庫から水を取り出すとガラスのカップに注ぐ。
「なぁ、ユウト。お前、大学で獣化症について教えてるのか?」
カントが自分の授業のことなんて気にかけていると思わなかったユウトは驚きを隠せなかった。
しばらく時間をとって二回瞬きすると言う。
「あー、ああ。今日の授業から取り扱ってる。
カントが俺の授業に興味を持つなんて珍しいな。
ついに勉強に目覚めるなんてなんかあったのか?」
カントはユウトの後半の皮肉を無視して言う。
「あまり、そのことを授業で扱うな。
獣化症は空想の産物だ。
それを授業で扱うなど言語道断。
教えられている生徒たちもかわいそうだ。
そんな机上の空論を聞かされて。
さぞ、暇をしていたに違いない。
ユウト、お前医者として恥ずかしく無いのか?」
ユウトはさらに驚かされる。
たとえ幼馴染だったとしても、獣化症のことを扱うということだけで医者としての尊厳まで傷つけるほどのことなのだろうか。
なぜ、医者とは全く関係のない人間から授業内容についてとやかく言われなければならないのだろうか。
「いや、俺が扱ってるのは獣化症そのものではなく、その本質だ。
未知の病気に出会ってしまったときどう対処すべきか。
そのことを考える上で獣化症を例に出したにすぎない。
医者としての尊厳を疑われるようなことはしてないと思うが……」
カントは首を横に振って呆れかえってしまったことをユウトに伝える。
「わかってねぇな。
お前は姫専属の医者になったんだろ?
そのことはまだ公にはされていないが。
いざ公にされたとき、お前が妄想に基づいた授業をしているなんて言えないだろうが。
いい加減分かれよ、自分の立場ってやつを」
ユウトの方こそ、そんな立場願い下げだった。
ただでさえ、自分は卑怯者として家から追い出される一歩手前であるのに。
これこそ、カントと行動を共にすることになったきっかけだった。
ちょうど一ヶ月前。突如、姫専属の医者としての指名を受けた。
専属医師の発表は提示された医師の中から選ぶ。
医者は姫の婿以外に姫様の裸を見る事のできる唯一の男となる。
これが慣例であり、専属医師発表の場では姫の前に三人の医者が並んでいたそうだ。
その静かな場で姫は叫んだそうだ。
『三人とも力不足!
私の裸を見せるに値しないわ。
私にふさわしいのはユウト・エリュシダールただ一人よ!』
姫様の執事を担当するミギト、儀式を運営する責任者だった宮内大臣エート、そして召集された専属医師候補達が一体どんな顔をしていたのか……ユウトとしてはちょっとみてみたかった。
当然その場は大騒ぎになったらしい。
ユキコはそれ以降全く発言しなかったそうだった。
黙って椅子に座って、周囲の慌てふためきようをのんびり観察していたそうだ。
ユウトはといえば授業終わりに行きつけのバーで一杯やっていたところを、カント率いる敵意ムンムンの近衛兵に捕まり宮殿に連れて行かれたのだった。
ユキコ姫はニヤニヤ笑いながら、俺と二人きりになった際議場でこう言った。
『ふふふ、久しぶりねユウト。
10年ぶりかしら?
この破滅が待っている帝国において、私の計画を実行するにはあなたは必要なの。
これから私につくしなさい』
結局、その後何の説明もなく俺は家に帰された。
あれから、何度か診察を行なっているがいまだに何の説明もない。
——まったく、買い被ってくれる。
——俺はそんな期待されるような人間じゃない。
——それとも、昔の約束、忘れてなかったんじゃないかって期待を抱いてもいいんだろうか。
ユウトはそんな内心を隠し、とりあえずカントには反論してみる。
「……いや、だからこそ、学者として本質をついた授業を」
「いやもクソも無いんだよ。
お前はすでに公人となった。
公人は高い給与をもらえるが、それはその一挙手一投足に責任を持たなければならないと言うことだ。
そして、たとえ仕事とは関係の無いところであったとしても、その責任から逃れることはできないんだ」
カントは苛立ちを抑えているつもりなのだろう。
だが、抑えきれていない苛立ちが強く組んだ腕や小刻みに揺れる足に現れている。
自分の価値観が通じない相手に、なぜそんな自明なことを説明しなければならないのかと問いかける目。
なぜ、学者として自由に考えを発言させてもらえないのか。
たとえ、一般的におかしいと思われている話でも、議論していけないことはあるまい。
だが、こういう相手は理詰めで抗議しても意味はない。
相手は何かの根拠をもって主張しているわけではないのだから。
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