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「お待たせしましたー」
ユウトが自己憐憫のスパイラルに落ちこむ前にウエィトレスが料理を並べる。
一般的なものより硬めに焼いた拳大のパン二つとよく煮込まれたビーフシチュー。
シチューの良い香りがユウトの食欲にぐっと効果を及ぼす。
雨季に入る前の少し冷え込む日には暖かいシチューが体を温める。
肉だけでなくニンジンやじゃがいも、玉ねぎなどが入っている。
形が残っている具材はそのくらいである。
冷え込む日にはシチューに限る。
ユウトはパンをちぎりシチューにひたひたとつけると、おもむろに口へと運ぶ。
口に含んだ途端、甘いシチューの香りが鼻を抜ける。
香りが鼻を攻略した後は、舌への攻撃が始まる。
肉の油に野菜の旨味をたっぷりと抽出したシチューは、舌全体にうまみをまとわりつかせる。
シチューをたっぷりと含んだパンは皮の硬さがちょうどよい歯ごたえとなって口の幸福感を高める。
噛めば噛むほどうまみが滲み出る。
十分な時間をかけて噛んでいたユウトはごくんと飲み込む。
ふぅと息を吐いてシチューの余韻を楽しむ。
次はシチューの具だ。
厚めに切られた牛肉と玉ねぎ。
スプーンで両方をいっぺんにすくうと、スプーンの上にある具を観察する。
そして、玉ねぎが先に舌に当たるよう向きを調節して口の中に放り込む。
玉ねぎの甘みを感じる。
すぐに肉の脂が口に広がる。
よく煮込まれた玉ねぎと牛肉はあっというまに口の中に溶け込んでしまう。
芳醇なうまみを含んだ暖かい液体はユウトの口の中、そして喉、胃に暖かく甘いコーティングを施す。
ほとんどの時間を一人で過ごすユウトにとって食事の時間はとても大切だった。
周囲の喧騒を忘れ、料理の彩りを目で楽しみ、料理の香りを鼻で楽しみ、料理の食感を手や口で楽しみ、料理の味を舌や喉で楽しむ。
たっぷりと時間をかけて、一品一品の全てを自分のものにする。
ユウトはそこから、止まることなくパンとシチューを堪能した。
食後のコーヒーを飲みながら新聞の技術欄を読んでいたユウトは気になる記事を見つけた。
その記事は知らせたいのに知らせたくないと言うかのように小さく、小さく掲載されていた。
『民間科学開発会社・水蒸気機関の開発に成功する』
へぇ、それはすごい。とユウトは思う。
詳しいことはわからないがEEの必要ない動力機関だそうだ。
少しばかり記事があったので新聞記事をよく見てみる。
どうやら、民間企業の小さなベンチャー企業がEEのいらない動力の開発を目指して作り出したらしかった。
熱した水からでてくる水蒸気を使って物を動かすらしい。
——ん?この記事は……?
——Wild Regression Movement? 野生回帰運動? こんな運動してるやついるのか……。
その記事では、ここ数百年に渡って人類がEEを失った背景に、文明の進化があると書いてあった。
つまり、進みすぎた文明に反比例する形でEEが失われたと。
さらに、最近出回るEE鉱石の採掘量の現象の噂と合わせて、人は今すぐ原始的な生活に戻るべきだと主張していた。
——それで野生回帰運動。なんか、主張自体が疑似相関の根拠に基づいていそうだけれど……。
——野生に戻ったところで人類はEEを取り戻せると思えない。
——すでに、根付いてしまった文明を投げ捨てることは容易じゃない。
——逆に言えばこの主張をしている人間たちは果たして原始的な生活とやらをしてるのだろうか。
何にせよユウトにとっては馬鹿らしい主張には変わりなかった。
考え事に耽っていたユウトはカウンターの隣に座った男から声をかけられる。
「よぉ、ユウト。飯食ったか?」
「カント。今日は早いな」
「まぁな。今日の見回りの当番地区はそれほど広くなかったからな」
カント・カルデルナール。ユキコ姫の近衛兵団長だ。
西の出身の家系であり金色の髪に青い目、高い鼻が特徴的である。
医師一門のエリュシダール家と似たように、カルデルナール家からは多くの武官が輩出されている。
その本家のたった一人の男がカントである。
次男坊であるユウトとは違い、彼は戦士として幼い頃から親に英才教育を受け続けていた。
何の縁か彼とは幼い頃から親しくするようになった。
最近はほとんど会っていなかったが、久々に行動を共にするようになっている。
カントの服装は騎士団の制服だ。
黒を基調として裏地に青を使っている。
折り目から見える青がアクセントとなって全体をすらっと細くしめる。
武家の一家だけあって、頬に切り傷が残っていた。
眼光鋭く高い鼻と相まって睨まれれば何も悪いことをしていない人でもドキッとしてしまうほどの鋭さを持っている。
黒縁の丸い眼鏡をかけているのはその鋭さを隠すためだそうだ。
それは彼に全く似合っていないと、ユウトは心の中で思っている。
「とりあえず飯でも食ったらどうだ?」
「そうさせてもらうわ。すいませーん」
カントは手を上げてウェイトレスを呼びつけるとシチューを注文する。
「肉は無しでお願いします」
「肉くわねぇのか? 戦士たるもの、肉体を鍛えなきゃいけないんじゃないのか?」
「ちっ。お前までオカンみたいなこと言うな。食いたいものを食うんだ。俺は」
カントは目を細めてユウトを睨む。
丸メガネにその表情は合わない。
ユウトは思わず吹き出しそうになり、新聞の陰に顔を隠す。
カントには記事が見えたらしい。
「水蒸気機関? 何だこれ?」
「さぁな、何だろうな。水蒸気って言うからには水を使って何かするんだろ」
「水蒸気に何かしてもらうってことか」
「まぁ、そうなんだろうな。水の力は俺たちが思うよりもずっと強いらしい」
「こんなことして何が楽しいんだろうな?
そんなことしている場合があるなら自分のことを鍛え、自分でできるようになればいいことだ」
ユウトはそんなカントをニヤリと笑いながら見つめると言う。
「お前だって“ギフト”を使って戦闘するんじゃないのか?」
「“ギフト”は人の内から湧き出るものだ。他の力を借りているわけではない」
「まぁ、お前には自前のEEがあるだろうけど……。
だが、こんな噂があるじゃないか。世界は人にEE を与えるのをやめてしまったと。
噂によるとEE鉱石の埋蔵量も、今の調子で使い続ければ向こう十年ほどで枯渇するそうじゃないか」
カントはそういった小難しそうな話は苦手である。
ユウトから目をそらすとカウンターの奥にある棚の酒を見つめながら言う。
「さぁ、よくしらねぇよ。大事なのはたった今、俺が“ギフト”を使えるのかどうかだ。
十年後の話は十年後に考えればいいだろ」
「戦士としてはそれで正解だろうな。
だが、生活者としてはどうだ?
俺たちは生活の大半をEE に肩代わりしてもらっているはずだ。
掃除、洗濯、室温管理。
EEによって発展してきた我らが帝国は、生産や開発の技術だって全てEE 頼りじゃないか。
他国から材料を購入し、EEによって動かせる製品に加工しその製品を売り、動力源となるEEを売って利益を上げてきた我が国にとっては、向こう十年と言う数字は余命宣告に等しいと思わないか?」
読んでいただきありがとうございます!!