2−2
ユキコは井戸の水を組みながら聞く。
「そうそう。あなたは何の目的でユウトを連れてきたの?」
「後でわかるわ。はやく洗うわよ。余計な菌が傷口に入ってしまうわ」
ミヤコはそう言うとさらなる傷をつけないよう優しく、ユウトの体を洗う。
少し筋肉質なユウトの体から汚物が取り除かれる。
あまり屋外に出ていないことが丸わかりな白い肌が露わになる。
ユキコはミヤコの動きに合わせて井戸水を少しずつユウトの体にかけていた。
途中、エルザが小さくなってユキコの前に姿を表し、桶にあった水を要求してきた。
いっぺんにかけてあげるとガシガシと簡単に洗ってあげる。
最後は猫らしくブルブルと体を振って水気を切ると部屋に入って行った。
おかげでユキコはびしょびしょになったが。
ユキコが一人悪態をつきながら体を拭いている間も、ミヤコはユウトのことを丁寧に洗っていた。
綺麗になったユウトの水気をタオルで拭き取ると、二人掛かりでログハウスの診察室の中にはこびこむとベッドに寝かせる。
「すごい、まるで病院みたい」
ログハウスの一室、普段は人でない生き物を診察するための部屋。
様々な薬、そして処置用の道具が常備され、整理整頓してある。
ミヤコの身長に合わせ机も棚も高さを調節してある。
そんな細やかな気遣いまで見える。
「病院よ」
「病院なの!? あなたは医者なの?」
ユキコはミヤコをジロジロと見つめる。
医者にしてはしっかりとついた筋肉。日焼けした肌。
健康美人と言う感じの雰囲気のミヤコ。誰かさんとは大違い。
「まぁ、そうよ。さて、治療を始めるわ」
ミヤコはピシャリとそう言うと、戸棚から軟膏を出す。
「何その、海苔の佃煮みたいなの」
「水苔の軟膏よ。傷につけておくと殺菌してくれるの。
ちょっとしみるけど、気絶してるなら問題ないわよね」
「……大丈夫なの? それ……」
「ちょっと試してみればいいじゃない」
ミヤコはそう言うとユキコの手にヘラですくった軟膏をなすりつけた。
「はぁ!? いっったたたたったたたたたぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ユキコは手をブンブン振り回す。
強烈な痛みが手の芯まで攻撃していた。
ユキコは骨折した時より痛い感じがしていた。
「いだああああああああああああああああああ!」
ユキコは井戸に走っていくと、軟膏に触らないように身長に、確実に手から洗い流す。
目に涙を浮かべながら部屋に戻ると、ミヤコがその軟膏をヘラでユウトの背中に塗っていた。
「ちょっと!!! なんてもの塗りたくってるのよ!」
「ふふっ」
ミヤコはちょっと笑っている。
ユキコの顔が面白かったらしい。
ミヤコの笑っているところを初めて見たが、ユキコはそんなことどうでもよくなっていた。
「何、面白がってるのよ! こんな薬、そんなに塗ったら死んでしまうわ!」
「大丈夫よ。傷以外の部分に塗ると痛いけど、傷に塗ると大して痛くないのよ。不思議なことにね」
「なによそれ……」
ユキコはイマイチ信じられなかった。
だが、今はこの自称医者娘を信じるしかない。
ユキコに医学的な知識はないのだ。
結局、ミヤコはユウトの全身の傷に軟膏を塗り込んだ。
軟膏を戸棚にしまうとユキコをみる。
じっとみつめられたユキコは気恥ずかしさから目をそらす。
「なによ……?」
「こっちにきて。私が行きたくもない人の街に行って、彼をここへ招待した理由をみせるわ」
「理由って、見れるものなの?」
ユキコは半信半疑でミヤコの後ろについていく。
ユウトが寝ている部屋とは別にミヤコの生活するスペースがあった。
その部屋に入った時、ユキコは特有の獣臭さを感じる。
部屋に入るとミヤコはそこに座っていた犬に話しかける。
「クリス、どうだった?」
「ミヤコ。お帰りなさい。問題ありません。
何度か暴れ出すことはありましたが、その度に鎮静剤を飲ませました」
ユキコはぎょっとして目を見開いていた。そのまま目が飛び出しそうだ。
「犬も喋るの……!?」
「犬ですから当然です」
クリスは澄まし顔でそう言った、だが、ユキコの辞書には人以外に話す生き物は登録されていない。
とりあえずユキコは猫と犬の欄に話をする個体もいると書き加えた。
クリスのいる部屋に入るとユキコの鼻を嗅いだことのある匂いが刺激した。
「この匂い……!」
「へぇ、あなたにもわかるのね。これを見て欲しいのよ」
ユキコの目に飛び込んできたのは獣。
それも人の形をした獣だった。
狼にも似た硬い毛をしているが、その形は狼とは全く異なる。
背骨の形が四足動物とは全く違っているのだ。
全身を大量の毛が覆ってしまいわかりづらいが、怪我もしているようだった。
その獣はベッドにロープでしっかりと固定されていた。
「これってもしかして……」
「そうよ。獣になりかけている人ね。
実は知り合いの鳥が獣になりかけた人間を治すところを目撃したのよ」
「獣になりかける……」
ユキコは思い出す。うさぎになりかけたあの時。自分が他人になる瞬間。
「……言いづらいことだけど、あなたからもここにいる獣と同じ匂いがするわ。
だからこそ、この獣の匂いに反応できたのだろうけど……。いずれ、こうなるわ」
ユキコは少し迷ったが告白することにした。
こんな森の中に住んでいる人にまで宮殿の息がかかっているわけではあるまい。
「実は、その、私も獣になりかけた人間の一人なのよ。それをユウトに治してもらったところだったの」
「あら、そうだったの。じゃあ、あなたがワンダの報告してきた人かしら。
それで、途中まで変な言葉使っていたのね?」
「えっ? 私はいつも通り、ラーティン語を……」
ミヤコが怪訝そうな表情を浮かべてユキコのことを見る。
「あなた、気づいてなかったの?
宮殿から森に入る前までは、ずっと人の言葉をしゃべっていることなんてなかったわ。
そうね……ウサギが話すような小さく細かい声ね」
ユキコはなるほどと納得した。
声が出てないのではなく、出ているがラーティン語でない。
そしてうさぎの声。
ユキコはその言葉でさらにわかったことがあった。
ミヤコはおそらく言語的な“ギフト”を操っている。
動物と会話するという“ギフト”。
その“ギフト”を使っているからこそユキコとも会話できていたのだ。
——もし、そんなの“ギフト”があるのなら、すっごい“ギフト”だわ。
人以外と会話するなんて。
そんなことができたら、昔出会ったあの子の気持ち聞き出すこともできたかもしれないわね……。
すぐに逃げ出しちゃったし……。
ユキコは目の前にいる獣をじっと見つめる。ふと思ったことを聞いて見る。
「ねぇ、この人の言ってることわからないの。 獣になっちゃった経緯とか知りたいのだけど」
「それが、何を言っているのかわからないのよ。
言いたいことがわからない相手なんていないはずなのに」
「そうなんだ……」
「ま、よくわからないけど。彼が起きたら治してもらえば話できるようになるわよ。
クリス、またよろしく」
「アイアイ」
クリスは獣の横に自分の居場所を作るとおすわりの状態で待機する。
ミヤコは部屋から出るとユウトのいる部屋に戻る。
いつも座っている机の前の椅子に座ると、ユキコには別の椅子を差し出す。
「で、あなた、どうするの?」
「え? 私?」
「そうよ。ユウトっていうだっけ?
彼、しばらく目を覚まさないわ。
あの軟膏を塗ったから傷は回復に向かうけど。
多分、寝る暇もないほど間断なく拷問を受けたのね。
怪我がひどすぎるから治るまでしばらくかかるわ」
「しばらく……」
ミヤコは机に頬杖をつく。
ユキコから見てもその雰囲気は妖艶であり、自分が男だったら目のやり場に困ったに違いない。
「あなた、姫なんでしょ? そんなに長いことこうしていられるのかしら?」
「それは……。姫としての仕事の方は問題ないわ。一緒にいていいなら一緒にいさせてほしいわ」
ミヤコはふんと鼻を鳴らすと言う。
「まぁ、いいわ。あなたなら。完全な人だったら確実に追い出していたけど」
「人が嫌いなのね」
「ええ」
ミヤコはそれ以上聞いてくれるなと言うかのように、ユキコから視線を外すと立ち上がる。
——私には優しくしてくれるのね……。
だが、立ち上がったミヤコはユキコを振り返って、一言。
「あなた、水浴びでもしてきたらどう?
猿みたいに臭いわよ」
「ムキーーーーー!!!」
ユキコは言われた通り、水浴びすることにした。
全身に汗をかいてしまったし、顔に塗りたくった黒い塗料のせいで顔が痒くなってもいた。
井戸の水はとても冷たかったが、いろいろなことが起きた一日を乗り越え疲労した体にはとても心地よかった。
固く結んでいた髪をほどくと月明かりを反射する美しい銀の髪があらわになった。
頭から井戸水を被り顔をこする。
真っ黒な塗料が取れ、自慢の白い肌に少しずつ戻る。
「服、これしかないけど。ここに置いておくわね」
「あ、ありがとう……」
後ろにはミヤコが立っていた。ユキコの服の上に置いてくれたのは白いブラウスに濃い青いスカート、そして大きな革のベルトだった。
——スカートは腰の高い位置で履くタイプね。それをこのベルトで止めるのね……。
——ん?
「あれぇ……?」
ユキコは気がつく。
——服を着るならばあれとあれがいるんだけど……。
いや、まぁ、最悪さっきまで着てたやつ着るけど……。
「ミヤコさんんんんんんんんんんんん!?!?!?!?!?」
——もしかして、そう言うものつけないタイプですか!?
「これは死活問題よ。ユキコ……!
一週間も滞在するのに、それらがないのは厳しいわよ……!」
ユキコの頭の中には葉っぱで局部を隠した原始人の格好がちらほら見えていた。
——くっ、これしか手がないの……?
ユキコは井戸の前で想定外の深刻な問題に対して解決策を出すべく頭を抱えていた。
ユキコの死活問題!!
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