1−5
「あ、銀色の猫……」
ほとんど、声になっていない呟きだった。
だが、銀色の猫は正確に木の上に隠れているユキコの目を見つめた。
——うっ、すごい耳だわ……。でも、やましい者同士仲良くしましょ?
キコがそういう意味で、ウィンクをする。
だが、猫はプイと正面を向いてしまう。
どうやら一応黙っていてくれるらしい。
地下牢の入り口を守っている衛兵たちは困惑した様子で、その変な光景を見ていた。
しかし、侵入者である。
迷いながらも仕事を果たす衛兵。
「お嬢さん。ここは立ち居入り禁止なんだ。引き返してくれるかな?」
「断る。私はその奥に用があるの。邪魔しないで」
「そうはいかないんだ。すまないが帰ってくれるかな」
ユキコは衛兵ののんびりとした対応に対して叫びそうだった。
——衛兵ぃぃぃぃ!
私が言えたことじゃないが、ここまで侵入されているということが異常なんだぞ!
宮殿に侵入する人間の話なんて歴史の授業で聞くくらいには珍しくなるほどほとんどいない。
けど!だからこそ、入られていることの異常性に気づけ!
早く連絡しろ!
———あぁぁぁぁぁぁ、いや、今はダメだぁぁぁぁぁぁぁ!
ユキコは頭痛を感じて頭を抱え、体をねじる。
——まさか、衛兵の仕事ぶりがこんなもんだとは……。
私はよくこんな中、安心して寝付いていたものだ……。
平和ボケとはこういうことをいうのだろう。
「どいてくれないなら……しょうがない」
猫に乗った女は腰のポーチから何やら赤い塊を取り出すと火をつける。ユキコは慌てる。
——爆薬!?そんな物こんなところで爆破されたら!
だが、ユキコの心配は杞憂に終わる。
女は赤い塊を衛兵に投げつけるが、途中で火が消えてしまった。
衛兵は何気なくそれをキャッチする。
「なんだこれ?」
「アルシアの花と水をかき混ぜ、原型を無くし固めた物よ。
効果はあなたたちが身を持って知ることになるわ」
「だが、何も起こらないじゃないか」
その瞬間。赤い塊はぽんっと弾ける。地下牢の入り口がピンク色の煙に包まれる。
すぐに二人の衛兵はばたりと倒れる。
——毒!?
ユキコは遠目に衛兵の安否を確認する。
——胸は……。動いている。呼吸をしている。
ユキコの心配を察したかのように女が効果を説明してくれる。
「アルシアの花は森の窪地に咲く赤いふんわりとした花。
自分の根っこで大きなくぼみを作り、そこに迷い込んだ動物を自前のEEで作り出した催眠ガスで獲物を眠らせゆっくり食らう肉食植物。
そのガスを吸った生き物で寝ないのは妖精くらいよ。
森の産物をナメないことね」
女はそういうとピンクのガスが晴れた地下牢の入り口に悠々と入る。
ユキコは迷う。早速想定外だった。
——どうしよう。なんか、変な事件に巻き込まれそうなんじゃないの、私……?
でも、ユウトを助けるなら好都合かも。
申し訳ないけどあの女に便乗させてもらうしかないわね。
ユキコは木から静かに降りると地下牢への階段を下り始めた。
地下牢の中は暗く冷たかった。
一歩一歩靴音を鳴らして歩く音が、壁の冷たい石に反射され、いつまでも反響しているように聞こえる。
それだけで、気の小さいものはここに入ることを忌避する。
王宮の牢獄は普通の犯罪者が入ることはない。
政治犯、または連続殺人などの重罪を犯した人間のみ。
ある意味で選ばれし犯罪者が入る。
そんな地下世界には鬱屈とした停滞の空気が充満していた。
恨み、諦め、怒り。人の負の感情が充満する息苦しく重たい雰囲気。
ユキコは地下牢の天井をぶら下がりながら移動する。
——こうしてぶら下がりながら移動するのはちょっと苦手かも……。
すぐに猫に乗った女に追いついた。
猫に乗った女は地下牢の雰囲気に全くそぐわない花の匂いを振りまいている。
銀色の猫の方はのっそのっそと歩く。
他人の事情なんて知ったことではない、そう全身でアピールしているかのようだった。
地下牢に捕らえられた犯罪者たちがその地下牢では感じられない女の匂いに鉄格子にへばりつく。
「ああ、いい匂いだなぁ……。女の匂いだ。久しぶりダァ……ここに入ってこいよォ」
「おい、そこの女、ここに来いよ。バラバラにしてやるから」
「あら、まだ、手をつけられてない女の子。私があなたのハジメテ、もらってあげるわよ?」
ユキコは反射的に鼻を摘んでしまう。
——ここには世の中の腐臭が溜まってる……!
——それにしても、この女、随分と迷いなく進むわね。
地下牢は入り口に軽犯罪、進めば進むほど重罪人が入っている。
けれど、その構造はとても複雑だった。
これも宮殿のシステムの一部であり、一日たりとも同じ構造になることがない。
昔の人の“ギフト”によって常に地下の構造が変化するようにしてあるのだ。
ただし、その構造の変化はかなり無茶なものもあり、つなぎ目がおかしなことになっていることも……。
——あっ、言わんこっちゃない。
銀色の猫は足元の大きな段差に引っかかって転ぶ。上の女が慌てて猫を掴む。
「ちょっと、エルザ! しっかり歩いてよ! 猫なんだしそんなふらふらふらふら!」
——猫はエルザって言うのね。あんまり聞いたことのない名前……。
それにしても猫と会話するなんて、一体どんな“ギフト”なの……?
そんな人がこんなところになんの用なのかしら。
「え?匂いをたどりながらだと足元がおろそかになる?
そんな犬みたいなことしてないでしょ。
あんた、EEの残滓で探してるはずなんだから」
エルザと呼ばれた猫は女の顔の方を見上げて怒ったような顔をしている。
「何を怒ってるの。早く、獣担っていた人を元の人の姿に戻した人のところに案内しなさい。
こんなに人がいるところなんていたくないもの。さっさと連れて帰るわよ」
ユキコは思わず手を離しそうになった。
——ちょっと!この女の探してる人っユウトじゃないの!
ユキコは梁の上に登ると思案する。
——どーーーしよぉぉぉぉぉぉぉぉ! なによ、この状況! あいつ、何者なの!?
なんでユウト狙ってるの? 一体なんなの!? 狙いは!?
ユキコの迷いをよそに、エルザは迷いなく歩き続ける。
ユキコはエルザたちについていくしかなかった。
そして、ユキコの想像通り、エルザとその上にいる女はユウトを目指して歩いていたのだ。
猫の歩みがある牢屋の前で止まる。
部屋の中から人とは思えない匂いが漂ってくる。
アンモニア、尿素、酪酸。刺激臭、腐卵臭。人から出る臭さを全て凝縮したかのような匂いだった。
——ここにユウトがいるの?
ユキコはその願いを込めてエルザを見る。
エルザはすっと腰を屈めると背中に乗せた女を下ろす。
どうやらエルザは背中に乗っている女のことをかなり敬っているらしい。
女はそのまま歩くと鉄格子の前に跪く。
そして、ポーチからガラスの瓶を取り出す。
「イモタルサスの蜜。強烈な酸を作り出し金属を溶かす」
そう言って女は鉄格子のガラス瓶の中身をかける。
ジュワーという音が鳴り、大量の気泡を発しながら鉄が溶けていく。
ユキコはその様子をじっと見ている。
——植物の知識がすごいわね……。イモタルサスなんて図鑑でしか見たことないわ……。
そして、あっさりと鉄格子が溶かされる。
女は人が簡単に通り抜けるほどの穴が空いた鉄格子を潜ろうとする。
間違いない。ユウト狙い!ユキコは意を決して飛び出す。
「—————————————!!!!!(ちょっと待ったぁぁぁぁぁ!!)」
——ぬあああああああああああ! 私、声が出ないんだったぁぁぁぁ!
さぁ、ユキコはどうやってコミュニケーションを…?
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