2−5
気がつくとユウトは行きつけのお店にいた。
どうやって移動したのか、誰かと話したのか何も覚えていない。
体が冷えている。
雨に打たれていたらしい。
いつの間にか、店はバーの時間になっていたらしい。
ユウトはランチの時にいつも座る席に座った。
「マスター……。お酒。強いやつ」
「珍しいな。あんたがうちのバーに来るなんて。いつもランチだけじゃないか」
「今日はそう言う気分なんだ……。
別にいいだろ?あんたはバーのマスター。俺は客。
お酒を出してくれればいいんだ」
バーのマスターは困った顔をしながらもお酒の用意をする。
コップの中に注がれた琥珀色の液体が氷の表面を撫でて濡らす。
「まぁ、お前さんの言う通りだな。
俺はバーのマスターとしていろんな悩みを聞いて来たが、ここで話してスッキリして帰るやつとスッキリせずに帰るやつを観察していてわかったことがある」
マスターはそう切り出すとコップを磨きながら話を続ける。
「悩みっていうのは話すと楽になると良く言うが、それは違う。
話して楽になる悩みっていうのは大きく分けて二つだけだ。
一つ目は自分の中で潜在的に結論が出ている時。
こっちの時には話せば話すほど自分の選択が正しく感じられる。
こう言う奴はアドバイスをしたところで聞いちゃいねぇ。
人のアドバイスを聞くとそれが間違っているように感じられるからな」
「そしてもう一つは取るべき選択が、本人の見えていない変数で決定されている時だ。
この時、話のわかる人に相談するとその判断基準を提示してもらえる。
こう言うやつは大体悩むべきところで悩んでいないタイプだな。
悩むべきはこっちだよと示してやるとスッキリする。
だがな、世の中そんな簡単じゃねぇよな」
ユウトはぼんやりとマスターの話を聞いている。
だが、会話する気にはならなかった。
「逆に相談しても上手く意味をなさない悩みが二つある。
さっきのも二つだったな」
マスターは何がおかしいのかクスクス笑う。
そして、話を続ける。
ユウトはそんなマスターに少しイライラする。
ゴクリと酒を一口で飲み干してしまう。
「人間関係がうまくいっていないという悩みと金が足りないという悩みだな。
前者は当事者たちに向かって話してないから、本人の愚痴大会になって終わる。
日常に戻ればその悩みはまたその当事者へと降りかかる。
結局、店に来て酒を飲む羽目になる。
お金の悩みは話しても貸してくれる人はほとんどいないということだ。
そうやって愚痴っている間に働いた方が意味あるだろうな。
なぁ、あんたの悩みはどんなのだ?」
ユウトは思わず声を荒げる。
「偉そうに人の悩みを語るな!
俺の悩みはそんな簡単にまとめられるようなもんじゃねぇよ!
いいからあんたは俺に酒だけだしてりゃいいんだ!」
マスターは両手を上げて降参のポーズをとる。
静かにユウトのカップにおかわりの酒をいっぱい入れるとその場を離れた。
ユウトは琥珀色のお酒、その水面に映っている自分を見つめる。
——今自分はどんな顔をしているのだろうか。
家族は自分から離れてしまった。
医師の友達だっていたはずだが、気がつくと誰もいなくなっていた。
自分が関わるとその人はいずれ離れていく。
それは、相談という行為そのものを否定する状況だった。
——医師会の掟を破ってしまったことはもちろん、俺が悪かった。
——何しろ自分の兄貴が行う予定だった手術を勝手に横取りしたのだ。
だが、その患者はユキコだった。
——ユキコは血液の病気になっていた。
——正直なところエリュシダール家にそんな病気を治す方法はない。
——カズトの手術方針は血の入れ替え。
——別の人間の血を丸々ユキコの中に入れてしまうらしかった。
——そんな治療では輸血元になった人間は死ぬし、ユキコが治る可能性なんてほとんどないに等しかった。
——だから、俺は動いた。
——ユキコの寝込みを襲って、素手で彼女の体を触り治した。
——翌日、ユキコが急に元気になった。
——病院内では誰が治したのかと大騒ぎになり、俺の名前が出た。
——…………いや、出てしまった。
——言ったのは新人看護師。
——彼女は親切心で言ってくれた。
——ユウトがユキコの部屋に忍び込むのを見ていたらしい。
——治したという功績で俺が取り立てられると思ったのだろう。
——だが、その看護師の思惑は外れ、医師会は俺を干した。
——そして俺の研究は日の目を浴びることがなくなった。
——話す前から失望の表情を浮かべている相手に対して研究内容を発表する苦痛。
——そして、強烈な否定の言葉。研究内容だけでなく自分自身の人格まで否定される。
——最近再会したカント。
——だが、彼はもう自分には会ってくれないらしい。
——何度か一緒にユキコのところへいく。
——たったそれだけだった。話すのも宮殿に向かうリムジンの中だけ。
——たったそれだけでも俺は楽しかったのだが、彼は俺から離れていってしまった。
——一番信頼していたはずのユキコまで俺を拒絶する!
——俺は、彼女のために!
——命の恩人である彼女に命を捧げるつもりだ!
——そのためにこれまでずっと能力を秘匿して来たし、これからもそのつもりだ。
——だが、そんな相手からも否定される!
同時刻、ラーティン宮殿の一室。
部屋の中には、焦り、戸惑い、迷いの表情を浮かべた人がそれぞれ右往左往している。
特に動き回っているチコが叫ぶ。
「サコ! サコ! 私、一体どうしたら!?」
「私に聞かれてもわかるわけないでしょ!
こんな症状、一体どうしたらいいっていうの!」
ミギトは“それ”に毛布をかける。
体が膨れ上がり、いつも着ている空色のドレスは限界まで引っ張られ伸びている。
“それ”はチコとサコの方を向いて何か言いたそうにしているが、その言葉は聞き取れない。
喉の構造がすでに人のそれと異なってしまっているのだ。
「ああああああああ!
一体どうしたらよろしいのですか!
こうなる可能性はあった!
だからこそ、ご忠告申し上げてきましたのに!!」
「サコ! 落ち着いて!
こういう時こそ!
私たちは一致団結して協力しなきゃ!」
「一体、何ができるっていうのよ!
ミギトも何か言ってちょうだい!」
ベテランの老執事であるミギトは、メイド長であるサコに穏やかに、だが、断固たる声で語りかけた。
「サコ。落ち着きなさい。
私たちがしなければならないことは二つ。
まず、このことがバレないようにすること。
サコもそれはわかっているはずです。
これだけ騒いでいるのに核心をつくような話はしていません。
今すぐ静かにしなさい」
普段、虫も殺さぬほど温厚なミギトが、細すぎて開いているかどうかわからないほど細いミギトの目が開かれて、サコの目をまっすぐに見つめている。
サコは、塩をかけられた青菜のように小さくなって言う。
「失礼いたしました。
メイド長たる人間の言動ではありませんでした。
自重いたします」
サコの良い点だな。とミギトは思う。
素直で聞き分けが良い。
どうして、姫様の人を見る目は狂っていないと感心してしまう。
サコはぱっぱと髪を整えると言う。
「して、ミギト殿。もう一つとは?」
「早急にユウト様を探すべきでしょう。
彼は姫様が選んだ専属医師です。
彼ならばきっと……。
私が、姫様は体調不良ということで午後の公務をキャンセルしておきます。
サコ、チコ。ユウト様を探してきてください」
「わかりました。すぐに」
「了解です」
サコとチコは短く返事をすると部屋を飛び出す。
本当は姫の身が心配でならなかったが、自分たちができることなど無いことは見るまでもなかった。
サコは最悪を想定し覚悟を決めた顔で、チコは少し涙が溜まってしまった目をこすって走り出した。
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