2−2
「背中の産毛でも剃ったのか……?」
ユキコの裸など幼い頃に見た以来久々だったが、よく考えてみると剃っているのかもしれない。
だとしても姫が自分で剃るわけでもなし。
いったいどんな下手くそが背中を剃ったんだろうか。
王族の毛剃りを行うような人間があんな広い背中を剃り損ねるだろうか?
ユウトはぼんやり考え事をしながら髭剃りを終えると顔を洗う。
切り傷はしばらく残りそうだった。
カーゼを当てて血が止まるのを待つ。
淹れたてのコーヒーが入ったポットを手に取り、カップに注ぐ。
ふわりとコーヒーの深い香りが広がる。
熱々のコーヒーを一口。
苦味の強いコーヒーが好きなユウト。
コーヒーショップでビターな種類を厳選し混ぜて作ったユウトオリジナルのコーヒーは優しく落ち着いた苦味とその裏に隠れた旨味を舌の上で踊らせる。
しばらく口に含んで香りを楽しみ、そして飲み込む。鼻から息を吐くとコーヒーの残り香が通り抜ける。
——うまい。
ユウトは机の上に置いた資料に目を通す。
今日は父親との約束の日。
医療技術を父親に見せなければならない。
この資料はテスト内容の通知書だ。
「ランダム患者に対する診断とその処置。
つまり、その場で初めて会う患者さんを診断し、さらに治療しろと言う内容らしいが……」
このテスト内容では予習をしても何の意味もなかった。
せいぜい、テストが一日であることから、一日以内で治療できる病気または怪我だと考え、その辺りの病気や怪我の治療法を復習しておくくらいだった。
そして、ユウトはおそらく“ギフト”を使うことになるだろうと考えていた。
「素直に一日で治せるような患者を用意するとは思えないからな……。
間違いなくなんらかの罠を仕込んでくるはずだ。
医師会の掟を破った俺にルールを適用すべき理由はないからな……」
それよりも、“ギフト”を使う羽目になることを一度、姫様に報告しておかなければならない。
ユウトは、少し早いが姫様の検診に向かうことにした。
ユウトは外に出る。
今日は大学の講義を休講にしておいた。
カントに言われた通り獣化症を扱わない。
となると新しい授業内容にしなければならず、準備が間に合わなかった。
その分姫様の診療時間を長めに取り話をするつもりだった。
ささっと服を着替え髪の毛をセットする。
今日は大学の校章が入ったネクタイピンは必要ない。
動きやすく余裕を持って作られた紺色のスーツ。
お気に入りの明るい紫色のネクタイにお気に入りの銀色のネクタイピン。
そして、黒い革の手袋。
ユウトは家の前で待つ。
大きな道路には出勤する人たちが車で移動している。
商社マン、建設、デザイナー、魔導研究者、宮殿の世話人、芸能人。
——ここにいるだけで目の前を多種多様な人が通り過ぎていることだろう。
——自分は何者なのだろう。
——医者?大学教授?
——俺は必要な人間なのだろうか?
——生きている意味はあるのだろうか?
道路の路肩にはすでに銀塗りの高級魔導車停車していた。
ガチャっと扉が音を立てて中から近衛兵が出てくる。
「カント……、じゃない?」
「カント様から承りまして、私クロトが代わりにユウト様を宮殿までお連れいたします」
「……わかった」
ユウトは頷くと、高級車の中に乗り込む。
車はなんの音も立てずに走り出す。
ユウトは窓の外の景色を眺める。
昨日までは晴れていたのに。
「最近、雨が増えてきたな」
近衛兵は車の運転席に座り、ユウトの方を向かずに答える。
「ええ。雨季に入り始めた証拠ですね」
「にしても、診察の日を狙ったように降るとは。姫様は雨女なのかな?」
「おそらく、ユウト様が雨男なのかと存じます」
近衛兵は最後の言葉には少し棘を含ませた言い方をする。
どうやら、冗談が通じないタイプのようだった。
ユウトはやれやれと思いながら曇り空を見上げた。
そこから先、近衛兵との会話は全くなかった。
どうやら、姫のことを少し悪く言ったことが気に障ったらしい。
ユウトはむしろ申し訳なくなる。
ユキコとは幼い頃に一緒に遊んでしまったせいでいわゆる“お姫様”と言う感覚を持てなくなってしまった。
彼にはきっと可憐で白くてふわふわの憧れとしてのお姫様がいるのだろうが、俺にとっては天邪鬼でいたずら好きの可憐な女の子だ。
可憐という部分は一致してると思うし許して欲しいユウトだった。
宮殿の門の前で車が止まる。
この近衛兵はどうやらここまでしか送迎しないつもりらしい。
「それでは」
近衛兵はそれだけ言うとさっさと走り去ってしまう。
「宮殿まで歩くしかないな」
ユウトはそう独語すると、のんびり歩き始める。
しばらく歩いていると広場が見える。
この前来た時に見た広場。
「時間あるし、久しぶりに寄ってみるか」
ユウトは芝生の整備された広場に入る。
広場にはほとんど何にもない。
大きな木が一本、そして、十字に固めた木の棒にバケツを頭に見立てて被せたカカシが一つ。
バケツば叩かれ続けてボコボコに凹んでおり、雨ざらしにされてサビがひどかった。
だが、バケツの凹み一つ一つに思い出がある。
昔はここでよく遊んだものだ。
ユキコ、カント、そして俺。
最初はユキコがよくわからない遊びをひらめいたと言って俺とカントを巻き込む。
時には執事のミギトにトイレが爆発するいたずらを仕掛けて三人ともげんこつを食らったこともある。
遊んで遊んで、遊び疲れて、最後にはこの広場に来る。
少し休憩して、すぐに手合わせと称して一対一の決闘をしていた。
余った人は見学かカカシが相手だった。
カントは武家の一門だけあって強かった。
両刃の剣を模した木刀を操り騎士の中でも正道な剣術を得意としていた。
中段の構えに足を前後に開きどんな攻撃にも対処できる。
オーソドックスだが隙が生まれることが少ない、ミスを減らし相手のミスを誘う、そんな剣術だった。
彼は戦闘中に“ギフト”を使うことはほとんどなかった。
カントの“ギフト”は大人の事情とやらで隠されていたらしい。
今だに、ユウトはカントがどんな“ギフト”を持っているのか割っていない。
対してユキコは武器など使わない。
拳に硬いワニの革手袋をつけて戦っていた。
軽い身のこなしで相手の剣をいなして懐に入ると正確に弱点を狙って拳を突き出す。
そのスピードが早い。
彼女の“ギフト”は自分の動くスピードを速める魔法だ。
長時間は使えないが相手の隙を逃さず的確に自分の間合いに持ち込んでしまう。
男との力の差を“ギフト”で埋め、体重の軽さを生かした素早い戦闘が得意だった。
俺は戦闘訓練など受けたことなかったから、二人の戦いを見ながら編み出した我流の剣術。
カントのようなきっちり削り出された木刀などなかった。
結局、その辺に落ちていた枝を削ってそれらしく作った剣で戦っていた。
カカシの頭を模したバケツには三人それぞれがつけた傷が綺麗についている。
一直線についた傷、拳の跡、ベッコリと凹んだ傷。
ユウトはカカシを撫でる。
古くなって腐食が始まっているらしく、撫でるだけでボロボロと木が崩れ落ちる。
「いま、勝負したら誰が勝つかな?
やっぱりカントかな?
いや、ユキコか?
やってみないとわからないだろうな」
ユウトがしばらく感傷に浸っていると、パンッとバケツを打つ音が鳴る。
「雨、ふってきたか……」
空を見上げるユウト。
手が届きそうで届かない。
暗く黒く低い空。
しかし、そこから、一粒一粒、水の粒がじっくり時間をかけて地面に到達する。
地面に届いた雨粒はその形を奪われ、地面に広がる水の一部として溶け込む。
ユウトはゆっくり、歩道に敷設された屋根の下に入る。
「カントの迎えはもう無しか。
まぁ、あいつも忙しいしな。
わりと会って話すの楽しみだったけど……。
何か嫌われることとかしてしまったか?」
——人の気持ちとは難しい。
——俺の考えすぎかもしれないし、事実かもしれない。
——気にしていること自体が無駄な行為なのかもしれない。
——だが、一度気になってしまったものは、無視することなどできない。
——何をもって好きとするのか?人に好かれるというのは本当に難しい。
「ユウト・エリュシダールか?」
ユウトは後ろから話しかけられる。
振り向くと騎士の制服らしき黒い服を着た女が立っていた。
普通の騎士制服と比べるときらびやかな装飾が排除され、とてもシンプルなデザインになっている。
女は長い髪を後ろで一つにまとめると腰まで垂れている。
表情にはいくつもの死線を潜ってきた厳しさが現れている。
高い鼻にキレのある目、顎を引き相手を観察するその雰囲気にユウトは圧倒される。
無条件で相手を信じ応対する人では絶対にしない顔。
腰には足元まであるような長い剣。
あれだけでかなりの重量になるはずだが、その重さを全く感じさせない身のこなし。
ユウトは肌で感じる。
強い。
自分の能力を隠したまま勝てる相手ではない。
「そうですが……、あなたは?」
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