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月明かりの差し込む城の中を、何人もの人物が二人を先頭にして早足で移動していた。後方に付き従うのは全員が同じ服で揃えられたメイド達だ。であれば、彼女達の主は前にいる二人と言うことになるのだろう。
先頭の二人の内一人は美しい服を着た、その服以上に美しい女。銀色と金色が混じったような色の長髪は歩くだけで風にたなびくほど細く、完璧なウェーブを描いている。顔立ちは少女と呼んでも差し支えない幼さを残しているが、それと相反するような妖艶さも兼ね備えていた。彼女はこの城の女王でありサキュバス、プリメラ・ヴァサンティである。
「間違いないのね」
「はい、『召喚石』に魔力を注いでいる魔術師によればいつ結晶が砕けてもおかしくないと」
そう答えたのはプリメラの隣を、一歩後ろに引く形で歩いていた執事服の老人だ。白髪を後ろで束ね、背筋を真っ直ぐにして歩くその姿には威厳とでも呼べるものがかいまみえた。そのイメージにたがうことなく、彼、悪魔ヴァルスはこの城でも重要な役職である執事長の立場を与えられている。
「中にいる『英雄』は……いえ、私たちの立場からすれば『反英雄』と呼ぶべきかしら……。彼らは間違いなく召喚できているのね」
「間違いなく、でございますお嬢様。……不安になられるのはわかりますが、どうかお喜び下さい。ヴァサンティ家の悲願を、お嬢様は果たされたのです」
「そう……そうなのね……。本当に、長かった……」
そう呟く彼女の顔は、悲願を果たしたという喜びよりも、まるで遠い過去を思い返して後悔しているかのような哀愁に満ちた物だ。しかし、それと相反するように彼女の瞳は強く前を見据えていた。
「だけど、これで満足するわけにはいかないわ」
「お嬢様……」
「そうでしょう、ヴァルス? ここまで来ても、これだけの事をしても、未だに私たちはスタート地点に立てているかどうかすら不明瞭なんだから。それどころか、この判断がそもそもから間違っている可能性だって十分にある」
「……どのような結果になろうとも、これ以上の手段があるとは私には思えません。お嬢様の行動は最良の物でした」
「ありがとう。でも――」
そして次の言葉は
「――私たちにはもう失敗は許されない」
きっと自分自身に向けた物だったのだろう。
プリメラは一枚の扉の前でピタリと立ち止まる。大きな扉だ。この城の中でも上から数えた方が早いほどに厳重な物であり、プリメラにとっては何よりも重要な扉だった。
「事前に説明したことは覚えているわね?」
プリメラは振り返り、背後で整列していたメイド達にそう問いかける。
「これから私たちが会うのは紛れもなく人間よ。私たちが殺してきて私たちを殺してきた存在と、種族という点では何一つ変わり無い。だけど、最上の敬意を払いなさい」
プリメラの言葉に答えるように、7人のメイド達は頭を垂れる。この日を想定して幾度となく議論を交え計画を立ててきたのだ、任務の重要性を理解できぬ者は一人もおらず、今さら不平不満がもれるはずもない。
だがそれでも、プリメラはもう一度念を押さずにはいられなかった。
「あなたたちが私に向ける以上の敬意を払いなさい。全てが理想通りに進むのなら、これから会う御方はいずれ魔王となる御方なのだから」
その言葉にメイド達とヴァルスがどんな表情を浮かべたかは、彼らが頭を下げていた状態ではうかがい知れない。だがやはり不満の声は漏れることなく、プリメラは扉へと向き直りそれを開けた。
「……!」
始めにプリメラの目に入ったのは巨大な魔方陣だった。
部屋一面に広がる――否、もはや部屋そのものが魔方陣と化していたと言っても過言ではないだろう。決して暗くはない部屋を薄暗く感じさせる魔法陣の怪しげな光に、プリメラはまず息を飲んだ。そう、この部屋に彼女が入るのはこれが初めてなのだ。
万が一に起こり得る失敗を万に一つも侵さないために警戒に警戒を重ね、あらゆる不安要素を廃した結果、この部屋にはごく一握りの魔術師しか出入りできないようになっている。無論、魔法陣や魔術が人の出入り程度で壊れるはずがないのだが、それでも、『女王の出入りすら禁じる程に』慎重にこの計画は進められてきたのだ。
後がない。
つまりはそういう事だった。
とは言え、女王であるプリメラはこの魔法陣の――この召喚術式の効果や概要については報告を受けていた。そしてそれ故に、次に彼女が意識を向けたのが部屋の壁面だったのは必然だったと言えるだろう。
十二個の『人が入りそうな程に大きい』赤い結晶。
それが等間隔で部屋の壁面に埋め込まれていた。
「『召喚石』の進行は完璧だよ、女王プリメラ」
その部屋の中央にいた少女が声を出す。
「魔女王アルタール……ありがとう。あなたがいなければこの計画は完成しなかった」
「礼はいらない。これは僕たち全員の希望だ。それに、それを言うならば君がいなければこの計画は始まりすらしなかった」
「それでも……」
言いかけたプリメラをアルタールは手で遮る。
「それよりも、だ。僕は疲れているから早く終わらせよう。ここからは君の領分だろう」
「そう……ね」
プリメラがそう答えるやいなや、アルタールの足下に広がる魔法陣が強い光を放ち始める。そしてそれに呼応するように、十二個の召喚石の一つが淡く輝き始めた。
それはプリメラが事前に聞いていた計画通りの光景だ。
だが、計画通りに進むのはここまでであろう事をプリメラは悟っていた。召喚石からどんな人物が出てくるかさだかではないのだ。鬼が出るか蛇が出るか――鬼が出てくることはわかっていたかもしれないが。
「……」
そして、全員が固唾を飲んで見守る中、召喚石にヒビが入り――それが砕けた。
石が砕かれ破片となり、破片がこぼれて砂になり、その砂が宙に舞って光のように消えた後、そこには一人の『人間』がいた。服装は性別の判断のつかない見慣れないものだったが、男だと、体格からプリメラは判断する。倒れるようにして召喚石から出てきたその男は重力に従うように前に倒れ そして膝をつき、頭を垂れ、右手で顔をおさえ、左手は床に触れているような体勢になった。彼がいましがた召喚されたことを知らなければ、突然なんらかの病気の発作でも起きたのかと疑ってしまうような体勢だ。
プリメラは背後にいた一人のメイドに目で合図する。
ここまではまだ想定内だ。召喚された人間が召喚時に強烈な目眩を覚えることは、事前に話に聞いて知っていた。ひとまずは介抱し、話ができる状況を整え、そこからがプリメラの領分となる。
彼女と彼女の配下達はサキュバスだであり、男女の区別なく美しいと感じさせる容姿を持つ彼女達は、人の中に紛れ込み、魅了し、不意を打つことに特化した性質を持っている。それはつまり、数ある魔人の中でも最も人間相手の交渉に慣れている種族であるという事だ。
プリメラに合図を受けたメイドがゆっくりと男に近付く。警戒させないように、敵意を持たれないように、そしてこれからの交渉に一切の悪影響がでないように。
交渉、交渉か。プリメラはどこか自虐的に思う。『交渉などではない』、これから行われるのはきっとただの懇願だ。こちらに持っている物などほとんど残っておらず、相手には全てを救ってもらおうとしているのだから。そんな奇跡のような事を自分は可能にしなければならない。
そのために、プリメラは男を注意深く観察する。その一挙一動その全てからあらん限りの情報を読み取り、相手に望む物が無いか、相手が嫌悪する物はなにか、その片鱗だけでもつかみ取ろうとした。
そしてその瞬間。
「あ――」
そんな短い声と共に。
まずは近付いていたメイドの首が飛んだ。間欠泉のように血液が首の断面から吹き出し、それに押し退けられるように首が宙を舞う。そして首を失った体が倒れる暇もなく、その左胸に刃物が突き立てられた。
膝を着いていたはずの男は、何事もなかったように立っている。たった今人の命を奪ったことになど、何事でもないと言わんばかりに。
助けようとした者さえも殺すのが殺人鬼なのかと、そうおもいながらプリメラは言葉を絞り出す。何を言うべきかわからないまま、ただ言葉をつむぎだすしかないのだ。『あなたに頼みたいことがあります』と。
そして殺人鬼はこう言った。
「面白い」
そうやって、殺人鬼と女王の邂逅は当然のように殺人によって始まった。