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エンドリア物語

「暖かいプレゼント」<エンドリア物語外伝73>

作者: あまみつ

 リュンハの城には活気がある。

 マリーローズは、中庭の噴水の傍らに備え付けられたベンチに、ひとり腰掛けていた。

 中庭をとりまく回廊は行き交う人が絶えない。膨大な書類を抱えた政務官や剣を携えた武官や黒いローブをまとった魔術師が、足早に通る。

 ポカジョリットは違う。

 あそこは停滞している。

 沈殿した空気、鈍重な動き。

 息が詰まりそうになる。

 マリーローズは空を見上げた。

 澄み切った青。

 見つめていると、落ちていきそうな感覚になる。

 そうなれば、いいのに。

 右手を空にのばした。

「なにをしている?」

 優しい声がした。

 振り向くと、よく知った顔がそこにいた。

 リュンハ帝国前皇帝、ナディム・ハニマン。

 複雑な模様を織りこんだ豪華な黒のローブをまとい、宝石がついた杖を片手に立っていた。

 マリーローズは慌てて席を立ち、礼を取った。

「隠居の爺に、かしこまることはない」

 リュンハ前皇帝は、手で座るようにうながした。

 小さい頃、マリーローズは父親のポカジョリット王に連れられてリュンハの城に来たことがあった。最初に見たときは怖かった。厳めしい顔をして、鋭い声で城の人々に命令していた。父に言われ、式典で国から持参した花束を皇帝ナディム・ハニマンに渡した。その後、何度もリュンハに来たが、前皇帝にこれほど近づいたのは、その時以来だ。

「そんなにわしが怖いか?」

 うつむいたまま、首を振った。

 怖いというより、恐れ多い。

「ふむ」

 考えるような声が聞こえた。

 そのすぐ後、別の声がした。

「御前、お急ぎください」

「そう、せかすでない」

「しかし」

 うつむいたマリーローズは、黒いローブが一歩近づいたのが見えた。

「そなたには美しい花束をもらった。あの時の礼に、ささやかなプレゼントをしよう」

 そういうと、ローブが遠ざかっていった。

 人の気配が消え、マリーローズは顔を上げた。

 現れる前と同じ、青い空が広がっていた。先ほどは吸い込まれそうだと思ったはずの青い空は、ただの青空に見えた。




「マリーローズ様、リュンハ前皇帝ナディム・ハニマン様からプレゼントが届きました」

 昼食の場が一気に緊張するのがわかった。

 マリーローズの父親、ポカジョリットの現国王は、現在病に臥している。兄で第一王子のカリムは自室から出てこない。

 昼食の場にいるのは、現在の王妃である継母のベトラと第一王女のマリーローズと継母が産んだ第ニ王子のランドの3人だ。

「こちらへ」

 継母のベトラが有無を言わせぬ強い口調で命令した。

 中身が何か気になるのだろう。

「それが開封はマリーローズ様がおひとりでなさるようにと添え書きがされております」

「そのような………」

 ベトラがわずかに眉をひそめた。が、すぐに笑顔になってマリーローズを見た。

「一緒に見てもよろしいですわよね?」

 マリーローズも笑顔を浮かべた。

「リュンハ帝国前皇帝ナディム・ハニマン様が、私ひとりで見るようにと言われるのですから、そのようにしたいと思います」

 ナディム・ハニマンの威光を盾に拒否した。そして、プレゼントを伝えに来た侍従に「部屋に運んでおくように」と、静かに言った。

 ベトラがにらんでいた。

 兄のカリムは、一昨年の新年の祝いの席で倒れた。祝賀の酒に入れられた毒が原因だった。毒を入れた犯人はわからず、それ以来、部屋から出てこない。

 ポカジョリットの王は、男しかなれない。だから、マリーローズは殺される心配はしていなかった。だが、1ヶ月前から状況が変わった。父王の病状が悪化した。父王はカリムを次期王に指名。カリムが部屋から出てこられるようになるまではマリーローズが王の代行をすることとした。父王に頼まれたマリーローズは行政長官、財務長官、ポカジョリット軍総司令官に国の現状についての聞いた。誰も答えくれなかった。

 この時になって、ポカジョリット王国の実権は継母のベトラが握っていることに気がついた。

 それからのマリーローズは空気のような存在となった。

 いるのに、いないことにされている。

 起きて、服を着替えて、食事をして、形だけの会議に出て、風呂に入り、眠る。それを1ヶ月続けた。王族としての仕事は、先日のリュンハ前皇帝の誕生日パーティに出たくらいなものだった。それも王ではなく、兄カリムが招待されたパーティに代理として出席したものだ。

 重い空気の昼食が終わり、部屋に戻った。

 そこの置かれている物の大きさに驚いた。

 1メートル20センチ四方の木製の箱。側面に観音開きの扉がついている。部屋にいた侍女達を控えの間に移動させた。

 封印が施されていたが、マリーローズが触れただけで解除された。

 取っ手を握り、ゆっくりと扉を開いた。

 ゴロゴロ。

 転がり出てきた物をよけきれず、弾かれた。床に尻もちをつく。

「モゴモゴ!」

「ムゥーーー!」

 ミイラ男が2体、転がっている。

「モゴモゴ!」

「ム、ムゥーー!!」

 包帯の間から見える目が、光っていない。モンスターではなく、包帯を巻かれた人間のようだ。

 大きい包帯男と小さい包帯男。

「モゴモゴ!」

 大きい包帯男の口に当たる部分の包帯が動いている。マリーローズに何か訴えているらしい。

 小さい包帯男は、包帯に巻かれた姿で部屋中を転がり回っている。

「ムゥーーーーー!」

 包帯の間から漏れる声からすると、かなり怒っているらしい。

 大きい包帯男の側に近寄った。口の部分の包帯をソッとずらした。

「包帯を解いてくれ!」

 聞き慣れたルブクス大陸公用語だった。イントネーションから西の方から来た人だとわかった。

「どなたでしょうか?」

「爺さん!ナディム・ハニマンの知り合いだ!」

 話し方から知り合いなのは間違いないらしい。

 マリーローズが不思議の思ったのは『ナディム・ハニマン』と呼び捨てにしたことだ。敬愛されているリュンハ前皇帝に敬称をつけずに呼べるのは現リュンハ皇帝くらいしか思いつかない。

 棚に置かれた刺繍箱からハサミを取り出した。包帯を数カ所切ると、中から若者が出てきた。20歳前後、茶色い髪と茶色い目の平凡な顔をしていた。目を引いたのは、服だった。綺麗に洗われてはいたが、巨大な継ぎがシャツの背中に1カ所、ズボンの尻の部分と膝の部分に当たっていた。

「そのハサミを貸してくれ」

 マリーローズが渡すと、転がっている小さな包帯男を蹴飛ばした。包帯男が停止すると、素早く包帯を切った。

「ほらよ」

 中から出てきたのは少年だった。10歳前後。服は着ておらず、パンツだけだった。紐でしめるタイプの安物のパンツで、ゾウの絵が描かれている。

 大きく澄んだ青い瞳をしている、顔立ちが整った可愛い少年だった。白い髪が巻かれていた包帯のせいか、飛び跳ねている。

 可愛い顔がゆがんだ。

「あのクソ爺、世界の果てに吹っ飛ばすしゅ!」

 何か事情がありそうだと見ているマリーローズに、若者が近づいてきた。

「悪いだけど」

 何を言われるだろうと身構えたマリーローズに軽い口調で言った。

「トイレを貸してくれないか?」




「ありがとな」

「ありがとしゅ」

 部屋に設置されたトイレから戻ってきた2人は、豪華なドレスを着たマリーローズに臆することもなく、普通の態度で言った。

「それで、ここはどこか教えてもらえるかな?」

「ポカジョリットの王宮です」

 教えることに不安はあったが、ナディム・ハニマンの知り合いであるという言葉を信じることにした。

「ポカジョリット…………最近、聞いたような」

「ご存じなのですか?」

 愛する祖国だが、西方の人が知るほど有名な国でないことはわかっている。

「ハンナだしゅ」

「ああ、食材が恋したハンナが飛ばされたところだ」

 意味不明なことを言って納得している。

「貴方たちは誰なのですか?」

 マリーローズの問いが聞こえたはずなのに、若者はマリーローズの問いを無視して少年に質問した。

「他には?」

「主な産業は石炭だしゅ。場所はスザラーロとリュンハの間だしゅ。リュンハと仲がいいしゅ。魔術師はちょっいるしゅ。でも、有名な魔術師も、すごい魔術師もいないしゅ。緯度が高いから、夏も涼しいしゅ」

「別荘が欲しいな」

「小さい国なのに、大変の真っ最中だしゅ。王様は病気。世継ぎが毒を飲んだしゅ」

「大変はわかるが、真っ最中かはわからないだろ」

「継母のベトラが毒を飲ませたって噂だしゅ」

「ベトラには子供がいるのか?」

「第二王子ランドがいるしゅ」

 若者がようやくマリーローズを見た。

「で、あんたは?」

「第一王女のマリーローズと申します」

「つまり、そういうことか」

「だしゅ」

 若者は「はぁーーー」とため息を吐いた。

「貴方たちは誰なのですか?」

 若者は振り向くと、親指で自分を指した。

「オレは正義の使徒、ワット・ドイアル」

「ボクしゃんは、キュートな天才、スゥーちゃんしゅ」

 2人ともニコニコと笑顔を向けてきた。

 嘘くさい。

 だが、それを口にして自分に利があるのかマリーローズにはわからなかった。だから、黙っていた。

 ワットがスゥーの方を向いた。

「こんな辺境の地の情報を、よく知っているな。食材に聞いたのか?」

「ゾンビしゅ」

「あー、あいつは王室関係には強いからなあ」

「ボクしゃんが思うに、王室専用ネットワークがあるんだしゅ」

「かもな」

 そう言ったワットは、再びマリーローズの方を見た。

「あるんですか、王族専用ネットワーク」

 あるとも、ないとも言える。

 王族同士の繋がりで情報は手に入る。

 だが、どれだけ手にはいるかは、その王家が持っている力で決まる。弱小国のポカジョリットは、隣国のリュンハ帝国に頼らざる得ない状況だ。リュンハ帝国が渡してくれない情報は、知ることが出来ない。

 ふと頭をよぎった。

 小国でも情報の収集に長けているところがある。西にあるエンドリア王国だ。長年、外交のみで国を守ってきた。騙し合いが当然の外交で、誠実さと忍耐強さが売りだ。エンドリア王国は自国には関係のない争いでも、頼めば仲介役を引き受けてくれる。数年前、シェフォビス共和国で行われた記念行事でエンドリアの王を見たことがある。丸顔の優しそう王だった。

 エンドリア王国。

 連想ゲームのように、ひとつの単語が浮かんだ。

 桃海亭。

 次々と浮かんでくる。

 極悪コンビ、2人組、若者と少年。貧乏と白髪。

 目の前の2人を見た。

 合っている。

「桃海亭の方ですか?」

「違います」

「ほよだしゅ?」

 即答された。

 怪しい。

「特徴が似ていると………」

「オレだって、桃海亭くらい知っています」

「ボクしゃんも知ってるしゅ」

「王女様、考えてください。大陸の西にあるエンドリア王国の桃海亭と、北東の大国リュンハの前皇帝が知り合いだと思いますか?」

 ワットが言っていることはもっともだ。

 リュンハ前皇帝からのプレゼントが、桃海亭の極悪コンビというのも考えにくい。それなのに、マリーローズは前の二人が桃海亭であるのではないかという疑いを拭いきれない。

「で、どうする?」

「あれしかないしゅ」

「そうだよな。あれだよな」

 スゥーの言葉にうなずいたワットは、マリーローズと視線を合わせた。

「じゃ、オレ達、家に帰ります」

「バイだしゅ」

 スゥーが手を挙げ、2人は窓に向かって歩き出した。

「待ってください!」

 2人が立ち止まった。

「お願いです。話しを聞いてください」

 なぜ、引き留めたのかマリーローズ自身もわからなかった。でも、この2人をいま失ってはいけないと、そう思ったのだ。

 ワットが振り向いた。

「あのさ、見ての通り、オレは一般人で何も出来ないんだ。頼みごとがあるなら、他の奴に頼んでくれないか」

 ワットの言っていることは正しいと思う。それでも、今のマリーローズは彼ら以外に頼ることができる人間はいない。

「プレゼントなのに、何もしてくれないのですか?」

「プレゼント?」

「なんだしゅ?」

 スゥーも振り向いた。

 マリーローズは、歯切れの良い発音で2人に説明した。

「あなたたちは、リュンハ前皇帝からのプレゼントなのです」

 ワットが上を向いた。

「爺さん、いい加減にしろよ」

 スゥーが「グゥヒィ」と言った。顔からすると笑っているようだ。

「ここからなら、爺の城を攻撃できるしゅ」

「やめとけ」

 そう言ったワットは、マリーローズに言った。

「オレ達は帰る」

 ワットの目とマリーローズの目が合った。

 帰ると言ったのに、ワットは動かない。

 マリーローズの脳裏に疑問符が浮かんだ。

 リュンハ前皇帝からのプレゼント。

 何か出来るのは間違いない。それなのに、何もしないで帰るという。

 ワットは、マリーローズを真っ直ぐな視線で見ている。

 答えが、ストンと落ちてきた。

「私がこの騒動を収めます」

 彼らは、この騒動の当事者ではない。

「私が考え、動きます。ですから」

 スゥーもマリーローズの方を向いた。 

「私を助けてください」

 ワットが視線を合わせたまま、言った。

「話しは聞く。手助けできるようならする。その前に3つ、約束をして欲しい」

 ワットの隣にスゥーが並んだ。

「オレ達がここにいることを、城の誰にも言わない」

「私が自由になるのはこの部屋だけです。長期間あなた達の存在を隠すことは難しいと思います」

「その心配はない。オレ達がこの城にいるのはあと3時間だ」

「えっ」

 手助けしてくれると言ったばかりだ。

 マリーローズが驚愕の声をあげたのに、ワットはそのまま話しを続けた。

「2つ目。プレゼントの箱は空だった」

 マリーローズはうなずいた。

 何故かはわからないが、前皇帝のプレゼントがこの2人だ知られることは、マリーローズにとっては不利のような気がする。

「3つ目、オレに状況を説明した後、あんたは、この先どうしたいのかを話してくれ」

 この国を救いたい。父を、兄を救いたい。

 そう話そうとしたマリーローズを、ワットは指を立てることで制した。

「まず、状況を説明してくれ。時間がない」

 必要と思われることをワットに話した。父の病気、兄の毒殺計画、実権を継母が持っていること。

 状況を話し終えたあと、マリーローズは黙った。5分ほどして、ワットがマリーローズに聞いた。

「それで、あんたは何をしたい?」

 状況を説明しながら、マリーローズは考えていた。だが、わからなかったのだ。父の病気は治らない。良い治療が見つかれば症状が軽くなるかもしれないが、完治はないだろうとドクターから言われている。兄に部屋から出てきて王座を継いで欲しいかと言われると違う気もする。継母を排除したいのかと考えてみたが、それも違う気がする。政治に関しての力量は、父や兄より上のような気がする。継母が舵を取るようになってから、国の財政等は安定している。

 考えがまとまらない。

 ワットが窓際に置かれている姿見の前に移動した。

「いい魔法の鏡だ」

 高さ2メートル、幅1メートル。長方形に鏡の縁には葡萄のツタがあしらわれている。常に淡い光が鏡面の内側から発せられており、影ができないことから使い勝手がいい。

 マリーローズも鏡の前に移動した。

「母の形見です」

 マリーローズとワットが並んだ。ワットの方が10センチほど低い。

「ハイヒールを履いているのか?」

 ワットに聞かれて首を横に振った。

「裸足なのか?」

 失礼な質問に答えるために、ドレスから足先を出した。

「踵の低いヒールなのか?」

 続けざまの質問にマリーローズが眉をひそめた。

「いま、必要な話ですか?」

 ワットが頬をポリポリかいた。

「考えをまとめるのに、肩の力を抜いた方がいいかなと思ったんだ」

 肩の力は抜けたが、考えはまとまらない。

 まとまらないままに、思いついた言葉を垂れ流した。

「幸せならばいいと思うのです」

「はぁ?」

「この国の民が幸せで、この城の人々が幸せならばいいのです」

 ワットが「ちょっと、待っていてくれ」と、マリーローズに言った。スゥーと一緒に部屋の隅に行くと、小声でコソコソ話している。

 5分ほどして、ワットの「できるか?」という声が聞こえた。続いて、「やってみるしゅ」と言うスゥーの眠そうな声も聞こえた。

 2人はマリーローズのところにくると、マリーローズのこれからの行動を指示した。説明は一切なかった。

 マリーローズは2人を信じて、それを実行することにした。




「箱を片づけてください」

 控えの間の扉を開くと、中で待機していた侍女たちに命じた。侍女たちはすぐに部屋に戻り、開いている箱の扉を閉めた。

「中には何もありませんでした。邪魔だから、部屋から運び出しておくれ」

「リュンハ前皇帝からの贈り物は入っていなかったのですか?」

 不安そうな顔で侍女のひとりが聞いてきた。

「見てご覧なさい」

 マリーローズは箱を指した。

「このような粗末な木の箱。本当にリュンハ前皇帝からのプレゼントか怪しいものです。もし、前皇帝からのプレゼントなら、空箱でも礼状を送らなければなりません。失礼がないよう、これが本物のプレゼントなのか至急調べておくれ」

 侍女のひとりが外にいる警備の兵を呼び、箱をすぐに部屋の外に運び出した。

 ワットが言っていた。

『前皇帝はあんたが一人の時にプレゼントを贈ると言ったんだな?それなら、この箱はどんなに調査しても前皇帝には繋がらない。調査を命じて、出所不明の箱にしろ』

 ワットの意図は説明されなくてもわかった。

 この先、この城で起こる出来事がリュンハ前皇帝とは関係ないということにしなければならない。ホットラインで連絡を取れば『贈っていない』という答えがくるはずだ。その返事がくるまで約20分。

「箱を調べたので疲れました。お茶を持ってきておくれ」

 窓辺の椅子に腰掛けた。

 箱にいた2人は外にいる。やることがあるらしい。ワットがスゥーを背負い、3階にあるマリーローズのテラスから下に降りていった。

「お茶をお持ちしました」

 ティーテーブルにお茶のセットが置かれる。それをゆっくりと味わっていると、侍女のひとりが小走りで部屋に走り込んできた。

「リュンハから箱は贈られていません」

「そう」

 マリーローズは手に持っていたティーカップをソーサーに置いた。

「庭を散策します」

 ドレスを翻して、立ち上がった。ついてこようとした侍女たちを手で制して、ひとりで部屋を出た。

 ワット達が窓から出て30分。

 時間通りに進んでいる。

 指示されたとおり、庭園ではなく、城の正面にある噴水のところに立った。今の時間、この辺りにいるのは、城の扉の左右にかしこまっている衛兵だけだ。

 花をかたどった噴水から水がチョロチョロと流れている。

 空を見上げた。

 青い。

 リュンハ前皇帝陛下と会った日と同じだ。

 見上げているマリーローズの目に、白い点が見えた。青い空の中心に白い点がある。白い点は徐々に大きくなっていく。

「あれは………」

 白い点が巨大な白い物体だとわかった。マリーローズを目指して、落ちてくる。正確な大きさはわからない。当たれば死ぬだろうということはわかった。

 マリーローズは動かなかった。

 怖いとも思わなかった。

 すぐに落ちてくると思われた白い物体は、スピードがあがらず、物理の法則を無視する形でゆっくりと落ちてくる。

 周りが騒がしくなった。

 落ちてくる物体に気づいた衛兵が他の者に伝えたのだろう。城の多くの者が窓から白い物体を見上げている。数分後には、怒号が飛び交い、継母の命を受けた兵士たちが、城にいる者達の避難を急がしている。

 武器や魔法で攻撃するのには大きすぎる。城の前面は大きく削られることになるだろう。半分近く崩壊するかもしれない。

 空が白で覆われていく。

「マリーローズ、何をしているのです。逃げるのです!」

 継母の声がする。

「王妃様、それ以上は危険です!」

「マリーローズが!マリーローズが!」

「いけません。近づいたら、王妃様まで巻き込まれます」

 毒を盛ったのは本当に継母なのだろうかと思う。

 自分を呼ぶ継母の声は、心から心配しているように聞こえる。

 軽い足音が近づいてくる。

 腕をつかまれた。

「逃げましょう」

 ランドの声がする。8歳とは思えぬほど落ち着いた声。

「私はここにいます。ランドは逃げなさい」

「僕と安全なところに行きましょう」

「私はここにいなければいけないのです」

「なぜですか?」

「約束したから」

 ワットが言ったのだ。

『オレ達が行くまで、噴水のところに立っていてください』

 まだ、ワットは来ていない。

「今は、約束よりも自分の命を守るときです」

 ランドが腕を引っ張った。

「でも」

「生きるのです」

 強い声だった。

「カリム兄様」

 マリーローズは自分をつかんでいるランドを見た。

 迷いのない目だ。

「で、あんたはどうする?」

 いつの間にかワットが目に前にいた。隣にはスゥーが眠そうに目をこすっている。

「何を………」

「もうわかっているんだろ?」

 わかっている。いや、わかってしまった。

 自分はマリーローズではない。第一王子のカリムだ。

「王妃もランド王子を、あんたを心配していた」

 ワットがスゥーの肩をたたいた。スゥーが指で空中に奇妙な模様を書いた。マリーローズの身体から、何か抜けていく感じがした。

「こいつを仕掛けたのは、あなたですか?」

 ワットが継母を見ていた。継母がうなずいた。

「生きていて欲しかったのです。別の人生なら生きられるかと思ったのです」

 記憶がわき上がってくる。

 マリーローズが、カリムに戻っていく。

「わかるんだけどさ、なんで女にしたんだよ。顔は化粧で誤魔化せても、180センチは高すぎるだろ」

「この国では、女は王位を継げません」

「色々と考えた結果ってわけだ」

 戻った記憶がすべてを教えてくれた。

 王位を継ぐ立場に生まれたが、王になれる器ではなかった。気が弱く、決断力がない。そのことに小さいときから苦しんできた。昨年、王の病気が悪化した。王を継ぐことになるかもしれない、その現実から逃れるため、毒を飲んだ。

 カリムを生かすために、継母は嘘の記憶と身分を与えた。継母だけでなく、ランドも、城にいるすべての人々が、カリムの為にマリーローズとして接した。

「この国の幸せはオレ達の手に余る。でも、この城の幸せの欠片なら、これで十分だろ」

 ワットが笑った。

 投げやりな感じ笑いだったが、それがカリムの気持ちを楽にした。

「私は王にはならない」

 口に出そうとして、口に出せなかったことが、自然と口からこぼれた。

「カリム!」

「兄様!」

「私は王にはむいていない」

「何を言うのです。貴方ほど国を思う人はいません。良き政を行うためにあなたが努力をしていたのを私は知っています」

 カリムは首を振った。だが、継母は食い下がった。

「王の病気はいまは安定していますが、いつ病状が変わるかもしれません。その時に、あなた以外の誰が………」

「次期王の指名をランドにするよう父にお願いするつもりです」

「第一王子はあなたなのです」

「ランドの方が王に向いています。もし、ランドが成人する前に父に何かあった場合は、成人するまでランドの摂政を引き受けます。母上にはそれで納得してはいただけませんか?」

「納得できるはずが……」

 ランドが叫ぶように言った。

「僕がやります!」

「ランド。あなたまで何を」

「僕が立派な王様になります。だから、兄様は僕を支えてください」

 カリムはランドの頭に手をのせた。優しくなぜる。

「支える。その代わり、この国の未来を頼む」

 ランドがうなずいた。

 継母が焦った声を出した。

「早く、早く、こっちへ」

 白い物体がカリム達に近づいてくる。

「大丈夫です」

 カリムは指を下に向けた。

「ご覧ください。影がありません」

 これほど近づいても影がない。その意味はひとつだ。

「幻です」

「正解しゅ」

 スゥーが指を弾いた。

 次の瞬間、白い物体は消えた。

 カリムはワット達に向き直った。

「ありがとう。君たちのおかげだ」

 ワットが照れくさそうに笑った。

「オレ達はそろそろ帰るな」

「馬車を出そう」

「いや、迎えが来る頃なんだ」

「そうか」

「迎えの前に、もう一仕事あるんだけどな」

 意味不明なことをいうとスゥーを見た。

 スゥーがニカァーと笑った。

「カリム。この方たちは?」

 継母がようやく見知らぬ人物がいることに気づいた。

「知らない人です」

「侵入者ですか」

「さあ」

「捕まえないと」

「いま、帰られるそうです」

 意味が分からないという顔をした継母をそのままにして、カリムは空を見上げた。

 澄み切った青。

 スゥーの瞳に似ているとカリムは思った。



「御前、ポカジョリットの密偵から連絡が入りました。マリーローズ姫として暮らしていたカリム王子が、女装を解いて王子として暮らすことになったそうです」

 報告は小声で行われた。

 広い執務室。机で書き物をしていた黒いローブの老人に、壮年の侍従が早口で伝えた。

「次期王は第二王子のランドと指名が変更になり、カリム王子が摂政としてつくことになりそうです」

 収まるところに収まった。

 リュンハ前皇帝は、唇をかすかにゆがませた。

「あの2人はどうしている?」

「帰る支度をしているようです」

「帰る支度?」

 エンドリア王国ニダウで正午の鐘が鳴るとき、超生命体モジャが桃海亭に姿を現す。状況により別の時間に現れたり、数日来なかったりもするが、今日は正午に姿を現すはずだ。それを見越して、2人をポカジョリットに捨てたのだ。モジャが迎えに来るならば、帰る準備はいらないはずだ。

 前皇帝は首を傾けた。

「御前、避難を!」

 荒々しく開かれた扉。飛び込んできた警備兵。

 言い終わるか、終わらないかのうちに、衝撃で城が揺れた。

 警備兵と侍従が床に転がった。

「ポカジョリットの方から、多数の大型の魔法弾が!」

 城には防御結界を幾重にも張ってある。簡単には壊れはしない。

 それがわかっていても、次々に当たる魔法弾で城が揺れ続けた。

 着弾したのは1分ほどで、揺れはすぐに収まった。

 前皇帝ナディム・ハニマンは椅子から立ち上がった。立てかけて置いた杖を握ると、扉に向かって歩き始めた。

「御前、いけません」

 床に倒れていた侍従が、前皇帝のロープの裾をつかんだ。

 笑顔の前皇帝が、裾をつかんでいる侍従に言った。

「すぐに戻る」

「桃海亭に行かせないよう、皇帝陛下からきつく申しつかっております」

「行くのは厠だ」

「本当は桃海亭ですね?」

「違うといっておる」

「誰か!誰か!御前が桃海亭に行かれるつもりです」

「行かぬといっているであろう」

 前皇帝が軽くローブを引っ張ると、侍従の手からスルリと抜け出た。

「御前、いけません」

 侍従は慌てて起きあがり、前皇帝の後を追った。前皇帝は魔法を使い、廊下を滑るように移動している。警備の者達もとめようとしているが、何か魔法を使っているようで、前皇帝を止めることが出来ない。

「ウィル、ムー。待っておれ」

 前皇帝は心から楽しそうに「グフグフッ」と笑った。




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