集合写真
集合写真
「あー眠い」
「え?」
これは私の、憧れの高校生活一日目、初めてクラスメイトと交わした会話である。
この春、中学一年の頃から行きたいと思っていた公立高校に合格したものの、クラスはおろかこの学年には同じ中学校出身の友達が一人もいない。窓側の後ろから二番目の席に座って教室を見渡すと、塾が一緒だったとか、家が近いとかでもう仲良くなっている子たちもいる。このクラスでやっていけるのか、という不安が早々に胸の中で生まれた。だからと言ってこのまま黙っておくわけにもいかない。ここで誰かと仲良くならなくてはここから一か月、下手すれば一年、一人で過ごさなくてはいけなくなってしまう。
勇気を出してぱっと振り向き後ろの席の子に話しかけようと口を開いたところで、さっきの会話だ。
長めの髪をポニーテールにしている呑気なクラスメイトは、固まっている私を一瞥すると視線を私の奥へとやり目を細めた。
「神田……な、と?」
「え……あ、あぁ、奈都」
どうやら私の机の上に置いてある名札を読んでいたらしい。正しい読み方を伝えると口角をにっとあげて奈都、と繰り返した。
「わたし、小宮波瑠。ハルとナツ。ね、私たち仲良くなれそう」
「え?」
苦手かも。
これが私の彼女に対する第一印象だった。お互いに名乗った次の言葉が『仲良くなれそう』っておかしい。この場合名前が季節っぽいってことくらいしか共通点はないし、何処に住んでいるのかも好きな食べ物も知らないのに、よくこんなことが言えるものだ。
そんな戸惑いが隠し切れない私の表情を他所に彼女、小宮波瑠は大きな欠伸をして頬杖をついていた。
そのすぐ後にチャイムが鳴り、担任の先生の挨拶やクラスメイトの自己紹介などを済ませたところで、外でクラス毎に集合写真を撮る、と言われた。写真に写ることがあまり好きではない私にとっては逐一集合写真を撮るなんて、と内心ため息をつきながら番号順に並んで外へ向かう。
校庭の隅に大きく枝を広げた桜の木が立っていた。風が吹くたびに散る花びらは本当にきれいで、いつの間にか見入っていた。
「奈都」
はっと自分の名前を呼ばれ振り向くと、もう次は私たちのクラスの番で、私を抜かしたらしい……波瑠が不思議そうに私を見つめながら待っていた。慌てて小走りで進んでしまった列を追いかける。
「もう、なにやってんの」
「ごめん」
……あれ、なんで私、彼女とこんな『友達』みたいなやり取りを普通にしているんだろう。
私が写真が好きではない理由は、嬉しくも楽しくもないのに笑わなくてはいけないということ。毎回それらしい表情を頑張って作ろうとするけれど、いざ写真を見てみると「なんか引きつってるね」って言われる。それでも上手に笑えないんだから仕方ない。
ふと気になってちらりと隣の彼女に視線をやると、私とは対照的にまぶしいくらいの笑顔をカメラに向けている。……やっぱり彼女と仲良くなれる気がしない。
みんながみんな、自分をすべてさらすこともせず、お互いどこかよそよそしいまま初日を終えた。元々集団行動があまり好きではない私は、一緒に固まって帰るグループから少し遅れて教室を出た。
正門を出ようとしたときに、集合写真を撮ったあの綺麗な桜の木を思い出した。今は携帯も持っている。別に急いでもいないし写真を撮って帰ろう。そう思って足の向きを変えた。
「……あれ」
誰もいないと思っていた放課後の桜の木の幹のそばに、見上げるように立っている人影があった。先輩だったらどうしようかと引き返しかけたところで、その横顔とポニーテールに見覚えがあることに気が付いた。
じっと目を細めてみると間違いない、さっきまで同じ教室にいた小宮波瑠だった。
「あ、奈都」
やっぱり今日はやめようかと迷っていたら先に声をかけられた。ぱたぱたと小走りで私のほうに駆け寄ってきた彼女は、やっぱり私の名前を呼び捨てで呼んで、にっと口角を上げていた。
「ねえ、奈都もこの桜の木好きなの?」
「へ、あ、うん」
唐突な問いかけにしどろもどろになりながらもどうにか答える。私のその言葉にまた満足そうにうなずくと、肩にかけていたカバンをかけ直して真っすぐな瞳を私に向けた。
「ね、わたしもっといい場所知ってるんだ。時間ある?」
時間はあったし、彼女の言う『いい場所』と真っすぐな瞳に惹かれた私は、気が付くとこくりとうなずいていた。それに、いつの間にか私の中で、小宮波瑠に対する興味が湧いてきていたのだ。
ぱっと手を掴まれ、こっち、と歩き出した波瑠はそのまま学校を出て私の知らない道をすたすたと進んでいく。このあたりに住んでいるのだろうか。五分ほど手を引かれるままに歩いたところで視界が開けた。
「わあ……!」
閑静な住宅街を抜けた先は小高い丘で、私たちの高校や駅も見下ろせる。そしてなにより、校庭の隅にあったものより遥かに年を重ねているであろう桜の木。幹や枝の太さも、青空を背景にする枝の広がり方も、何もかもがずっと違って見える。波瑠と一緒にゆっくりとその桜の大木に歩み寄る。
「ね、奈都も好きでしょ?」
「うん」
「ねえ、私たち仲良くなれそう」
「うん」
その幹に触れながら、得意げに言う波瑠に今度は戸惑わずに答えていた。二人で顔を見合わせて思わず小さく吹き出した。
「……なんで私と仲良くなれるって思ったの?」
大木のそばにあったベンチに二人で腰かけ、徐々に夕日に染まっていく街を見下ろしながら波瑠に尋ねた。
「んー……直感?」
「……私は絶対仲良くなれないって思った」
「え、なんでよ」
ぼーっと景色を眺めながら、気が付いたらそんな言葉が口から出ていた。今思うとこの言葉もなかなか出会った初日に言うことではない。名乗った次に『私たち仲良くなれそう』なんて言った波瑠と大してかわらない。
「……写真撮るとき、笑ってたから?」
「は?」
少し考え、自分の中で一番波瑠と合わない、と思った瞬間を思い出すと、集合写真の撮影の時、写真がに苦手な自分の隣で綺麗な笑顔を浮かべていた波瑠に気づいた時だった。そんなことを話すと隣で目に涙まで浮かべながらお腹抱えて笑い転げる波瑠。少し落ち着くと指先で目尻の涙拭いながら、またあのにっと口角をあげた笑みを見せた。
「じゃあ、あの写真見る度にわたしのこと思い出してくれるね」
「あれからもう三年だよ」
「もう大学生だもん」
桜の花びらが舞う空の下、あのベンチに腰かけた私たちは、アルバムを捲りあの集合写真をもう一度見る。眩しいくらいの笑顔を向ける波瑠の隣で、やっぱり私は少し引きつった笑顔を浮かべていた。その次のページにはあの小さな公園の大きな桜の木の下で二人で撮ったたくさんの写真。
あの日から私たちは、波瑠が言った通り、とても仲良くなった。今では波瑠がいなかったら今の私はいないのではないか、とまで思うほどに。それだけ、私にとって大事な存在になっていった。
あの出会いから三年が経ち、私たちは無事に高校を卒業。波瑠は地元の大学に、私は地方の大学に進学が決まっている。本当は離れるのが寂しくて仕方ないけれどお互いの夢のため。それは私たちが一番わかっているし、一番応援できる。
はらり、と落ちてきたピンク色の花。それをそっと集合写真の隣に並べた。この写真も花びらも、きっといつだって私と波瑠を繋げてくれるから。
Fin.
2015年4月 執筆