<悪夢に降りるもの>
ほぼ思い付きに近い作品です。投稿ペースはかなり遅いです。過分な期待はせず、気長にお読み頂ければ幸いです。
少女は夢の中にいた。それはとてつもなく恐ろしい夢だった。
場所は少女が生まれ育った村。でも本当の村であるはずがなかった。
村の中にはたくさんに家が建っていた。見た目は小さいけど、ほんのり土のいい香りがするのが少女は好きだった。でもこの夢の村では、それらの家が真っ赤な炎に包まれている。
母親同士が仲が良く、少女とも友達だったヨラの家も、少女が遊びに行くとお日様のような笑顔で少女の大好きな芋菓子を作ってくれたブエナおばあの家も、そして少女が家族と暮らしていた我が家も、みなゴウゴウと炎が獣のような唸り声をあげ、すべてを真っ黒な灰へと変えていく。
村は住民の楽しそうな笑顔や母親たちのおしゃべりする声、家畜の鳴き声が聞こえていた。しかし夢の村で少女の耳に聞えるのは、耳を覆いたくなるような怒号や悲鳴、自分と同じくらいの子供の泣き叫ぶ声と連続して響く炒めた豆が爆ぜるような乾いた破裂音。
それらの音を押しのけて、一際はっきりと聞き覚えの無い男の声がする。
「殺せ殺せ! 真なる神の教えを忘れ、異教徒がもたらした邪教の毒に侵された豚共を、神聖なる国土から一匹残らず駆逐するのだ! 男と年寄りは殺し、女は犯し、子供は真の教えにより新たな同志とする! これは浄化である! 我等、明けの解放戦線が母なる大地を異教徒の手より取り戻し、祖国に真実の信仰の御旗を立てるのだ!!」
少女には男の叫んでいる言葉の意味は何も分からなかった。けれども、なぜだか言いしれない不安を掻き立てる。
そして、怖い夢を見た夜は必ず母が怯える少女を抱きしめて、再び眠りにつくまで慰めてくれた。けれども今少女のことを痛いほど抱きしめているのは、3つ年上の姉だった。その手はびっしょりと汗で湿り、指が痛いほど少女の身に食い込んでくる。何より、密着した姉の身体は雨に濡れて凍えた時のように尋常ではないほどに震えていた。
少女が見上げると、を今までに見たことのない表情を浮かべた姉の顔があった。血色の失せた肌は青白く変色し、両目は大きく見開かれ、震える唇で荒く呼吸している。
一方で、姉の腕の隙間から視線を動かすと、そこに母の姿があった。
父が村の男の人たちと一緒に遠くへ出かけて行って以来、朝から晩まで家事をこなし、いつも汗と埃にまみれていた母。怒った時はとても怖かったが、普段の家事の疲れなど微塵も見せず、いつも優しく微笑んでいた母。眠れない夜に、布団の中で母の体温に包まれているときは、どんな瞬間よりも安心できた。
しかし夢の中の母は、ドンと大きな音がした直後に地面に倒れたまま動かなくなってしまった。涙で濡れた顔は額に小さな穴が開き、怒った時とは別の怖い表情を浮かべたまま凍り付き、姉と少女の姿を見開かれた双眸に反射させていた。
目に映るもの、聞こえてくる音のすべてが少女の知るそれとは大きく異なった。だから、ここは少女の夢の中に違いなかった。夢だから、こんな恐ろしいものが見え、聞こえるのだ。
そう考えた少女は、必死に目を覚まそうとした。目を覚ませば、そこにはきっといつもと変わらない日常が待っている。大好きな村、大好きな住民達、大好きな父、大好きな母、大好きな姉がいる当たり前の日々が。
少女は目を閉じ、必死に念じる。
(起きなきゃ。起きなきゃ。起きなきゃ。起きなきゃ。起きなきゃ。起きなきゃ。起きなきゃ……)
しかし、いくら念じても夢から覚めない。
燃える家屋も、響く悲鳴も、震える姉も、物言わぬ母の姿も、まだ消えていない。
少女はさらに祈った。必死に願った。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。
そんな少女の思いに応えるかのように、男の声がした。
「おい、そろそろ片付けろ」
少女が目を開くと、姉と少女を見つめる二人の男。
そのうちの一人が、姉の目の前に黒く光る細い筒を向けた。すると少女の嗅覚が微かに下から立ち昇る刺激臭を感じた。それは、少女が眠りから覚めた朝に、時々めくった布団の中から香ってきた匂いと同じだった。
そのことを知ると、母は朝から疲れた表情を浮かべ、姉は少女のことは馬鹿にしてきたからよく喧嘩になった。しかし今、服を湿らせているのは、いつも少女を馬鹿にした姉の方。
このことを知ったら、母はどんな顔をするだろう。
ふとそんなことを思った少女が母を見る。そこにはさっきまでと何一つ変わらない、怖い表情のまま横たわる母がいた。
少女が視線を母から姉の顔へと移す。姉は少女が見ていることにも気づかず、細い筒をジッと凝視していた。その時、姉の口が微かに動いた。
「ニムは私が守る……ニムは私が守る……ニムは私が守る……ニムは私が守る……」
葉が擦れるような微かな声で、繰り返し少女の名を呼ぶ姉。
その姿を見た少女は、そっと姉にもたれかかった。その時、少女は仄かに母の匂いを嗅いだ気がした。そこで少女は、ようやく悪夢の中で初めての安堵を感じた。
「おねえちゃん……」
自然と少女が小さな声でそうつぶやいた。
その時、頭上から細い糸のような光の筋が二人の男に当たった。その途端、二人の男の身体が一瞬で風船のように膨らんでいく。
「っ?」
「え?」
そして次の瞬間、大輪の真紅の花弁が花開いた。
姉と少女は大量の生暖かい血を大量に被った。姉と少女の周囲には、男達の骨や内臓が飛散し、瞬く間に錆びた鉄独特の臭いと強い酸味のある刺激臭が溢れる。
姉と少女は何が起きたのか分からず、ただ呆然としていた。それから、二人とも導かれるように天を仰いだ。
そこには、人に似た姿の小さな太陽があった。
星の瞬く夜空を背にゆっくりと地上へ向け舞い降りてくる黄金に輝く10の翼。汚れなき純白と深い漆黒の色にに分かたれた体躯と、穏やかな表情の複数の頭部。その中で翼と同じ金色をした宝石のような瞳が地上を見下ろしていた。
姉と少女は言葉を失った。それまでの悪夢のすべてを忘れ、その幻想的な姿に見惚れていた。
そして、静かに少女の口が言葉を紡いだ。
「……かみ、さま?」