序章~グリモア学士のぼやき~
西暦2000年の初頭、グリモア・グスタフという稀代の天才数学者が、我々の頭の中にある創作物は存在する、と提唱したとされている。
彼の周りの人々は、まぁ、なんというか、掻い摘んでいうと、頭大丈夫?的なことをヤンワリとそんな数学者に言い続けていたらしいが、彼に聞く耳はなく、その自分の妄想じみた理論を撤回するどころか証明に必死になったとされる。
よくドラマや映画で天才数学者がやるように、彼は家中の壁や床や調度品や、まぁ、ありとあらゆるものに数式を書き込み続けてなんやかやと計算をし続けた。およそ十年は続けたという。
で、結局どうなったかというと……
西暦2825年とちょっと
稲生典史はあくびをかみ殺して窓から空を見上げた。
青い空は遠く、雲は緩やかに流れていく。
小ワイバーンが編隊飛行をしている。
春先にはよく見る光景だった。
「こら!稲生!」
「……ふぁい?」
「授業中に余所見をするな」
注意されて視線を黒板に戻す。正確には黒板の前に立つ教諭をであるが、
「それとも私の授業が面白くないとでも?」
「あー、大丈夫です先生。春の陽気に当てられただけっス。先生の授業超面白いです!」
「世辞はいい。私も学生の時分は世界史などまったく、これっぱかしも興味ないし、面白くもなかったからな」
ドッと教室中に笑いが起こる。
つられて稲生も笑みを作った。
「私が歴史を面白いと感じたのは大学に入ってからだ。教師になろうと思ったのもな」
教諭は少し芝居がかったように、教壇の前を蛇腹を這わせて往復しながら語りだした。
「気づき、なんてのはタイミングだ。ただ、いまのうちは面白くなくても勉強をすることが一つのタイミングを掴むチャンスではある」
体の六割近くを鱗で覆われた教諭は、上半身の人間部分をしきりにくねらせながら(なんかエロイ)教室中の生徒によく通る声で続ける。
「面白くない、だけで、やらない、というのは非常に勿体無いことだ。君たちは若い。面白くないことも続けていけば、つまり知り続けていけば、いずれ面白くなるかもしれん」
この半人半蛇の、所謂ナーガ種の教諭は時折授業そっちのけで人生訓めいたことを話す。だからか生徒の評判も悪くはなかった。
「稲生も含めてこのクラスの全員にいえることだが、そういうつまらん先入観は捨てて授業にいそしみたまえよ若人諸君」
そう言うと教諭はいそいそと黒板の前に戻り、授業は再開された。
グリモア・グスタフ学士が果たしてどのような数式を編み出したのかは誰にもわからない。わからないというのは、彼ほどの大天才が後世生まれてこなかったので、彼の残した遺物を現在においても解読不可能だからだ。
ただ、彼の家を基点として、世界は塗り変わったことは事実なのだった。
その日――つまり、グリモア学士の数式が完成した日、神話や空想上でしかなかった世界が突如としてこの人間世界を侵食した。
オークやサイクロプスやラインカンスロープ、とかく人の形状をしていながら人ではないもの。
ドラゴンやユニコーンやカーバンクル、とかくさまざまな動植物の一部の形質を持っているが絶対に違うモノ。
そういった、頭の中だけの絵空事が突然降って沸いて現れた。
異邦人の世界ごと。
昼休みに入って稲生は学校の屋上に顔を出した。
開放された屋上にはところどころで生徒たちが弁当を持ち寄って談笑している。
サイクロプスにケンタロスにオークにエルフにライカンスロープなどなど、たくさんの学生がワイノワイノと実に楽しそうに話している。
「さて……」
稲生も自分の馴染みのグループを見つけるために見回そうとして、
「稲生こっちだぞ~」
それよりも早くあちらが見つけてくれたらしい、声のしたほうへ体ごと向き直る。
先にはいつもの面子が座り込んでいた。
翼人種の磯貝美智子とバーセルク種の香川京香、そして幼馴染の満嶋洋太(ケットシー種)を見て取ると早足でそちらへ向かう。
「わりぃ、遅くなった」
「稲生くん立石先生に絞られてたんでしょ?」
「ん~、そうなんだよ。授業中は寛容だったのにさぁ。5分も注意されちゃったよ」
「そりゃ稲生、今日のはテスト範囲だったからなぁ」
「うげっ、マジかよ」
「典史は歴史嫌いだからねぇ」
「うっせー洋太。あー、期末来週だろ。赤点だけは阻止せんと」
「まぁ、稲生も来たし、とりあえずご飯食べよ。あたしゃお腹空きすぎて今にもお腹がなっちゃいそうだよ~」
すぐに弁当に箸を付け始める香川。
「あっ、京ちゃんはしたないんだ!」
「そう言うなよぉ。お腹鳴るのってすごい恥ずかしいじゃん」
「ん~、それでもいただきますわしないとダーメ」
「……いただきま!ハグッ」
果たしてちゃんと言えていたのかも疑問の残る早業で弁当を猛然とかきこむ香川を見やる。
先ほど腹が鳴るのが恥ずかしいと言っていた彼女のわずかな女子力が失われていくのを感じつつ、稲生は自身の弁当を開いた。
「あら?稲生くんは今日はお弁当なのね…」
「まぁ、いつもパンだと飽きるしな」
「典史は自分で作っちゃうんだよ」
「まぁ、凄いのね。私お母さんに毎日作ってもらっててなんだか恥ずかしいわ」
「磯貝。それが普通だぞ」
「ハグハグハグハグハグ……」
「あぁ、京ちゃん。お茶も飲まないとむせちゃうよ?」
「ハグハグハグ……」
こうしていつものような学生の昼休みは過ぎていくのだった。
その日、幻想の中でしか存在しえなかった世界は地球という世界に現れ、そしてどういう原理か何の不具合もなく融合し内包する世界が極端に増えた。
地球の概観はそのままなのだが、空に浮く島やら海中深くに根ざす王国やらと大量な未知の土地や建物もまた召還されてしまったのだった。
なんか知らないが、現実世界と空想世界はそうやってジャストフィットした。
質量とかそういった法則を完全に無視して、とんとん拍子にうまいこと行っちゃったらしく、地殻変動だとか環境変化だとかそういうので大災害が起こることはなく土地だけが広がった。
「そんじゃな」
「うん、また明日」
夕暮れの中、毛むくじゃらの幼馴染に手を振り見送る。
「ケットシー種はこの時期生え変わりが激しいよなぁ」
朝方は薄かった毛並みが夕方あたりに割りともっさりなっている後姿を見送りながら、稲生もまた帰路に戻る。
何の変哲もないいつもの帰り道。
夕暮れの中を自分と同じように帰路につくリザード種のサラリーマンやドワーフ種の子供たち、なんの代わり映えもしない日常の一コマ。
そしてその中を共に歩く、人間種の稲生。
姿形は全く違うけど、夕暮れが彼らに同じ長い影を作らせる。
こうして、亜人類種の何の変哲もない一日は今日も平和に終わっていく。
神は死んだ。
ファンタジーが現実のものとなったとき、とりあえず使われそうなフレーズである。
実際に全世界のどれほどの人間がこの言葉を使ったかは定かではないが、ひとまず、そういった空想上の生物が現れたとき、人々はまず驚き、そして恐怖する。
化け物、フリークス、と。
それは当然であるし必然でもある。
空想上の中だけという安全弁がついているからこそ、それらは存在が許されるのだから。
だがそれは、決して人間側だけの話ではない。
どんな生物だって、そんな空想上の世界が突然現れたら肝を冷やすのだ。
「ひぃ!怖いぃぃぃぃぃぃ!」
一つ目のガッチリした体格のサイクロプスが人間を見て初めて発した言葉であり、
「いやぁぁぁっぁぁ!犯されるぅぅぅ!」
これが二言目の言葉であったとされる(共に日本語)
現場にいた人々は自分たちが驚くよりも先に相手に驚かれてもうどうしていいかわからなかったとも伝えられる。
また別の場所に現れた異邦者たちは、
「当方には一切敵意はありません。そちらも少し落ち着かれよ」
流暢な英語を話し、紳士的に振舞っていたのは野趣あふるるバーセルクだったらしいし、
「ほぇぇ、君たちが伝説の生物、人間って奴なのかい?」
と興味深く近寄ってきたのは人馬一体のケンタロス。
「どのような原理かわかりませんけれども、我々の地球と貴方方の地球がリンクしてしまったんですわ」
状況をあっさり分析してしまったのは、どこに口や脳があるのか不明なスライム状の女性だった。
まぁ、つまりこういった、割と平和的なやり取りが全世界的に行われ、どこの国でもどこの場所でも、一切争いは起こらなかった。
彼らの容姿は間違いなく伝説上空想上のソレと非常に酷似していたのだが、彼らは全てが全て、感性という心の部分においては人間と全く大差ないものばかりで、ダメ押しで言語はほぼ共通の言語ばかりだったから、らしい。
こうして、緩くて優しい世界はこの日を境に一変した。
もっと緩くて優しい世界に。
そして、人間と異邦者が出会って800年余り。
時代は変わり、世代は変わり、されど世界は変わらない。
全人口の約99%が亜人と人類との混血となった現在。
純粋な亜人も純粋な人類も、今では1%以下となった今。
これは、そんなゆるーい世界の中でも、昔から変わることのなく続く、学生たちの青春の一幕である。
最後に、こんな世界にしてしまったグリモア学士の言葉を述べておこう
「なんか思ってたのと違う。俺は魔法少女とか期待してたのに。二次元美少女呼び出すつもりだったのに」
学園物です(迫真)
ラブでコメらせたいです(切実)