親指姫は空に帰りたい
生まれた時から変わらぬ、この小さく儚い体が疎ましかった。花から生まれたお姫様。小さく愛らしい容姿を持って生まれた私を慈しんでくれる生き物たちはいたけれど、そんなに優しいもの達ばかりに囲まれてここまで生きてきた……ワケがない。
時にはカエルに踏み潰されそうになり、時には虫に攫われそうになり、変態もぐら野郎からゲスい目で舐めるように見つめられ。そうして私は生きてきた。身を守るすべを持たぬ、か弱い私。そんなもの、くそくらえだって、叫んで回りたい。中指立ててわめき倒した所で、その声にどれほどのものが答えてくれるだろうか。そんなことを考えながらビクビク怯えて暮らすのは、まっぴらなのだ。
「わぁっ……!」
黒々とした手触りの良い羽に必死にしがみついて、正面から吹きすさぶ風を耐えしのぐ。ツバメの彼は時折私を気遣うようにゆるりと速度を落として、そのつぶらな瞳をちらりと向けてくる。その気遣わしげな瞳にニッコリと笑い返して、私は眼下に広がる色とりどりの流れる景色を瞳に映した。
凪いだ湖がキラキラと光りを弾く。やわらかい風に枝葉を揺らす木々たちが生き生きと濃淡を変えながらなびいてゆく。遠くに見えるのは、いつだったか、親切な野ねずみのおばあさんが教えてくれた万年雪の山かしら?その山を超えたずっと向こうには、花の国が広がっているのだと、歳を重ねた優しい野ねずみは教えてくれた。
花から生まれた私と、花の国。なんだかお似合いじゃない?きっと素敵な所なのだわ!そこに行けば私は、私は。この儚い自分を好きになれるかもしれないわ。うん、きっとそうよ。ツバメさん、もっともっと、速く飛んで!私を速く楽園へ連れて行って!
はるかに広がる空をツバメはビュンビュンと速度を上げて飛んでゆく。やがて視界に映る景色は一層鮮やかさを増して、ふんわりと甘い香りが空気の中に漂い始めた。赤、青、オレンジ、ピンク、それはそれは色とりどりの花々で一面を埋め尽くされた場所に、静かにツバメさんは降り立った。そっと一輪の美しい花の中に私を降ろして、彼は一言こういった。
「小さく愛らしいお姫様。優しく温かい心の親指姫。きっと貴女ならば幸せになれるでしょう。それが僕の、何よりの望みです」
甲高い囀りは、美しい花の中に佇む小さな人達に驚いていた私を笑顔にするのに十分な威力を持って花畑に響き渡った。まん丸いツバメさんの瞳が、どこか嬉しげに揺れている。
「ありがとう、ツバメさん。貴方のお陰でわたしはもぐら野郎と結婚なんてしなくても良くなったし、沢山の知らない景色を見られて、こんなに素敵な場所まで来られたわ。」
「そう、よかった。どうか幸せに。僕の望むことは、それだけです」
優しい声でピィピィと鳴く彼は、これで役目は終わりだと言わんばかりに大きく翼を震わせた。
「なんと、お美しい。貴女は一体、何処から……?」
ふと見知らぬ声に気を取られて振り返ると、そこにはなんだかキラキラした私と同じくらいに小さな男の人が驚いた表情で立っていた。その目が妙に熱っぽく潤んでいて、私は思わず……
「ち、近寄るんじゃないよっ!この変態発情野郎がっ!それ以上近づいたら、あのデブもぐらをノックアウトした右の拳が唸るんだからね!?」
ぞわりと総毛立った腕を必死に擦って、羽を広げ今にも飛び立ってしまいそうなツバメさんに縋り付いた。ダメだ。ダメなのだ。あの目、あの色、いつだって力なく弄ばれる私に向けられる一方的な情熱を孕んだ眼だ。金色の美しい巻き髪に、透き通った空のような瞳のきれいな男の人だ。けれど、所詮は同じ。下衆もぐらと同じなのだ。
「そ、そんな……私は無作法なことは何も……。きっと、恐ろしい思いをなされたのでしょう。貴女のように可愛らしい人ならば、この腕に囲いたいという浅慮な輩が現れたとしても可怪しくない。どうかご安心ください、姫。ここに貴女を傷つけるものはありません。私が、お守りします」
澄んだ声で、純粋な目で、まるで物語の中の王子様のようなその人は恭しく私の前に膝をついてみせた。そう、私を守るというの。なら、ならば。
金色の彼に向けてゆっくりと腕を伸ばして、私は微笑んでみせた。
「何からも、どんな恐ろしいことからも、卑しいことからも、お守り下さるのですか?」
差し出された腕に彼は安心したように表情をゆるめて、滑らかに私の指を掴んで手の甲に唇を寄せてくる。
「ええ、どんなことからもお守りします。私の姫」
ぴきり、音が聞こえた。主に私の額のあたりから。取られたままの手に、私は持ちうる限り渾身の力を込めて爪を立てた。
「痛っ!なにをっ……!」
反射的に自らの腕をかばって体を引いた金色の彼を、私は仁王立ちのまま腰に手を当て、威圧を込めて睨めつけた。
「そういうことは、鏡を見てから反復練習して出直して来いや!目は口ほどにモノを語ってんだよ!あ、あと貴方タイプじゃないから遠慮します」
こぼれん限りに目を見開く王子様(仮)にむけてぴっ!と中指を立てて、静かに事の成り行きを見守っていたツバメさんを振り返る。こちらもまん丸な目を更にくりくりと戸惑いに揺らめかせている。可愛い。とっても可愛い。
「ツバメさん、私ね、分かったわ」
「な、何がでしょうか?親指姫」
こてん、と首を傾げたその姿に私の胸は高鳴った。
「私の幸せは、私を苦しみから救ってくれた貴方が運んできてくれたんだわ。どこか遠くへ、なんて望まなくても、そこにもうあったのよ!」
「……で、ですが、親指姫。その御方はおそらく花の国の王子さ____ 」
「だからもう、要らないわ!これ以上の幸せなんて、貴方がいてくれること以上の幸せなんて、望みようがないもの!」
ぴぃ!?と急に飛びついた私を両方の翼で驚きつつも受け止めて、わたわたと羽根先を揺らすツバメさんをぎゅっと抱きしめた。
「ツバメさん、私色んな景色が見たいわ!貴方と一緒に!」
「……ええと、うーん。そうか。そういう展開もあり、なのか?」
ぼそぼそと何やらつぶやくツバメさんの顔を見上げると、慌てたように嘴をつぐんでしまった。なによう。
「……いえ、構いません。僕の望むことは、貴方が幸せであること。それだけですから」
高く澄んだ鳴き声が花畑に響き渡る。そこかしこから小さな花の天使からの視線を感じるけれど、今の私は最高に浮かれているからそんなことはどうでもいいのだ。
「ツバメさん、大好きよ!」
「……えぇ、僕もです」
私の告白への答えには、少し間の空いた言葉が帰って来た。いいの、今はまだ同じ気持じゃなくても。いつか私の世界を広げてくれた貴方に好きだって言ってもらうまで、私が頑張るから!
そうして再び飛び立った雲ひとつない空からは、何故かしんなりと元気をなくした花達が見えて、ツバメさんは申し訳無さそうにピューイ、と高くさえずりながらぐるりと旋回して空高く私を背に乗せてとびったのだった。




