ドッペルゲンガー
第1話『ドッペルゲンガー』
俺には苦手な物がある。
食で言うなら、牛肉、豚肉、生魚、肉の類で苦手なものが多いが、反面でキャベツやホウレン草、ジャガイモのベイクドポテトは好物だ。
俺には苦手なヤツがいる。
高校受験をクリアして工業高校三年を迎えた夏、リーマンショックで求人企業が激減し、日本に就職難の足音が聞こえ始めた頃、馬鹿な俺はネットゲームに明け暮れていた。
現実逃避したいが、一人は寂しい。などという曖昧な理由を込めて、対人ゲーム兼コミュニケーションツールとも呼ばれるネットの無料ゲームを薦められ、そいつと一緒になって必死になっていた。
そいつ、それなら、苦手なヤツというよりも、自分を駄目にしたヤツという表現が正しい『正しく糞野郎め!』と叫びたい心のうち半分は、ああ、ここまで来たらもう遅いかという諦めではあったが。
俺は人生を駄目にされた『女』に、社会的地位を負けた。
屈辱に耐えかねるも束の間、俺がやっとの気持ちで入社した会社が、俗にいう※ブラック企業であることを体感し、最終電車の座席で船を漕ぎながら帰宅する毎日が続いた。
以上が憂鬱な22歳を奏でる前演奏つまり序章ではあったが、父曰く「キョウタが音をあげるのはまだ早い!」だそうだ。俺は、この先のことを考えて遺言書はもう会社のデスクの中にある。
俺は、近々何かしでかしそうな気がしている。
今までの自分にない変化を感じていた。
* * *
今日は有給を取ったので、いつものスーツは自宅に置いてきた。何より、汚れるのが嫌で余計なものを持ってくることは気がすすまない俺だが。
高校の頃よく男友達とアキバに行くのに、この駅を通過したことを覚えてる。あの時の俺と今の俺で変わったのは目の輝きくらいだ。
あの時の俺は、※厨二病全快のサイコパス(のつもり)でこんな人ごみで傘を振り回すクレイジーなガキんちょだった。
突然「テレポートするか」などと、スプーン曲げを飛躍し過ぎたようなトークがあったり、憂鬱なポーズを取るのに虱潰しに感情を潰した頃もあった。「俺の斜め四十五度に立つんじゃねえ」が口癖だった。
なんで年末のカウントダウントークばりに過去の思い出話を語るかと言うと、きっと数時間後の世界に俺は存在しないからだ。
死んだ魚介類の目をした俺の周辺を、甘い香水のOLたちが電車の中へと流れていく。俺を気遣ってか神様の気まぐれかは分からないが、周りにおっさんや俺に似たような兄ちゃんは見当たらない。
まあたぶん、俺の勘違いだったろうと一歩進む。
落下地点まで結構な高さだが、電車にタイミング良くぶつかるので怪我の心配には及ばない。肉体は喪失するが、痛みはない。
か弱い心が災いして胸が怯えているのか全体に震えが伝わる。そりゃデスクワークばっかしてりゃ、いざ死ぬ時のことなんて今まで考えもしなかったことだろうな。
俺は人生を間違えたのだろうか?
俺は苦手なヤツに恨みを抱えているか?
そしてようやく、俺は忘れていることに気づいた。
厳密には忘れようとしていたことを。
「京子に、電話しなきゃ」
震えていた身体のポケットからケータイを取り出し、うっかり落とす。
「はあ…はあ」
黒のガラパゴスケータイは嗅いだこともない砕石を飛び越え、レールの上に落ちていた。居場所も分からない彼女のことだから、きっと連絡先が消えてしまうと、もう二度と会えないだろう。
苦手だったのに、どうして、そんな約束していたのか。
「行かなきゃ」と思った言った。
途切れていた耳の音がきーんと耳鳴りに続いてがんがん大きくなり、人ごみの音と、砕石に降りた音が重なった。
「行かなきゃ」と、身体が震えた。
「待って、」
「え?」
それはまるで内側から聞こえるように鮮明な自分の声だった。自分の声に自覚があるというのもややおかしいが、俺にはそう聞こえた。
「まだ、いかないで、」
「???」
電車が近づいてくる。嫌な汗が流れる。
「生きて」
その言葉を最後に、視界を絶たれ俺は衝撃に潰れた。




