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【歴史論考】ティムールはなぜ東を目指したのか――既存学説が完全に見落とした「幻のハイブリッド帝国」  作者: えいの
第1章 自己破壊のシステム ――ティムール朝はいかにして自壊したか

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第6節 定住社会における分割相続の帰結 前編

 これまでの論考において、遊牧社会の生存戦略であった「人の分割」という政治的規範が、定住社会の物理的基盤である「土地と都市」に適用された際に生じる、致命的な制度的矛盾の構造を明らかにしてきた。中央政府が客観的な地籍の策定を怠り、徴税権と行政権を軍事貴族アミールに委譲した結果、彼らは都市と農村の社会基盤に寄生する合法的な略奪者へと変貌した。そして、この変質した軍事階層が、君主の代替わりという権力の空白期において「実力行使による後継者決定」という遊牧的慣習と結びついたとき、帝国は修復不可能な自己破壊の連鎖へと突入した。本節では、この自己破壊の循環がいかにして国家の経済的・軍事的な体力を不可逆的に奪い去り、最終的な帝国解体という歴史的帰結を招いたのかを総括する。

 十五世紀後半、ティムール朝の歴史は奇妙な二面性を呈することとなる。ホラーサーン地方の首府ヘラートを統治した君主フサイン・バイカラの治世下において、宮廷には大詩人ジャーミーや細密画の巨匠ビフザードらが集い、後世「ティムール朝文芸復興」と称賛される極めて高度なペルシア・イスラーム文化の絶頂期が現出していた。壮麗なモスクが建立され、宮廷では高度な神学論争や洗練された詩作の宴が夜な夜な催されていた。しかし、この絢爛たる文化の輝きは、落日を迎えた帝国の断末魔を飾る最後の残照に過ぎなかった。華美な宮廷文化の裏側で、政治的および軍事的な実態はもはや「帝国」と呼称し得る統合的な構造を完全に喪失しており、分割相続と血みどろの内乱によって細分化された小政権が群雄割拠する、無惨なモザイク国家へと転落していたのである。

 領土の細分化は、国家の徴税基盤に対する直接的かつ致命的な打撃を意味した。シルクロードの要衝に位置するサマルカンドやヘラート、ブハラといった大都市は、広域の安定した通商網と連動して初めて莫大な関税を生み出す。しかし、遺産分割の名のもとに各王族が独自の領土を主張し、都市と都市の間に恣意的な政治的境界線が引かれたことで、この広域経済圏は完全に分断された。各地で独立した軍事貴族たちが商人の通行に対して独自の通行税や商工業税を課したため、物流の円滑さは失われ、交易による富の還流は劇的に減少した。

 広域交易による税収が激減した結果、各王族と軍事貴族は、自己の限られた知行地から得られる農業税ハラージュへの依存を極限まで高めざるを得なくなった。しかし、前節で指摘した通り、彼らには農業基盤を持続的に育成するための法制的な統治能力が欠落していた。彼らは隣接する親族の領地を奪取するため、あるいは自己の権力を脅かす別の軍事貴族を牽制するために、絶え間ない軍事衝突を繰り返した。その結果、主戦場となったオアシス周辺の農地は容赦なく蹂躙され、乾燥地帯における生命線である精緻な地下水路網は戦火によって徹底的に破壊された。自己の生存を支える唯一の経済基盤たる土地を、自らの軍事行動によって焼き払うという、狂気にも似た自己破壊の循環が常態化していたのである。

 この末期的な国家解体の実態を最も鮮明に物語っているのが、後にインド亜大陸においてムガル帝国を建国することになるバーブルの青年時代の記録である。彼の残した回想録『バーブル・ナーマ』には、十五世紀末のフェルガナ盆地やサマルカンドを巡る、ティムール一族同士の果てしない抗争が克明に描写されている。そこに見出されるのは、天下の覇権や大義を懸けた英雄的な戦いではなく、目先の都市の支配権を巡る陰惨な陰謀と裏切り、そして実利のみを追求して離合集散を繰り返す軍事貴族たちの専横に翻弄される、王族たちの無力な姿である。

 バーブルは優れた軍事的才能と個人的なカリスマを併せ持っていたが、それでもなお、一族間の足の引っ張り合いと軍事貴族の寝返りを制御することはできなかった。彼は一時的に父祖の地であるサマルカンドの奪還に成功するものの、配下の兵士たちに与える十分な略奪品や恩賞を用意できなかったため、軍団は瞬く間に瓦解し、わずか百日余りで都市を放棄して放浪の憂き目に遭っている。この事実は、当時の軍事階層がいかに国家に対する忠誠心を持たず、即物的な富の分配のみを目的として行動していたかを証明している。統治の基本規範が「理念の共有」ではなく「略奪の許可」に依存しきっていた体制の、必然的な限界であった。

 ここに至り、ティムール朝の君主および王族たちは、遊牧国家が本来有していた最大の強み――すなわち、過酷な環境や外敵の脅威に対して集団ごと空間を移動し、危険を回避する「機動力」と「環境適応力」――を完全に喪失していた。定住都市の宮殿での生活に慣れきり、特定の農地からの税収に完全に縛り付けられた彼らは、かつての祖先たちのように不利な戦況下で広大なステップへと退避し、勢力を立て直すという選択肢を持たなかった。彼らは自らが人為的に切り刻み、荒廃させた閉鎖的な「面」に固執し、都市の城壁の内側で互いの首を絞め合うことしかできない状態に陥っていたのである。

 帝国の内部構造が完全に空洞化し、王族たちが血みどろの内戦によって残された僅かな富を浪費しているその隙を、北方ステップの冷酷な観察者たちが見逃すはずはなかった。キプチャク草原において、純粋な遊牧軍事力とチンギス・カンの正統な血統を保持した新たな脅威、ウズベク系のシャイバーニー・ハーン率いる新興勢力が、いよいよ南下への動きを本格化させようとしていた。彼らは、内乱によって自壊し、軍事的な統率を完全に失ったティムール朝の豊かな都市群を、熟れきって地に落ちるのを待つ果実のように見つめていた。

 次編では、このウズベク族という外部からの強力な衝撃に対して、ティムール一族がいかにして呆気なく瓦解し、帝国が完全なる歴史的死を迎えたのかを描き出す。そして、この修復不可能な国家構造の破綻を誰よりも早く、かつ冷徹に予見し、自らの生前にそれを全く別の文明の論理を用いて超越しようと企図した建国者ティムールの、底知れぬ「真の野望(第二章)」へと論理の接続を図っていく。


【引用文献・史料】

1.Babur, *Baburnama* (Memoirs of Babur).

2.Khwandamir, *Habib al-Siyar* (Friend of Biographies).

3.本田實信『モンゴル時代史研究』東京大学出版会。

4.杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』名古屋大学出版会。

5.加藤和秀『ティムール朝成立史の研究』北海道大学図書刊行会。

6.間野英二『バーブル・ナーマの研究』松香堂。

7.Beatrice Forbes Manz, *Power, Politics and Religion in Timurid Iran*, Cambridge University Press.

8.Stephen Frederic Dale, *The Garden of the Eight Paradises: Babur and the Culture of Empire in Central Asia, Afghanistan and India (1483-1530)*, Brill.


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