第2話「逆らいなんてできやしないのに」
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シーナはリネットへランプを差し出すと、リネットはそれを恭しく受け取った。
「シーナ様、お薬のご用意はできています」
「そうですか」
リネットにより開けられた扉をくぐりながら、シーナは先程までジュリアンが居たベッドに腰掛ける。
ワゴンの上に葡萄酒のボトルと硝子細工のグラス――そして、油紙に包まれた粉薬。
リネットが慣れた手つきで葡萄酒を注ぐにつれ、グラスが液体で満たされる音がした。
シーナは油紙を開くと、無言で粉を呷った。直に感じる苦味に、思わず眉根が寄る。ちらりと、リネットを見やった。
それに応え、リネットは腰掛けたシーナに目線を合わせるように床に跪くと、葡萄酒を口に含みそのままシーナに口づけをした。
口の中に広がる、芳醇な葡萄の香り。それを苦味走る薬と一緒に嚥下しながら、どこか朦朧とし始めた頭で考える。
――ああ、私は、今、あの方と同じことをしている。でも、私はもう、リネットがいないと……。
それは酒精よりも甘く、華やかに、シーナの脳髄を蕩けさせる、禁忌だった――。
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女主人と従者はしばらくの間、そのまま唇を重ね合わせていた。やがてどちらからともなく、相手の手を握り、それをそっと握り返す。
指先が絡み合う。シーナの汗のにおいとリネットのせっけんの香りが、ジュリアンの残り香を上書きしていく。
かすかな水気のある音。それが途切れたとき、一つの影はようやく二人に戻る。
「……ねえ、知っています? このお薬、飲み続けていると、やめても子供ができなくなるんですって」
まぶたを開いたシーナが、上目遣いで「月のものが来ないというのは、思ってた以上に楽ですけど」と、悪戯っぽく笑う。
「シーナ様……」
「ごめんなさい。リネットを困らせるつもりはなかったんです」
ただ、と、
「私がどうやっても子供を産めないと知った時、ジュリアン様は私たちをどうなされるのでしょうね?」
どこか遠いところを見るシーナの問いには答えず、リネットは主人を寝台へと押し倒すと、再びその桜色のつぼみに口をつけるのだった。
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リネット・ヴァイン男爵令嬢が、エーデルシュタイン公爵によって、その花を散らされたのは行儀見習いに出されて間もなくのことで、今でもリネットはあの夜を夢に見る。
所詮は零細男爵家の三女、奉公に出された以上そういうこともあるとは覚悟していたが、父程も歳が離れた男と同衾することは、想像していた覚悟を更に上回っていた。
痛みに上ずる身体、公爵に似つかわしくない下卑た笑み。仕込まれた作法。許しを請う自分。
だがそれも、やがて事の最中に明日の予定を組み立てる余裕さえ作れるようになった。
ただ、閨を出る前に飲むように命じられた苦い薬の味だけは、いつまでも慣れることはなかった。
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リネットがヴィオラ・エーデルシュタイン公爵令嬢の側付きとされたのは、表向きはヴィオラと歳が近いからだとされている。
ただ実際のところは、公爵の意向に逆らわないということが証明されていたからだと、リネットは思っている。
――逆らいなんてできやしないのに。
何もかも捨てる覚悟を持つか、あるいは何も考えずにか――どちらかでなければ公爵家という権威に逆らうことなど、リネットのような下位貴族には考えることさえできない。
故に、ヴィオラの側付きとなった時も、この少女の機嫌を損ねないように気をつけて過ごそう。その程度に考えていた。
だが、
ヴィオラという少女は、自分が想定していたよりも、はるかに気安く、人懐っこい存在だった。
ちょうどその頃、ヴィオラに弟が産まれて、両親から一身に受けていた愛を分割された物足りなさからだろうか、侍女たちへと甘えるように抱きついたり、添い寝をねだったりと、身体的接触をしてきた。
リネットは幾らか年下の公爵令嬢にそうされて戸惑いながらも、実家の妹を思い出し、時に甘やかし、時に少しだけ厳しく、側付きの侍女としての役目を果たしてきた。
――それが、いけなかったのだと、リネットは今でも思う。
妹を重ね合わせたりせず、淡々と己の職務だけを果たしてさえいれば。
侍女長の言いつけに従い、「最後の添い寝のお願い」に絆されることさえしなければ。
「ねえ、リネット。嫌ならちゃんと言ってね?」
ヴィオラが、断ることなど許されない台詞を口にすることなく、この物語《過ち》は始まりもしなかったのだと、今でもリネットは思っている。
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あの告発劇のあと、行き場を失ったリネットはジュリアン第二王子に拾われ、シーナの側付きとされた。
その時のシーナの喜びようは、ただ事ではなかった。挨拶を交わすより早く、シーナはリネットに抱きついてきたのだ。
「ああ、リネット……。ずっと、貴女にお礼が言いたかったんです。貴女があのとき声を上げてくれていなければ、私は――」
そう言って抱きついたままリネットを見上げるシーナの瞳は、熱く潤んでいた。
――ああ、違うのです。シーナ様。私は貴女のために声を上げたのではないのです。
シーナの言葉を聞きながら、リネットは胸中で懺悔する。
――私ははただ、出遅れてしまっただけなのです。疾うの昔に果たしていなければならない努めを、ようやく果たしに行っただけ。だから、貴女に感謝される資格も、筋合いもないのです。
リネットの頬に、一筋の光が伝う。それはシーナの瞳からこぼれたものとは、また、理由が違うものだった。
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