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「死んだら骨まで愛してやる」と言っていたヤンデレ公爵様が、私が死んだらガチで骨格標本を作ろうとしていたので、慌てて生き返ったら不老不死にされて永遠に監禁(愛)されることになりました

作者: 文月ナオ

 

 意識はあるのに、指1本動かせない。


 まぶたは鉛のように重く、呼吸すらも極限まで浅くなっているのが自分でもわかる。


 心臓の鼓動は1分間に1度打つか打たないかというレベルまで低下し、体温は死体と同等まで冷え切っているはずだ。


 これぞ、裏社会の闇ギルド「深淵の蛇」にて、私がなけなしの私財をはたいて――具体的には独身時代からの貯金と手持ちの宝石を全て換金して作った大金貨100枚という……。


 地方の領主の館なら丸ごと買えてしまうほどの金額で購入した秘薬、『黄泉帰りの雫』の効果だ。


 本来は死にかけた人間を蘇生させるための薬だが、健康な人間が飲むと、一度仮死状態を経て「黄泉から帰ってくる」というプロセスを辿るらしい。


 私は今、医学的にも魔法学的にも、完全に死んでいる。


 ……正確には、死んだふりをしている。


 深くて暗い闇の中で、私は自分の意識だけを頼りに、時間の経過を数えていた。


(ああ、うまくいったんだわ。ごめんなさい、ヴィンセント。でも、もう限界だったのよ)


 私は心の中で、愛する夫であり、そして恐怖の対象でもある彼に別れを告げた。


 私の名前は、ナタリア・フォン・クロウリー。


 クロウリー公爵家の夫人であり、かつては没落寸前だった伯爵家の令嬢だ。


 そして――前世は過労死した社畜OLだった記憶を持つ転生者でもある。


 そう。またしても、なのだ。


 前世の私は、ブラック企業の狭いオフィスに閉じ込められ、朝から晩まで働き詰めだった。


 自由などなかった。


 自分の時間も、恋をする余裕も、美味しい空気を吸う権利さえ奪われ、最後はデスクに突っ伏して孤独に死んだ。


 だからこそ、この剣と魔法の異世界に転生した時、私は神に感謝した。


「今度こそ、広い世界を見て回ろう。美味しいものを食べて、誰にも縛られずに自由に生きよう」


 そう誓ったはずだった。


 なのに、どうしてこうなったんだろう。


 私の夫、ヴィンセント・フォン・クロウリー公爵は、完璧な人だ。


 王家の血を引く輝くような金髪に、深い知性を宿した青い瞳。


 国一番の資産を持ち、剣を持たせれば騎士団長と互角、ペンを持たせれば宰相をも唸らせる文武両道の天才。


 社交界では「歩く芸術品」「生ける彫像」と称賛され、彼が微笑むだけで淑女たちがバタバタと倒れるほどの美貌の持ち主だ。


 そんな彼に見初められ、求婚された時、私は前世の記憶が霞むほど舞い上がった。


 シンデレラストーリーとは、まさにこのことだと。


 けれど、結婚生活が始まって3日で、私は悟ったのだ。


 この男には、たった一つだけ、しかしあまりにも致命的な欠点があることを。


 愛が、重い。


 重いどころではない。


 質量を持ったブラックホール級の重力で、私という存在を押し潰しにかかってくるのだ。


『ナタリア、今日のドレスも素敵だ。 いっそこのまま特殊な樹脂で固めて、永遠に変わらない姿にしておきたい』


 新婚初夜の翌朝、ベッドの中で抱きしめられながら言われた言葉だ。


 最初は情熱的な比喩表現だと思った。


 けれど、彼は真顔で錬金術師に「人体を美しく保存する透明樹脂」の発注書や、怪しげな「不老長寿の研究書」を取り寄せていた。


 私が必死で止めたから事なきを得たが、あれが全ての始まりだった。


『外出? 駄目だ。 外の空気が君の肌を汚すかもしれない。 紫外線は君の細胞を劣化させる敵だ』


 新婚旅行から帰ってきて以来、私は屋敷の敷地から一歩も出してもらえなくなった。


 庭の散歩すら、彼が同伴し、日傘を3本重ねて差さなければ許されない。


 私の肌を守るためだと言って、彼は屋敷中の窓ガラスを、紫外線を遮断する特殊な魔石ガラスに交換した。


 それだけなら、過保護な夫として笑い話にできたかもしれない。


 けれど、彼の愛は徐々に、そして確実に常軌を逸していった。


 前世の私がデスクという「狭い檻」で死んだように、今世の私は公爵邸という「豪華な檻」で飼い殺しにされようとしている。


 美味しい食事も、美しいドレスも、自由がなければただの装飾品だ。


 話し合い?


 何度もした。


 泣いて訴えたことも、怒って物を投げつけたこともある。


 でも彼は、そのたびに恍惚とした表情で私を抱きしめるのだ。


『ああ、怒った顔も可愛い。泣き顔もそそられる。君の感情のすべてが僕に向けられていると思うと、ゾクゾクするよ』


 話が通じない。


 彼の辞書には「拒絶」という言葉が存在しないのだ。


 私の「嫌だ」という言葉さえ、彼にとっては「愛のさえずり」に変換されてしまう。


 だから私は、最終手段に出た。


 死ぬしかない。


 本当に死ぬわけではない。


 社会的に死に、彼の前から姿を消すのだ。


 前世で得た知識――漫画や小説で見た「仮死薬による逃亡劇」を、この世界で実践する時が来たのだ。


 この『黄泉帰りの雫』は、服用してから24時間は完全な仮死状態になる。


 その間、心臓の音も止まり、体温も下がり、瞳孔も開く。


 どんな名医でも見抜けない、完璧な死の偽装だ。


 計画はこうだ。


 まず、私が「原因不明の急死」をしたと診断される。


 嘆き悲しむヴィンセントは、すぐに葬儀の準備に取り掛かるだろう。


 この国では、死者は一度棺桶に入れられ、教会の地下安置所で一晩清められてから埋葬される習わしがある。


 その安置所に運ばれる夜中、買収しておいた庭師のトビアスが私を回収し、裏ルートで用意した馬車に乗せて隣国へ逃がしてくれる手はずになっている。


 トビアスは金に汚い男だが、仕事は確実だ。


 彼には成功報酬として、私が持てるだけの宝石を渡す約束をしている。


(あと少し……。あと半日我慢すれば、私は自由よ!)


 深海に沈んだような静寂の中で、私は自由への希望を胸に抱いていた。


 隣国へ行けば、名前を変えて、前世の夢だった「スローライフ」を送ろう。


 二度と恋愛などしない。


 静かに、誰にも愛されず、誰にも執着されず、ただ平穏に家庭菜園でもして暮らす。


 そんな幸せな未来予想図を描いていた、その時だった。


「……ナタリア」


 頭上から、低く、艶のあるバリトンボイスが降ってきた。


 ヴィンセントの声だ。


 心臓が止まっているはずなのに、前世の社畜魂が「上司が来た時」のように縮み上がるのを感じる。


(来た……!)


 第一関門だ。


 死体を発見され、医者が死亡確認をするまでの間、彼に怪しまれてはいけない。


 私は全力で「死体」を演じた。


 もっとも、薬の効果で身動き一つ取れないのだから、演じる必要すらないんだが。


 カツ、カツ、カツ。


 革靴の音が近づいてくる。


 寝室のベッドに横たわる私のもとへ、彼が歩み寄ってくる気配がする。


「……ナタリア? まだ寝ているのかい? もう朝だよ」


 いつもの、甘ったるい声。


 毎朝、この声で起こされ、目覚めのキスをされるのが日課だった。


 けれど今日は、私は返事をしない。


 ピクリとも動かない。


「ナタリア?」


 衣擦れの音がして、彼がベッドに腰掛けたのがわかった。


 私の頬に、彼の手が触れる。


 いつもなら温かいその手が、今は氷のように冷たく感じられた。


 いや、違う。


 私の体温が下がっているからじゃない。


 彼の手が、微かに震えているんだ。


(気づいた……?)


「……冷たい」


 彼の呟きが、静寂な部屋に落ちた。


「息をしていない……? 脈も……ない」


 動揺している。


 当然だ。


 昨夜まで元気だった妻が、朝になったら冷たくなっているのだから。


 普通の夫なら、ここで取り乱し、医者を呼び、名前を叫んで泣き崩れるはずだ。


 さあ、叫んで。


 医者を呼んで。


 そして「可哀想なナタリア」と嘆いて、私を棺桶に入れてちょうだい。


 私は心の中で彼を応援した。


 しかし。


「…………」


 沈黙が続いた。


 長い、長い沈黙だった。


 彼は叫ばなかった。


 医者を呼ぶベルも鳴らさなかった。


 ただ、静かに私の顔を覗き込んでいる気配だけがする。


 どうしたの?


 ショックのあまり声も出ないの?


 それとも、現実を受け入れられずに気絶してしまったの?


 不安になり始めた頃、再び彼が口を開いた。


「……美しい」


(……え?)


 耳を疑った。


 今、なんて言いました?


「美しいよ、ナタリア。なんて静かなんだ。なんて無防備なんだ」


 彼の声色は、悲嘆に暮れるものではなかった。


 前世で訪れた美術館で、最高傑作の絵画を見つけた時のように、あるいは長年追い求めてきた希少な宝石を手に入れた時のように、うっとりとした熱を帯びていたのだ。


「君が生きている時は、いつも不安だった。 君が動くと、どうしても他の男の視線が気になって仕方がなかった。君が口を開けば、僕以外の誰かに言葉を向けるのが許せなかった」


 彼の手が、私の髪を梳く。


 その手つきは、いつもの愛撫よりもずっと優しく、そして粘着質だった。


「僕を見て怯える瞳も好きだったけれど……こうして何も映さない虚ろな瞳も、吸い込まれそうで素敵だ。死によって血の気が引き、白磁のようになったこの肌も……まるで僕のために誂えられた芸術品のようだ」


 彼の指先が、私のまぶたをなぞり、唇へと滑り落ちる。


「ああ、ナタリア。ついに、君は完全に僕のものになったんだね」


 ゾクリ、と背筋に悪寒が走った。


 この男、泣いていない。


 悲しんでいない。


「これでもう安心だ。君はもう二度と動かない。二度と僕の元から去ることはない。他の男に微笑みかけることもない」


 彼の吐息が、私の顔にかかるほど近づいてくる。


「永遠だ。僕たちはこれで、永遠に一緒になれる」


 待って。


 話が違う。


 私の想定していたシナリオと違う。


 ここは「ああ、神よ! なぜ私からナタリアを奪うのですか!」と絶望するシーンでしょう?


 なんでハッピーエンドを迎えたような声を出しているの?


 ガラガラ、カチャリ。


 何かが擦れるような音と、冷たく鋭い金属音が響いた。


 彼がベッドの下からキャスター付きのワゴンを引き出し、サイドテーブルの横にセットした音だ。


「……さあ、始めようか。腐ってしまう前に処理をしなければ」


 処理?


 処理って何?


 埋葬の準備のことよね?


 使用人を呼んで、体を清めて、死に装束に着替えさせることよね?


「まずは血抜きだ。綺麗な肌の色を残すには、死後硬直が始まる前の、素早い処置が必要だからね」


(……血抜き?)


 思考が凍りつく。


 アルカディア王国の葬儀の手順に、そんな工程はない。


 絶対にない。


「大丈夫だよ、ナタリア。痛くはしない。 ……ああ、でも防腐剤を入れる時は、血管を通すから少し染みるかもしれないな」


 防腐剤。


 その言葉の意味を理解した瞬間、私の魂が悲鳴を上げた。


 待って、ヴィンセント。


 貴方、私の遺体をどうするつもりですか?


「君のこの肌は、剥製にするには少し繊細すぎるかもしれないな」


(はくせい……?)


「皮を綺麗に剥ぐのは難しい。特に顔の皮膚は薄いから、少しでも手元が狂えば君の美貌を損なってしまう」


 彼は独り言のようにブツブツと呟いている。


 その内容は、猟奇的殺人鬼の思考そのものだ。


「やはり、骨格標本にするのが一番美しいかな」


(……っ!?)


 骨格標本!?


 私を!?


「君の骨格は完璧だ。以前、君が寝ている間に透視の魔道具で撮影した時から、ずっと魅せられていたんだ」


(いつの間に撮っていたの……? プライバシーの侵害とかいうレベルじゃないわよ!)


「この鎖骨のライン、左右対称の肋骨のカーブ、そして何よりこの華奢な指の骨……。ああ、想像するだけでゾクゾクする」


 ヴィンセントの荒い息遣いが聞こえる。


 興奮している。


 最愛の妻の死体を前にして、悲しむどころか、これからどう加工して愛でるかを考えて、性的に興奮しているのだ。


 この男、本物だ。


 私の想像を遥かに超える狂気の男だった。


「昔、君に言っただろう? 『死んだら骨まで愛してやる』と」


 言った。


 確かに言われました。


 プロポーズの言葉でしたね。


『健やかなる時も、病める時も、死して骨となっても君を愛する』と。


 あれ、教会で誓う定型文の比喩表現じゃなかったんですか!?


 物理的な意味だったんですか!?


「僕は約束を守る男だ。君の魂がどこへ行こうとも、君のその美しい『器』は、僕が責任を持って管理するよ」


 カチャ、カチャ。


 金属同士が触れ合う音がする。


 彼が何を取り出したのか、想像したくもないけれど、想像できてしまう。


 メスだ。


 間違いなく、解剖用のメスだ。


 彼は趣味で生物学の研究もしていた。


 書斎には様々な動物の標本が並んでいたのを思い出す。


 あのコレクションの最後尾に、私が並ぶのだ。


『ナタリア・フォン・クロウリー(20歳) 保存状態:極上』というラベルと共に。


「……さて、まずは頸動脈から血を抜いて、それから胸を開こうか」


 ジャリッ。


 鋭利な刃物が空を切る音がした。


(やめて……っ!)


 このままだと、仮死状態のまま解体される!


 意識はあるのに体は動かない状態で、生きたまま皮を剥がれて骨にされるなんて、どんな拷問ですか!


 地獄の鬼でももう少し手加減しますよ!


 庭師!


 庭師のトビアス!


 助けて!


 まだ掘り起こす時間じゃないけど、今すぐ来て!


 いや、彼が来たところで見つかって殺されるだけだ。


 ヴィンセントの剣技は国一番なのだから。


 どうする?


 どうすればいい?


 薬の効果が切れるのはあと16時間以上ある。


 それまで待っていたら、私は綺麗な骨格標本になって、ヴィンセントの寝室のベッドサイドに飾られてしまう。


 そして毎晩、彼は骨になった私に「おやすみ」のキスをするのだ。


 嫌だ!


 そんな死後の世界(物理)は嫌だ!


 前世で過労死して、今世で骨格標本エンドなんて、あまりにも救いがなさすぎる!


(動け……動け、私!)


 ドクンッ! 


 恐怖が頂点に達した時、私の心臓が爆ぜるように跳ねた。


 脳内で過剰分泌されたアドレナリンが、生存本能という名の命令コードを全身に叩きつけ、強力な仮死薬の成分を無理やりねじ伏せていく。


 人間、極限状態に陥れば、リミッターが外れて不可能を可能にすることだってできるはずだ。


 私は渾身の力を込めた。


 魂を削るような思いで、右手の小指に意識を集中させる。


 ヴィンセントが、私の首筋にメスの冷たい切っ先を当てた。


「ここから切り開けば、傷も目立たない……」


 金属の冷たさが、皮膚を通して伝わってくる。


 痛みの予感が、脳髄を駆け巡る。


(動けええええええええっ! やべぇぇぇっ!!)


 私は心の中で絶叫した。


 神様、悪魔様、どなたでもいいです!


 この変態から私を守ってください!


 もし助けてくれたら、一生清く正しく生きますから!


 いや、やっぱり少し贅沢もしたいですけど、とにかく今だけは力を貸して!


 ピクッ。


 奇跡が起きた。


 私の右手が、痙攣するように跳ねたのだ。


「……ん?」


 ヴィンセントの手が止まる。


 首筋に当てられていたメスが、わずかに離れた。


「今、動いたか?」


 彼は不思議そうに呟き、私の顔を覗き込んだ。


 その青い瞳が、至近距離で私を見つめている。


 瞳孔が開いた、狂気と理性が混ざり合った混沌とした瞳。


 今だ。


 このチャンスを逃せば、次はもうない。


 次は確実に、喉を切り裂かれる。


 私は薬の副作用で鉛のように重い瞼を、気合でこじ開けた。


 血管が切れるかと思うほどの力を込めて、脳からの命令を筋肉に叩き込む。


 カッ! 


「……っ!?」


 ヴィンセントが驚いて後ずさる気配がした。


 私は眼球をギョロリと動かし、目の前でメスを構えている夫を睨みつけた。


 視界がぼやけている。


 けれど、彼が手に持っている銀色のメスだけは、はっきりと見えた。


 私は乾燥して張り付いた喉を、無理やり震わせる。


 空気を通し、声帯を揺らす。


 それは、錆びついた扉を無理やり開けるような苦痛を伴った。


「……ま、だ……」


 かすれた、風の音のような声。


 けれど、ヴィンセントの耳には届いたようだ。


「ナタリア……?」


 彼は信じられないものを見るような目で私を見ている。


 そうでしょうね。


 死んだはずの妻が、解剖直前に目を開けたのですから。


 本来なら、腰を抜かすほどの恐怖体験だろう。


 けれど私にとっては、彼こそが恐怖の権化なのだ。


 私は残った全精力を振り絞り、言葉を紡いだ。


「まだ……しんで、ない……っ! メスを、置けぇ……!」


 しぼり出した声は、まるで地獄の底から這い上がってきた亡者の怨嗟のようだったに違いない。


 淑女らしさのかけらもない、ドスの利いた声。


 けれど、効果はてきめんだった。


 カラン、と高い音がして、ヴィンセントの手からメスが滑り落ちた。


「ナタリア! 生きているのか!?」


「……い、生きて……ます……。だから、骨に、しないで……」


「ああ、神よ!」


 彼は私に抱きついた。


 強い力で抱きしめられ、肋骨が軋む。


 痛い。


 苦しい。


 ただでさえ呼吸が浅いのに、窒息しそうだ。


 けれど、メスで切り刻まれるよりはマシだ。


「奇跡だ……! 脈も止まっていたのに! 君の僕への愛が、死の淵から君を呼び戻したんだね!」


 違います。


 断じて違います。


 貴方の殺意(愛)が高すぎて、生存本能が薬の効果をねじ伏せて帰ってきたんです。


 あと、私の愛じゃなくて私の恐怖です。


「ごめんよ、ナタリア。僕は早まるところだった。 君が生きているなら、骨にする必要なんてない」


「……そ、そうです、よね……。生きている人間を、骨にするのは、犯罪ですわ……」


「ああ、よかった。剥製にするための防腐液も、骨を漂白するための薬品も、内臓を保存する瓶も、全部無駄になってしまったけれど……君が生きているなら安いものだ」


(薬品も瓶も、もう準備していたの……?)


 ヴィンセントの背後にあるサイドテーブルに視線をやり、私は背筋が凍りつくのを感じた。


 そこにはいつの間にか――おそらくベッドの下から引き出したのだろう――大小様々なガラス瓶と、怪しげな液体の入ったフラスコが並べられていたのだ。


 用意周到すぎる。


 まるで、最初からこうなることを予期して寝室に常備していたとしか思えない。


 もしかして、私が死ぬのを心待ちにしていたんじゃないかと疑いたくなるレベルだ。


 ヴィンセントは私の顔中にキスを雨あられと降らせながら、涙を流して喜んでいる。


「ナタリア、ナタリア! ああ、温かい。少しずつ体温が戻ってきている。やっぱり君は、生きて動いている方が最高だ!」


 その姿は、純粋に妻の生還を喜ぶ夫そのものだ。


 一瞬前まで、私の首にメスを突き立てようとしていた狂気さえなければ、感動の再会シーンに見えただろう。


 私は安堵のため息をつこうとして、肺がまだうまく動かないことに気づき、浅く呼吸をした。


 助かった。


 とりあえず、解体ショーは回避できた。


 けれど、冷静になって考えてみれば、状況は何も解決していない。


 むしろ、悪化している。


 私は「死んで逃げる」というカードを切ってしまったのだ。


 しかも、それが失敗に終わった。


 生き返ってしまった以上、私はまたこの「愛の牢獄」に戻ることになる。


 いや、1度死にかけた私を、彼が以前と同じような管理体制で済ませるはずがない。


「……ナタリア」


 ヴィンセントが、涙に濡れた顔を上げた。


 その青い瞳が、妖しく、そして昏く光る。


「もう二度と、君を死なせはしない。神に誓って、君をこの世に繋ぎ止めてみせる」


 彼の言葉に込められた重圧に、私は再び意識が遠のきそうになった。


 ああ、これはバッドエンドの予感しかしない。


 私の戦いは、終わるどころか、新たな、そしてより過酷なステージへと突入してしまったのだ。




 ◇◆◇




「……というわけで、生き返りました」


 あの日から1週間後。


 私は天蓋付きの豪華なベッドの上で、甲斐甲斐しくリンゴを剥いているヴィンセント様を冷ややかな目で見つめていた。


「よかったね、ナタリア。本当に、本当によかった。あの時、僕がすぐに処置を始めていなければ、君は冷たい土の中に埋められていたところだった」


 彼は心底嬉しそうに微笑みながら、ウサギの形に飾り切りされたリンゴを私の口元に運んでくる。


「はい、あーん」


「……あーん」


 私は無表情で口を開き、シャクシャクとリンゴを噛み砕く。


 甘い。


 最高級の蜜入りリンゴだ。


 けれど、味がしない。


 なぜなら、私の部屋が完全に改造されているからだ。


 まず、窓。


 以前から紫外線を遮断する魔石ガラスだったが、今はその内側に鉄格子が嵌められている。


 しかもただの鉄ではない。


 魔法を無効化するミスリル銀製だ。


 次に、扉。


 三重の魔法鍵に加え、扉の前には常に2名の近衛騎士クラスの護衛が立っている。


 そして極めつけは、私の足首だ。


 細くて美しい、まるでアンクレットのような装飾が施されたプラチナの鎖。


 それはベッドの脚――床に固定された太い柱に繋がれている。


 長さは部屋の中を自由に歩ける程度にはあるが、部屋の外に出ることは物理的に不可能だ。


「それにしても、危ないところだったよ」


 ヴィンセント様はリンゴを食べ終えた私の唇を、親指で優しく拭った。


 その瞳は、以前にも増して深く、重く、そしてどこか狂気を孕んで濁っていた。


「君が1度死にかけたことで、僕は学んだんだ。人間はいつ死ぬかわからない。どれほど厳重に守っていても、病魔や寿命という見えない敵が君を奪おうとする」


「……それで、この鎖ですか?」


 私が鎖をジャラリと鳴らすと、彼は悲しげに眉を下げた。


「ごめんね。痛くはないかい? 内側には最高級のビロードを貼ってあるんだ」


「物理的な痛みはありません。 ただ、私の心が痛みます」


「心が? どうして?」


「家畜のように繋がれているのですから」


 嫌味を込めて言ったつもりだった。


 しかし、彼は「家畜」という言葉に反応することなく、むしろ真剣な顔で頷いた。


「そうだね。家畜というより、君は僕の命そのものだ。だから、一瞬たりとも目を離してはいけないし、どんなリスクも排除しなければならない」


「……ちなみに、庭師のトビアスはどうなったのですか?」


 私は恐る恐る聞いてみた。


 私の逃亡を手引きしようとした彼だ。


 消されていてもおかしくない。


「ああ、彼か。なかなか商魂たくましい男だったよ」


 ヴィンセント様はニコリと笑った。


「君が彼に払った報酬の、倍の金額を提示したら、君の逃亡計画を全部話してくれたよ。その金で、今は南の島で優雅に引退生活を送っているそうだ」


(あ、あいつぅぅぅぅ!!)


 私はハンカチを噛み締めた。


 金に汚いとは思っていたけれど、最後の最後で私を売って、自分だけハッピーエンドを迎えやがった!


「まあ、おかげで君を確保できたんだ。彼には感謝状を贈りたいくらいだよ」


 ヴィンセント様は上機嫌だ。


 結局、この世界は金と権力なのか。


 彼はサイドテーブルから、金色の液体が入ったグラスを取り上げた。


「さあ、ナタリア。 薬の時間だ」


「……これは?」


「錬金術師ギルドの最高顧問に作らせた特製のエリクサーだよ。細胞の老化を止め、あらゆる病を治癒する」


 彼は事もなげに言った。


「君の食事には、これから毎日これを混ぜることにしたんだ。さらに、古代魔法の『時間停止』を応用した術式も君の寝室に組み込んだ」


「は?」


「本当は新婚当初から研究させていたんだよ。君が死んだら骨にして残そうと決めていたけれど、生きているなら、この『不老不死薬』を使う方がいい。君が死んでしまったと思って焦って骨の準備をしたけれど、生き返ってくれて本当に良かった。 おかげでプランBに移行できる」


 さらりと、とんでもないことを言われた。


 プランB?


 最初からこの人は、私が死んでも生きても、永遠に自分の手元に置くつもりだったのだ。


 死んだら骨に。


 生きていれば不老不死に。


 逃げ場なんて、最初からどこにもなかったのだ。


 不老不死?


 私を人間やめさせる気ですか?


 前世で過労死した私が、今世では死ぬことすら許されない?


 それはつまり、定年退職も、寿退社もない、永遠に続く労働(愛されること)を意味していた。


 絶望で目の前が真っ暗になる。


「君が死ななければ、骨にする必要もない。永遠にこのままで、僕のそばにいてくれるよね?」


 ヴィンセント様の笑顔は、聖人のように美しく、そして悪魔のように残酷だった。


 逃げられない。


 死んで骨になるか、生きて不老不死の愛玩人形になるか。


 究極の2択を迫られ、私は死んだふり作戦の大失敗を痛感した。


(どうする、ナタリア。どうする?)


 このままでは、私は永遠にこの部屋から出られない。


 数百年後、国が滅びても、私と彼だけはこの屋敷で永遠にイチャイチャし続けることになる。


 そんなの、地獄だ。


 前世の社畜時代よりも酷い。


 少なくとも前世には「退職(死)」というゴールがあった。


 しかし、ここにはゴールがない。


(諦めるな。考えろ。前世の知識と、今世の経験を総動員するのよ!)


 私は必死に思考を巡らせた。


 力では勝てない。


 魔法でも勝てない。


 逃亡も失敗した。


 ならば、残された手段は一つ。


「交渉」だ。


 前世、私は営業職だった時期がある。


 無理難題を言ってくるクライアントに対し、相手の要望を満たしつつ、こちらの利益も確保する。


 それが交渉の極意だ。


 ヴィンセント様という、世界一厄介なクライアントを攻略しなければ、私に未来はない。


 私は深呼吸をした。


 そして、震える手を隠すようにシーツを握りしめ、彼の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


「……ヴィンセント様」


「なんだい? もっとリンゴが欲しい?」


「いいえ。お話があります」


 私は努めて冷静な声を出し、続けた。


「貴方が私を愛してくださっていることは、痛いほど理解しています。そして、私を失うことを何よりも恐れていることも」


「もちろんだよ。君なしの世界なんて、僕にとっては無価値な塵のようなものだ」


「では、お聞きします。貴方が愛しているのは、『生きて、笑って、怒って、貴方とお話しする私』ですか? それとも、『ただ呼吸をして、心臓が動いているだけの肉人形の私』ですか?」


 ヴィンセント様が首を傾げた。


「どういう意味だい? どちらも君だ。 どちらも愛しているよ」


「いいえ、違います」


 私は断言した。


「もし、このまま私がこの部屋に閉じ込められ、外の世界を見ることも、風を感じることもできなくなったら……私の心は死にます」


「心が、死ぬ?」


「ええ。感情を失い、言葉を失い、ただ貴方の言葉に頷くだけの人形になります。以前、貴方が作ろうとしていた骨格標本と、中身は何も変わりません」


 彼の表情が曇った。


「そんなことはさせない。僕は君を毎日楽しませるよ。毎日違うドレスを着せて、毎日違う詩を贈って、最高級の宝石で君を飾る」


「それは貴方が楽しいだけです!」


 私は声を荒げた。


「私は楽しくありません! 私が欲しいのは宝石でもドレスでもない。私が欲しいのは……『自由』です!」


 部屋の空気が凍りついた。


 ヴィンセント様の瞳から、光が消える。


「自由? ……自由とは、なんだい? 僕から離れることかい? 他の男の目がある場所へ行くことかい?」


 低く、地を這うような声。


 空気がビリビリと震えている。


 怖い。


 殺されるかもしれない。


 でも、ここで引いたら終わりだ。


「違います! そうじゃありません!」


 私は彼の手を両手で掴んだ。


 冷たい手だ。


 この手を温められるのは、私しかいないのだと、直感的に思った。


「私が言っているのは、自分の足で歩き、自分の目で世界を見て、自分の意思で『貴方の隣にいること』を選びたいということです!」


「……選ぶ?」


「はい。今の私は、選べません。鎖で繋がれているから、強制的にここにいるだけです。それでは、貴方は永遠に不安なままでしょう?」


 私は畳み掛ける。


「貴方はいつも不安がっていましたね。私が他の男を見るのではないか、私がいなくなるのではないかと。それは、私を閉じ込めているからです。閉じ込めなければ逃げると思っているからです!」


「……実際、君は逃げようとしたじゃないか」


 痛いところを突かれた。


「そ、それは……貴方が私の話を聞いてくれなかったからです! 貴方の愛が重すぎて、息ができなかったからです! でも、もし貴方が私を信じて、鎖を外してくれたなら……私は逃げません」


「嘘だ」


 即答だった。


「君は嘘をつくのが下手だ。瞳が泳いでいる」


 バレてる。


 さすがヤンデレ、観察眼が鋭すぎる。


「やはり、君を生かしておくのはリスクが高いな。……骨にした方が確実だ」


 彼が無表情で、サイドテーブルのメスに手を伸ばした。


 ヒエッ。


 待って、話の飛躍がすごい!


 私は死の恐怖(物理)に突き動かされ、涙目で叫んだ。


「わ、わかりました! 飲みます! 飲みますからそのメスをしまってください!」


「……本当かい?」


 ヴィンセント様の手が止まる。


 私はコクコクと必死に頷いた。


「本当です! 不老不死の薬を飲みます! 貴方と共に、永遠を生きる覚悟を決めます!」


 ヴィンセント様の目が大きく見開かれた。


「ほ、本当かい!? ナタリア!」


「ただし!」


 私は彼が抱きついてくるのを手で制した。


「条件があります。その代わり、この鎖を外してください。そして、週に1度……いいえ、3日に1度は外出を許可してください。もちろん、貴方の同伴付きで構いません」


「外出……」


 彼は露骨に嫌な顔をした。


「紫外線が……虫が……有象無象の男どもの視線が……」


「日傘を差します! 虫除けスプレーも浴びます! 男なんて見ません、貴方だけを見ています! それでどうですか!?」


 必死のプレゼンだ。


 前世の営業でも、ここまで必死になったことはない。


「もし、それを守ってくださるなら……私は毎日、貴方に『愛しています』と言います。心からの言葉として」


 ヴィンセント様が黙り込んだ。


 彼は私の手を握ったまま、長いこと葛藤していた。


 彼の脳内で、「安全だが動かない人形」と「危険だが愛を囁いてくれる妻」が天秤にかけられているのがわかる。


 いや、おそらく「綺麗な骨格標本」という選択肢もまだ捨てきれていない。


 永遠の沈黙に感じられた数分後。


 彼がゆっくりと口を開いた。


「……毎日、言ってくれるのかい?」


「はい。朝起きた時と、夜寝る前に」


「……キスも?」


「……はい。1日1回なら」


「10回だ」


「3回で手を打ちましょう」


「5回だ。それ以下なら交渉決裂だ。 ……その場合は、残念だけれど君には動かない芸術品になってもらうしかない」


「……わかりました。5回で」


 ヴィンセント様は深くため息をつき、そして、どこか憑き物が落ちたような顔で微笑んだ。


「負けたよ、ナタリア。君の勝ちだ」


 彼は懐から小さな鍵を取り出し、私の足首の鎖を外した。


 カチャン、という音が、私には自由へのファンファーレに聞こえた。


「……骨になっても、人形になっても、君が僕を愛してくれなければ意味がない。僕は君の心が欲しかったんだ」


 彼は私を抱きしめた。


 その腕は相変わらず強くて苦しいけれど、以前のような「冷たい狂気」は少しだけ薄れている気がした。


「約束だよ。僕から離れないでくれ。 もし約束を破ったら……」


 彼は私の耳元で、甘く囁いた。


「今度こそ、君の足を切り落としてでも手元に置くからね。……いや、やはりいっそ骨にして、ベッドの中に飾ろうかな。そうすれば、逃げることもできないし、永遠に僕のものだ」


 ……ヒエッ。


 背筋が凍った。


 この男、やっぱり何も変わっていない。


 ただ、手段が「骨格標本」から「不老不死(ただし失敗したら即・骨)」に変わっただけだ。


 けれど、とりあえずの自由は勝ち取った。


 私は震える手で彼の背中に腕を回し、引きつった笑顔で答えた。


「は、はい……。肝に銘じておきます……」




 ◇◆◇




 それから数年後。


 私は、前世で夢見ていた「スローライフ」とは程遠い、けれど刺激的すぎる日々を送っている。


「ナタリア、日傘の角度が甘いよ。太陽光が3ミリほど肌に当たっている」


「はいはい、分かりました」


「あそこのパン屋の店主が君を見て鼻の下を伸ばした。……あとで店ごと買い取って潰しておこう」


「やめてください。あそこのクロワッサンが食べられなくなるでしょう」


「じゃあ店主だけ変えよう。僕の配下の暗部を送り込む」


「パンが焼ける暗部なんているんですか……?」


 私たちは街を歩いていた。


 もちろん、私の周りには透明化の魔法をかけられた護衛が10人はいるし、私の服には最新鋭のGPS魔道具が縫い付けられている。


 自由とは言えないかもしれない。


 完全な解放とは程遠い。


 けれど、私は自分の足で歩き、自分の目で世界を見ている。


 不老不死の薬のせいで、見た目は20歳のまま変わらないけれど、私の心は生きている。


「ナタリア、愛しているよ」


 交差点の真ん中で、ヴィンセント様が恥ずかしげもなく大声で言った。


 街中の人々がギョッとしてこちらを見る。


 私は顔から火が出るほど恥ずかしかったが、約束通り、彼の頬にキスをした。


「……私もです、ヴィンセント様」


 彼は世界一幸せそうな顔で笑った。


 その笑顔を見ると、まあ、これもありかなと思ってしまう自分がいる。


 骨にされるよりはマシだし、これほど愛されているのも事実なのだから。


 私の戦いは終わらない。


 この愛が重すぎるヤンデレ公爵の手綱を握り、彼と共に永遠の時間を生きていくのだ。


 元社畜の根性と、転生者の知恵を武器にして。


「さて、帰ろうかナタリア。今日は新しいコレクションを見せたいんだ」


「……コレクション?」


「ああ。君が吐き出した二酸化炭素を冷却パックして保存した『ナタリアの息吹』コレクションだよ。日付ごとに瓶詰めしてあるんだ」


「……は?」


「君が生きている証拠だからね。見ているだけで興奮するだろう?」


「……聞かなかったことにします」


 私の平穏な毎日は、今日も綱渡りだ。


 けれど、私は生きている。


 骨ではなく、人間として。


 それだけで、今のところはハッピーエンドということにしておこう。

 

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