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ユリカゴから宙へ ──漂う星々の記憶──  作者: 真野真名


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エピソード5、偽傷の計



 宇宙ってやつは、静かなくせに、やたらうるさい。


 耳じゃなく、神経の奥で響いてくる。

 戸来はその“音”に目を覚ました。ブリッジの計器盤が、夜中の心臓みたいに点滅している。


「……いやな揺れ方だな」


 独りごちた声がヘルメットに跳ね返る。

 気圧は正常、酸素も正常。だけど波形が揺れている。

 無線ノイズの端っこに、何かが引っかかっていた。


 佐渡船長が戻ってきた。

 缶コーヒー片手に、眠そうな顔でモニターをのぞき込む。

「気づいとったか」

「はい。微弱信号です」

「二隻や」


 佐渡は即答した。

 指で波形をなぞる。その目は獣のものだった。


「宙族、ですね」

「たぶんそれや。しかも古い輸送艇の改造やな」


 戸来は唾を飲み込む。

 二隻。普通は群れない。けれど、今の宙族は“腹をすかせた野犬”だ。群れた方が狩りやすい。


「……でも、この波、妙ですよ。もう一つ“抜け”がある」

「見えるか」

「光を吸い込みすぎてる部分。空間の“影”みたいな」

 佐渡はうなずいた。

「そっちが本命や。軍やな」


 戸来は息を詰めた。

「軍の船が、なんでこんなところに」

「宙族と一緒や。いや、ちょっとちゃうな。こっちを沈めて荷物を届かせんようにするのが目的や」


「冗談じゃ……」

「宇宙に冗談はあっても、冗談抜きってのはないんや。月の時もあった。宇宙はまだ無法がまかり通る世界や」


 佐渡は缶を握りつぶした。

 金属音がやけに生々しかった。


 ブリッジの奥で、寝袋から海斗が顔を出す。

 寝癖のまま、目だけが真剣だった。

「どうしたんすか」

「客が来た」佐渡が短く言う。

「どんな客っすか」

「話しかけたら撃ってくるタイプや」


 海斗の顔が引きつった。




 最初の光は、星と星の間から滑り出てきた。

 まるで、夜空に紛れたナイフ。

 レール弾が舷側をかすめ、無数の火花が散った。


「距離八百!」海斗の声。

「推進三割、回避軌道B!」佐渡の命令。


 〈ホシノナギサ〉は斜めにねじれるように逃げた。

 外では閃光。弾丸の尾が、光の糸を描く。


「後方にもう一隻、三時方向!」戸来が叫ぶ。


「予想通りやな」

「軍は?」

「まだ黙っとる」


 佐渡の声には焦りがなかった。むしろ愉快そうですらある。

「ええか戸来。逃げるフリするで」


「フリ?」


「本気で逃げたら軍が動く。軍は“宙族が獲物を仕留める様子”を見たいだけや。ほんまに逃げられたら困る。せやから、苦しんどる芝居をする」


「無茶苦茶だな」

「無茶は宇宙の基本や」


 佐渡がボタンを叩くと、船尾から白い微粒子が噴き出した。

 煙幕──冷却剤の霧。

 視界が白に包まれ、宙族のレール弾が火花を散らす。


「推進尾部、損傷!」海斗の叫び。

「問題ない。見た目が派手な方がええ」


 戸来は操縦桿を握る手に汗をにじませながら笑った。

 狂ってる。この船、船長もろとも、きっとどこか壊れてる。

 でも、不思議と腹は据わっていた。


 宙族の通信が傍受された。

 ノイズの中に、かすかに聞こえる。

『──追い込め、もうすぐだ──』


 佐渡はにやりと笑う。

「追い込まれとるフリ、成功やな」


 「……船長、あと一発で、本当に推進炉やられますよ!」

 海斗が悲鳴にも似た声を上げた。


「心配すな。あいつら、俺らを壊す気はハナからないんや。積荷も船そのものも狙ってるよってな」

 佐渡は鼻で笑った。



 船体が揺れ、振動が増した。

 追撃弾が装甲をかすめる。

「やばいっす! 機関の温度、上がってます!」


「もっと上げろ」

「は?」


「煙を多めに出せ。死にそうな方が自然や」


 海斗が呆れた顔でコンソールを叩く。

 警告ランプが一斉に赤くなった。


「これで満足っすか!」

「満点や」佐渡は嬉しそうだった。


 〈ホシノナギサ〉は、まるで千鳥足の泥酔者みたいにふらふらしながら航路を外れた。

 戸来は、わざと推進を不安定に噴かす。

 振動が続き、計器が軋む。

 海斗が歯を食いしばる。


「このままじゃ、本当に壊れますよ!」

「壊れたら直せ」

「理不尽すぎる!」

「理不尽に耐えるのが宇宙や」


 佐渡は笑い、再びモニターをのぞいた。

「宙族、まだ食いついとるな。ええ子らや」


 彼らはまるで、演劇をやっているようだった。

 観客は軍。舞台は無限の真空。

 失敗すれば、カーテンコールどころか、棺桶直行だ。


 やがてレーダーに三つ目の点が浮かんだ。

 軍の船が、ほんのわずかに姿勢を変えた。

 だが、宙族は気づいていない。


「行くぞ」佐渡が小さく呟いた。

「離脱か?」

「まだや。もう少し芝居を続ける」


 宙族の一隻が距離を詰めた。

 弾丸が船体をかすめ、金属片が飛ぶ。

 海斗が悲鳴をあげる。

「被弾!」

「いい感じや。あと少し」


 佐渡の目は、完全に獲物を狙う狩人のそれだった。

「軍が油断した。追ってこん。よし、戸来、全推進解放!」


 スラスターが一斉に吠えた。

 機体が震え、圧力計が振り切れる。

 宙族の船影が遠ざかっていく。


「エンジン、限界っす!」

「もうちょい我慢せえ!」


 闇が裂け、〈ホシノナギサ〉は加速した。

 光が尾を引き、二隻の宙族がみるみるうちに小さくなる。


 軍船の反応が遠のく。

 追ってこない。

 追えば姿が見られる。

 見られれば、“影の存在”がバレる。


 佐渡は操縦桿から手を放し、深く息をついた。

「離脱完了。火星へ直進する」


 海斗が椅子に倒れ込む。

「……マジで生き残ったっすね」


「生き残った? 推進剤の大盤振る舞いで大赤字や。春海に殺されるな」佐渡が言う。

「春海さんの手で死ねるなら本望でしょ」戸来が呟く。


「布団の中だけやったらな」

「船長……きしょ」

「きしょ言うなや!」


 いつもの笑いは生まれなかった。




 数時間後、火星が視界に現れた。

 遠くから見ると、ただの赤い丸。

 でも近づくにつれて、錆びた模様や影が見えてくる。


「着陸ポートC-2。GAの管轄だ」


「GA? 大亜細亜っすよね。運んでるのは、日本の積荷っすよ?」海斗が首を傾げる。


「日本のも、環太平洋のもいっぱいらしい」戸来が答える。


「それがほんまかどうか、分からんけどな。まぁ今んとこ火星ここはGA様が天下を取ってはるからなぁ」

 佐渡が諦めたように言葉を吐き出す。


 降下が始まる。

 大気の摩擦が船体をなでる。

 久しぶりの“空気”の感触だった。


 重力が戻り、三人の体が沈む。

 戸来はふらつきながら立ち上がる。


「……重いな、地面ってのは」

「生きてる証拠や」佐渡が笑う。


 ハッチが開き、赤茶けた風が吹き込んだ。

 火星の空は、思ったより明るかった。

 砂塵の向こうに、軍の格納庫が見える。

 そして、その屋根の上には無数のカメラ。

 “歓迎”というより、“監視”の匂いがした。


 船を降りた途端、通信端末が鳴った。

 表示には〈月・第七ドック〉。

 件名:佐渡春海氏の件


 佐渡の顔が固まる。

「……春海?」


 通信が自動で再生された。

 ノイズ混じりの音声。管制官の声が聞こえる。


『こちら第七ドック。佐渡春海氏が整備中に事故。現在、医療棟で処置中。意識不明──』


 言葉が途切れた。

 通信はぷつりと切れた。


 誰も動かなかった。

 佐渡はただ、無言で空を見上げた。

 火星の空は赤い。

 泣きそうな色だった。



***



──GA火星開発協議会


 大亜細亜共栄連邦の火星基地の奥で軍の将校たちが報告をまとめていた。


 濃緑の制服、短い言葉。

「日本船籍の民間輸送船〈ホシノナギサ〉、予定外の軌道変更。宙族二隻との接触を経て、無傷で通過」


「無傷? 信じられん」

「さらに、我々の観測範囲から意図的に離脱している」


 沈黙。


 将校のひとりが口を開いた。

「……つまり、我々の存在に気づいていた可能性がある、と」


「後始末は?」

「取り逃したようだな……」

「まずいな」


「報告を上げるか?」

「……いや。こっちで始末する」


 それだけで会議は終わった。

 机の上に残ったのは、火星の夜を映したホログラム。

 そこに浮かぶ〈ホシノナギサ〉の小さな光。


 それが消えるまで、誰も目を離さなかった。



***



 火星の夜は、思ったより明るい。

 遠くで嵐が舞い上がり、光が砂に反射している。


 戸来は宿舎の外で煙草を吸っていた。

 地球ではもう吸えない安物。

 火星では、命と同じぐらい高い。


「寝ないんすか」

 振り返ると、海斗がいた。

 目の下にクマを作りながらも、どこか嬉しそうだった。


「寝たら悪い夢見そうでな」

「俺、もう夢見ました」

「どんな」


「地球に帰って、給料で焼肉食ってる夢」

「悪くねぇな」


 ふたりで笑う。

 笑うしかなかった。


 遠くで通信塔が点滅していた。

 救難ビーコンと同じリズム。

 まるで宇宙が、まだ何かを呼んでいるようだった。


 戸来は空を見上げた。

 黒に溶け込む、濃く、血のような赤い空。そこに、見えない誰かの影。

 宙族か、軍か、それとも過去の亡霊か。


 彼は煙草を指でつまみ、灰を払った。

 灰は、すぐに風に溶けた。


「なあ、戸来さん」海斗が言う。

「ん」

「俺たち、助かったんすよね」


「たぶんな」

「たぶん?」


「助かったと思ってるうちは、まだ終わってねぇ」





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