エピソード36、開かれる門
一時間は、永遠のように長く、瞬きのように短かった。
〈ホシノナギサ〉の船内では、静かに、しかし激しく準備が進められていた。
海斗は機関部のリミッターをすべて解除し、冷却材の循環ルートを手動でバイパスした。
ココはNAG-13の深層領域にアクセスし、ミナトと共に通過シーケンスの最終調整を行った。
そして、約束の時間が来た。
『時間だ。回答を』
高龍からの通信が入る。
戸来はマイクを取った。
「回答する。……断る」
『……愚かな』
「俺たちの行き先は、俺たちが決める。木星だろうと、地獄だろうとな」
戸来は通信を切った。
同時に叫ぶ。
「総員、配置につけ! ミナト、接続開始!」
《了解。条件A、B、C、全展開。システムリンク、スタート》
ブリッジの照明が青に染まる。
三人の意識が船と直結した。
恐怖も、焦燥も、すべてが信号化され、船を動かすエネルギーへと変換される。
GA の駆逐艦が主砲を向けた。
威嚇射撃の光弾が、ナギサの鼻先を掠める。
「回避行動!」
ココの思考が船体に伝わる。
ナギサは生き物のように身を翻し、次弾を紙一重でかわした。
「進路、座標ゼロ・ゼロ・サン! 空間歪曲中心点へ!」
戸来の意志が、明確なベクトルとなってシステムに刻まれる。
ナギサは逃げるのではなく、GA艦隊の包囲網を突破し、その背後にある「死の穴」へと加速した。
『貴様ら、正気か!』
高龍の狼狽した声が、開かれたままの回線から漏れ聞こえる。
『自殺する気か! 止まれ!』
高龍の声に、初めて焦りが混じる。彼にはできない選択だ。NAG-13という「鍵」を持たない彼らが突入すれば、あの無人艦と同じ運命を辿る。だから彼は、指をくわえて見ているしかない。
「止まらない!」
海斗が叫ぶ。エンジンの咆哮が、彼の喉を通して響く。
「俺たちは、通るんだ!」
牽引ビームがナギサを捉えようと伸びてくる。
だが、今のナギサは通常の物理法則を超えた機動を見せた。
ビームの干渉波を船体振動で弾き飛ばし、さらに加速する。
目の前に、黒い歪みが口を開けていた。
光がねじれ、星々が円環状に引き伸ばされる視界。
そこは、物理的な死の淵。
だが、彼らにとっては唯一の希望の門。
「ミナト、NAG-13、開放!」
《承認。ゲートオープン》
黒い穴が、ナギサを迎え入れるように拡大した。
強烈な重力波が船体を叩く。
外殻がきしむ音が、三人の骨に直接響く。
だが、壊れない。
船体情報の完全共有が、衝撃を瞬時に分散させている。
「行けええええええっ!」
戸来の絶叫と共に、〈ホシノナギサ〉は黒い奔流の中へと飛び込んだ。
後方で、高龍の駆逐艦が急停止するのがセンサーの端に映った。彼らは追ってこない。追えば死ぬと知っているからだ。
視界がホワイトアウトする。
世界が裏返る感覚。
彼らは、境界を超えた。




