エピソード35、再会、そして喪失
木星の重力圏は、逃げ場のない檻だった。
〈ホシノナギサ〉を取り囲むように展開したGA ――大亜細亜共栄連邦――艦隊は、威圧的な沈黙を守っていた。レーダーに映る光点の数は十二。一隻の民間輸送船を捕らえるには、あまりに過剰な戦力だ。
その中心に位置する駆逐艦から、再び通信が入る。
『抵抗は無意味だ。エンジンを切れ』
高龍の声は、氷のように冷徹だった。
戸来は通信機のマイクを握りしめたまま、ココを見た。彼女は顔を伏せ、微かに震えている。かつての指導者であり、自分を実験動物として扱った男の声。それがトラウマを呼び起こしているのは明らかだった。
「……断る」
戸来は短く答えた。
「俺たちの船だ。行き先は俺たちが決める」
『所有権を主張するつもりか。その船籍データが改竄されたものであることは把握している』
高龍は淡々と言い放つ。
『それに、お前たちは理解していない。その船が持つ価値を。NAG-13は、人類が次の段階へ進むための切符だ。それをただの運び屋が独占するなど、資源の浪費に過ぎない』
「浪費で結構だ。俺たちは運び屋だからな。荷物を届けるのが仕事だ」
『荷物? 何を運ぶつもりだ』
「自由だ」
通信の向こうで、高龍が鼻で笑った気配がした。
『幼稚な感傷だ。……いいだろう。言葉で分からなければ、事実を見せるしかない』
モニター上のGA艦隊の一部が動いた。
一隻の無人輸送艦が、艦列から押し出されるように前進してくる。船体には実験用のマーカーが描かれ、あちこちにセンサーが増設されていた。
『あれは廃棄予定の標的艦だ。NAG-13の簡易版を搭載している』
「何をする気……」
海斗が呻く。
『見るがいい。準備なき者が、近道を通ろうとした末路を』
無人艦が加速した。
その進路の先、何もない宇宙空間が不自然に歪み始める。
自然発生した空間の重なり──「近道」の入り口だ。
無人艦は躊躇なくその歪みへ突入した。
次の瞬間、現象が起きた。
爆発ではない。
無人艦の船体が、艦首から順に「ほどけて」いった。
まるで編み物が引っ張られて解けるように、金属の装甲が、構造材が、配管が、意味を持たない素粒子レベルの紐へと還元されていく。
光すらも歪んで吸い込まれ、船があった場所には、ただ黒い虚無だけが残った。
音のない消滅。
圧倒的な喪失。
海斗が息を呑み、言葉を失う。
ココは目を背けず、ただ唇を噛んでその光景を凝視していた。
『見たか』
高龍の声が響く。
『あれが失敗だ。座標データが消失し、存在そのものが宇宙の計算エラーとして処理される。……お前たちの船には、あれを防ぐためのオリジナルデータがある。それをよこせと言っている』
「渡せば、俺たちはどうなる」
『安全は保証する。ただし、その後は軍の管理下で研究に協力してもらう』
つまり、飼い殺しだ。
ココを再び実験台に戻し、ナギサを分解してデータを吸い出す。
彼らにとって、人間も船も、ただの部品に過ぎない。
高龍は淡々と告げた。
『一時間待つ。NAG-13の制御権を渡せ』
「なぜ一時間も?」
海斗が問う。
《推測。先程の近道の入り口が安定し、安全にデータを吸い出すための接続確立にそれだけの時間を要するためです》
ミナトが答える。慈悲ではない。技術的な都合だ。
「……一時間か」
戸来は言った。
「十分だ。相談する」
『よかろう。一時間後、回答がなければ強制接舷する』
通信が切れた。
ブリッジに、重苦しい沈黙が降りた。
海斗が震える声で言った。
「……どうするんすか。逃げ場なんてないですよ」
「あるわ」
ココが顔を上げた。その瞳から、怯えは消えていた。
「一つだけ、彼らが手を出せない場所がある」
彼女の視線は、先ほど無人艦が消えた空間の歪み──まだ微かに残る「近道」の入り口に向けられていた。
戸来はニヤリと笑った。
「奇遇だな。俺も同じことを考えていた」
「マジっすか……」
海斗が天井を仰ぐ。
「あのミンチ製造機に突っ込む気ですか?」
「ミンチにはならない。俺たちには準備がある――条件A、B、C。すべて揃っている」
戸来はクルーを見回した。
「……やるぞ。奴らにデータは渡さない。俺たちが鍵なら、鍵をかけたままへし折ってやる」




