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ユリカゴから宙へ ──漂う星々の記憶──  作者: 真野真名


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エピソード34、イオの火、エウロパの氷




 木星圏への到達は、感動よりも緊張によって迎えられた。


 視界いっぱいに広がる木星。

 その表面に渦巻く縞模様と、巨大な眼球のような大赤斑。圧倒的な質量がもたらす重圧感は、火星の比ではなかった。

 だが、今の彼らを緊張させているのは、その自然の驚異ではない。


「……静かすぎるな」


 戸来はブリッジのメインスクリーンを見つめながら言った。

 木星の周囲には、ガリレオ衛星と呼ばれる四つの主要な衛星が回っている。


 そのうち、火山活動が活発な「イオ」にはGA ――大亜細亜共栄連邦――の拠点が、氷に覆われた「エウロパ」にはPR ――環太平洋連盟――

とEU――欧州諸国連合――の連合拠点が置かれていた。


 本来なら、これらの衛星間を行き交うシャトルや輸送船の通信で賑わっているはずだった。

 しかし今、通信機から聞こえてくるのは、木星の磁場が発するノイズだけだ。


「民間船の識別信号、ゼロっす。完全に封鎖されてますね」


 海斗がモニターを操作しながら報告する。


「冷戦が熱くなりかけてる証拠ね」


 ココが通信解析の画面を開いた。


「見て。イオ周辺の熱源反応。これ、全部軍艦よ」


 画面上のイオ周辺には、無数の赤い点が群がっていた。

 対するエウロパ周辺にも、氷の下に潜む青い反応が多数確認できる。

 両陣営の間に引かれた見えない境界線。そこには、一触即発の空気が張り詰めていた。


「これじゃあ、うかつに近づけないな」


「待って。暗号通信を拾ったわ」


 ココがヘッドセットを押さえる。


「GAの広域戦術データリンク……暗号化が甘い。わざと読ませてるのかもしれないけど」


 彼女が解読した内容が、スクリーンに表示される。

 そこには『作戦名:天雷』という文字と、攻撃ルートのシミュレーション図があった。


「天雷……?」


 海斗が首を傾げる。


「イオからエウロパへの奇襲作戦よ」


 ココが説明する。


「でも、見て。このルート、おかしいわ」


 通常、イオからエウロパへ艦隊を移動させるには、木星の強烈な重力と放射線帯を計算に入れ、大きく迂回するホーマン遷移軌道をとる必要がある。それには数日を要し、敵に察知される時間は十分にある。


 だが、画面上の攻撃ルートは、イオからエウロパへ向かって一直線に引かれていた。


 所要時間は――ゼロ。


「ゼロ時間で移動……つまり、ワープっすか?」


「近道を使う気だ」


 戸来が呻くように言った。


「GAが欲しがっていたのは、輸送コストの削減なんかじゃなかった。敵の懐に一瞬で軍隊を送り込むための、究極の侵攻ルートだ」


 木星圏の均衡を一撃で崩すための隠し刀。

 それが、NAG-13の正体だったのだ。


 その時。

 ブリッジにけたたましいアラートが鳴り響いた。


《警告。高出力アクティブ・レーダー照射を感知。ロックオンされました》


「どこからだ!」


《イオ方向。距離八千。高速接近中》


 スクリーンに、急速に拡大する艦影が映し出される。

 民間船ではない。鋭角的な装甲に覆われた、GAの最新鋭駆逐艦だ。

 質量、武装、出力、すべてにおいてナギサとは桁が違う。蟻が象に睨まれたような絶望的な戦力差。


 通信回線が強制的に開かれた。

 ノイズの向こうから、冷徹な男の声が響く。


『見つけたぞ。キー


 ココが息を呑む。


「この声……高龍教官……」


『久しぶりだな、ナンバー7。いや、ココ・ミキモトと言ったか』


 声の主は、かつてココを指導し、NAG-13計画を指揮していた男だった。

 その声には、再会の喜びなど微塵もない。あるのは、所有物を見つけた安堵だけだ。

 一瞬、彼女の瞳に怯えが走る。

 だが、彼女はすぐに操縦桿を強く握り直した。震えを怒りで抑え込むように。


『お前たちの船が必要だ。その船には、安定した近道を開くためのデータが蓄積されている』


「断ると言ったら?」


 戸来がマイクに向かって言った。


『選択肢はない。協力しなければ、撃沈してデータバンクだけ回収する』


 駆逐艦の主砲が、ゆっくりとこちらへ向けられるのが見えた。


 逃げ場はない。

 背後には木星の重力。

 前方にはGAの艦隊。

 〈ホシノナギサ〉は、戦争の引き金を引くための道具として、完全に捕捉された。


「……海斗、機関最大出力待機。ココ、回避行動の準備だ」


 戸来が静かに命じる。


「戦うんですか? 相手は軍艦ですよ!」


 海斗が悲鳴を上げる。


「戦いはしない。だが、言いなりにもならない」


 戸来は高龍の乗る艦を睨みつけた。


「俺たちの船は、誰かの戦争のためにあるんじゃない。行くぞ」


 白い輸送船は、巨人の群れを前にして、静かに牙を剥いた。




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