エピソード31、出口のない港
補給作業は、拍子抜けするほど順調に終わった。
人工惑星〈メンバメイ〉のドックC-12。汎用貨物船用のこの区画は、良く言えば機能的、悪く言えば殺風景だ。壁面は剥き出しの配管が走り、床にはオイルの染みが点々と残っている。
だが、今の〈ホシノナギサ〉にとっては、この無機質さが心地よかった。
「燃料充填、完了。水、酸素、食料パック、すべて規定量搬入済みっす」
海斗がタブレットのチェックリストを指で弾く。
その顔には、久しぶりに「普通の仕事」をこなした安堵感が浮かんでいた。
「追加の予備パーツも積み込んだわ。……私の希望で、少し高価なセンサー類も入れたけど」
ココが操縦席から振り返る。
「構わん。必要な経費だ」
戸来はキャプテンシートで頷いた。
出港準備は整った。あとは、管制からの許可を待ってゲートをくぐるだけだ。
「ミナト、機関始動」
《了解。メインジェネレーター、出力上昇。接続安定》
ミナトの声と共に、船体の床下から低い振動が伝わってくる。いつもの、眠りから覚めた船の鼓動だ。
戸来はブリッジを見渡した。
海斗、ココ、そしてミナト。
配置についた彼らの姿は、ここに来る前とは明らかに違っていた。迷いがない。
「よし。行くぞ」
戸来が通信パネルを開く。
「こちら〈ホシノナギサ〉。出港準備完了。ゲート開放を願う」
返答はすぐに来るはずだった。
事務的な承認コードと、ありきたりな「良い旅を」という定型句。
それだけで済むはずだった。
だが、スピーカーから流れてきたのは、耳をつんざくような警告音だった。
同時に、ブリッジの照明が自動的に赤色に切り替わる。
海斗が飛び上がった。
「うわっ、なんだ!?」
《ドック内警報。レベル4、緊急封鎖》
ミナトが冷静に告げる。
「封鎖?」
戸来が眉を顰める。
警告音の合間を縫って、無機質な合成音声のアナウンスが響いた。
『緊急通達。ドックC-12にて、特定外来生物由来のウィルス反応を検知。感染拡大防止のため、本区画を完全封鎖します』
「ウィルス……?」
海斗が呆気にとられた声を出す。
「俺ら、なんか持ち込みましたっけ? 変なもん食ってないっすよ?」
「黙って」
ココが鋭く言った。彼女の指がキーボードを叩く。
「ミナト、ドック内の環境センサー情報は?」
《正常です。病原性物質、毒性ガス、ともに検出されず》
「やっぱりね」
ココが鼻を鳴らす。
「嘘よ。それも、とびきり雑な嘘」
『当該船は直ちにエンジンを停止し、全乗員はハッチを開放して待機してください。これより防疫班が船内消毒および検査を行います』
アナウンスは続く。
同時に、船体を固定している係留アームが、ガコンという重い音を立ててロックされた。物理的に動けない。
戸来は外部モニターを睨んだ。
ドックの入り口付近。気密扉が開き、数人の人影が入ってくるのが見えた。
白い防護服を着ている。
だが、その動きは「消毒」に来た人間のそれではない。
「……おい」
戸来が低く言う。
「見えてるわ」
ココがモニターの一部を拡大する。
防護服の男たちが手にしているのは、消毒用の散布機ではなかった。
短機関銃だ。
さらに、後続の部隊が抱えている黒いケース。あれは軍用のハッキングデバイスだろう。
「消毒ってのは、俺たちを掃除するって意味か」
戸来が吐き捨てるように言った。
「GAね」
ココが断言する。
「あいつら、火星で見逃したんじゃなかった。ここで捕まえる気だったのよ。確実に、逃げ場のない箱の中で」
《推測。彼らの目的は船体の破壊ではありません。制圧と、NAG-13を含むデータの確保です》
「だからウィルス騒ぎか。船を傷つけずに中身だけ引っこ抜くには、俺たちを外へ引きずり出すのが一番早い」
海斗が青ざめる。
「ど、どうするんすか。アームで固定されてるし、前には銃持った連中がいるし……完全に詰んでますよ!」
「詰んでない」
戸来は即答した。
彼は懐から一枚のデータチップを取り出した。
火星で、嘉瀬から渡された支援物資の中に紛れ込んでいたものだ。
ラベルには手書きで『お守り』とだけ書かれている。
「船長、それ……」
「嘉瀬さんが言ってた。『誰にも頼るな』ってな。でも、これは例外だ」
戸来はチップをコンソールに差し込んだ。
モニターに、複雑な立体地図が表示される。〈メンバメイ〉の構造図だ。ただし、正規のガイドマップには載っていない、網の目のような通路が赤く示されている。
「これは……」
ココが目を見張る。
「建設当時の資材搬入ルートだ。今は廃棄されて、壁の裏側に埋もれてる」
戸来は地図の一点を指差した。
現在地、ドックC-12。
その真下に、太いダクトのような空間が走っている。
「ここだ」
「そこ、床下っすよ!? 壁ありますよ!?」
海斗が叫ぶ。
「壁、あるな」
戸来はニヤリと笑った。
「だが、出口もある」
防護服の部隊が、タラップに足をかけた。
先頭の男がハンドサインを出し、突入の構えを取る。
猶予は、あと数十秒。
「総員、衝撃に備えろ!」
戸来が叫ぶ。
「ミナト! 係留アーム、強制パージ!」
《警告。正規の手順ではありません。接続部に物理的損傷が発生します》
「構わん、やれ!」
《了解。爆砕ボルト、点火》
鈍い衝撃音と共に、船体が大きく揺れた。
アームの接続部が火花を散らして吹き飛ぶ。
タラップにいた男たちが、突然の揺れに体勢を崩した。
「海斗、下部スラスター全開!」
「了解っす! 床が抜けても知りませんよ!」
「こじ開けるのさ。ミナト、下部姿勢制御スラスターの噴射角を調整。一点集中だ。床板の溶接継ぎ目を焼き切れ」
《了解。構造脆弱点をスキャン。照射角、修正完了》
「ココ、機首を下げろ! 床をぶち抜く!」
「無茶苦茶ね!」
言いながらも、ココの手は楽しげに操縦桿を叩き込んでいた。
〈ホシノナギサ〉が、獣が吠えるような音を立てた。
浮上ではない。
船体は、ドックの床に向かって突っ込んだ。
ドックの床パネルが金属が引き裂かれる激しい音を立て、紙屑のようにめくれ上がる。
防護服の男たちが慌てて退避する中、白い船体は土煙と共にその姿を消した。
その下には、暗く、長い闇が口を開けていた。
廃棄された資材搬入シャフト。
〈メンバメイ〉の裏側へ続く、泥棒猫のための道だ。
「突入!」
視界が暗転する。
警報音と銃声は、分厚い隔壁の向こうへ置き去りになった。
「ははっ……!」
海斗が引きつった笑い声を上げる。
「マジでやった……! これ、後で請求書すごいことになりますよ!」
「生きてりゃ払えるさ」
戸来は前を見据えた。
センサーライトが、迷路のようなシャフトを照らし出す。
「行くぞ。ここからが本当の脱出だ」
〈ホシノナギサ〉は、人工惑星の胎内を、出口を求めて疾走し始めた。
だが、ここは安全な道ではない。
追手は、必ず来る。




