エピソード28、準備条件A──航法主体
会議、というほど大げさなものではなかった。
ブリッジに集まって、椅子に座り、飲みかけのマグを置いて、「さて」と言う人がいないまま始まっただけだ。
だが全員、これは避けて通れない話だと分かっていた。
《通過条件の整理を行います》
ミナトの声が、静かに響く。
ホログラムに、簡素な図が浮かび上がった。
複雑な数式も、専門用語の洪水もない。
ただ、一本の線と、分岐点。
《第一条件──航法主体の一元化》
海斗が、思わず瞬きをした。
「……一元化?」
「つまり?」
ココが視線だけで続きを促す。
《現在の〈ホシノナギサ〉は人間判断とAI判断の協調制御です》
《通常航行においては、最適です》
「“通常”なら、ね」
ココが補足する。
《はい》
《しかし“重なり”に接触する場合、判断遅延は致命的です》
戸来は、腕を組んだ。
「協調がダメだと?」
《曖昧だからです》
《どちらが決定権を持つか0.1秒でも迷えば、破綻します》
海斗が、椅子の背にもたれて天井を見上げた。
「どっちかが、全部やれって話っすか」
「そうなるわね」
ココが言う。
しばらく、誰も口を開かなかった。
最初に話したのは、戸来だった。
「最終判断は俺がやる」
声は落ち着いていた。
決意というより、前提条件を確認するような口調だ。
ココは、即座に首を振った。
「遅い」
「……は?」
「あなたが悪いんじゃない」
彼女は続けた。
「でも、人間は遅い。迷うし、考えるし、責任を思い出す」
海斗が、思わず頷く。
「全部当てはまるっすね……」
「今、褒められてないわよ」
ココは戸来を見る。
「門に触れた瞬間、状況はミリ秒単位で変わる。その時、船長が考えてる間に、船は壊れる」
戸来は、反論しなかった。
代わりに、静かに言った。
「じゃあ、AIか」
海斗が、ぎょっとする。
「え、ミナトに全部任せるんですか?」
「任せる、じゃない」
戸来は言い直す。
「委ねる」
その言葉に、ミナトが応じる。
《どちらでも構いません》
あまりにも即答だった。
「……即答すぎない?」
海斗が眉をひそめる。
《主体が明確であれば、私にとって差はありません》
「差はない、って」
海斗が苦笑する。
「俺らの命の話ですよ?」
《はい》
あっさりした肯定だった。
ココが、少し困ったように息を吐く。
「……ミナト」
「はい」
「あなた、怖くないの?」
《怖い、という感情は判断を鈍らせるためこの場では不要です》
「そういうとこよ」
ココは苦笑した。
沈黙が落ちる。
戸来は、ミナトのホログラムを見つめた。
「俺が主体だと、遅い。AIが主体だと、速い。でも──それで死んだら、誰が責任を取る?」
その問いは、空気を変えた。
ミナトは、少し間を置いた。
《責任という概念は定義できます》
「定義じゃない」
戸来は首を振る。
「引き受けるかどうかだ」
ココが、ゆっくり頷いた。
「……ここね」
「ココさんっすか?」
海斗が聞く。
「馬鹿。準備ってやつ」
ココは言った。
「覚悟の話」
ミナトが、静かに結論を述べる。
《主体を選ばない限り、門は拒否します》
その言葉は、警告ではなかった。
ただの事実だった。
戸来は、すぐには答えなかった。
操縦席を見る。
ココを見る。
そして、ブリッジの窓の向こうに広がる、何事もない宇宙を見る。
(選べ、か)
それは命令でも、強制でもない。
だが、選ばなければ先に進めない。
ココと、ほんの一瞬、目が合った。
そこには、信頼も、不安も、全部混じっていた。
戸来は、まだ答えを出さなかった。
だが一つだけ、はっきりしていた。
曖昧なままでは、行けない。
それだけは、全員が理解していた。




