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ユリカゴから宙へ ──漂う星々の記憶──  作者: 真野真名


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3/10

エピソード3、火星航路、デブリとの邂逅。



 宇宙は静かだなんて、誰が言い出したんだろう。

 きっと耳がいい奴じゃない。耳の奥で血が軋む音も、酸素循環の低い唸りも、隣の寝袋が擦れる音も聞こえちゃいない。

 静寂ってのは、音がないことじゃない。逃げ場がないことを言うんだ──戸来はそう思っていた。


 火星行きの貨物船〈ホシノナギサ〉のエンジンが、腹の底をくすぐるように唸っている。

 出発して三十六時間。まだ地球圏の端をなぞっている段階だ。

 問題は、そこから先にある。


「地球って、思ったより青くないっすね」

 隣の若い整備士・海斗が言う。二十歳そこそこ。工具よりも、まだ学校の食堂の匂いが染みついてる年頃だ。


「曇ってんだよ、どこも」

 戸来はタブレットを閉じた。

 雲の流れを眺めていると、妙に焦燥する。戻りたくなるような、戻れないような、そんな具合だ。


「すげーなぁ。あそこに俺の高校、あるんだぜ」

 海斗が窓越しに目を細める。


「だろうな。俺のも、どっかにはあった」

「“あった”? ってことは……」

「閉校。四年前にな」

「マジっすか」

「マジだ。世の中、そういうもんだ」


 そう言いながら戸来は笑った。

 だがその笑いの奥で、地球を見下ろすたびに“もう無いもの”ばかり探している自分に気づく。


 船長の佐渡は、相変わらずの鉄面皮でモニタを見つめていた。

 カップのコーヒーが頬に赤銅色の光を反射して、半分だけ火星人みたいに見える。


「戸来、推進剤の三系統目、配分が甘い」

「了解。再調整かけてます」


「海斗、点検ログ取っとけ。これからは“手順”より“癖”で動く段階や」

「了解っす!」


 海斗の声はやたら明るい。船内の酸素が少し増えた気がする。


 それに比べて戸来は、酸素を減らす側の人間だ。

 あの月で「行く」と決めた火星行きを、まだどこかで試している。誰に試してるでもないのに。


 航行中も、昼夜の区別はない。

 月時間──もっとも月時間も地球のGMT基準だが──に合わせた船内時計が唯一の「時間」だ。十二時間ごとに“仮想の夜”を設定し、照明を落とす。


 海斗は寝袋の中でイヤフォンをしていた。

「なに聞いてんだ」

「地球のラジオっす。まだ届くんすね」


「電波は早いからな」

「でも、けっこうタイムラグあるっすよ。昨日の番組が今日届く感じ」


「昨日の話を今日聞いて、明日の惑星に行く──ずいぶん遠くまで来たもんだ」

「かっけぇ、それ」


「やめろ。詩人じゃねぇ」


 後方から船長の声が飛ぶ。

「おい静かにせえ。無線が混線する」

 この人の「混線する」はたいてい、“眠りを妨げるな”という意味だ。


 翌朝。通信衛星群を抜ける頃、船体がわずかに震えた。


 佐渡が一瞬で声を張る。

「海斗、後部冷却ライン確認! 戸来、推進流量、抑えろ!」


 身体が勝手に動いた。訓練なんてなくても、体が覚えてる。

 数秒後、揺れが収まり、静寂が戻る。


「……冷却フィルターに微小デブリ。外部カメラで確認できる」

 佐渡の声が落ち着く。


 戸来の耳に“デブリ”だけが残った。


 海斗は安堵の笑みを浮かべた。

「初トラブルっすね……」


「初で済むといいな」

 戸来が言うと、佐渡がふっと笑う。

「おい戸来。声が死んどるで。もっと“生きてる”声出し」

「はいはい、すんません」


 その夜、珍しく佐渡が酒を出した。

 火星到着までは禁酒のルールだが、「祝いだ」と言い張る。


「こういう“軽いトラブル”のあとこそ祝っとくもんや。宇宙じゃ、生き延びとるだけで祝杯やからな」


 無重力下で浮かぶ琥珀色の液体を、戸来はぼんやり見つめた。まるで、地球で置いてきた自分の感情の塊のようだ。地球では酒を飲めば泣くか怒るか寝るかだった。

 今は、感情も酒も、こうして宙に浮かべるしかない。


 海斗がその雫を指で掬って、「乾杯っすね!」と笑う。

「乾杯」

「乾杯だ」


 航程の後半、時間はだんだん歪んでいく。

 会話が減り、夢と現実の境目がぼやける。


 戸来はよく、あの“アルバイト”のことを思い出す。

 棚田と引田。置き去りにした名前。

 何度も船を降り、また乗り、それでも宇宙に戻ってきた。


 何を探してるんだろう。


 眠る佐渡を見ながら思う。

 たぶんこの人も同じだ。行き場をなくした者同士が、火星なんて遠い場所に流れ着いてる。


 海斗はそんな二人を見て、「いいっすね」と言った。

「なにがだ」


「“続いてる”感じ。地球の仕事って、終わりばっかだけど、ここは終わんない」

「終わってるんだよ。ずっと続いてるように見せかけた“終わり”を走ってるだけだ」


「むずかしいこと言うっすね」

「俺もわかってねぇ」


 そのとき、船の外で微かな光が流れた。

 デブリか、星屑か、あるいは誰かの夢の燃えカスか。

 どれでもいい。

 彼らはただ、黙ってそれを見送った。



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