エピソード24、残された声
〈ホシノナギサ〉が影の縁で静止してから──
正確には、静止している“はず”の状態になってから、十七秒が経過していた。
時間表示は、正常に進んでいる。
だが、体感は違った。
ブリッジの空気がわずかに重い。
耳鳴りとも違う圧迫感だけが、三人の鼓膜の裏に残っている。
《……受信》
ミナトの声が低く響いた。
「何を?」
戸来が即座に応じる。
《外部信号》
《発信源:〈ブルーショアⅢ〉船内システム》
《ただし──通常の通信経路ではありません》
「……来たわね」
ココが息を詰める。
《信号形式は“ログ断片”。時系列が崩れています》
「再生できる?」
海斗が身を乗り出す。
《可能。ただし、内容は──》
ミナトが一拍置いた。
《“読める”とは限りません》
「それでもいい」
戸来は言った。
「流せ」
ブリッジのスピーカーから音が落ちてきた。
──ザー……
──……ッ……
ノイズ。
古い磁気テープを無理に再生したような歪み。
やがて、その奥から──
声が、滲み出した。
***
《……こちら、ブルーショアⅢ……》
男の声だった。
落ち着こうとしているが、喉の奥に張りついた震えが隠しきれていない。
《……航路A-3、定期輸送……異常、なし……》
そこで、音が跳ぶ。
《……いや……違う……》
荒い呼吸。
《星が……消えた……》
海斗が、思わず息を止める。
《センサー異常だと思った……だが、肉眼でも……》
《……空間が……沈んで……》
声がかすれる。
《操舵、応答遅延……》
《回避プロトコル、作動……》
その直後、金属が軋む音。
《……ダメだ、逃げ切れない……》
短い沈黙。
次に流れたのは、別の声だった。
女の声。若い。
《船長……あれ何ですか……?》
《あそこ……“奥行き”が……》
言葉が途中で途切れる。
代わりに──
奇妙な音が混ざった。
きゅ、と布を引き延ばすような音。
いや──違う。
空間が折れる音だ。
《……触れてないのに……》
《なのに……船が……》
男の声が戻る。
《全員、シートに……》
《重力制御、最大……》
警告音。
警告音。
警告音。
《……っ、重力が……》
《逆だ……“下”が……》
そこで、ログが飛ぶ。
***
《……ログ……残す……》
同じ男だ。
だが、声が、明らかに疲弊している。
《……誰かが、これを聞くなら……》
《……“穴”じゃない……》
一瞬息を吸う音。
《……“向こう側”が……》
《……こっちを……》
言葉が、続かない。
代わりに、低いノイズが入り込む。
《……時間が……ズレて……》
《……誰かが……先に……》
女の声が、かすかに重なる。
《船長……私……》
《……戻れない気が……》
男が、遮る。
《喋るな》
《……まだ、考えろ……》
そして──
音が、変わった。
船内アナウンス。
自動音声。
《警告》
《構造材応力、限界超過》
《空間歪曲レベル──》
数値は、途中で潰れて聞こえない。
《……やめろ……》
《……記録を……》
男の声が、必死になる。
《……誰かが……来るなら……》
《……通るなら……》
ノイズが激しくなる。
《……準備してから……》
そして最後。
とても静かな声。
《……“見られてる”》
ぷつり、と。
音が、途絶えた。
***
ブリッジに、沈黙が落ちた。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
海斗が、やっと息を吐く。
「……あれ……」
「……助け呼んでないっすよね」
「呼んでるわ」
ココが静かに言った。
「ただし……“普通の意味”じゃない」
「通るな、じゃなくて」
戸来が低く続ける。
「“準備してから通れ”って言ってる」
《補足》
ミナトが静かに割り込む。
《ログの最終部分、NAG-13の設計思想と一致します》
「一致……?」
《“通過者に選択を与える”》
《“無条件の侵入を拒否する”》
ココが、ゆっくり息を吐いた。
「……門、ね」
「兵器じゃない」
「でも……」
「失敗すれば、死ぬ」
戸来が言った。
「いや……“死ぬ”より悪い」
前方スクリーンでブルーショアⅢが、変わらず漂っている。
黒い影は静かだ。
だがもう“沈黙”ではない。
声は、届いた。
そして──
返事を待っている。




