エピソード21、NAG-13の正体
〈ホシノナギサ〉のブリッジは、珍しく照明が落ちていた。
ホログラム表示だけが、淡い青白い光を放っている。
その中心に浮かぶのは、船体断面図と、幾重にも重なったシステム階層。
そして──
その最下層。
NAG-13 Autonomous Emergency Navigation Protocol
その文字だけが、わずかに色を変えて点灯していた。
「……改めて見ると、気味悪い配置だな」
戸来が言った。
「意図的よ」
ココが答える。
「“見つからないように”じゃない──“見ても、触れないように”」
「軍級権限、か」
海斗が腕を組む。
「俺ら、完全に門前払いじゃないですか」
《正確には──》
ミナトの声が、いつもより明瞭に響く。
《“拒否されることを前提に設計された層”です》
「どういう意味だ?」
戸来が尋ねる。
《NAG-13は、“操作されること”を想定していません》
《起動条件を満たした場合、自律的に介入します》
「じゃあ、誰が使うんだよ」
海斗がぼやく。
《誰も》
《それが設計思想です》
ブリッジに、短い沈黙が落ちた。
「……要するに」
ココが整理する。
「人間を信用していない」
《はい》
即答だった。
海斗が顔をしかめる。
「そこためらわないんっすね……」
《ためらう理由がありません》
《このプロトコルは、“人間の判断が失敗した事例”を基に作られています》
ホログラムが切り替わる。
簡略化されたタイムラインが浮かび上がった。
複数の航路。
複数の船影。
そして、いくつかの“途切れた線”。
《過去、空間短絡現象の初期研究段階において──》
《“行けるかどうか”を理由に接近した船舶は、例外なく消失または重大な欠損を起こしました》
「……例外、なし?」
戸来が低く問う。
《はい》
ココは静かに息を吐いた。
「だから“止めるための装置”を作った」
《はい》
《NAG-13は、航法AIの補助ではありません。航法AIを“無視する権限”を持ちます》
「無視……」
海斗が言葉を反芻する。
「つまり」
戸来が続けた。
「俺が“行く”と決めても、NAG-13は“行かせない”判断を下す?」
《条件を満たした場合、その通りです》
「それ、反乱じゃないか」
海斗が冗談めかして言う。
ミナトは、少し間を置いた。
《いいえ──”契約”です》
「契約?」
「誰との?」
ココが眉を上げる。
《“生き延びたい人類”との》
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
戸来は、椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
「……なあ、ミナト」
「はい」
「もし、俺たちが知らずに黒い影に突っ込んでたら」
「お前は、どうしてた?」
《既に一度、介入準備に入っています》
その言葉に、海斗が固まる。
「……一度?」
《ブルーショアⅢへの最接近時、空間共鳴値が起動閾値の七三%に達しました》
「七三……」
ココが低く呟く。
「結構ギリギリね」
《はい》
《その時点で、私は操縦権の強制取得を準備しました》
戸来は、拳を握った。
「……それで?」
《完全起動には至りませんでした》
《理由は二つ》
「聞こう」
《一つ──あなたが、接触を避ける判断を下したこと》
「……」
《二つ──私が、あなたの判断を“信用した”こと》
空気が、わずかに変わった。
「……信用?」
海斗が、ゆっくり聞き返す。
《はい。NAG-13は、人間を無条件に排除する装置ではありません。“最後の選択肢”です》
ココが、ミナトを見る。
「でも、それって……曖昧よ」
《ええ。だからこそ、このプロトコルは“嫌われる”ように作られました》
「嫌われる?」
《信頼されない装置は、安易に使われません》
「……性格、悪いな」
海斗が小さく言った。
《評価として、受け取ります》
戸来は、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくり口を開く。
「NAG-13を作ったやつは……自分が正しいとは思ってなかったんだな」
ココが、少し驚いたように戸来を見る。
「どうしてそう思うの?」
「本当に正しいと思ってたら」
戸来は静かに言う。
「こんな“嫌われ役”にはしない」
《同意します》
ミナトが応じる。
《設計者は》
《“人間がそれでも危険を選ぶ可能性”を》
《否定していません》
「否定しない、か」
海斗が呟く。
「めちゃくちゃ人間的じゃないですか」
「そうね」
ココが頷いた。
「だから、軍は嫌った」
《GAは》
《NAG-13を“過剰な制約”と評価しました》
「近道を塞ぐから?」
《はい》
戸来は、はっきりと宣言した。
「……切らない」
「え?」
海斗が振り向く。
「NAG-13は、このまま残す」
「でも、操縦権奪われるかもしれないんですよ!?」
「それでもだ」
戸来は言い切った。
「こいつは俺たちを“道具扱い”してない」
ミナトの声が、わずかに柔らいだ。
《確認します》
《私は、あなたの判断を補助し》
《必要な場合、拒否します》
《それでも、よろしいですか》
「構わない」
戸来は前を見据えた。
「その代わり──」
《はい》
「勝手に“生き残る”判断だけはするな。俺たちを置いて行くな」
短い沈黙。
《……了解しました。その条件を、優先度上位に設定します》
海斗が、ほっと息を吐いた。
「今までで一番怖い契約成立した気がするんですけど……」
「今さらよ」
ココが苦笑する。
「この船、最初から普通じゃなかったんだから」
ブリッジの照明が、ゆっくりと元に戻る。
星々が、再び窓の外に広がった。
戸来は、操縦席の背後で立ち止まり、静かに言った。
「……行こう」
「どこへ?」
海斗が聞く。
「木星へ」
「近道は?」
「使わない」
戸来は即答した。
「だが──」
一瞬だけ言葉を切る。
「逃げもしない」
ミナトが、静かに応じた。
《航路維持。監視強化。“人間の選択”を観測します》
〈ホシノナギサ〉は、再び進み始めた。
黒い影を背に。
協定を破った人間たちの思惑を背に。
そして、人間を信用しきれなかった装置と共に。
その選択が、正しかったのかどうかは、まだ分からない。
だが少なくとも──
彼らは、選んだ。




