エピソード18、幽霊船・ブルーショアⅢ
《提案があります》
「聞こう」
《NAG-13の“手前”に、こちら側のフィルタを挟みます。そして、外部からの起動要求は“全部記録”します。ただし、実際に起動はさせない。そのかわり、起動しようとした“誰か”の情報だけを盗む》
「……釣り針か」
戸来が目を細める。
「こっちから、“餌付きの偽のNAG-13”を見せるってことね。触ろうとしてきたやつの指紋だけ、こっそり取る」
《はい。NAG-13本体は“眠ったふり”をさせておき、こちら側で起動要求を横取りします》
「そんなことして、バレないのか?」
《バレる可能性はありますが、“何もしないよりは安全”です》
海斗が不安そうに手を挙げる。
「あの……間違って本物起動しちゃう、みたいなことは?」
《その場合、私が全力で止めます。“ある”ことがわかっている分有利です》
「今までで一番頼りになるセリフ言いましたね……!」
「それでいきましょう」
ココが即決する。
「切り離すよりマシだわ。どうせ今さら、こいつごと船を放棄なんてできないし」
「異論はない」
戸来は頷いた。
「じゃあ、NAG-13は要観察、かつ“餌箱”として扱う。ただし──勝手に触るな。いいな、海斗」
「今、完全に俺の方向きましたよね!? なんでですかね!?」
「お前が一番、暇な時にいじりそうだからだ」
「否定できないのがつらいっす……」
「そこは否定しなさいよ」
《設定変更を開始します。NAG-13、“眠ったふりモード”へ移行》
ホログラム上で、赤く光っていたブロックが、薄いオレンジ色に沈んでいく。
まるで、目を閉じた獣に毛布をかけるような光景だった。
その奥で、なにかがまだ、じっとこちらを見ている気配がした。
戸来は無意識に、背中の汗を拭った。
(……この船、やっぱり“ただの輸送船”じゃない)
(だが、だからこそ──木星へ行く価値がある)
そんな矛盾した確信が、胸の底へ沈んでいった。
火星を離れて八日目。
NAG-13の干渉も起きず、〈ホシノナギサ〉の船内は、静かな退屈さに満ち始めていた。
人工重力は地球の七割設定。
食堂ではパック食と簡易調理の匂いが漂い、通路には工具箱とメンテ中の配管カバーが置かれている。
「長距離航海、始まったって感じですねぇ……」
海斗がマグカップを片手に、窓の外の星を眺める。
「最初の一週間は忙しくて、次の一ヶ月は退屈で、そのあとから“本当に怖くなる”」
ココがカウンタに腰かけ、足をぶらぶらさせながら言う。
「怖くなるって、何がですか」
「自分の頭の中」
「こわ。」
「宇宙の静けさって、結局“自分の音がよく聞こえる”って意味だから」
戸来はその会話を聞きながら、タブレットで航路とシフト表を確認していた。
メンバメイまで約三ヶ月。
その間、何も起きないに越したことはない。
──何も、起きなければ。
《船長》
ミナトの声が、不意にトーンを変えた。
《観測データに“異常なパターン”を検出》
戸来はタブレットを閉じた。
「どのセンサーだ?」
《複数──
──広帯域電磁センサー
──重力波検出サブユニット
──背景放射ノイズレベル監視》
「三つもまとめてかよ」
海斗が顔をしかめる。
「ココ」
「もう座ってる」
ブリッジに戻ると、ココはすでに操縦席に滑り込んでいた。
外部カメラの映像が、前方スクリーンに大きく映し出される。
星々が規則正しく瞬き……その中に、ぽつんと、一つだけ“異物”があった。
「……あれか」
画面右上。
星空の中に、小さな“黒い抜け”があった。
そこだけ、星がない。
正確に言えば──
星が“見えない”。
《拡大します》
映像がズームされていく。
やがて、その“黒”の正体が輪郭を持ち始めた。
「船……?」
海斗が呟く。
外形は、民間貨物船の汎用タイプだった。
楕円形の主船体に、コンテナを幾つか抱え込むように接続したシルエット。
しかし、その“シルエット”の一部が、あからさまにおかしい。
船体の側面に貼り付くように広がった“黒”は、塗装の剥落ではなかった。
星の光が触れた瞬間、光がそのまま吸い込まれて“消える”。
黒は表面に張りついているのではない──
金属の骨格そのものが、海綿のように”向こう側へ崩れ落ちて”いっているようだった。
船体の縁が、ところどころ”食いちぎられた紙”のようにギザギザになり、そこだけ宇宙が一段濃く、深く見える。
「なんすか、アレ……」
海斗の声が自然と小さくなる。
「識別コードは?」
戸来が問う。
《データベース照合──一致。船名〈ブルーショアⅢ〉、船籍はPR登録の民間貨物船、──二年前より“航路上で行方不明”》
「行方不明船……」
戸来が息を呑む。
「座標は?」
《現在位置、標準航路A-3からの距離、わずか0.03AU》
「近いな……ほとんど“道端に落ちてる”レベルじゃない」
ココが眉をひそめる。
「なんで二年も見つからなかったんすかね」
《さらに報告。〈ブルーショアⅢ〉周辺の空間に、局所的な重力勾配の乱れを検出》
「ブラックホールとかそういうのじゃないわよね?」
ココが半分冗談で言う。
《少なくとも、既知の天体由来ではありません。ただ、重さの分布が歪んでいます》
「……まるで、そこだけ“空間が少し押し込まれている”みたいな感じね」
「押し込まれているって、なんすか。皺寄せ?」
「布団の一カ所を手でぐいって押したみたいなもんだろ」
戸来が例える。
「布団なら戻るじゃないですか」
「宇宙でも戻るかは、今から実地で確認だな」
「そういうの、軽口って言わないんっすよ!」
《映像をさらに拡大します》
ミナトが表示倍率を上げる。
ブルーショアⅢの船体表面は、細かい隕石痕と錆びたような傷で覆われていた。
だが、問題はやはり“黒い部分”だった。
星明かりが差し込んでも、本来あるはずの稜線が浮かび上がらない。
光が入った瞬間、そのまま“どこか別の場所へ滑り落ちていく”ようだった。
モニタ上では、黒い部分の縁が、ノイズのように微かに揺らいで見える。
よく見ると──画面のピクセルが、その部分だけ“引きずられて落ちていく”ように、じわりと歪んでいた。
《この距離が限界です。これ以上近づけば、視覚情報そのものが成立しません》
「“視覚情報が成立しない”なんて初めて聞きましたよ!?」
海斗が悲鳴を上げる。
「それってつまり、“見ようとしても見えない”ってことよ」
ココが静かに言う。
「隠してるんじゃなくて、“こっちの目のほうが壊れる”タイプ」
「余計怖いっす!」
戸来は深く息を吸い込んだ。
「ブルーショアⅢの航跡ログ、残ってるか?」
《はい。行方不明になる直前までの航跡データを入手済みです。三次元投影します》
ホログラムに、点の列が浮かび上がる。
それはブルーショアⅢが辿った座標の履歴だ。
本来、貨物船の航跡は“滑らかな線”になるはずだった。
ところが──
表示された点列は、“途中で何度も跳ねて”いた。
座標点が、点々と跳ねるように曲がり、そのうちいくつかは説明不能な角度で折れている。
点と点を結ぶと、まるで──
“何か巨大な影を避けて”船だけがジグザグに逃げていった軌道
にしか見えなかった。
「これ……」
海斗が言葉を失う。
「衝突回避プログラムが暴走した結果、というには……自然じゃないわね」
ココがきっぱり言う。
《私の分析でも、“自発的に何かを避けている”可能性が高いです》
「何を避けた?」
戸来がきく。
《不明。ただし、航跡の折れ方から推測するに、“点”ではなく、“面”に近い何か》
「面?」
《壁のような、膜のような──”そこを通ってはいけない領域”が存在していたと考えると、説明しやすくなります》
「宇宙の真ん中に、壁……?」
海斗が呆然と呟く。
「〈ブルーショアⅢ〉は、それを見たのか。あるいは──見せられたのか」
戸来の背筋に、冷たいものが伝った。
「ミナト。その壁とやら、今もあるか?」
《少なくとも、現在のセンサー観測範囲内には検出されていません。ただ、〈ブルーショアⅢ〉の船体に付着している“黒い領域”は、似た性質を持っている可能性があります》
ナギサが旋回している軌道の外周に、〈ブルーショアⅢ〉の黒い部分から“触手のような歪み”がわずかに漂い出ていた。
実際に伸びているわけではない。
だがセンサー上では、その歪みは数メートル単位で“揺れ動いて”いるように見える。
まるで──黒い部分が“こちらへ手を伸ばそうとしている”ように。
「戸来さん……あれ絶対近づいちゃダメなやつですよね……?」
海斗が引きつった顔で言う。
「……ああ。そう見えるな」
「ですよね!? ですよね!? じゃあ帰りましょう! 木星帰りましょう!」
「まだ着いてもないのに帰りたがるな」
ココが、少しだけ真面目な声に切り替える。
「でも、無視できないわ。民間船が漂流してる。あれでも、一応PR船よ。救難信号は?」
《公式な救難ビーコンは発信されていません。ただ──》
ミナトの声が、微かに落ちる。
《広帯域の電磁ノイズの中に、“パターン”があります》
「パターン?」
「聞かせて」
《可聴域に変換します》
個室のスピーカーから、低い音が流れた。
ビ……ビィィ……
ギ……ギギ……ギ……
金属板がゆっくり折れ曲がる時のような、あるいは圧力に耐えながら軋む建物のような──
“痛みを訴える音”が、空調の低い唸りに混ざって流れた。
「や、やめてやめてやめて!! マジで悲鳴みたいじゃないすかぁぁ!!」
海斗が椅子から半分跳ね上がる。
《解析結果としても、“悲鳴として解釈されうる波形”です》
「だからその説明の仕方がこわいんですよ!!」
ココは、腕を組んだまま音に耳を傾けていた。
「……規則性は?」
《完全なランダムではありません。“繰り返されるフレーズ”があります》
「メッセージ、ってこと?」
戸来が問う。
《そこまでは断定できません。ただ、船体内部構造が壊れる音を電磁波として吐き出している──
そんなイメージのほうが近い》
「船が、自分で鳴ってる音……か」
戸来の背筋に、じわりと冷たい汗が浮いた。
視覚は歪み、光は吸われ、音は軋み、軌跡は“何かから逃げるように”折れ曲がる。
ここにあるのは、“説明できない故障” ではなく、“説明したくない何か” に見えた。
静寂がブリッジを満たす。
海斗が、恐る恐る口を開いた。
「あの……こういう時って、どうするのが正解なんですかね?」
「マニュアル的には?」
戸来がココを見る。
「“可能な範囲で救助を試みる”」
ココが即答した。
「ただし、“乗組員の安全が最優先”。危険度が高すぎる場合は、ログとデータを持ち帰ることを優先──」
そこで言葉を切る。
「──って、訓練では教わったけど」
「けど?」
「ここまで“何この現象”ってレベルだと、教官も想定してないわね」
《一つ補足》
ミナトが割り込む。
《NAG-13が、わずかに反応しています》
三人の視線が一斉にコンソールへ向いた。
「眠ったふりモードじゃなかったのか?」
戸来が低く問う。
《はい。“本体”は眠っています。ただし、“外部航路情報の入力可能性”として、この座標を“要観察”タグを付けました》
「つまり──」
ココが息を呑む。
「NAG-13を組んだやつは、“この辺に何かある”って前から知ってた可能性がある」
「もしくは、“こういうものを見る可能性がある航路”として、A-3を指定していたかだな」
戸来が唇を噛む。
「何それ。“実験用にわざと通るルート”ってことですか」
海斗の声に、怒りと恐怖が混じり始めていた。
《いずれにせよ、この座標周辺は、“NAG-13の興味の範囲”であることは確かです》
ミナトの言い回しが、妙に生々しい。
ココは、じっと前方の黒い抜けを見つめた。
「……決めましょう、船長」
戸来は息を吸い、ゆっくり吐いた。
ブルーショアⅢは、そこにいる。
黒い孔を抱えたまま、音にならない悲鳴を電波に変えて、漂い続けている。
ここで何もしなければ、たぶん誰も、二度と見つけない。
だが──
近づけば、〈ホシノナギサ〉も、同じように沈むかもしれない。
「海斗」
「はい」
「外部作業スーツと、緊急切り離し用の爆薬パック。最終確認だ」
「……了解っす」
返事の声は震えていたが、足取りは迷わなかった。
「ココ」
「聞いてる」
「接近する。ただし、“触らない”。舷側距離をギリギリまで詰めて、センサーとドローンだけで中身を覗く」
「いい判断だと思う」
ココは手を伸ばし、操縦桿を握る。
「“見なかったことにする”のは、安全だけど、一番危ない。何があるのか分からないまま、この航路を通り続けることになるもの」
「そういうことだ」
戸来は、黒い抜けを見据えた。
(宙族も、軍の影も、火星の裏も、NAG-13も──全部、“知らないまま逃げた”結果が、今の宇宙だ)
(だったらせめて一度ぐらい──“見たうえで怖がる”べきなのかもしれない)
《接近ベクトル設定完了。ブルーショアⅢとの最短接近距離、二キロメートル。これ以上は、危険度が指数関数的に上昇します》
「二キロで止めろ。ミナト、状況を見て、少しでも変な挙動があったら即座に離脱だ」
《了解。“即逃げモード”に設定します》
「そのモードに名前つけるな」
海斗が戻ってきた。
「スーツと爆薬、準備完了っす。……マジで行くんですね」
「ああ」
「了解です、船長」
〈ホシノナギサ〉のエンジンが、静かにトーンを変える。
推力ベクトルがわずかに傾き、船体が“黒い抜け”の方へ向きを変えた。
窓の外で、星々がゆっくりと流れる。
その中心に、ぽっかりと空いた穴のように、ブルーショアⅢが鎮座している。
光の戻らない黒。
歪む航跡。
軋むような悲鳴。
そして、眠ったふりを続けながら、じっとこちらを見ているNAG-13。
火星の赤が完全に視界から消えたとき──
三人は、もう前方の闇しか見ていなかった。
〈ホシノナギサ〉は、幽霊船の影に向かって、静かに滑っていった。




