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ユリカゴから宙へ ──漂う星々の記憶──  作者: 真野真名


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2/10

エピソード2、再びの宇宙。



翌朝。


 ドックC‐7。

 〈ホシノナギサ〉は、思っていたより小さかった。

 〈ユリカゴ〉よりは新しいが、やっぱり“生き物の匂い”がする。金属の肌が光を吸い込み、機関部がときどき、小さく息を吐く。この船も、彼ら夫婦と共に、宇宙を生き抜いてきたのだと、戸来は感じた。


「おはようさん」

 ハッチの前で佐渡が手を振った。


 隣には若い女性。その少し後ろに、工具箱を抱えた細身の青年。


「うちの相方、春海。今日で最後や」

 佐渡が笑いながら、春海の肩を抱いた。


「船の通信士であり航法士。俺の嫁やけど、腕は一流や。太陽系内航路のデブリ予測も通信ラグ補正も、AIより信頼できるんや」


「船長、褒めすぎよ」

 春海は照れたように言ってから、すぐ真顔になった。


「戸来さん。佐渡から聞いてます。この船に乗ってくださって、本当にありがとう」


 その声は静かで、芯があった。

 戸来はぎこちなく頭を下げる。


「いえ、試運転だけですから」

「そうかしら? 行ってらっしゃい」


 春海は腕を組んだまま、手のひらだけを軽く振った。

 その腹が、ほんの少しふくらんでいるのが見えた。


「代わりに入るのが俺で、すみません」

「いえ、お願いします。あの人、放っとくと缶詰だけで半年生きますから」

「栄養的に問題ありそうですね」


 春海がくすっと笑う。その笑いが船体に反射して、やわらかく響いた。


「この〈ホシノナギサ〉は、佐渡と私が何年もかけて手を入れた船なの。古いけど、素直な子よ。ただ、佐渡は機関に夢中で、航法と通信はちょっと雑になる。火星航路は、月の周回とは比べものにならないほど通信がシビアになるわ。だから、もし正式に乗ることになったら、そこだけはしっかり見てあげてね」


 そう言って、彼女は戸来の手に小さな真鍮のキーホルダーを握らせた。


「私が使ってた古いナビユニットの予備キー。お守り代わりに。佐渡は機械は信じるけど、こういう“人のお守り”は信じないタイプだから」


 掌に残るぬくもりに、戸来は少し戸惑う。


 その横で、佐渡が後ろの青年を前に押し出した。


「紹介するわ。整備見習いのひよっこ、海斗っちゅう」


「どうもっす。戸来さんですよね? 港でワークローダー操縦してた人」

 若い。銀っぽく染めた髪に、笑うと犬みたいな歯。


「見てたんですか」

「ええ。あんなスムーズな荷下ろし、AIでも無理っすよ」


「俺をおだてても給料は変わらんと思うぞ」

「うわ、似てる。船長も同じこと言ってたっす」


 春海が笑った。

「二人とも、扱いにくいタイプね」


 やがて船に乗り込むと、海斗はもうシートを外し、手際よくパネルを開けていた。


「整備の見習いでして。船長んとこで修行中っす。けど俺、いつかは自分の船を持ちたいんすよ」

「夢がでかいな」


「でかくないと、宇宙なんか出れないっす」


 その言葉に、戸来は少し黙った。昔の自分と同じ匂いがした。


 スラスターが唸り、ハッチが閉まる。試験航行、開始。


 窓の外で、月面が遠ざかっていく。

 胸の奥がざわざわする。

 あの“閉まる音”が、昔と重なった。


「顔、青いっすよ」

 海斗が言う。

「月光のせいだ」

「洒落てんなあ。俺、そういうセリフ出てこないタイプっす」


 佐渡が笑いながらスイッチを入れた。

「出発や。月周回まで三十五分」


 静かに、船体が浮き上がる。

 重力がゆるむ瞬間、戸来の指が勝手に手すりを掴んだ。

 海斗がそれを見て、にやっとする。


「怖いんすか?」

「怖くない奴はバカだ」

「俺、バカですね」


 その軽さに、少し救われた。


 航行は順調だった。

 オートも安定、通信も良好。

 だが、月を一周しかけたあたりで、警告灯がひとつ点いた。


 心臓が跳ねる。


 ──補助冷却ユニット、異常温度上昇。


「おい」

「わかっとる」


 佐渡が手動切り替えに移る。

「冷却弁が固着や。外出て見た方が早いな」


「俺、行ってきます!」

 海斗が手を挙げた。


「お前、初EVAやろ」

「訓練で二回やりました!」


「訓練と現場は違う」

「でも、このままじゃ戻れないでしょ!」


 佐渡が戸来を見る。

 戸来はうなずいた。

「俺が付き添う」


 スーツを着ると、汗がにじんだ。

 ヘルメット越しに自分の呼吸がうるさい。

 ハッチが開く。

 月の光が、まるで刃のように差し込んだ。


 海斗が先に出る。戸来が続く。

 冷却ユニットは船尾、すぐの位置にあった。

 ボルトが熱で膨張している。


「スパナ!」

「はいっ!」


 手渡された工具を受け取り、慎重に緩める。

 その瞬間、ふっと無線がノイズを出した。


 ──〈ユリカゴ3号〉の事故の時も、こうだった。


「戸来さん?」

 海斗の声がヘルメット越しに響く。

「だいじょうぶっすか?」

「……問題ない」


 息を整え、ボルトを外す。

 熱が抜け、圧が落ちていく。


「成功っすね!」

「戻るぞ」


 船内に戻った瞬間、足が震えた。

 それでも笑えた。

 久しぶりに“生きて帰った”という実感があった。


「さすがっすね!」と海斗。

「お前の方が度胸あったよ」


「マジっすか!?」

「二割ぐらいはな」


 佐渡が計器を見ながらニヤニヤしている。

「お前ら、いいコンビになりそうや」


「いや、俺はもう――」

「火星までの旅は長いぞ。考える時間はある」


 その言葉が、ゆっくり胸に沈んだ。


 窓の外、地球が豆粒のように浮かんでいる。

 海斗が指をさして言った。

「俺、あの青い星に帰るより、あの先に行きたいっす」


「なんで」

「帰る場所は、まだできてないんで」


 そう言って笑う顔が、棚田に少し似ていた。


 ――怖いけど、じっとしてる方が怖い。


 あの言葉が、また胸の奥で鳴る。


 戸来は窓の外の星を見た。

 〈ユリカゴ3号〉の残骸が、まだどこかを漂っているはずだ。

 いつか、この船がその軌道をかすめるかもしれない。


 その時は、拾ってやろう。

 笑い声ごと、拾ってやろう。


 エンジンが唸り、船体が加速する。

 月の影が遠ざかり、闇が広がる。

 恐怖よりも、懐かしさが勝っていた。


「船長」

「なんや」

「火星まで、お願いします」

「決まりやな」


 佐渡が操縦桿を叩く。海斗が歓声を上げる。


 戸来は、静かに息を吐いた。

 宇宙は、やっぱり怖い。

 でも、怖いからこそ、行く意味がある。

 あの青年みたいに、もう一度、夢を見てもいいのかもしれない。


 〈ホシノナギサ〉は、ゆっくりと火星航路へ進路を取った。


 その光の中で、戸来の中の何かが、少しだけ動き出した気がした。




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