エピソード16、最後の航路選択
〈ホタル火星支店〉の個室。
昨夜と同じ部屋のはずなのに、空気が違った。壁に囲まれているのに、外からの視線を感じるような、妙な緊張感があった。
戸来と海斗とココの三人が席につくと、嘉瀬は無言で地図デバイスを置いた。
火星、人工惑星〈メンバメイ〉、〈コボルスミ〉、そして木星圏の軌道──
細い航路線が赤く浮き上がる。
嘉瀬は三人を順に見渡した。そして、ゆっくりと口を開く。
「……まず結論から言う」
三人が息を飲む。
「明日の出発はやめろ」
そう言って、三人を見渡し続けた。
「今日の夜に発て。今夜や」
「……今日?」
海斗が目を丸くする。
「港の裏ネットに“異常な通信ログ”がある。〈ホシノナギサ〉の船名、ココちゃんの名前、ミナトというAI──その三つを含む検索ワードに“外部からのアクセス”が急増しとる。それも、GAでもPRでもない“もっと小さくて面倒な裏の連中”や」
ココの背筋が震えた。
「……特定は?」
「高レベルのプロキシ偽装や。火星港の監視システムにまで“不正な割り込み”があった。おそらく“影”」
地図デバイスが静かに点滅する。
嫌な予兆が赤い光になって滲むようだった。
「嘉瀬さん……影は、何を狙っているんでしょうか」
戸来が問いかける。
「知らん。ただ“確かめたい”んやろ。お前らがどこへ向かうのか」
「確かめて何を……」
「その答えは、お前らが持ってるんやろ?」
嘉瀬の視線が、まっすぐにココへ向く。
ココは目を伏せ、ゆっくり、しかし確実に頷いた。
「……巻き込んでごめんなさい」
「謝るな」
戸来がすぐに言った。
「理由は後で聞く。今は……行くか行かないか、だけだ」
ココが顔を上げる。
その瞳は揺れているようでいて、芯は強かった。
「行く。……絶対に」
海斗が拳を握る。
「俺だって行きます! もう腹決めてます!」
嘉瀬は満足げに笑った。
「ほな──今日の夜や。火星港の“表向きの出港許可”はまだ出る。けど、明日になると“事故”で封鎖されるはず。偶然じゃない。仕掛けられた嘘や」
戸来は深く頷いた。
「行きます。今夜」
「その顔や。……生きて帰れ」
嘉瀬は軽く手を振った。
「それとな、お前らが港を出た直後、影の連中が“何か”を動かす。その“前”に出ろ。そこが唯一の突破口や」
決意の重みが個室の空気を変えた。
これが火星での“最後の夜”になる。
ドックC-7に戻ると、妙な静けさが漂っていた。
普段なら響く整備音がない。
警備ドローンの数も少ない。
空気が張り詰めている。
「……嫌な感じですね」
海斗が小声でつぶやく。
「ミナト、船内の状況を教えてくれ」
戸来は船へ駆け寄りながら言った。
《内部センサー……反応。未登録者の滞在痕跡、位置:エンジンブロック横》
《……危険。急げ》
三人は同時に走り出した。
船腹の昇降口をくぐり、内部へ急行。
薄暗い船内で、海斗が叫ぶ。
「戸来さん! こっち!!」
エンジンルームの手前──
「……っ!」
戸来が立ち止まる。
床に、人が倒れていた。
作業服を着た整備員。壁にもたれかかり、頭を垂れている。
「おい! しっかりしろ!」
戸来が駆け寄り、肩を掴む。
胸が、かすかに上下していた。
生きている。だが、意識はない。
「何が……何があったんだ……!」
海斗の声が震える。
整備員の首筋に、赤く円い痣。おそらくテーザーの放電痕だ。
ココが冷静に言う。
「襲われたのよ。──おそらく、数十分以内」
「しっかりしろ!」
戸来が肩を掴む。
整備員はかすれた声で、ぎりぎり言葉を絞り出した。
「脅されたんだ……すまない。……“灰緑の……男たち”……。お前らの……船を……“確かめろ”と……」
そこで力が尽き、整備員は完全に意識を失った。
「くそ……!」
海斗が拳を握る。
「何で……何でこんな……!」
ココは整備員に応急パッドを当てながら、低く呟く。
「命に別状はない……でも、放置できないわ」
「港の医療に回す時間は……」
戸来は短く考え、首を振る。
「今はない。……事情が事情だ」
「そうね……彼らは“盗む”のが目的じゃない。“知る”のが目的だったのよ」
「知る……?」
戸来が顔を上げる。
「〈ホシノナギサ〉がどこへ行くのか。ミナトの中に何があるのか。私たちが、何を目指しているのか」
「……確かめにきたってことか」
「ええ。でも……もう分かったはずよ。“私たちは今夜出る”って」
影はもう、動き始めている。
時間はない。
整備員を安全な場所へ移したあと、三人は船内に戻った。
「よし……残りの点検、今から全部やる」
戸来が言うと、海斗もココも頷いた。
「……覚悟完了っす」
「黙々とやるわよ」
ライトだけが船内を照らす。
三人は船内を駆け回り、出発準備に入った。
「戸来さん……準備、完了っす」
「航法もいつでもいける」
全ての準備が整い、三人は同時に集合した。
「あとは──出発許可コード……まだか」
戸来が通信パネルを睨む。
通常なら10秒で返ってくるはずの応答が、来ない。
20秒。
30秒。
「……遅すぎる」
ココが眉をひそめる。
40秒。
海斗が不安そうに呟く。
「何か……あったんすか?」
そして──
通信が入った。
《火星港より全船へ通達》
三人が画面を見つめる。
《木星方面航路A-3、A-5は事故のため封鎖中》
「……事故?」
海斗の声が裏返った。
「事故って……今!?」
「偽装よ」
ココが即答した。
「数分前まで航路は正常だった。船団ログにも事故記録はない。上書きされたのよ。誰かに」
「影……」
戸来が唇を噛む。
「俺たちを足止めするために」
通信が続く。
《代替航路は明朝以降に開示予定です。それまでは出港禁止とします》
「明朝……」
海斗が青ざめる。
「嘉瀬さんが言ってた通り……封鎖される……」
ココが鋭い声で言う。
「でも、嘘は嘘でも“雑”よ。本気で封鎖するなら、もっと複雑にやる。これは“私たちを遅らせるだけの”偽装コード」
ココは操作台に座り、航法盤を叩いた。
「ミナト。木星方面、A-3航路の実データスキャン。事故の有無、確認!」
《スキャン開始……》
《結果:障害なし。航路クリア》
《封鎖情報は“虚偽”の可能性92パーセント》
「よし……!」
戸来は席に座り直す。
「なら──行く」
「でも出港許可が出てないっすよ……」
海斗が不安そうに言う。
「無許可発進は慣れたもんだろ。それにサポートがなくても、うちには優秀なパイロットがいる。港の“外側”に出てしまえば関係ない。港湾局の管轄はそこまで届かない」
ココが戸来を見て、わずかに笑った。
「……やっぱりあなた、船長向きね」
「褒め言葉として受け取っておく」
〈ホシノナギサ〉は赤い地表を滑るように離れた。
夜の火星は薄暗く、地平線には赤黒い砂塵が広がる。
「推力40%……60……上昇軌道に入る!」
海斗が叫ぶ。
《後方に高速接近物体──非正規ドローン四機。識別不能。武装の可能性あり》
「やっぱり来た……!」
ココが操縦席を握りしめる。
赤い砂丘をなめるように、三つの影が迫る。
火星地表をスレスレで飛ぶ、灰緑の機体。
「海斗! 後部タレット!」
「は、はいっす!!」
海斗が後部に駆ける。
古い手動砲座のハーネスに身体を滑り込ませ、照準器を覗く。
「照準……合わせ……くそ、揺れる!」
「ミナト、船体を安定させろ!」
《了解。姿勢制御》
船の揺れが一瞬、落ち着く。
「今だ! 撃て!」
「くっそおおおおお!!」
海斗の砲撃が火星砂を巻き上げ、敵ドローンの一機が沈む。
爆発はしない。
ただ、火花のように掠れ、砂に飲み込まれた。
「残り三つ……!」
《上昇を急げ。目標高度まであと40秒》
「戸来、任せて!」
ココの目が鋭く光る。
操縦桿を、思い切り右へ切った。
船体が鋭くバンクする。
重力の向きが変わり、三人の身体が横に引っ張られた。
火星の薄い大気を、刃のように切り裂く。
「うわああああ!」
海斗が悲鳴を上げる。
視界が回転し、赤い地表が斜めに流れる。
ドローンが急旋回についてこれず、一機、また一機と、赤砂へ叩きつけられた。
「ココ!! すげぇ!!」
「まだ……もう一機……!」
最後の一機が、執拗に迫る。
距離が縮まっていく。
50メートル。
40メートル。
「ココ! このままじゃ追いつかれる!」
「わかってる……!」
ココの指が、操作盤を叩く。
「ミナト! 後方スラスター、逆噴射! 一瞬だけ!」
《了解──実行》
瞬間、船体が前のめりに突っ込んだ。
「うわっ!」
急減速。
身体が前に引っ張られ、ハーネスが食い込む。
追尾していたドローンが、速度差に対応できず、そのまま船底へ激突した。
鈍い衝撃。
火花が散る。
ドローンは制御を失い、回転しながら火星の砂へ落ちていった。
音は、何も残らなかった。
《追跡、全機消滅》
「被害状況は?」
《エンジン、外殻共異常なし》
《塗装に軽度の損傷を確認。機能への影響はありません》
「落ち着いたらEVAで確認だな」
「……よし……よし!!」
海斗が椅子に崩れ落ちる。
戸来は深呼吸をした。
「ココ。助かった」
「安心するのは……あと30秒後よ」
〈ホシノナギサ〉は大気層を抜け、火星軌道への最終上昇へ入った。
火星が、赤い球として画面に映り始める。
薄い大気、砂嵐の筋、古いクレーター。
全部が静かに、しかし確かに遠ざかっていく。
《上昇完了。軌道投入成功》
《A-3航路へ移行可能》
ミナトの声が静かに響く。
「……行こう」
戸来が言った。
「火星は……俺たちを見逃してくれなかった。なら、もう振り返らない方がいい」
ココが前を見つめる。
「振り返ったら、何かに掴まれそうだものね」
海斗は鼻をすすり、涙を袖で拭った。
「でも……ぜってぇ、帰ってきますよ……! 嘉瀬さんにも……佐渡さんにも……!」
そんな海斗を見てココは言った。
「どこに泣く要素があるの? 普通に帰って来るわよ」
戸来は微笑んだ。
「そうだ帰って来るさ。帰るために行くんだ」
〈ホシノナギサ〉のエンジンが静かに唸りをあげる。
《航路クリア。木星までの最適化完了》
《出発可能》
戸来は深く息を吸い込んだ。
そして、はっきりと告げる。
「〈ホシノナギサ〉――目的地、木星」
船体が震えた。
推力が上がる。
エンジンの唸りが、静かに、しかし力強く響く。
窓の外、火星が遠ざかっていく。
赤い球体が、徐々に小さくなっていく。
影も、監視も、偽りの封鎖も──全部、船の背後に沈んでいく。
海斗が小さく呟いた。
「……行くんだ。本当に」
「ああ」
戸来が頷く。
「ここからが、本当の航海だ」
ココが前を見つめる。
その瞳に、迷いはなかった。
「──木星へ」
宇宙の闇へ向けて、〈ホシノナギサ〉は静かに加速していった。
火星の赤い光が、完全に視界から消えるまで──
三人は、ただ前だけを見つめていた。
GA:大亜細亜共栄連邦
PR:環太平洋連盟
EU:欧州連合




