エピソード13、赤砂の街の決意
船の引き渡しを終えた三人は、その日のうちに火星都市〈アウロラ・プレート〉へ向かった。
PR(環太平洋連盟)が管理する居住ドームは、外縁部の赤い荒地に囲まれている。
火星らしさの象徴──赤い砂。
居住ドームの透明壁越しに広がる荒地。
夕日のせいか、都市全体が薄橙色の膜をかぶって見える。
「ここから準備スタートっすね……!」
「火星から木星まで、片道一年。補給拠点も限られる。準備は“慎重すぎる”くらいでちょうどいいわ」
ココの言葉に、戸来も頷いた。
「問題は……金だ」
「うわっ、いきなり現実っすね!」
「当たり前だ。木星航路の準備は火星月面航路の何倍ものコストがかかる」
燃料、酸素、食料、生体維持装置のメンテ、そして補給ステーション〈メンバメイ〉〈コボルスミ〉の通行課金。
すべてが重い。
「でも、そのかわり“安全圏”になる。宙族の目撃例はゼロ。GA勢力も木星圏では弱い。他の陣営との小競り合いも今のところ起きていない」
ココはタブレットを開き、火星〜木星ルートの概要図を表示した。
「〈メンバメイ〉と〈コボルスミ〉……人工惑星なんですよね?」
海斗が首を傾げる。
「そう。正式名称は“火星木星間惑星軌道中継ステーション”。でも火星の船乗りはみんな『人工惑星』って呼んでる」
ココの説明は端的で、わかりやすかった。
「要は、惑星サイズじゃないけど、“惑星並みの価値を持つ”補給基地ってことだ」
「すげえ……」
「〈メンバメイ〉はPRが、〈コボルスミ〉はEUが主体で運用してる。GAは木星圏では弱いから、そこを間借りしてる。イオにも小規模基地しかない」
海斗がタブレットを覗き込みながら、不思議そうに聞いた。
「なんで“いま”木星っすか? 火星航路だけでも十分稼げるのに」
その問いに、ココは言葉を選んだ。
「火星は……これから荒れるわ。5年以内に必ず"資源戦争"が始まる。火星の政治も企業も、それを止められるほど強くない」
「つまり……?」
「安全じゃなくなるのよ。地球と同じで、発展と争いは表裏一体。木星は今、その“発展直前の静けさ”にある。だから行くなら今しかない」
静かに言うその口調に、戸来は何かを感じた。
(彼女……ただのAクラスじゃないな)
直観がそう告げる。
彼女はおそらく火星政治や宇宙企業圏の事情に深く通じている。
学校だけの知識では絶対に到達しない領域だ。
だが──今は追及するべきではない。
理由はどうあれ、彼女の判断は合理的だった。
翌日から、三人は火星ドックでの準備に入った。
〈ホシノナギサ〉はC-7ドックに仮置きされている。
外殻チェック、燃料タンク検査、航法AIの再調整……
作業は多岐にわたる。
「戸来さん、タンク内部に微細な砂が入り込んでます」
「火星砂か……負圧フィルタを通しても入り込むんだな」
「これ、全部取り除くんっすか?」
「全部だ。火星砂は酸化鉄の塊だ。放置すれば配管が死ぬ」
「ひぇぇぇ……」
海斗が悲鳴を上げたが、手は止めなかった。
ココは航法席でシステムの更新作業中だ。
「航法AI“ミナト”のログが妙に乱れてる。解析遅延が周期的に出てるわ」
「旧型だからな。負荷も限界近い」
「でも、これは“経年劣化”じゃない。何かを“削除した跡”がある……」
ココの手が止まった。
「削除?」
戸来が近づく。
「ええ。航法AIは自分ではログ消去できない。航海権限を持つ人間の操作が必要」
ココの指先が画面を数回タップする。
削除された痕跡が、時系列で浮かび上がった。
「……火星到着後、72時間以内。ドックに置いてる間に、誰かが船内に入った」
「佐渡さんがやったのか?」
「……違うと思う。消去ログ自体が消されてる。航法AIを熟知してるプロじゃなきゃできない」
海斗が振り返る。
「じゃあ佐渡さんじゃないっすね? 火星の整備員?」
「断定はできないけど──火星で船を降ろした“あと”に誰かが触った可能性がある」
〈ホシノナギサ〉に何者かが干渉した。
その可能性が確実なものとして浮上した瞬間だった。
戸来はゆっくり息を吐いた。
「……木星行きを決めた今でよかった。火星に長居してたら、いつか“ぶつかってた”かもしれない」
その言葉にココは少しだけ笑った。
「木星に行くって、そういうことよ。逃げてるようで、ちゃんと“前に進んでる」」
ココの評価は、戸来の胸に刺さるものがあった。
三人は火星都市の安宿に戻ると、
そのまま机を囲んで補給計画に着手した。
画面には大量の項目が並ぶ。
水再生カートリッジ、酸素触媒、冷却剤、航海食……
一年分の生活必需品から、外殻パッチ材、高真空対応グリースまで。
さらに人工惑星の通行料、未測定領域の航行保険……
「ひぃぃぃ……金が飛んでく……!」
海斗の悲鳴は、もはや絶叫に近かった
「覚悟はしてたけど、これは……」
戸来も額を押さえる。
「火星〜木星って、安く行ける航路じゃないわよ」
ココが淡々と計算結果を出す。
「でも──“一度行けば”仕事は山ほどあるわ。木星圏の輸送業者は慢性的に人手不足。エウロパのPR基地なんて、毎週求人してる」
「稼げる、ってことっすね?」
「それもあるけど……“必要とされてる”のよ。実力がある船が」
ココの声に、珍しく感情が滲んだ。
「火星はもう、需要より供給の方が多い。でも木星は逆。開拓が始まったばかり。人手も、船も、技術も、全部足りない」
「だから、俺たちが行く価値がある」
戸来は改めて確信した。
「そういうことよ」
ココが腕を組んだ時──
タブレットの画面が薄く揺れた。
外部通信。
送信者名は──
〔ホタル・オーナー室〕
火星版の〈ホタル〉のオーナー室。
佐渡の“古い知り合い”の居酒屋だ。
「来たな……“本題”が」




