表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ユリカゴから宙へ ──漂う星々の記憶──  作者: 真野真名


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/32

エピソード10、降りる者、進む者




 春海の病室は静かだった。静かすぎて、遠くの機器の電子音が、まるで空間の呼吸のように規則正しく鳴っていた。

 月面病院の窓は分厚く、外の真空に沈む灰色の風景だけがぼんやりと映っていた。


 ベッドに半身を起こした春海は、いつもの真っ直ぐな目で佐渡を見つめていた。


「これからどうするつもりなの? 日本政府はたぶん“監視するだけ”で終わるだろうけど……他の勢力は、動くかもしれないよ」


 佐渡は腕を組み、顎に手を当てた。

 普段なら軽い冗談を挟んで空気を和らげるところだが、今日はそれがない。


「せやねん。お疲れさんでしたで終われる話やない。まぁ……考えとることはある。もうちょっと整理してから話すわ。……春海の体に障ったらあかんしな」


 春海は呆れたように眉を上げた。

 それは怒っているというより、“またこの人は一人で抱え込む”とわかっている顔だった。


「何するにしても、私に言ってからにして。事後報告はダメ。あなた一人の話じゃないんだから」


「わかっとる。無茶はせん」


「あなたの“無茶はせん”ほど信用できない言葉ないわよ。戸来さん、お願いします」


 不意に話を振られ、戸来は反射的に背筋を伸ばした。


「あ、はい」


 佐渡が振り返って言う。


「なんで戸来に言うんや」


「この中で一番慎重そうだから。でも、一人だと一番無茶しそうでもあるけどね」


「……まあ、否定はせんわ」


 佐渡は黙り、負けたように立ち上がった。


「ほな、今日は帰るわ。春海、ちゃんと寝ろよ。……遥香も無事で良かった」


 春海はピシャリと指をさす。


「勝手に名前決めないで!」


「ええやん、可愛いやろ。ほなな」


 佐渡は逃げるように手を振って部屋を出た。






 廊下に出た瞬間、海斗は胸を押さえて大きく息を吐いた。


「思ったほど怒られなかった……よかったっす……」


「その分、佐渡さんが怒られたからな。ありがたく思っとけ」


「ですね……ありがとうございました」


 遠くで佐渡のどなる声が響いた。


「お前らぁ! 戸来はいらんこと言うし、海斗はソッコーで逃げようとするし! ほんまあかんで!」


「病院の廊下で騒いだら怒られますよ」


「うっさいわ!」


「うるさいのは船長っす」


 佐渡は頭をかき、深いため息をついた。


「……はぁ。まあええ。ちょっと相談したいことあるから、〈ホタル〉行くぞ」


「〈ホタル〉って……あの酒場の?」


「せや。オーナー室あるやろ。あそこ借りてる」


「酒場って……春海さんに怒られますよ……」


「おまえ、怒られる怒られるって……怒られるのそんな怖いんか。深酒せんかったら問題ないわ。ほな、行こか」


 三人はエレベータへ向かって歩き出した。

 静かな月面都市の廊下に、彼らだけの足音が軽く響いた。

 



 月面港の一角にある酒場〈ホタル〉は、昼夜の概念が薄い月でも、なぜか“夜”を感じさせる店だった。

 外観は古びているのに、店の奥へ進むにつれて、照明は落ち、客の声は小さくなり、空気が少しだけ深くなる。


「入ってええで」


 佐渡が手慣れた動作で奥の扉をノックすると、短く電子ロックが外れた。


 そこは“VIPルーム”と呼ばれる、実質的にオーナーの私室だった。

 壁には古い月面開拓期の写真が飾られ、棚には年代物の酒瓶が並んでいる。

 広くはないが、落ち着いた空気があった。


「おう、佐渡。久しぶりやな」


 部屋の奥で手を振ったのは、〈ホタル〉のオーナー。

 年代不詳の男で、笑うと一気に若返る不思議な顔をしていた。


「今日は三人か。……まぁ座り。飲み物は勝手に取ってええ」


「助かるわ」


 三人が腰を下ろすと、しばらくは雑談が続いた。

 航路の近況や月面の噂話、火星の物価の話。

 だが佐渡はどこか落ち着かず、グラスを指でなぞり続けていた。


 やがて、彼はふっと息を吐き、決意したように口を開いた。


「……今日は、相談や。大事な話や」


 戸来と海斗が姿勢を正す。


 佐渡はグラスを見つめ、しばらく黙っていた。

 やがて顔を上げ、まっすぐ二人を見つめた。


「俺は、船を降りる」


 その一言が、部屋の空気を変えた。

 照明の静かな明かりが、三人の表情を淡い影で区切る。


「……船長、本気、っすか?」


「本気や」


 海斗が言葉を失い、戸来も一瞬、返せなかった。


 佐渡は、ゆっくりと言葉を続けた。


「春海も船を降りる。子どもも生まれるしな。……宇宙に縛られたまま生きるには、守るもんが多くなりすぎた」


 彼はグラスを置いた。

 カランと氷が鳴り、その余韻がやけに長く残る。


「宇宙はまだ好きや。死ぬまで好きやと思う。でも……“好きやから”って、命預けるわけにもいかんのや」


 海斗が眉を寄せる。


「じゃあ……どうするんです?」


「ここで居酒屋やる。〈ホタル〉の親父にも話つけた。小さい区画譲ってもらうてな」


 オーナーがニヤッと笑い、うなずいた。


「佐渡の料理はうまい。あいつが店やるなら、月面の名物になるかもしれんな」


「料理って……缶詰開けるだけやないですか」


「おまえ誰のせいで缶詰生活しとった思てんねん!」


 佐渡が海斗にツッコミを入れ、場が少しだけ和んだ。


 だが本題はこれからだった。


 佐渡は、テーブルの上に小さな銀のデータチップを置いた。


「……〈ホシノナギサ〉の船籍データや」


 戸来の喉が鳴った。


「戸来。お前に、ナギサを譲る」


 海斗は目を丸くした。


「戸来さんに!? 船長、本気で!?」


「本気や。月へ戻る途中で考えてた」


 佐渡は静かに続ける。


「技量、判断力、そして……あの宇宙を知ってる強さ。全部、お前に信用を預けられる」


 戸来は言葉に詰まった。

 佐渡の視線は厳しくも、どこか優しかった。




 佐渡は手元の端末を操作し、立体投影で航路図を表示した。

 赤い火星、巨大な木星、その軌道を結ぶ細い線が浮かび上がる。


「月から火星、火星から木星衛星群……今なら参入する価値がある」


 彼は、淡々と、その“利点”を説明した。


 ・宙族の目撃例はほぼゼロ

 ・GA(地球圏勢力)は木星圏では弱い

 ・PRエウロパEUガニメデGAイオで勢力が棲み分け

 ・開発初期で、輸送船の需要が高い

 ・補給拠点として人工惑星〈メンバメイ〉〈コボルスミ〉があり、長距離でも運航可能

 ・政治衝突もまだ本格化していない


「つまり……やりやすいってわけですか」


「せや。落ち着いとる今のうちに入るのが鉄則や。荒れ出してからじゃ遅い」


 佐渡は、地図の火星を指で示した。


「火星までの旅費は高いし、仲間も必要や。そこは覚悟して進めなあかん。けど……チャンスは、今だけや」





 静かな沈黙が落ちた。


 戸来は航路図を見つめた。

 木星の向こうに広がる空虚な黒。

 そこに灯る微かな希望。

 そして──過去の影。


 棚田と引田。

 〈ユリカゴ3号〉の、あの静寂。

 二人の笑い声は、今もどこかで漂っている。


 もう一度、あの宇宙へ。

 今度は、失わないために。


 戸来は拳を握り、ゆっくり口を開いた。


「……行きます」


「戸来さん!」


「火星–木星航路。……引き受けます」


 佐渡は深く頷いた。


「ほな、決まりや」





 海斗が席を蹴って立ち上がった。


「俺も行きます!」


「海斗?」


「俺、ずっと思ってたんです。“帰る場所”がどこにもなかった。でも……今なら作れる気がするんです。火星でも、木星でも。どこだっていい」


 海斗は不器用に笑った。


「戸来さんの隣がいいっす。よろしくお願いします」


 戸来は小さく笑い返した。


「勝手についてこい」


 佐渡が天井を仰いだ。


「……お前ら、無茶せえへんようにしてくれよ。ほんまに」


 佐渡は深く息を吐き、グラスを傾けた。

 部屋の外では、月面都市の灯りがいつものように静かに輝いていた。




GA:大亜細亜共栄連邦

PR:環太平洋連盟

EU:欧州連合

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ