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ユリカゴから宙へ ──漂う星々の記憶──  作者: 真野真名


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エピソード8.5、沈黙の協定……




 戸来たち三人が〈ハナミズキ〉で月を目指している頃。

 月軌道通信網の奥深く、暗号化回線が三本だけ点灯した。


 GA中央司令・長沙。

 PR宇宙防衛本部・ヒューストン。

 日本・外宇宙調整局・東京。


 画面に並ぶ三人の顔は、いずれも無表情だった。

 疲労と沈黙が、外交の第一言語であることを三者ともよく知っていた。


「では──始めよう」


 最初に口を開いたのはGA代表・劉参事官。

 抑揚を殺した声が、機械のノイズと混ざって響く。


「GA管理外のポートで、不法離脱がありました。 船名〈ハナミズキ〉。登録上は解体予定の試験艇。現在、月のPR圏内に向かっています。……この事実、確認されていますね?」


 PR側のロバート准将が、淡々と答える。

「確認は進めている。だが、そちらの警備システムが民間船を危険区域に追い込んだ可能性が高い。脱出は“防衛行動”と考えるべきでは?」


「つまり、我々が加害者だと?」


「誰が、とは言っていない。事実を見ているだけだ」


 空気が一度、硬くなった。

 火星と月の距離よりも長い沈黙が流れる。


 第三のモニターが明るくなった。

 日本外宇宙調整局・村上局長が、穏やかに笑う。

「法の議論の前に、まずは命の確認を。日本船籍の〈ホシノナギサ〉乗員三名、うち二名は日本国籍。現在、月第七ドック医療棟で生存確認済みです」


「どこからの情報です?」劉が眉を動かす。

「医療棟のAIが救難信号を“誤認識”したようで」

 村上は淡々と応じた。


 “誤認識”──それがすでに、黙認の符丁だった。


 ロバートが笑う。「AIは時々、都合のいい判断をする」

「空気を読む能力に関しては、人間より優秀ですね」

 村上の返答に、劉は目を細めた。


「火星の治安維持のためにも、この件は我々の手で収束させる必要がある。三名の身柄、即時引き渡しを要請します」


「つまり、“消す”と?」

 ロバートの声が低くなった。

 劉は否定も肯定もせず、ただ呼吸を整えた。

 その沈黙が、答えのすべてだった。


「GAがそう望むなら、我々は干渉しません。ただし、記録に“失敗”が残れば、外交資料として扱う」


 それは脅しではなく、条件提示だった。

 劉は視線を伏せ、指先で書類を整える仕草を見せる。

 言葉は発さない。“了解”のサインだ。


 村上がその間隙を拾った。


「ならば、こうしましょう。我々は〈ハナミズキ〉を“遭難船”として扱います。“民間輸送中に事故、月圏にて救助。軍籍との関連なし”。この記録なら、どの国の顔も立つ」


「……“非公式の帰還船”扱いか」ロバートが確認する。

「ええ。GAは報道管制を。PRは監査終了報告を。日本は医療搬送として処理します」


 劉が短く息を吐く。「宙族に関する記録は削除します」

「宙族?」ロバートが微笑する。

「確認されていない存在ですね。確認されていないなら、存在しない──そういう理屈ですか」


「幻を恐れて秩序を壊すほど、我々は愚かではない」

 劉の声には、氷のような冷たさが宿る。


「……幻を消しても、死者は残りますよ」

 村上の言葉に、短い沈黙。

 誰も反論しなかった。誰も肯定もしなかった。


 やがてロバートが、乾いた笑いを一つ。

「結構だ。そちらの封印を尊重しよう。我々は、彼らを一時的に“非公式に保護”する。いずれ、静かに戻す。それでいいな?」


「異論はない。」劉が頷く。「報道も封鎖する」


 村上も頷く。

「我々も箝口令を敷きます。彼らが沈黙を守る限り、我々も沈黙を守る」

「沈黙こそ、最も安全な救助だ」

 ロバートが締める。


 劉が同意の眼差しを送り、村上が静かに告げる。


「沈黙は平和の形です。……ただし、永く続く平和ほど脆いものはない」


 三つの画面が順に暗転した。

 最後に残った通信ノイズが、しばらく月軌道に漂っていた。

 まるで、遠く離れた誰かの呼吸の残響のように。





 ──そのノイズの向こうを、〈ハナミズキ〉は漂っていた。

 誰にも知られず、誰にも報じられず。

 火星の砂をわずかに積んだまま、静かに、帰路を進む。


 灰の下で消えた名前たちの代わりに、

 彼らの沈黙だけが、確かに残った。




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