閑話 アンの回顧 (アン視点)
今は魔力障害によってこれほどまでに弱ってしまったご主人様だが、騒乱の時代を生き抜き、貧乏男爵から侯爵にまで成り上がった豪傑である。
――「アン。私はこの戦争を止める」
これは若かりし頃のご主人様の言葉だ。
戦争によって幼い時分からの親友を奪われ、ご主人様はこの誓いを彼の墓の前で立てられた。
当時は、ただの男爵子息が随分と大言を吐くもんだと思ったものだ。
今ではその短見を恥じ入るばかりだが。
「おい、アン……いるか……」
「はいご主人様。私はここに」
「ああ……」
ご主人様の苦しみは、ペットである私にも伝わる。身体的なものも、精神的なものも。
あれだけ生命力のあった人だ。ただ床に臥せ、死を待つのみというのは耐え難かろう。
「お茶を淹れましょうか」
ご主人様が一度目を瞬いたのを見て、私は棚から茶器を取り出した。
ここに使用人はいない。
病状が進行し、今のように体が自由に動かせなくなってなってすぐの頃、ご主人様は荒れに荒れたからだ。
迫り来る死に恐怖し、病という理不尽に怒り、周囲に当たり散らした。
癇癪だけならまだ良かったが、ご主人様は手が出た。
怪我を負う使用人が続出し、私がご主人様から使用人たちを遠ざけた。
ご主人様の醜態を、あれ以上晒したくはなかった。
「お茶が入りました」
「ああ……」
十分に冷ましたお茶を吸い飲みに入れ、ご主人様の口に添えた。
「いかがでしょう」
「変わらず、うまい」
「よかった」
私もカップに口をつける。
「少し、昔のことを思い返しておりました」
「昔……?」
「ええ。ご主人様と出会ったのも、つい昨日のことのように思い出せますよ」
私は召喚されて間もなく売られた。容姿が好みではなかったらしい。
低魔力状態で、寝てるんだか寝てないんだか、生きてるんだか死んでるんだか分からないようなまま鉄籠に押し込められて、劣悪な環境下で何年も過ごした。
元々胸を張れるような生き方などしていなかったので、地球へ戻りたいとは思わなかったが、このまま死んでいくのは嫌だとは思っていた。
そんなところに現れたのが幼き頃のご主人様だった。
貧乏男爵家の次男坊。
召喚の魔法陣を組み上げるお金はないが、体裁は保ちたい。そんな貴族の面倒な性から、こんなグレーな場所までペットを買い付けに来たのだ。
青髪を揺らして、不安そうにキョロキョロする小さなご主人様と、たまたまパチリと目が合った。
男爵は他の、私などよりももっと華のあるペットを買おうとしていたが、ご主人様はその瞬間私を強請った。
「そういえば、ご主人様はどうして私を選んでくださったのでしょうか。前にも聞いた気がしますが、その時は上手くはぐらかされてしまった記憶があります」
「…………見た目だ」
今度は真っ直ぐに答えてくださった。
「み、見た目ですか。私はあまりそこに自信を持っていなかったのですが……」
私は綻びそうになる口元を抑えて、喜びを噛み締めた。じんわり頬が熱を帯びているのが手に伝わって気恥ずかしい。
「ではこれからもっと、私のお顔をお見せするようにします」
ご主人様の目の前に乗り出し、出来得る限りのキメ顔をしてみた。
「……」
ご主人様がほんのり赤面しているのは、私の思い上がりでないと信じたい。