第12話 再会
ロアが姿を消したことでレヴォナは喪心し、部屋で一人塞ぎ込んでいた。
それも七日目になろうという時――
「ろ、あ……?」
母親にも、食事にも目もくれなかったレヴォナが、突然立ち上がり、部屋を飛び出した。
もつれそうになる足を、一歩、また一歩と踏み出し屋敷を駆け抜ける。
寝巻きのまま、勢い殺さず屋敷の扉を開け放つと、門の前には、この一週間ずっと帰りを待ち望んでいた存在がいた。
「ロアっ!」
地べたで寝込む守衛に目もくれず、門を通り抜けてロアに飛びかかった。
ギュッと抱き締めると、ロアの体はふっと力が抜け、崩れるように膝をつきレヴォナに凭れた。
レヴォナはその小さな体でロアを受け止め、ボロボロになった彼の頭を優しく撫でた。
その手を弾く元気は、ロアにはもうないようだ。
「ロアは生きてるって、ボクしんじてた……よくがんばったね……」
静寂の夜。月明かりの下で、二人は一週間ぶりに再会した。
◇
「ロア!」
目を覚ますと、俺は柔らかいベッドの上にいて、隣にはレヴォナが座っていた。
ここには冷たい鉄格子もなく、忌まわしい孔雀男の姿もない。
レヴォナの顔を見て酷く安堵する自分に驚いた。
「よかった。このままねむったままなのかなって、ちょっとこわかった」
ちんまり手を握ったレヴォナが目を潤ませた。
「ごめん、な……」
「ううんっ。ボクもわるかったから……もうにどと、ロアとはなればなれになんか、ならないっ!」
それから医者が来て、しばらくは安静にして、しっかり栄養を摂るように言われた。
後からレヴォナの母親とペティ、父親とフララまで見舞いに来て、内三人が涙していたので少し困った。
いつかフララが言った言葉が頭によぎる。
『ご主人様方は有り得ないくらい良い人たち』
あの時の俺は馬鹿にしていたが、今回のことでようやく理解が追いついた。レヴォナたちは、充分俺らを人扱いしているということに。
◇
「ロア、いっしょにものがたりをよまない?」
「ああ」
「ロア、いちごのあまーいケーキを食べない?」
「ああ」
「ロア、このはなたばキレイでしょ?」
「ああ」
予定だってあるだろうに、レヴォナは気を回して、毎日毎日俺に構った。
そんなある日。
「ロア、あのね。今日はおはなしがあるの」
「なんだ」
「なにがあったのか、おしえてほしいの……ボクは、ロアのみになにがおきたか、しらなきゃいけない……」
命令すれば良いのに、レヴォナはそうしない。
「つらいこと、おもいださせちゃうかもなんだけど……」
そればかりか俺を気遣ってくれる。
とても子どもに話せる内容ではない――そう思っていた俺を、真っ直ぐなレヴォナの目が射抜いた。
「聞いていて、気分の良いものじゃ、ないが……」
「きかせて」
ギリギリまで渋ってしまったが、レヴォナに促されて、俺は今回体験したことを話し始めた。
なるべくレヴォナの役に立つように、どんな情報も取りこぼさないよう事細かに。
「それで、俺は……母さんを……」
「もうだいじょうぶ。だいじょうぶだよ、ロア」
いつの間にか頬は濡れていて、そんな俺を、レヴォナに抱き寄せて頭を撫でてくれていた。
辛くて苦しい気持ちが、その小さな手で撫でられる度、慰められていく。
「れ、ゔぉな……おれ……」
「もうじぶんをせめないでいいんだよ…………ねえ、ロア」
「ああ……?」
「つらいきおく、とじこめようか? ボクがめいれいすれば、きっとしまっておけるよ。ロアがかなしいおもいをしないですむ」
それはとても心惹かれる提案で、飲めばすぐに楽になれるのだろう。
でも、全て忘れてしまったら、俺はまた同じ過ちを繰り返すかもしれない。
それが怖い。
「駄目だ。それは、駄目……」
「でも……!」
「俺は逃げたくない」
「にげたことになんかならないよ……でも、ロアがそういうなら、わかった」
俺はそれからしばらく、レヴォナの腕に抱かれたままでいた。
◇
「はい、あーん」
「ん」
「クレープおいしい?」
「んまい」
体調が回復してからというもの、レヴォナのそばにいない時間がない。
今もこうして膝の上にレヴォナを乗せて、一緒におやつを食べている。
「シロップたれてる」
レヴォナはフォークを置いて、俺の口の端からシロップを拭き取った。
「ふふっ」
「なんだよ」
「ううん。ロアがかわいくて」
「な……」
耳が熱くなるのを感じて、俺は慌てて押さえつけた。
「お耳かくしてどうしたの?」
「うるせぇ……」
「見ーせて?」
「ん……」
手を下ろすと、今度はレヴォナが俺の耳に手を当てた。
少しくすぐったい。
「りんごみたいでかわいい」
「言うな」
「……あたまなでてもいい?」
俺はその質問に答えることはせず、レヴォナの方に少しだけ頭を傾けた。
「いい子いい子」
「レヴォナ、パーティーの誘い、みたいなのいっぱい来てるんだろ……今朝も父親からやんわりせっつかれてた」
「むぅ。いまそれ言うひつようあった?」
「あ、いや……」
頬をぷくっと膨らませて、不機嫌そうになってしまった。それと同時に頭から手を離されて、先の言葉を少し後悔した。
「あっ! もしかして不安になっちゃった?」
「別に……」
「ふぅん? ……ロアと二人っきりでいたいから、しばらくは行かないよ。またとられちゃったらやだし」
そう悪戯っぽく笑うと、また頭を撫でてくれた。
心にぽっかり空いた穴を、レヴォナが全部満たしてくれる。
「安心した?」
「ん」
「じゃあはい、あーん」
またクレープが口に運ばれる。
マーマレードのような柑橘の爽やかな香りと甘さが、もちもちのクレープと一緒にじゅわっと広がった。
少し大人な味だが、甘さが充分にあるので無限に食べられそうだ。
「レヴォナは食べねぇの?」
「ボクはロアがたべてるとこ見るだけでまんぞくだよ」
「……貸せ」
俺はレヴォナからカトラリーを奪い取って、クレープを切り分けた。
「ロアがあーんしてくれるの?」
「口開けろ」
「あー……んっ! おいしいね!」
レヴォナの満面の笑みに、こちらもつられて口角が上がる。
「いつもよりおいしかったよ。ロアがたべさせてくれたからかな?」
「そんなんで味変わんねぇだろ……」
「そう?」
「ああ」
レヴォナは俺からカトラリーを取り返すと、確かめるように再びクレープを口にした。
ゆっくり咀嚼して飲み込んで、ひとつ頷くとこちらに振り返った。
「やっぱりロアにあーんってしてもらったほうがおいしい!」
「絶対プラシーボ効果だろ……」
「ぷらしぼ?」
「ただの思い込みってこと」
「ええー? ロアもじぶんでたべてみてよ。ボクからもらったほうがおいしいはず!」
俺は、期待の目を向けるレヴォナに見つめられながら、クレープを自分で切って口に運んだ。
「ほら、ボクがあーんしてあげたほうがおいしいでしょ?」
確かになんか違うような気がしなくもなくもない。
でも同じものを食べているのに、過程が違うだけで味が変わるわけがない。
「……分からん」
「もーっ!」
◇
「な、なんだこれ……」
レヴォナに引っ張られて通された部屋が、煌びやかな衣装で埋まっていた。
「今のロアの服は、召喚前に仕立てたものだからサイズがピッタリじゃないでしょ?」
「別に問題ない」
サイズなんて、今まで気になったこともなかった。
言われてみれば多少裾が長いのかもしれないが、ただ着て日常を過ごす分には支障ない。
「だめなのっ! ちゃんとロアに合ったあたらしいの作るから!」
「…………分かった」
俺が頷くと、仕立て屋の女性たちがとこからともなく現れ、テキパキと身ぐるみ剥がされた。
メジャーを当てられサクサク採寸が進み、恥ずかしがる暇もなかった。
採寸が終わったと思えば、部屋にわんさかある服を持ってきて、次から次へと試着をさせられた。
「ピンク色にあうね!」
「もっと落ち着いた色が……」
「フリルいっぱいでかわいい!」
「もっとシンプルな方が……」
「ほうせきキラキラ!」
「もっと動きやすいのが……」
「ダークでかっこいい!」
「厨二病……」
「ろ、ロアお姫様みたい……」
「おい、これは遊んでるだろ」
レヴォナの言った通り、俺は今、でっかいリボンがついた可愛らしいドレスを着ている。
着せられている時、仕立て屋の人たちが吹き出しそうになるのを堪えていたことに気付かないほど、俺は鈍感じゃない。
「で、でも、こんなかんじのも一つ作っておいたっていいんじゃない?」
「いらねぇ!」
「そんなぁ……」
俺はドレスのままずんずん歩いて、この中で一番地味な服を引っ張った。
「こういうのでいい」
「えーっ! もっとかわいいのいっぱいあるじゃん!」
「俺には派手すぎる……」
「むぅ……まあ今回作るのはいっちゃくだけじゃないし、一つくらいロアのすきなデザインもいれよっか」
「……レヴォナは、俺にどういうのを着てほしいんだ」
ここまでは仕立て屋が選んできたものを着ていたが、レヴォナの好みも知りたい。
「えっ、ボク?」
「ああ」
俺が頷くと、レヴォナは部屋を練り歩いて、服を見定めはじめた。
「うーん……これかな」
レヴォナが選んだのは、青と銀を基調とした服。
「レヴォナの髪の色みたいだ」
「えっ!? あっ確かに……」
俺の指摘に、レヴォナは随分狼狽えた。無意識で俺に自分の色を身につけてほしいと、思ったのだろうか。
「これ着た俺が見たいのか?」
「うん……見たい……」
「待ってろ」
俺はレヴォナが選んだ服を取って、着替えに行った。
「レヴォナ」
「わわ……と、とってもにあってる……!」
「ふん……」
キラキラした目で見てくるレヴォナの髪を掬って、手の中で光に反射させる。
服の色とそっくりの、綺麗な色。
「ロア?」
「この色なら、多少派手でも着る」
「……!」
レヴォナは使用人を呼び寄せて、何かを受け取った。
「これ……」
手には、青地の皮に刺繍とビジューがたっぷりついた高そうな首輪。
「ロアはボクのものって、あかしつきのくびわ」
そう言って摘んだ金具には、『レヴォナ・オーウェルム』と刻まれた小さなプレートがついている。
「ん」
俺はぺたんと地面に座り込んで、レヴォナに首を差し出した。
カチャカチャという金物の音とともに、首元がくすぐったくなる。
しばらくして、レヴォナが満足そうな顔で一歩引いた。
「ふふっ。ふくもあお色だから、だれが見てもロアはボクのだってわかるね」
レヴォナは右手にリードを握ったまま、左手を俺の頭に伸ばした。
「もう手離すなよ」
「うん」
後日届いた服の色が同じ色のものばかりだったのは、言うまでもない。