第11話 親殺し
あれからどれくらい経ったのだろう。
俺の体内時計を信じるなら三日。この閉塞空間の生活によってかなりズレている自信があるので、大きく見積って五日かそこら。
目を潰されてから、孔雀男の行為はヒートアップした。
爪を剥がされ歯を抜かれ、四肢を切り落とされ、更には魔法による火責めや水責め――皮肉にも、これが魔法らしい魔法を見る初めての機会となった――思い出したくもない拷問の数々が、孔雀男によって施された。
そして飲まず食わずでこれほど痛めつけられてもまだ、俺は生きていた。
「おっはよー♡ 元気ィ?」
「っ……」
「アラ、そんなに怯えることないじゃなァい?」
ツーっと首筋をなぞられ、獲物を狙う捕食者の目が俺を捉える。
途端、植え付けられた苦痛と血の匂いがリンクして脳裏に浮かび、全身に鳥肌が立った。
「良い反応♡ 仕上げといきましょうか♡」
孔雀男は俺に着けられていた口枷を外した。
「ど、どういうつもりだ……」
「案外カワイイ声してんのネ……今日は特別ゲストが来てるの。だからお話できた方が嬉しいかと思って♡」
孔雀男の合図で現れたのは、いつぞやのフードの男に連れられた、とても懐かしい顔。
「母さん……? どうして、ここに」
母さんも召喚された? いや、そんなはずない。
じゃあ何故ここに……
「へぇ母親」
「おい、どうしてここに母さんがいる」
孔雀男はニヤニヤするばかりで、俺の質問に答えようとしない。
フードの男は黙って母さんを牢屋に入れた。
「母さん! どうやってここに来たんだ?アイツに何か酷いことされてねぇか?」
いくら問いかけても、母さんはぼんやり虚空を見つめていて、言葉を返してはくれなかった。
「母さんになにしやがった! クソッ、これ外せ!」
「アハッ♡ それそんなに大切な人なの?」
「たりめぇだろ!」
「じゃあ外してあげるから、暴れないでくれる?」
要求は抵抗なく飲まれ、俺を壁に張り付けていた手枷は簡単に外された。
ずっと上げていた腕が降りたせいで、血流が流れてジンジンと痺れる。
「な……何を企んでる」
「駄犬にしては察しがいいのネ? そう。俺はお前のワガママを聞いた。だろ?」
「……」
「だったら、今度はテメーが俺のワガママ聞く番だよなーァ?」
「そんな」
「殺せ」
ダガーの握りが腹部に鈍痛を与える。
孔雀男が手を離すと、ダガーはそのまま床へ転がり、金属音を上げた。
「あ、一応言っとくが、お前が殺さなかったら俺が殺すだけだから。そこんとこよろしく」
それだけ言うと、孔雀男とフードの男は牢屋から出て見物にまわった。
俺は人形のような母さんに目を向ける。
この会話を一通り聞いていたはずなのに、ピクリともしていない。
「母さん……」
母さんは、強い人だった。
たった一人で俺を産んで、たった一人で俺を育ててくれた。
普通の家庭よりは、母親と触れ合う機会が少なかったかもしれない。
けれど、平日は夜遅くまでバリバリ働いていても、週末には必ず何処かへ一緒に出掛けてくれた。
公園やショッピングモールが多かったが、一年に一度はテーマパークにも連れていってくれた。
今考えれば物凄い体力だ。いや、相当無理をしていたのだろう。
高校の入学式の日の朝、母さんは倒れた。
――過労死。
俺のせいで、母さんは死んだ。
母さんの辛そうな顔なんて見たことなかった。
いつでも笑顔で、常に俺の事を一番に考えてくれていた。
母さんは強い人なんだって思ってたけど、そうじゃなかった。
「母さん……」
目の前の、人形みたいな母さんを見遣る。
これが本物の母さんなのか分からない。
幽霊なのか、はたまた本当に人形なのかもしれない。
それでも、母さんを象ったなにかから命を奪うなんて、俺には出来ない……
「なあ」
俺は牢屋の檻を掴んで孔雀男に訴える。
「頼む。俺を殺してくれ!……だから母さんだけは!」
「ダァメ♡ テメーが殺すか、俺が殺すか。それ以外に選択肢なんてないの♡」
「頼む!何でもする!ホントに、何でもするから!こんなのやめてくれ!頼むよ!」
「魅力的なお誘いだわァ……でも無理ッ!」
檻の間から足が伸びて、顔面を蹴り飛ばされた。
鼻から血が伸びるのを感じる。
「駄々こねんなら制限時間を作ったげる♡」
「は……」
「今から十分。十分の間でソイツ殺らなかったら、俺が殺る。はい、スタート♡」
間を空けずにパチンと手を鳴らして、勝手に始められてしまった。
孔雀男の手のひらの上には、砂時計のような何かが浮いている。
「ま、待ってくれ……嫌だ、嫌だっ!」
「ほらほらァ、どうするのォ? やんないのォ? もう殺し方考えとこうかしら♡ できる限り苦しめて殺してあげるわ♡」
「やめろ!」
「アンタにやったのと丸々同じことしてあげるのもイイわネ♡ それは召喚体じゃないし、どこまで耐えるのか楽しみだわァ♡」
「やめろぉぉぉ!!!」
「うるッせーな……だったら自分で殺ればァ? もう一分経っちゃうわよ?」
後ろを振り向いて、ボーッとする母さんと、地面に転がったダガーを見た。
俺には殺せない。二度も母さんを殺せない!
「五分経過ァ♡」
孔雀男の声でハッと我に返る。
思考を堂々巡りさせていただけで五分も経っていた。
あと五分。あと五分で、母さんはあの男に嬲り殺しにされる……
「九分経過ァ♡ あと一分だけど大丈夫?」
コイツに殺されるくらいなら、俺が……
「あと三十秒♡ 二十九、二十八……」
俺の血を散々吸ってきたダガーを拾い上げ、母さんの前に立った。
「十五、十四……」
走馬灯のように、母さんとの思い出が頭を駆け巡る。
こんな世界に来るまでの、母さんがいない一人きりの生活の中で、母さんがくれたものの大きさを実感したんだ。
「十、九」
俺がレヴォナから離れようとしなきゃ、馬鹿な誘いに乗らなきゃ、母さんが死ぬこともなかったのに。
「ごーお」
親不孝な子どもで、ごめん……
「よーん」
「さーん」
「にーい」
「いーち」
「ゥガァァアア゛ア゛ッ!!!」
震える両の手をダガーから離し、止めどなく流れ落ちる鮮血に目を奪われる。
パチパチと不快な拍手が、口から溢れる荒い息と共に、ガンガンと脳に響く。
「アハッ♡ 最ッ低。自分の手で親を殺すなんて! 人間のやることじゃないわァ」
◇
「ご主人様も酷なことを」
孔雀色の髪を揺らしてクツクツ笑う主人に対し、呆れた顔を向けるフードの男――パオ。
「ただ人を殺すだけでも、心の傷は深いでしょうに」
「まさか母親に見えるなんて思ってもなかったわよ。俺もそこまで鬼畜じゃない」
どこが!?と叫びだしそうになったパオは、口を真一文字に結んでなんとか驚きを抑え込んだ。
しかし主人は何を気取ったか、パオを肉食動物が如く睨みつけた。
「何よ?」
「いえいえ、なんでもございません。それにしても、これは魔法なんです?」
パオは心臓にダガーが刺さったままの、草臥れた老爺を見て言った。
「そ。こんな小汚いジジイが母親に見えるなんて、魔法ってステキでしょ? 異世界人は魔力抵抗もないから効きやすいのよねェ♡」
「ヒエー。魔法って怖いなぁ」
パオは親殺しのショックで項垂れて動かないロアを見下ろしながら、若干棒読みで嘲った。
「もっと発狂する形でぶち壊したかったケド、及第点って感じネ」
「もう送り返すんです?」
「俺としちゃあもっと遊びたいところよォ? でもそろそろクスリの効果が切れるのよ」
「なるほど」
パオの頭の中に、黄色いバナナをなんの迷いもなく咥えるロアが思い浮かぶ。
「エロかったなぁ」
「はあ? 毎晩使ってやってんのに欲求不満?」
「違いますよぅ。あのクスリのことです……バナナから液体が出るなんて機構、考えた人誰なんです?」
「チェロイ公爵お抱えのイカレ野郎よ」
「うぇ……あの人苦手なんですよね……」
パオは我が身を抱えて震える真似をした。だがあの狂人を一時でも頭の片隅に過ぎらせたのだ。真似でもないかもしれない。
「俺もよ。あんなのの手綱握ってるフリしてる公爵の気が知れないわ!」
「まあでもあの人が作ったと考えると、あの悪趣味な造形は理解できます」
「ンなもん理解しなくていいのよッ!」
「うッ……♡」
腹に沁みる鈍痛にパオは瞳にハートを浮かべた。
「気持ち良くなってないで、さっさとアレどうにかしといて」
そう言って牢屋の中を一瞥すると、主人はここを後にしてしまった。
パオはため息を吐いて満たされない心を切り替え、心酔する主人が残した命令に従うのだった。