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第2話 うちの義妹はガチのプリンセス、略してガチプリ

「戸川くんの妹さんってブラコンなんでしょ?」


 クラスメイトの林田(はやしだ)あかりに訊ねられたのは、澪と隠す方向でいこうと話した翌日の昼休みのことだった。林田は悪人ではない。むしろ陽キャには珍しい善良なタイプで、人をイジったりせず、同性からも好かれるタイプの子だ。

 その林田が純粋な好奇心で、教室のど真ん中でどストレートに訊ねてくるものだから、俺は思わず言葉に詰まった。おそらく澪の噂が二年にまで回ってきたのだろうが、俺に訊ねるならせめて場所を変えてほしいところである。


「で、どうなの?」

「いや……ブラコンには当てはまらないんじゃないかな?」


 俺は曖昧にそう答えた。


「でも、けっこう噂になってるよ? 一年の戸川澪って子が、最初の自己紹介で『お兄様』がなんちゃらって……」


 俺は脳をフル回転させ、どうにかこの場を乗り切るための嘘を考える。


「……掴みのギャグに失敗したらしいな」

「ギャグ?」

「ああ。俺が言ったんだ。最初は掴みが肝心だって。最初の印象とインパクトは大事だろ?」


 林田は苦笑した。


「澪ちゃんのこと、お笑い芸人に育ててるの?」

「そういうわけじゃないけど……ああ、あと、澪にとってはちょうどいい男避けになるかなと思って」


 そこで林田は「なるほどー」と納得した。


「たしかに、澪ちゃんってめちゃくちゃ美人だよね? めっちゃモテるんじゃない?」

「ああ……まあ、困ったことに……」

「……やっぱりお兄ちゃんとしては心配?」

「念のため言っておくが、俺はシスコンじゃないからな?」

「じゃあ、どうして戸川くんが困るの?」


 林田はきょとんと小首を傾げた。


「まあ……モテるうんぬんは置いといて、善くも悪くも容姿がいいから、自然に周りの注目を集めてしまうんだよ。身内としては目立ちすぎないか心配でさ」

「あ、それなんかわかる!」


 俺には縁遠いせいか、さっぱりわからない。

 が、小学校時代、澪はその容姿と目立つ言動によって同級生と一悶着あったので、俺だけではなく両親も心配している。

 そして澪の場合は容姿だけでない。体育以外は成績優秀。あの丁寧な口調も鼻につかないほど洗練された立ち居振る舞いは、まさにお嬢様という言葉がぴったりだ。住まいがごくごく一般的な中流家庭の我が家、戸川家であるのはもったいないほどだ。


「てか、あんまり戸川くんと似てないよね?」

「ん?」

「金髪碧眼っていうの? めっちゃ美人だし、最初戸川くんの妹だって知って、めっちゃ驚いたんだ」

「似てたまるか。うちの澪はほぼほぼ完璧なんだ。俺のような劣等民族と一緒にするな」

「あ、うん……それ、比較する相手が自分より劣ってるときに使う口調じゃないかな? あと、なんで私、怒られた?」

「ごめん、そんなつもりはなかったんだ。ただ、つい、ね……」


 林田に呆れられたが、事実なのだから仕方がない。


「じつは……澪は義理の妹なんだよ」

「へ? じゃあ、戸川くんちって再婚家庭? お父さんかお母さん、外国人なの?」

「いや、じつはそういうわけでもないんだ——」




 ——これは林田だけでなく誰にも言えない秘密なのだが、澪が俺の義理の妹になったのは、少し特殊な事情がある。


 それは、俺が小学校五年生のときだった。

 ある日、学校から帰ると、我が家のリビングのソファにちょこんとドレス姿の女の子が座っていた。最初、表情がピクリとも動かなかったので大きなフランス人形かと思った。

 父の仕事は研究者とか評論家と呼ばれるやつで、一年の大半を海外で過ごしている。土産のセンスは壊滅的で、よくわからないガラクタの中には、呪術で使う●●や、過去に人を●した●●族の●●などもある。……あえて伏せ字にしているのは、センシティブな内容が含まれているからで、ご容赦いただきたい。

 そんなわけで、俺は父のことを研究者ではなく「呪物コレクター」だと思っていた。

 そして、今回も、現地で見つけた巨大な人形を土産として持って帰ってきたのではないかと思った。いつもみたいに『いわく付き』でなければいいが、と思っていたのだが——その人形がピクッと動き、こちらを見た。

 マジでビビった。人は恐怖に陥ると身体が固まり、声すら出ないのだと、そのとき俺は初めて知った。

 しかし、どうやら人形ではなく人間だとわかり、俺は安堵で漏らしそうになった。


 さて——次に湧いた問題は、どうしてそんなお人形さんみたいな女の子が我が家にいるかということである。

 苦笑する父と、頭を抱える母。「おかえり」と迎える二人の声には、明らかな温度差があった。

 その状況を見て、幼い時分の俺はこう思った。

 ああ、やってしまったんだな。父はこの一戸建てのローンを苦に、どこかのお嬢様を(さら)ってきたのだろう。そして、このあと身代金を要求するか、足がつかないようにどこかへ売り飛ばすつもりなのだ。母はその衝撃的な事態を飲み込んだ上で、良心の呵責に苛まれている最中なのだ。そして俺は、今まさに見てはいけないものを見ているのだ、と。

 すると父は「そこに座りなさい」と真面目な顔で言って、俺をソファに座らせた。


「この子はミオちゃんだ。今日からお前の妹になったから、よろしくな」

「んー……どゆこと?」


 とてもじゃないが、小五の俺には理解が及ばなかった。自分は割と素直なほうだと思っていたが、これほど意味不明だと受け容れるのはなかなか難しい。


「じつは、知り合いのお子さんなんだが、ちょっと込み入った事情があってね」

「俺はその込み入った事情を知りたいんだけど……」

「まあ、それはあとで説明するが、今、うちの()()()()()という話を母さんにしていたところなんだ」

「事後報告じゃねぇか」


 さすがに母が可哀想すぎた。養子を迎えるというのに、妻の同意と納得はおろか、報連相すらないとは何事か。母さん、離婚を切り出すなら今だ、と当時の俺は思った。


「母さんは、どうなの?」


 訊ねると、母は俺と同じようにこめかみに手を当てた。


「私はね、まあ、いろいろ思うところはあるけど、仕方がないんじゃないかなって思ってるの……事情が事情だし……」


 母の目に一瞬、迷いと諦めが交錯した。それが、俺には事情の大きさを物語っていた。 


「百聞は一見にしかずだ」


 父はそう言って、タブレットを操作して俺のほうへ寄越した。YouTubeだった。三日前に配信されたニュースのようだが、再生ボタンを押してみたところ——




――――――――――――――

【速報】ヨーロッパ・アルデニア公国で軍部クーデター発生

――――――――――――――


『こちらはNNNニュースです。本日未明、ヨーロッパのアルデニア公国において、国内軍が首都ヴィスコ城を急襲し、クーデターを断行しました。国王ルドルフ七世と王妃エリザベート殿下、そのご家族は国外脱出を図り、現地時間午前三時過ぎに隣国トリノ王国へ避難したと報じられています。この事態を受け、アルデニアでは王政を廃止し『アルデニア民主共和国』の樹立が宣言されました。新政権樹立後の政体や国際承認の見通しについては、現地政府当局からの正式発表を待つ状況です』


 映像には、銃を持ったゲリラ軍、戦車、交戦中の映像、王と思しき大きな銅像が倒されるシーン、旗が燃やされているシーンが流れていた。

 アナウンサーは深刻な声のまま続ける。


『なお、このクーデターが欧州連合やNATOにどのような影響を及ぼすか、冷静な国際社会の対応が求められます。以上、最新情報をお伝えしました』




 ——直感的に、ああ、これ、思ってたよりマズいやつだ、と思った。

 女の子を攫ってくるほうがまだ平和であると、俺は自分の思考が麻痺していくのを感じた。


「……父さん、まさかとは思うけど、そのミオちゃんって……」


 父は静かに頷いた。


「そうだ。アルデニア公国第一王女ミオ・ルドルフィーネ・フォン・アルデニア殿下だ」


 その言葉が沈黙の部屋に落ちた瞬間、頭の中が真っ白になった。

 王女——しかもニュース映像に映っていた家族と同じ。この子が、世界中の要人が注目する第一王女だなんて。


「どうだ? 本物(ガチ)のプリンセスだ。()()()()、初めて見ただろ? すごいだろ!」


 父の態度は、まるで珍しい種類のカブトムシを自慢する小学生そのものだった。第一王女をガチプリとか、不敬罪で処罰されればいいのに──そんな悪態を心の奥でつぶやく。

 それにしても、これはやっぱりマズいんじゃないか? 俺だけがそう思っているわけではないはずだ。母は——いや、すでに諦めた顔をしていた。


「で、なんでうちに?」

「内乱の危機に瀕していると知った現地大使館からの依頼でね、うちに匿うことになったんだ。ほら、父さんってルドルフ王と仲良いし。あいつ、意外と日本酒が好きなんだ」

「知らんよ……というか、初耳すぎて引くわ、それ……」


 父がルドルフ王と親交があったことは、正直どうでもいい。


「なんで日本なの?」


 思わずそう問うた。隣国のどこか、自国から地理的に近い国へ逃がす選択肢はなかったのか。そもそも、日本語は通じるのだろうか。


「アルデニアは小国だ。隣国も王政支持派とクーデター支持派に割れている。どこへ逃げても安全とは言い難い」

「はぁ……?」

「だが、日本ならどうだ? 距離も遠く、ここに住む人々も、海外ニュースに興味がなければ、まずこの騒動を知らない」


 そう言って父は胸を張った。そして真顔で続ける。


「だから、ミオ・ルドルフィーネ・フォン・アルデニア殿下は、うちの養子になり、『戸川(とがわ)(みお)』としてお前の義妹になったんだよ」

「ガチか……」

「ガチだよ。ほら、ランドセルも買ってきた」


 いや、ランドセルを見せられてもな……。


「……それで、俺や母さんにどうしろと?」

「父さん、明日からまたしばらく海外に行くことになったんだ。あとよろしく」

「丸投げかよっ! ——」




「——考えてみれば、あの日から本格的な反抗期に突入したんだよなぁ……」


 遠い目をしていると、


「おーい、おいおいおいーい」


 という声がした。林田だった。どうやら思考がトリップしていたらしい。


「反抗期って、なんの話? 澪ちゃんのこと?」

「あ、いや、俺のこと」


 俺は苦笑しながら林田に言う。


「とにかく、澪のことは気にしなくて大丈夫だから」

「あ、そう? でも、あんなに可愛い子が義理の妹とか、めっちゃ羨ましいなぁ」

「なにかあれば国際問題になりそうだけどね……」


 つい、俺はボソッと言ってしまった。


「え? 国際……なに?」

「ううん、気にしないで」


 ちょうどそのタイミングで予鈴があった。林田は「またねー」と軽く手を振って自分の席に戻っていった。ただ、その軽さとは対照的に、俺の気分は重かった。

 つい日常に紛れて忘れてしまいそうになるが、澪は亡国のプリンセスなのだ。

 亡国のプリンセス——聞くだけなら、まるでロボットアニメのヒロインのように格好いい響きだが、現実は家族が世界中に散り散りになり、いまも安否がつかめない深刻な状況にある。

 加えて、彼女はブラコンという厄介な問題も抱えている。

 つまり、澪のブラコンは、俺にとっての国際問題なのである——




「——お兄様、本日の夕食は里芋の煮っころがしと、納豆の大葉巻きにしましょう」


 亡国のプリンセスの口から出るとは思えない夕飯のメニューを聞いたのは、林田と話した翌日の放課後の帰り道だった。ずいぶん日本に染まっちまったようだ。

 このあと二人でスーパーに寄って帰るのだが、俺とは対照的に澪は意気揚々としていて、足取りも軽い。

 ただ、どうしても聞き捨てならないワードがあった。


「澪、俺が大葉をどれだけ嫌っているか知っているだろ?」


 すると澪は目を細めた。


「お兄様、好き嫌いはよくありません」

「それはわかってるけど、大葉は父さんの次くらい嫌いなんだよ」

「では、相当ですね」

「ああ。なにせ父さんが一番だからね。大葉はナンバー・ツー」


 そんな話をしながら、ふと思った。


「肉が食べたいな……」


 澪は「ふむ」と空を眺めた。


「たしか、今日はスーパーで鶏肉が安かったはず……では、唐揚げにしましょうか?」

「うわーい、やったぁ! ……じゃない」


 唐揚げに興奮している場合ではない。俺はすぐさま冷静になって、隣を歩く澪の顔を見た。澪はきょとんとして、俺の言葉を待っている。


「澪、今日の昼休みのアレ……アレはよくない」

「え? 昼休みのアレ、とは?」


 今日の昼休み、澪が俺の教室に入ってきた。身にまとっていたのは、胸に「戸川」と刺繍されているが、明らかに俺のサイズのジャージ。袖口からは小さな指先が覗き、裾はお尻をすっぽり覆うほどの丈だった。自分のと間違えて俺のジャージを持ってきたらしい。

 そんなブカブカの格好で、澪はにこりと笑って、こう言い放った——


「——『見てください、これ、彼ジャーって言うらしいです』、じゃないんだよ……」

「ダメでしたか?」

「まるでダメだ」

「えぇっ!? そ、そんな……」


 澪はよろよろと後退した。今週二度目の驚きである。


「ですが……お友達が……『兄貴のジャージっていうより彼ジャーじゃんw』『ぜってー見せに行ったほうがいいってーw』と言うもので……」


 ……ギャルの登場人物、増えてね? 澪は教室でギャルとつるんでるのか?

 義妹の交友関係にとやかく言うつもりはないが、澪がギャル化するのだけは勘弁してほしいところだ。……ギャルの口調、なんだか上手くなってるし。

 しかし、アレだ。

 『彼ジャー』なる表現はよろしくない。

 いくら日本が表現の自由を許していたとしても、俺は許さない。

 あのあとの周りの反応といったら地獄のようだった。俺たちが兄妹であることを知らない連中はコソコソするし、林田はブラコンを怪しんでくるし。

 基本的に教室でボッチに過ごしている俺は、針のむしろになった。


「俺のジャージと間違えて持ってきたのは気にしてないし、着るのもべつに構わない。でも、わざわざ見せに来なくていいんだ」

「で、では……次から写真で送ればよろしいいでしょうか?」


 んーーー……。


「……まあ、それならギリ許す」

「あ……ありがとうございます!」

「いやいや、感謝はいらないよ……」


 俺は呆れながら言った。


「しかし……ほんと、わざわざ見せなくていいんだよ?」

「すみません……ですが、お兄様の教室に行ったのは、じつはもう一つの狙いがありまして」

「……と言うと?」

「お兄様の交友関係が気になっていたんです。親しい女性がいないか、私にはチェックする義務があるので」

「ないよ、そんな義務……」


 だいいち、交友関係というより女性関係だろう、チェックしたいのは。


「澪が俺の教室に来ると、ブラコンの噂にブーストがかかっちゃうぞ?」

「そうですね……隠しデレを宣言したというのに、客観的に見たら、普通に仲良しなカップルに見えてしまいますもんね……」

「えっと……うん、まあ、そんな感じ……」

「では、不用意に二年生のクラスに近づかないように心がけます」

「そうしてくれ……」


 そのあと、歩きながら考えたのだが、今回は澪にも落ち度があるとはいえ、そのギャル友達(?)の存在が若干気になるところではある。ギャルのうちの一人が『ぜってー見せに行ったほうがいいってーw』と発言したのは、イジりというよりその場のノリなのだろうが。


「もう友達できたみたいだけど、学校楽しいか?」


 訊ねると、澪は「はい!」と嬉しそうに言った。


「新しくできたお友達のおかげで、毎日充実しています」

「それはよかった。ただ、気になることがあってさ……」

「? ……なんです?」

「今日の『彼ジャー』の一件もあるけど、変なことを教わってないか心配でさ」

「変なこと、とは?」


 澪はきょとんと小首を傾げた。


「変なこととは、変なことだよ……」


 なかなか口に出しづらいこともあるので、俺は言葉を濁した。

 すると澪はくすりと笑って、言った。


「エッチなことですか?」

「モザーーーイクッ!」


 俺は思わず叫んでいた。


「俺、今、ぼやかすように言っただろっ!」

「高校生にもなってなにを照れてるのですか?」

「ジャパニーズは恥じらいがマストなの……!」


 ガチプリ——しかも義妹の口から無修正なワードが飛び出るのは、兄の心臓に負担をかけすぎる。もし澪が王女に返り咲いた際、日本でなにを学んでいたのか問題になりそうな案件だ。


「澪、頼むからガチプリの自覚を持って……民衆が泣くよ?」

「今はプリンセスではなくお兄様の義理の妹です」

「それはそうなんだけど……」


 そのとき、クスッと笑う声がした。


「おかしなお兄様」


 呆れながらも、澪のその笑顔に見惚れてしまう。夕陽に赤く染まった横顔は、本当に美しく、毎日を心から楽しんでいるのが伝わってきた。

 それでも、心の奥底では離ればなれになった家族を思い、寂しさを抱えているはずだ。

 いつか、本当の家族のもとへ、国へ帰ってしまう日が来るかもしれない。

 だけど今は、この何気ない日常こそがかけがえのない時間。

 澪の笑顔を守るためにも――俺はこの「隠しデレ」の毎日を、できる限り大切にしていこうと思った。

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